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はじめから泥船の高市新政権 連立組む維新の自爆行為 強烈な国民の政治不信【記者座談会】

(2025年10月22日付掲載)

連立政権合意書を示す自民党の高市早苗総裁と日本維新の会の吉村洋文代表(20日)

 自民党と維新による連立政権ができあがり、21日に高市内閣が発足した。一昨年、昨年の衆院選、参院選によって自公連立政権は少数与党となり、これまでになく自民党が弱体化している状況のなかで、自民党内では裏金・統一教会問題を引き起こした張本人だった右派側が石破茂を退陣に追い込み、自民党総裁選では高市早苗が担ぎ上げられた。ところが四半世紀以上にわたって連立を組んできた公明党が党勢低迷(連立の反作用)も相まって離脱していき、泡を食ったもとで苦肉の策でたどりついたのが維新との連立となった。一連の政局や新内閣発足についてどう見るのか、記者座談会で論議してみた。

 

  延々と自民党総裁選から首相指名に至るまでテレビが垂れ流し、まるで電波ジャックしているような毎日だ。毎朝ニュースをつけると、「クマが出た」「どうなる連立政権?」ばかりがくり広げられて、そりゃ大谷翔平のホームランでも見ている方がまだましという空気になるのもムリはない。「初の女性総理大臣が誕生」「ガラスの天井を突き破った」とか持て囃されているが、自民党内でマッチョな言動をしてきた高市早苗が清和会の残党や麻生派をバックボーンにして選ばれたというだけだ。自民党内のお家騒動の挙げ句に石破茂が引きずり下ろされてそうなった。

 

 世間一般は話題にしている人の方が少ない印象で、この間の政局に一喜一憂しているような空気は皆無といえるのではないか。漂流している日本の政治風景をどことなく冷めた視線で眺めている人々も多いのだろう。それよりもコメ代が高すぎるとか、物価高騰をなんとかしろよ! といった思いが鬱積している。「誰がなってもいっしょ」という思いが根底にあるからなのか、新政権発足を喜ばしい思いで迎えている人というのをあまり見かけない。近所の自民党支持者のオジサンだって「長くは続かないだろう…」と混迷する状況をぼやいていたくらいだ。

 

 通常なら政権発足となると期待に満ちあふれたご祝儀みたく内閣支持率が跳ね上がったりもするが、公明党にまで逃げられた自民党が大慌てで新しい連立相手を探し、力任せで維新に抱きついたような格好だ。首相指名も場合によってはどうなるかわからないといった不安定な状況をかつがつ乗りこえたにすぎない。

 

  誰がどう見てもはじめから泥船だ。数合わせによってギリギリで発足した高市政権。それもこれも自民党が弱体化して議席を失い、他党との連立でなければ政権与党の座を守れないというのっぴきならない事情が背景にある。民主党から政権を奪い返して以後、安倍、菅、岸田、石破とバトンをつないできたが、「石破茂が最後の自民党総裁」といわれるように、自民党が没落していく過程での混迷状況を映し出してもいる。高市政権は過程なのだ。

 

 安倍晋三が好き放題していた時期は一強他弱などといわれ、それはもう清和会などは我が世の春だったのだろう。公文書偽造や国有地の無償払い下げ、私物化等々やりまくっても何ら司法からのお咎(とが)めもなく、けじめもなくやり過ごされた。そうした長期政権の後、菅、岸田とつないだところで安倍晋三は統一教会の信者二世から銃殺され、清和会をはじめとした政治家どもの裏金問題も暴露され、一時期はこれらかつての主流派が抑え込まれたかに見えた。

 

左上から時計回りに、安倍晋三、菅義偉、石破茂、岸田文雄の歴代首相

 しかし、岸田から石破に至るも、なまじ頭数としては無視できない存在なだけに裏金問題等々もうやむやにして闇に葬り、粛正することはなかった。けじめをつけさせることもなかった。そして自民党としては全般として党勢低迷にあるなかで国政選挙に敗北するや、原因となった裏金問題、統一教会問題の張本人たちがここぞとばかりに石破茂の引きずり降ろしに動いてこの様なのだ。国政が停滞しようがどうなろうがおかまいなしで政局・権力闘争に勤しんでいるわけだ。

