いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

教員免許ない事務長が授業 「梅光は大丈夫なのか?」の声

梅光学院中高校(下関市)

非正規雇用だらけにした結末…

 下関市の梅光学院をめぐり、現経営陣による乱暴な改革方針に対して、生徒や学生、保護者、教職員、同窓生は、2年にわたり是正を求めて声をあげてきた。少子化が進み、公立学校ですら統廃合がおし進められるなかで、私学が学生数の減少に悩んでいるのは全国共通の問題である。しかし、梅光学院はそうした状況を背景にして始まった「改革」によって、140年にわたって築いてきた梅光の教育理念を投げ捨てる方向に傾き、結果として学校そのものを崩壊状況に追い込んでしまうという「潰れる私学」の典型のような道をたどっていることを誰もが懸念している。なぜ梅光は変貌してしまったのか、そして現在通っている子どもたちの教育環境を保証するために、OBや父母、教職員、教育関係者など大人たちはどうすべきなのか、記者座談会を持って問題の性質とあわせて論議した。

  中高校では夏休みを前にして、3人の非常勤講師が有効な臨時免許がないまま授業をしていたことが明らかになり、生徒たちは夏休みを返上して八時間も補習を受けなければならなくなった。それ自体も驚くことだが、そのことを報じた紙面を出したあと、「もっと深刻な問題がある」と本紙に何件も連絡が入ってきて耳を疑った。3人の非常勤講師の免許切れについては「更新手続きのミス」という説明で片付けられていた。しかし、関係者たちが告発してきた「もっと深刻な問題」は、それらが「ミスだった」では済まず、教員免許がない者が教壇に立つという行為について、梅光学院ではあたりまえのようにやられていたのではないか? と思わせるものだった。はっきりいうと、問題になった非常勤講師3人の問題はカモフラージュみたいなもので、教員免許を持っていないことがわかりきっている事務職員が中高で授業をしていたという事実だった。

 これは事実関係を当事者に確かめなければならないと思って取材を進めてきた。統轄本部長である只木徹氏は、昨年度は中学2年のaクラスを、今年度は高校2年生のaクラスの英語を担当している。只木氏は中高で英語の授業を持ちながら、統轄本部長とか中高改革担当理事など、さまざまな役職を兼任している。それで会議や出張も多い。以前から「授業の準備を秘書にさせている」とか「NHKのラジオ講座を使って授業をしている」などと、その授業内容を問題にしていた保護者も多かった。そうしたなかで昨年度、中学2年aクラスの担当授業のうち少なくとも1回、今年度の高校2年aクラスの5、6月頃の授業で、只木氏のかわりに中高事務長のH氏(女性、昨年度まで秘書)が授業をしていたということだった。

  昨年度の授業では「只木先生が遅れているから」といってH事務長(当時は秘書)が教室に来た。ちょうどその日、H事務長が朝の礼拝で英語について話したそうで、「今日の話の意味はわかった?」など、英語について雑談のような話をして時間をつぶしたという。只木氏は最後の5~10分になって、ようやくあらわれたようだ。今年度は5、6月頃の授業で、この日は只木氏が出張で不在だった。H事務長がかわりに来て丸1時間、英語の授業らしきことをしたという。事務長がなにを話したのかよく覚えていないという生徒たちも多いが、その後「自分たちも補習になるのではないか」と噂になっているという。

  「自習で教室が騒がしくなるよりはマシ」という状況だったようだが、そもそも授業に来るはずの先生が突然来ないということ自体が普通では考えられない。出張などで自習になる場合は隣のクラスで授業をしている先生が目を配るなり、空き時間の先生などが自習監督に来るのが普通だ。自習監督なら教員でなくてもいいのかと、疑問に思いながら黙っていた保護者もいるようだが、県教職員課に問い合わせてみると、「教員免許法ですべての教育職員は免許状を保有しなければならないと規定されており、学校教育法で授業は免許状を持った者が司ると規定されている。そこから考えると自習監督も免許を持った者がおこなわなければならず、一般的に事務職員は考えられない」という対応だった。

  3人の臨時免許の申請手続きがなされておらず、有効な免許のないまま教壇に立っていたことについて、学院は「更新手続きの不手際」とか「臨時教員免許申請作業の遅れ」など、単なるミスという扱いで保護者に説明してきたが、事務長が教員免許を持たないことを知っていて授業に当たらせたことは、「作業遅れ」とか「手続きの不手際」という問題ではない。

