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長生炭鉱ついに遺骨見つかる 悲しみの歴史から友好の礎に 国家事業として遺骨収容・返還を 83年間の願いと努力実を結ぶ

(2025年8月27日付掲載)

長生炭鉱犠牲者の遺骨を収容した韓国ダイバーと抱き合う「刻む会」の井上洋子代表(26日、宇部市床波)

収容された遺骨に向かいチェサ(朝鮮式の法要)をおこなう在日朝鮮人たち(25日、宇部市床波)

 山口県宇部市床波の長生炭鉱の水没事故で犠牲となった183人(うち朝鮮半島出身者136人)の遺骨収容のための第6次潜水調査が8月25、26日におこなわれ、ついに遺骨が発見された。25日には大腿骨を含む遺骨が3片、26日には頭蓋骨が坑道内から収容された。昨年9月、事故直後に埋められた坑口を見つけ出して以降、10月、今年1月、4月、6月、8月と地道な調査をくり返し、83年ぶりに市民の手によってようやく犠牲者の遺骨と対面する歴史的な日となった。30年来活動を続けてきた「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(共同代表/井上洋子、佐々木明美)のメンバーや在日同胞らも手をとり合い、涙を流して喜びあった。井上共同代表は「ご遺骨が待ってくれていた。支援していただいたみなさんに感謝したい。このご遺骨が私たちに力をくれる。今度は政府が動く番だ」とのべ、今後は全遺骨の収容と、遺族への返還にむけて日本政府を動かしていくための「新たな闘いが始まる」と気持ちを新たにしている。

 

刻む会、遺族、ダイバーら感慨の涙

 

 今回は、4、6月と8月上旬に引き続いて沖のピーヤからの潜水調査がおこなわれた。水深40㍍超での作業であり危険をともなうため、早朝5時から地元ダイバー3人がピーヤ内で潜水病の予防装置や空気タンクを配置するなど万全の準備をして臨んだ。

 

 両日とも午前10時過ぎに韓国人ダイバー2人が沖のピーヤに向かった。そして、潜水開始から4時間後の午後2時過ぎ、遺骨を抱えて岸に戻ってきた。ダイバーのキム・ギョンス氏とキム・スウン氏は、水中探検家の伊左治佳孝氏が前回調査で引いたラインに沿って旧坑道から側道、本坑道まで進んだという。そして本坑道に突き当たったT字路付近でブーツのような靴を複数人分発見し、「骨が靴をはいた状態になっている」と説明した。その周囲で埋まっていた3片の遺骨を収容した。最も大きな骨(長さ約42㌢)は大腿骨と見られる。

 

 26日には、頭蓋骨を収容した。収容したダイバーは「(頭蓋骨は)半分ぐらい底の土に埋もれていた状態だった。身体の右側が下になって横になって服を着た状態で倒れていた。周辺には複数の靴や遺骨も発見した」と明かした。

 

ダイバーが撮影した長生炭鉱坑道内の映像に映る犠牲者の遺体。遺体は衣服や靴を着用しているのがわかる(25日、刻む会提供)

収容された犠牲者の頭蓋骨(26日)

 井上洋子共同代表は、涙を流しながら、白い手袋をした手で遺骨を受けとり机にそっと並べた。「ご遺骨は必ずあるという信念のもとに、私たちはやってきた。やはりそこ(坑道)に遺骨があった。待っていてくれた。これまで支え支援して下さったみなさんに感謝しかない」と涙ながらに語った。収容された遺骨は鑑定のため山口県警に引き渡された。

 

 来日がかなわなかった韓国遺族会の楊玄会長にも遺骨発見が知らされ、「井上代表、ついにその方々に会うことができましたね。どれだけ待って苦労したことか。ありがとうございます。興奮して胸がドキドキしております」というメッセージが現場に届いた。

 

 26日には日本人犠牲者の遺族もかけつけた。犠牲者の孫にあたる女性(50代)は、「小さいころから事故の話を聞いていたが、大人になって水非常のことを詳しく知った。水非常があって私の母の人生が変わり、私たちの今がある。祖父は悔しかっただろうと思う。井上さんをはじめ、伊左治さんの勇気によって83年前に亡くなった尊い命をこのようにもう一度地上に出すことができて本当に感謝している。昨年9月25日に坑口が見つかり、約1年でこうして骨が見つかった。これまで83年のあいだ、亡くなった人たちはどう思ってきたのだろうと思う」と言葉を絞り出すように話した。