 

  裏金・統一教会問題の当事者たちによるマッチポンプもいいところで、石破茂についてはご愁傷様というほかない。戦後80年談話も出すことがならず、へたれで終わった。そして麻生太郎がボス気取りで高市二人羽織政権が発足というわけだ。しかし、いくら逆立ちしたところで出だしから頭数は少ないわけで、連立合意に走り回ることとなった。少数与党であることには変わりがないのだ。

 

 本当なら新政権発足で支持率がご祝儀のうちに解散総選挙を打って、ドーンと自民党の議席を増やして安定政権につなげたいところだろうが、如何せん公明党までが連立から離脱して選挙区での支援もどうなるかわからない。下手に突っ込んだら逆に自民党のボロ負けにもなりかねない。公明党から創価学会票を選挙区で1万~2万票回してもらっていた候補者たちが落選することにでもなれば、高市自民党はその時点で自爆となる。やれるものなら解散総選挙をやってみればいいが、恐らくそんな度胸はないのだろう。

 

 従って高市政権発足といっても、身動きがつかない、追い込まれた船出にも見えて仕方がない。しかも、主流派としてブイブイいわせ始めているのが清和会すなわち裏金・統一教会問題の張本人たちというわけで、萩生田光一の再登板などは最たるものだ。またぞろ、反省もなく出てきたという世間からの印象も強い。党内野党だった石破茂が自民党総裁に選ばれた意味を全力で否定し、自民党右派勢力が党勢低迷の要因にもなった自分たちの振る舞いには蓋をして、元に引き戻したというだけなのだ。

 

 そして、女性初の高市早苗も要するに麻生のいいなりということなら世間もどっちらけだ。男社会を生き抜く女の術みたいなのを駆使している印象が強く、もっとも嫌がられるパターンといえる。

 

「反自民」剥がれる維新 大阪の自民も猛反発

 

  とにもかくにも維新が「閣外協力」する形で政権としては発足にこぎ着けた。しかし、先ほどから論議になっているように発足から泥船であって足下は脆(もろ)い。

 

 この間、国民民主の玉木が「総理大臣になる覚悟はある」と発信したり、相当な勘違いをして跳ね回っていたのも特徴だったが、立憲が国民民主の玉木を担ぎ上げて維新とも連携する形で政権奪取に色気を出したり、なんとも知れない騒動をくり広げていた。国民や有権者から浮き上がった国会という小さなコップのなかで数合わせだけの権力奪取を妄想し、「覚悟はあるのか!」等々をやりあって、終いには決裂してののしりあっているのだからバカではあるまいかと思う。烏合の衆が寄せ集めでも権力だけはとれるという欲にかられた夢想、妄想の世界がご開帳だった。破れ口な表現ではあるが政党としての節操など忘れて、フリチンでその辺を歩き回しているかのようだった。

 

 今回、維新が助け船を出すことで連立政権は動き出すのだろう。しかし、維新はもともと反自民が売りだったはずだ。関西圏で維新が強固な地盤を築けたのは、それまでの大阪自民党が全国に先んじて有権者から見限られ、力を失っていたのを根拠にしている。そこで自民党にいた松井一郎とかが橋下徹をリーダーとして担ぎ上げ、大阪自民党とバチバチのバトルをくり広げることで政治劇の見世物をやり、のし上がった政党だ。反自民で既得権益とやらを叩きまくって熱狂を生み出し、関西圏で勢力を拡大してきた経緯がある。それが今になって本家自民党と連立でタッグということになると、関西圏では整合性がとれず、様々な弊害も出てくるのだろう。「えっ?」という戸惑いが少なからずあるはずだ。

 