  「只木先生が来ないから生徒が1時間待ち続けた日もあった」と話す子どももいる。保護者のなかでは以前から只木氏の英語の授業について問題視する声が広がっていた。県学事文書課に連絡した人もいたようだ。保護者からすると、月謝を払って学校に通わせているのに、まともに授業がなされないというのは大変心配する問題だ。梅光で中高校6年間学んで進学していくのに、習うべきことを習っていなかった、習っていたのが先生ではなかったとなれば、子どもたちの将来にもかかわってくる。とくに義務教育課程の中学生がそんな状況に置かれていることは心配というレベルではなく、事実を知っている保護者はみな怒っている。

  保護者の連絡を受けた県学事文書課が19日、今年度5、6月頃の授業について事実確認をしたところ、校長、只木氏、H事務長の3者がこの事実を認めたことがわかっている。免許を持たない者がおこなった授業は授業にカウントされないため、「補習も含めて適切な対応をとるように」という指導をしたようだが、保護者には只木氏の英語の授業についての説明はないままだ。夏休みの補習授業計画も配布されているが、そこにも含まれていない。どうするつもりなのか、本紙も学院に取材を試みたが、中高校・学院本部ともに「理事長命令で長周新聞には学校への立ち入りを遠慮いただく。従って取材もお断りさせていただく」という対応だった。

 梅光学院では教員免許を持たない者が授業をおこなうという行為が常態化しているのか? 「只木氏のかわり」といってH事務長が授業を見ているようだが、H事務長は教員免許を持っているのか? 教員免許を持っていないとすれば、その事実を知りながら配置したのはいったい誰なのか? 2人の直通ラインでそのようなことがくり広げられているのか? 子どもたちの夏休みの補習は増えるのか? 教育体制に責任を負うべき経営陣は一連の事態についてどのように考えているのか? 等等、聞きたいことは山ほどあるのに、門前払いをして取材に応じない。

  H事務長は今年度、生徒会の主任にもなっている。生徒会活動も学習指導要領のなかの「特別活動」の一環であり、教員免許を持った教員が主任を務めなければならない。補佐で免許を持たない人が指導に加わることはあるが、主任を事務長が務めることはあり得ないというのが、私学関係者や県教育委員会の共通した認識だ。

 2年前に中高校でもともと生徒会を担当していたベテラン教員も辞めさせており、新たに来た教員の多くは非常勤や有期雇用で、人手が不足して手一杯という状況から、生徒会を担当する人がいないのかもしれない。だが、その状況をもたらしたのも「改革」だ。しかし、免許があってもなくても関係ないという姿勢は、あまりにも「教壇に立つ」ことを軽視しすぎている。

  これまでも、中高校・大学ともに大小さまざまな問題が起こってきたが、この問題は、梅光学院経営陣の「改革」の中心に、「生徒のため」「学生のため」という視点が抜け落ちていることを端的に示している。臨時免許の問題にしても、「臨時免許の申請作業がなにを置いても優先されねばならない大切な仕事だという認識が乏しいことから来る不手際だ」と指摘する私学事務経験者もいた。また、早めに採用が決まれば新年度が始まる前に申請手続き等を終わらせることができるが、梅光の場合、2年前にベテラン教員をたくさん首にして以後、教員確保が困難になっており、直前に採用が決まるとか、今回の2人の非常勤講師のように新年度が始まってから採用が決まるなど、ドタバタの体制が問題をひき起こしているという指摘もあった。

 「中高が毎年1億~2億円の赤字を出している」というのが、2年前に40歳以上の教員を退職に追い込む理由だったが、赤字を解消したところで学校が崩壊すれば、何のための改革だったのかという話にもなる。まさに本末転倒だ。部外者から見ていて、「改革」で学校を崩壊させてどうするのか? という素朴な疑問がある。

  「H事務長は只木氏のお気に入り」だと指摘する人もいるが、気に入る気に入らないで人事がおこなわれているのではないか? という疑問も語られている。それで信頼している先生が次次いなくなったり、あげくの果てに先生でない人が授業をしていたりと、落ち着いて学ぶ環境が整わない。貴重な6年間を過ごす子どもたちが最大の犠牲者だ。