 

体を張って連携し調査 日韓のダイバーたち

 

遺骨発掘を成し遂げて健闘をたたえ合う日韓のダイバーたち(25日)

 伊左治氏らダイバー3人は、肩を抱き合い互いの健闘をたたえ合った。2日間の潜水調査を終えたキム・ギョンス氏は、「井上さんをはじめとして刻む会の長年のとりくみ、昨年からの伊左治さんの調査があって、今日の発掘につながってとても喜んでいる」とのべた。キム・スウン氏は「遺骨が見つかったことが少しでもみなさんの慰めになったのではないかと思う。昨日確認したよりもさらに多くの方の遺骨が残っているかも知れない」と語った。

 

 伊左治氏は「1年かけて積み上げてきたことが実を結んで嬉しい。一番の目標はここ(遺骨収容)でそれが達成できたのは感慨深いものがある。それは僕の思いであると同時に、来ていただいている方の気持ちだと思う。今日、最初の大きなステップをこえた。ご遺族の方たちの悲しい思いが少し安らぐことができたのではないか」と安堵した表情で語った。

 

 2023年12月の刻む会による政府交渉の映像を見て、長生炭鉱の事故を知ったという伊左治氏が「悲しい事故を悲しいままで終わらせたくない」と声をあげたことで昨年七月から具体的に動き出した潜水調査。この1年間は、伊左治氏をリーダーとして、地元のダイバー、韓国人ダイバーも加わった専門家チームが知恵と力を出し合い、一歩一歩海底の遺骨に近づいていく作業でもあった。

 

 4月以降の沖のピーヤからの調査は、最底部は水深40㍍をこえる。その位置から水面に浮上するには体への負荷が大きく、減圧が必要なため約1時間半を要する。そのためピーヤ内の水深12、9、6、3㍍の位置に減圧ステーションが設置された。まさに危険をともなう命がけの調査であり、そうした事前の安全対策や準備を担ったのは地元ダイバーであった。

 

 地元ダイバーの戸田政巳氏は「やっとこの日につながってくれたことが嬉しい。報われた」と笑顔で語った。同じく地元の塚田哲夫氏も「(遺骨が出て)ホッとした。日韓首脳会談が数日前におこなわれた直後に、ご遺骨が収容された。仕込まれているのではと思うような歴史的なタイミングだ。みなさんの強い気持ちがあって達成できたと思う。この事業を裏方でバックアップできて良かった。これで大きく進んでいくと思う」と話した。

 

 これまで宇部市民のなかでは床波の海は、あまり触れてはならない場所という空気があったといい、「今日ご遺骨が見つかったことで少し気持ちが救われたという思いもある。この海は子どもたちも遊べるきれいな場所。今日はいろんな意味で転機になる日だと思う」と語った。

 

 伊左治氏は26日の調査後に「これからは新しい段階に入る」とのべ、来年1、2月には、2018年にタイで発生した洞窟遭難事故の救助活動に参加したことで国際的に知られるようになった熟練ダイバーのミッコ・パーシ氏(フィンランド出身)なども参加して、本格的な遺骨収容作業の準備を進めていく展望を明かした。

 

 刻む会によると、来年1月からの海外ダイバーを招聘(へい)した大々的な遺骨収容プロジェクトには3000万円を必要とするため、9月13日から第4次クラウドファンディングを開始する。同時に、秋には海外特派員協会で記者会見をおこない、国際的なクラウドファンディングを計画している。さらに日本政府との交渉も進め、今回収容された遺骨のDNA鑑定なども具体的に進めていくことを発表した。

 

 井上共同代表は、2日間の調査を終え「ご遺骨がまだたくさん坑道のなかに眠って救出を待っておられることをしっかり政府に対して訴えていきたい。日本の戦争のために、日本がはじめた植民地政策のために、ここで亡くなった皆様がこうして見つかった。そしてまだたくさんいらっしゃる皆様を日本政府は放っておくのか。強制連行の象徴であったこのご遺骨をきちんと故郷へお返しすることが、日本政府に課せられている誠意、責任ではないかと私たちは強く思っている。日本が過去を見つめて朝鮮半島の皆様から信頼を得ることで、日韓関係の未来志向も道筋ができていくと思う。今からは日本政府を必ずこのプロジェクトに参画していただくための闘いになる。これからも長い道のりが待っていると思うが、皆様の力を借りながら頑張りたい」と参加者に訴えた。

 