 大阪自民党は自民党総裁選で小泉進次郎が選ばれたら維新と組みかねないと危惧して、高市支援に動いたそうだ。ところが、その高市が維新と連立を組むということで猛反発している。大阪の自分たちの政敵と本家がねんごろの仲になるのだからムリもない。そして関西の有権者からすると、「反自民で既得権益にぶつかっていく政治勢力」という印象も薄れ、化けの皮もそろそろハゲかけているもとで、自民党と手を握っている光景がどう映っているのかだ。

 

 維新は安倍晋三を党首に迎えようとしていたくらい親和性があり、それは大阪の矛盾に満ちた政治構造の産物でもある。大阪自民党が地元有権者から見限られ、相手にされないほど落ちぶれていたからこそ台頭できたし、自民党になりかわる政治勢力として関西財界が育て上げたポピュリズム政党にほかならない。

 

 維新そのものの自己矛盾もはらんでいるようだが、関西以外では勢力拡大がままならず、存在感も乏しくなっているなかで松井も橋下も政界を引退し、今回の連立参加が吉と出るか凶と出るかは博打みたいなものだ。場合によっては「終わりの始まり」になるからだ。

 

  全般としては沈みゆく自民党政権、少数与党となってますます政権基盤が弱体化している自民党政権に、どの党が浮き袋役となって近寄り、傷物になるリスクを負うのかという競争だったわけだ。野党の勘違いはあっても、大きな構造としてはそうなっている。単独では政権与党として存立し得ないほど弱体化している自民党が「連立」によってしか与党で居続けることがかなわず、しかも公明党はうまいこと連立離脱して距離を置いていったなかで、救いの手をさしのべたのが維新だった。連立を組む政党側からしたら冷静に見ると貧乏くじ以外のなにものでもない。維新としてはおっかなびっくりなのか「閣外協力」で距離を起きつつ、いざとなれば浮き袋を切り離して逃亡するというスタンスにも見える。

 

 C 「閣外協力」とか格好良いことをいっているが、実態は維新に閣僚になれるような人材がいないのだろう。所属議員たちの行儀の悪さには定評があって、国会議員から地方議員に至るまで過去に起こした事件や不祥事の類いを洗い出せばきりがないほどだ。閣僚になるなら身体調査は欠かせないし、叩けばホコリだらけみたいな状態では大臣になった途端に袋叩きにあうのがオチだ。任命責任が問われる事態続出みたいなことでは、それこそ政権が保たない。維新としては閣僚として出せる人材もいないが、先ほど話しになったように最後は浮き袋を切り離して逃亡できる程度の距離感でもって、高市政権という恐らく短期で終わるであろうワンポイントの政権に与するというのだろう。

 

 しかし、自民党と維新が組んだからといって数合わせの面ではそれでも過半数には足りない。会派として衆院であと2議席、参院であと5議席足りず、この穴埋めと数合わせのために多数派工作をしているのが実態だ。

 

 参政党にも声をかけたり、維新から離党して除名された無所属メンバーに声をかけたり、なり振り構わずにやっている。すなわち、政権基盤としてはきわめて脆弱であり、寄せ集めでの船出なのだ。

 

首相出し凋落した社会党 30年前の自社さ連立

 

  連立合意がちょうど「村山富市元首相死去」というタイミングとも重なって、いろいろと思い起こさせるものがある。現況のジタバタしている自民党も弱体化の産物なのだが、30年前に既にその予兆はあらわれていた。自民党の絶対的な政権基盤によって維持してきた「55年体制」なるものが壊れ、そこから連立や政治改革騒動をくり返しながら、なんとか息継ぎをしてきた30年というのが実態だろう。それこそ自民党は村山富市率いる社会党とも連立を組んだ歴史があるわけで、「維新との連立」など今さら驚きでもなんでもない。

 

