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『戦争と西洋:西側の「正義」とは何か』 著・西谷修

 現在、二つの戦争(ウクライナ戦争とイスラエルのガザ侵攻)の処理をめぐって西側世界が大きく揺らいでいる。その過程で、トランプが大統領として再登場し停戦に乗り出したことが、ヨーロッパを慌てさせた。パレスチナ承認をめぐっても、アメリカとヨーロッパの分断が露わとなっている。

 

 戦後世界のリーダーとされたアメリカが内外の苦境になすすべがなく没落し、西側諸国は「ならず者」に転じたアメリカに正面から楯突くことができず、ともに坂道を転げ落ちているかのようである。その一方で中国、ロシアなどのBRICS、グローバルサウスが世界に新たな活力を示し、国際社会をリードする存在として台頭する現実がある。

 

 世界史は明らかに大きく転換しつつある。このことは私たちに、これまで通説とされてきた西洋中心の世界観――西洋文明が世界に波及することで世界は進歩発展してきた等々――を乗りこえることを求めている。本書は「西洋の正義」の実体に人類学的、思想・哲学的に迫ることで、それに応える一冊である。

 

 日本を含む西側の政治家、主要メディア、政治学者、アナリストたちは現在の戦争をめぐる「想定外」の変遷に困惑し、その場しのぎの後付けでお茶を濁し、有効な対応策を示すことができない。だが、それは戦後アメリカが引き起こしてきた数々の戦争の評価全般についてもいえることだ。著者は、このように現実を正しく認識できないのはとっくに破綻している「正義」の枠からしか物事を考えられなくなっているからだと断じている。


 戦後世界の「アメリカ化」は、ヨーロッパで勃発した二つの世界大戦で無傷なまま戦争特需の好景気に沸いたアメリカが、ヨーロッパや日本を「戦後復興」の名で経済的に抱き込み、アメリカ型の「自由と民主主義」で統率することから始まったといえるだろう。そのアメリカは超大国として、いたるところで戦争を引き起こし、その都度失敗を重ねてきた。

 

 朝鮮、ベトナムでの戦争から、西側・資本主義の「勝利」とされた冷戦後も、ユーゴ崩壊・民族浄化などNATOの介入、アフガニスタンやイラクでの「テロとの戦争」、「専制主義対民主主義」を掲げたウクライナ戦争、ガザまで来て、新たな世界戦争の危機が声高に叫ばれるようになった。今では旧社会主義国を含む主要な強国が互いに反省したはずの「世界戦争」、「やってはならない核戦争」を前提にした戦争の準備に拍車をかけている。

 

 本書は戦後世界の動向をソ連を中心にした社会主義体制を含めた総体としてとらえるなかで、アメリカが戦争するたびに失墜し、そこから新たな名目・形態の戦争を引き起こし、一貫して破滅の道を進んできた事情を浮き彫りにしている。私たちはそこから、この現実こそが500年来の「世界の西洋化」の最終局面の様相であることを知るのである。

 

アメリカの地金・トランプ うろたえるリベラル

 

 そもそもアメリカは、ヨーロッパから抜け出した集団が創り出した「新世界」であった。そこで叫ばれた「自由」とは先住民を掃討・虐殺して、奪いとった「無主地」の所有権を得るという「新しい自由」、つまり私的所有権を奪い合う自由であった。それはアメリカという鬼っ子を生み出し、結局はそれに従わざるをえなくなったヨーロッパ本家の長い植民地主義の歴史と重なっている。

 

 「不動産王」トランプがグリーンランドを購入するとか、カナダをアメリカの州にするといい、イスラエルのパレスチナの民族浄化を何はばかることなく支援し、ガザのリゾート化を持ち出すのは、なにも奇抜な戯言ではなく(ルイジアナもフロリダもアラスカも実際に購入して州にした)、歴史的に積み重ねてきた「新世界の自由」の発露にすぎない。それはまた、原爆を投下した日本の占領、制空権を奪い沖縄や本土の米軍基地の治外法権を正当化する「自由」として、私たちにも突きつけてきたものだ。

 

 西側のマスメディアは「トランプは西側を裏切った」「専制君主を気取るトランプよりもバイデンの方が良かった」かのように報じている。左派・リベラル勢力のなかでも「専制主義から民主主義を守る」といって、ロシア(独裁者プーチン)と戦うウクライナ(実は欧米の代理)を支援したり、ベネズエラなどを中南米の植民地的略奪を狙うアメリカの側に立って攻撃する風潮が一般化している。

 

 著者はこうした図式的で皮相な世界認識について、「民主国家vs.専制国家」という図式は「自由主義vs.共産主義」「文明vs.テロリスト」の焼き直しであり、その源流は「ナチズムから自由世界を守る」というアメリカの第二次大戦参入のスローガンにあると指摘する。また、「ネオコン」(新保守主義)と「ネオリベ」(新自由主義)は切り離れた関係ではなく、どちらもアメリカ(新世界)の形成原理――他者からの障害を突き崩し消滅させていく「自由」と、そうした「解放」を維持し続けることこそが世界におけるアメリカの地位を確保し「保守」し続ける道――であることを明確にしている。

 

 「反戦・護憲」を掲げてきた者が「侵略した方が悪い」「独裁者をやっつけろ」と声を張り上げ、その戦争がなぜ引き起こされたのか、どのような経過でそうなったのかについて理解し、正しい対応を模索する者に対抗するようになった。著者は哲学者として、そのような眼前のできごとに刹那的に反応するだけの「無思考」に、「時の流れの厚み」を知ろうとせずに戦争にのめり込む人間としての退廃を見ている。

 

 ウクライナ戦争では、その入り組んだ諸関係を歴史的にとらえようとする者を「ロシアより」と見なす風潮が一世を風靡した。本書はそうしたことも、アメリカが9・11以後の「反テロ」戦争で「テロか、反テロか」と二者択一を迫り、謀略的にねつ造した宣伝で国際社会を組織した流れでとらえている。また、こうした現象が世界の政治・経済の変化とともに、IT・情報化などテクノロジーの進化と深く結びついていることも。

 

 著者は「われわれにつくか、敵になるのか、二つに一つ」という迫り方は、「0か1か」の「デジタル思考」そのものであり、時間をかけて「今の厚み」を知ることへの攻撃だと見る。今日のデジタル情報化は、物事をデータにして平面的な処理にかけるものだが、「思考のOS(オペレーティングシステム)」は戦争についても表面的な情報の集合としてしか見ない。そして、そのような簡便な「思考」は、巨大IT企業が新しい広大な市場を略奪する「自由」にとり込まれた産物なのだ。

 

新たな世界作りに貢献を 日本の展望

 

 戦後、どこよりもアメリカに従属してきた日本の為政者は保守・リベラルを問わず、今も「アメリカと共通する価値観」を後生大事にし、アメリカの戦争のための軍備増強に巨額の資金を注ぎ込む状況にある。その一方で、国民の大多数が困窮に喘ぎ、政局は混迷を極めている。この状況はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に見るような、ウソと真実の垣根を取り払う世相も含めて世界史のダイナミズムの一環としてある。

 

 著者は、日本が破滅の道から脱却するために、西洋が没落した現実に見合った世界作りに積極的に貢献する道を進むべきだと主張している。それを促し保証するのは、欧米を含む世界の民衆と国境をこえて連帯し、貧困と戦争を拒絶する私たちのたたかいなのだ。

 

 (筑摩選書、B6判・272㌻、1750円+税)

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