次世代に繋ぐ希望の光 在日朝鮮人や遺族

 

遺骨を収容したことを警察に連絡する井上共同代表ら(25日)

 潜水調査で収容された遺骨を前に、長年活動を支えこの日を待ちわびていた在日朝鮮人の感慨はひとしおだった。事故の直前まで父親が長生炭鉱で働いていたという宇部市在住の在日二世の徐正吉氏(83歳)は、「嬉しいやら悲しいやら……」と複雑な心境を吐露しつつ、「刻む会の元会長の山口武信先生や井上さんの強い思いと、長い長いたたかいがやっと実を結んだ。私たちのアボジやおじさんにあたる人の遺骨が見つかって、本当にありがとうといいたい。DNA鑑定をして早く故郷に帰れるようにしてほしい。これからは日本政府が動かなければ」と語った。

 

 在日二世の女性は「感無量です。何十年とかかわってきているので、この日を迎えられることは本当に嬉しい。みなさんの思いや努力が通じたと思う。今から国との交渉で、新しいスタートだと思う」とのべた。

 

 北九州在住の在日二世の男性は、「海底でさまよっていた遺体から、上げてくれー、上げてくれー、という声がいつも海の底から聞こえてくるようだった。今日ようやくその人たちが地上に引き揚げられた。丁重に荼毘(だび)に付して、故郷の墓地に埋葬したらどんなに心が晴れるだろうか。心に積もった憤りと鬱憤が少し和らいで、故郷に行って本当に安らかに眠れるように手を合わせて埋葬してあげたい。そうすることで日韓友好、日朝友好親善につながり、遺族の気持ちも和らぐと思う。その意味でご遺骨を見つけたということは本当に嬉しいし、次の世代に伝えることができる。希望だ」と話した。

 

 刻む会の運営委員でもある在日二世の女性は、「日本のみなさんと一緒に刻む会のメンバーとして活動してきた。長い長いトンネルのような道程だったが、その間いろんな議論をしながら手差しやカンパを集めて血のにじむような活動を重ねてきて、今日の日を迎えられた。朝鮮語で“恨(ハン)”という言葉があるが、今までその象徴がピーヤだった。だが今日ご遺骨が見つかったことで、悲しい恨みのピーヤではなく、平和の象徴としてピーヤを見ることができるのではないか。これからは平和の象徴としてここを訪ねることができるのではないか」とのべ、遺骨発見をきっかけに日本と朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化にも努力してほしいと語った。

 

 さらに「今からがスタート。民間の力でここまでやった。厚労省は“遺骨の場所と深度がわからなければできない”といっていた。でもご遺骨はあった。これからは日本政府の責任のもとで解決を願う」と語った。

 

 2人の子どもを連れて潜水調査を見守った母親は、「私は在日朝鮮人三世で、子どもは在日四世になる。去年7月の“坑口開くぞ集会”から子どもたちも一緒に参加してきた。国が動くのを待っておれないと始めた民間による潜水調査が、この1年で実を結んだということが本当にうれしい。感激している。ご遺骨が見つかったというこの事実をもって、国を動かしてご遺族のもとに遺骨をお返しできればいいなと思う。この瞬間に立ち会えて本当に歴史の上にいると思った。この日を胸に刻んでこれからの活動も支えていきたい」と話した。

 

地元住民からも喜びの声 今後の動きに注目

 

 遺骨発見のニュースは西岐波の地元住民らにも届いた。昨年からの調査のたび、駐車場の開放や警戒船を出すなどの協力をしてきた山口県漁協床波支店運営委員長の吉井正文氏は、「ここで亡くなられた方のご遺骨を早く引き揚げたいという思いで漁協としても協力してきた。83年前の事故の日、あちこちの海面から泡が噴いていたと親から聞いていた。時間はかかったが見つかって本当によかった」と話した。

 

 また西岐波地区の自治会長は、30年前、近所の釣具屋の店主が、「坑口前にたくさんの人が集まって“アイゴー、アイゴー”と叫んでいた。本当にかわいそうだった」と事故当時の話をしていたといい、「今は語れる生き証人もいない。触れたらいけないような空気もあったなかで、今回のことはこの地域にとっても画期的なことだと思う。暗中模索の状態からあらゆる経路をたどって一つ一つ道筋をつけ、解明していった。もう執念としかいいようがなく、たゆまぬ努力と絶対諦めないという姿勢に感動した。これからは国の問題としてとりくんでほしい」と今後の行方を注目している。

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