 90年代初頭に自民党が力を失ったもとで、93年に非自民の細川連立政権というのができた。リクルート問題とか金丸信へのヤミ献金とか、自民党における政治とカネにまつわる不祥事も連発していたなかで、自民党を抜け出した面々で新生党やさきがけといった新興政党が立ち上げられ、自民党の終わりを感じとった連中は逃げ足早く新党側に身を移した。自民党のオワコン化が顕在化し、あの頃新党は一つのムーブメントにもなった。山口県では岸信介の後継者として代議士をしていた吹田愰までが自民党から抜け出す始末だったくらいだ。そうした連中が自民党を後景に退けて、細川護煕を担ぎ上げての八党派による連立だった。自民党はそのとき野党に転落した。

 

 ところが、それが1年も保たずすったもんだした後に、94年にあろうことか自民党が社会党を引っこ抜いて、党首だった村山富市を首相に担ぎ上げる形で、自民、社会党、さきがけによる連立政権ができあがった。自民党は議席数からすると3倍もあったのに、社会党を釣り上げた。そうして「たたかうマドンナ」みたく社会党代議士の象徴でもあった土井たか子が衆議院議長にとり立てられ、村山富市は首相ポストをあてがわれ、社会党は日米安保条約を容認するなど党是を曲げてでも政権与党に成り上がった。95年の「村山談話」(戦後50年)等、今日につながる働きもあるものの、同時にこれは社会党壊滅の引き金にもなった。96年の小選挙区制に移行してはじめての総選挙では、社会党は議席を半減させ、以後は壊滅まっしぐらだったのだ。

 

 自民党と対峙する格好で社会党というものが戦後から長らく存在し、労働者の味方風情で目くらましをやってきたのに、「反自民」の象徴のようにして議席を得ていた側が自民党とタッグを組み、それまでの党是も投げ捨てるのだから、支持者離れが一気に加速した。欺瞞のベールをかぶってガス抜き装置として「たたかう野党」を演じていたのに、またそれが実は支配の支柱としての役割だったのに、仮面をみずから剥ぎとって、欲にかられて政権ポストをもぎとりにいったわけだ。与党になりたくてなりたくて仕方がない願望を自民党側にうまいこと転がされ、社会党としては決定的な自爆行為になった。

 

 福島みずほ率いる社民党がいまや消滅政党のように片隅で縮こまっているが、あれが社会党の行き着いた末路なわけだ。その後の変遷のなかで残党どもやDNAを引き継いだ残りカスみたいなのが民主党に身を寄せたが、これらがまた2000年代に「裏切りの民主党政権」をやって自民党復権・安倍政権の復活にバトンをつないだ。何度も同じことをやるわけだ。いわゆる与党とか野党とかいうけれど、どいつもこいつもアメリカの忠犬、大企業や大資本の番頭役でしかなく、茶番による目くらましも大概にしないといけない。

 

自民党支持基盤の崩壊 小選挙区制でも止まず

 

 C 沈みゆく自民党と連立を組んだ末の没落。これは30年前の経験というだけでなく今日にも当てはまる。少数派と化した泥船与党が沈むまいとして必死に浮き袋を求めている様は高市自民党を見てもそのまんまだ。これと下手に組んだら、一蓮托生で沈んでいくというのは社会党に限った話ではない。高市自民との連立が二転三転していたのもそのためで、連立を組む場合は傷物になることを覚悟しないといけないわけだ。長く続くかどうかも危うい高市政権と組むのが損か得か、これが本格的に沈み始めた際には、真っ先にロープを切り離して逃げていくよ――というのが、恐る恐るの「閣外協力」にほかならない。

 

 B 自民党は既に30年前にも野党転落を経験しており、双璧をなしていた社会党も自滅していった。姿を変えて民主党が出来上がったが、これまた右も左もごちゃ混ぜの政党で、今では立憲、国民民主に分岐している。現状では少数多党化が特徴で、その他に維新がおり、参政党が台頭し、今日の混迷した政局のプレイヤーとしてうごめいている。政党の小物化が進んでいるというか、国民のなかで圧倒的な支持を得るような受け皿となる政党がいない状況を物語っている。総じて弱体化しているといえるのではないか。そして政治不信が極めて根強いものとして横たわっている。

 

  自民党と公明党との連立も長いが、この30年来にわたって自民党が政権ポストにありつけたのは、まず第一に公明党あってこそだ。選挙区では一選挙区につき1万~2万票という創価学会票に依存し、かわりに「比例は公明に」で恩を売り、宗教団体と持ちつ持たれつで議席を稼いできたのが自民党だ。公明党なしには選挙区をたたかえないほど、実は弱体化しているのが実態なのだ。公明党も本体は創価学会という宗教団体で「政教分離」などあってないようなものだが、その他にも自民党は神道政治連盟であるとか、ここ何年かで暴露された統一教会であったりの宗教右派にも触手を伸ばし、さらに各種の企業団体の組織票を寄せ集めて、かつがつ選挙区をものにしてきた。支持基盤は55年体制の頃に比べて明らかに崩れている。

 

 だが、皮肉にも味方になったのが強烈な政治不信。寝た子を起こさない低投票率の選挙をくり返すことで四半世紀をしのいできたにすぎない。低投票率選挙の味を覚えてしまっている。それは本来、田中角栄なんかが徹底してきた選挙区をたたかい抜く術ではないはずだ。邪道のなかの邪道でもある。せこい選挙戦術ともいえる。

 

 B 投票率が70~80%台のような選挙では自民党大敗になることが目に見えている。選挙に行かない人々が目を覚ました場合、それは大量の得票が動くことになる。政治構造を揺さぶるほどの影響力を実は秘めている。しかし、投票率が50%前後ならば、自公合わせて支持率25%くらいで勝ち抜けることが可能なのだ。「選挙に行く人」のなかで勝ち抜ければ議席としては安泰となる。小選挙区制度の特性でそのようなことが可能になるのだ。しかし、それでも自民党の支持基盤の溶解は止まらず、自民党から離れていく部分を維新とか国民民主など第二自民党、第三自民党ともいえる政党が拾い上げ、時として「反自民」風情もしながら、実際のところは採決でも政権運営に協力して立ち回っているというのが実態だ。

 

新政権が狙っている事 米中覇権争奪の鉄砲玉

 

  高市自民党と維新が組んで、連立協議で合意した政策を見てみると、防衛費増額、防衛装備品の輸出を規制する「5類型」の撤廃、原子力潜水艦を念頭にした潜水艦保有など、より軍事力増大に前のめりで舵を切ろうとしている。27年度に防衛費をGDP比2%へ増額するとした安全保障関連三文書の前倒し改訂を合意文書では明記している。

 

 さぞかしトランプは喜ぶだろう。敵基地攻撃能力をもつミサイル垂直発射装置搭載の潜水艦について、原潜導入も推進していく趨勢だ。憲法九条改正の両党協議会を25年臨時国会中に設置し、26年度中の条文案の国会提出を目指すことも記している。また、統一教会が望んできたスパイ防止関連法制についても25年に検討を開始し、速やかに法案を策定し成立させると明記している。

 

 タカ派色を前面に押し出して、維新もろともいけるところまで突っ走るというのだろう。基本的にはアメリカから求められた対日要求なのだが、安倍晋三からこの方進めてきた「戦争できる国づくり」をどこまでも追求する体制ということだ。戦後80年談話とか安全保障について独自のこだわりがあった石破茂の首を切って、なんでもかんでもアメリカから突きつけられたら丸呑みしていく体制のようにも見える。こうしてトランプに媚びを売って米軍需産業から武器を買いまくり、米中覇権争奪のもとでアメリカの鉄砲玉として身を乗り出していくというのが見たままの姿だ。

 

 C いわゆる保守とか右派ぶっているけれども、結局のところ安倍晋三とかその界隈は親米派であり売国派なのだ。CIAの手先として生きながらえた岸信介の孫だけはある。彼らがこの十数年来で進めてきたのは、大きくは軍事力増大の武力大国化であり、それは米軍需産業に貢いでいるだけでなく、日本列島の不沈空母化でもある。南西諸島への武力配備も中国と一戦交えることを想定した配置であり、台湾有事といっても日本から出撃して自衛隊が米軍になりかわって武力衝突の前線に出る体制だ。アジアにおけるウクライナのような配置にもなる。

 

 いわゆる右派というのが「日本をなめるな!」の調子で飛び跳ね、おかげで日本列島が武力攻撃の標的にされる危険性をはらんでいる。バカみたいな話だが、それが現実だ。ウクライナもゼレンスキーがプロパガンダによって大統領に担ぎ上げられ、これがNATOなりアメリカの手先として飛び跳ねたおかげでロシアを激怒させて戦闘になり、国民は戦禍に投げ込まれた。米中の緩衝国家である日本はどの道を選択するのかが問われているのだ。

 

 A まともに考えれば、武力攻撃の対象にならないように友好平和な関係でいるために穏やかに外交を切り結び、アジアの近隣諸国と平等互恵の関係を構築するのが日本社会の平和と安定、安全にとって最重要課題なはずだ。それなのに、もっぱらミサイルを構えて脅威を煽り、いざミサイルが飛んできたら「机の下に隠れましょう」とJアラートをかき鳴らして小学生なんかに訓練させている。ミサイルが飛んできたらガザを見てもわかるように校舎もろとも吹っ飛んでいくのに、なにが「机の下に身を隠しましょう」だ。戦中の竹槍訓練といっしょで、まるでバカみたいなことをしている。本気で子どもたちの生命を守るなら頑丈な地下シェルターを全国に作るとかをまともな政治家なら考えないといけないのに、そんな気はさらさらないのだ。というか、そのような交戦状態を生み出さないために外交があり、政治家は身を挺してでも平和のために動くのが仕事なはずだ。だいたい原発を54基も日本列島に抱えながら、なにをアジア各国に対してオラついているのかだ。イキった中坊よりも滑稽な姿だ。

 

 B 売国派が力を得てオラオラする背景には米国の状況がある。トランプになって世界は一段と混沌としているが、武器をもっと買えとかの無理難題を吹っかけてくるのは目に見えているし、日本などATMくらいにしか思っていないのだ。この靴の先でも舐めるような連中が取り立てられていくのが日本の政界だ。「突っ走るバカ」ほど使い勝手がいい関係にある。こうして国力は衰退し、安倍晋三のアベノミクスのおかげで円安と物価高騰に見舞われ、いまや世界的に見ても貧しい国・日本に成り下がってきた。インバウンド需要に大喜びしているが、貧しくて安い日本だから訪日客が押し寄せているだけだ。

 

 失われた30年の罪深さが今になって社会のあらゆる分野で顕在化しているが、その間の政治はいかなるものだったか、振り返ってみる必要がある。否、戦後80年にわたる政治について、また日本社会の戦後出発について深く振り返ってみる必要があるのではないか。

 

  政局としては混沌として、まさに漂流している。散々論議したように、高市政権の発足といっても「はじめから泥船」がピッタリな表現で、こんなものがいつまで保つのかだ。当面は世論も意識しながら維新を組み込み、国民民主とか参政党にいたるまで抱き込みつつしのいでいくのだろうが、政権基盤が脆いことには変わりがない。そして、一方の野党も有権者から見放された状態でどうしようもないものがある。しかし、政治があてにならないからといって社会全体の歩みは止まらないわけで、よりよい日本社会にしていくために動かしていくほかない。

 

 政局がどう転ぼうが、淡々と自称「空気を読まないバカ」たちを国会や地方議会にどんどん送り込んで、1年でも2年でも早く中堅政党としてより大きな存在感を持たせ、大暴れさせていくことは大事な一歩だ。なににおいても、あきらめたらそこで試合終了(ゲームセット)なのだ。

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この記事へのコメント

  1. 積もりに積もったわれらの鬱憤を晴らすように、よくぞ代弁してくださいました。まったく、高市・トランプのいちゃつき振りは見るに堪えませんでした(心身に悪い)。
    ここで選挙を抛り出したら、彼らの思う壺です。結語の「なににおいても、あきらめたらそこで試合終了」を肝に銘じるしかありません。

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