 子どもたちや保護者の意見についても都合の悪いことは封殺したり、恫喝して相手を屈服させるといった状況もしかりだ。保護者から「子どもを人質にとられているから、いいたいことがいえない」という意見をよく聞く。子どもたちがのびのびと学び、人間的にも成長して社会へと巣立っていく、その教育の場が、大人たちが顔色をうかがいあい、いいたいこともいえない状態に置かれている。そのことが多感な時期の子どもたちに与える影響を心配する教育者は少なくない。

  ただ、これも部外者から見て、5万円も月謝を納めるというのに、同等の金額を求められる都会の超進学校や国公立大学並の教育が施されているのか? とどうしても考えてしまう。それで免許を持たない教員や事務長に授業されているのだから、ちょっと詐欺みたいな話だ。対価として見合っていない! といって、親たちも声を大にして主張すべき問題だ。

市民世論と結び解決を 放置なら悪化の一途

 B 私学においては学生数が経営に直結する問題であるのは間違いのない事実で、実際に梅光も学生数減少をいかに打開するか模索していた。だが、そこにやって来た現経営陣がやっている改革は、学生をかき集めることのみに傾斜して、教育機関としてもっとも大切な教育内容なり、学ぶ環境を崩壊させる結果を生み出している。だからこれほど混乱している。故・佐藤泰正氏が常常いってきた「一人一人を大切にする」梅光の教育を否定して、学生=カネないしはモノとしてしか見ていないのではないかと思う。

  「V字回復した」と経営陣が自負している大学の劣化もひどいものがある。大学は文学部として出発し、今年、開学から50年を迎えた。だが、この間の「改革」の過程で、宮沢賢治の研究者である中野元学院長(今年3月に退職)みずからが「文学は儲からない」と公言するまでになり、ANAと提携してキャビンアテンダントを養成するコースをつくったり、教員資格をはじめ資格取得を売りにして学生を集めるなど、ビジネススクール化の道を歩んできた。英検2級で学費2分の1などをPRしたり、福岡の語学学校に頼っているといわれる留学生の増加もV字回復の大きな要因だ。一方で専門知識や学生指導の経験を持った教員を削減したことから、指導する教員がいない、日本語も英語もわからない留学生に対応できない、カリキュラム上、真面目に通っても卒業できないなど、さまざまな問題が起きてきた。

  最近では、とくに文学部のゼミを巡って問題が顕在化している。ゼミは3、4年生の2年間、担当教員から専門的な知識を学ぶ場だが、今年の3年生から、地域文化専攻のゼミが1ゼミのみとなり、文学系では「日本語」「近代文学」「創作」の3ゼミに絞り込まれた。文学系については、昨年まで「古典」「近現代」「創作」「日本語」「演劇」など幅広い分野でそれぞれ専門教員のゼミが開講されていた。それがまったく選択肢がなくなって、当初から学生たちから意見が上がっていたものだ。少人数指導のゼミを多数開講するのは非効率だと考えたのか、運営方針に意見する教員を外したいと考えたのか、その意図は明らかではないが、その体制変更の結果、2つのゼミが崩壊しているという。

  そのうち「近代文学専攻」は今年4月に韓国の大学から来た教員が、「地域文化専攻」は昨年4月に来たばかりの教員が担当しているが、専門知識を探求したいという学生に対してあまりにも無関係な話をするものだから、「学びたいことが学べない」と学生たちから意見が多数上がり、途中から開講されていないゼミもあるという。新しく来た教員がいいとか悪いとかいう問題もあるが、長い経験を持つ専門教員をゼミから外し、専門外とも思われる教員を指導にあたらせていることから来る問題のようだ。「学院経営陣は学生数確保には関心があるが、学問の内容には関心がないからこのような体制が出てくるのだ」と指摘する関係者もいた。

  梅光大学は、半世紀にわたる先人たちの努力によって西日本にある単科大学で、古典から近現代、創作まで全分野の専門知識を持った教授陣がそろっているところは他にないといわれる体制を築いてきた。それは、梅光学院の歴史がそのときどきの時流に流されず、人間的普遍性を探究し、生涯学び続ける女性を育てるという女子教育の精神を貫いてきたことに連なるものでもある。

 近年の大学改革は、将来を見通した学問としての社会貢献ではなく、目前の産業界の要請や国家、地方行政の下請研究・教育機関として役立つことが第一となり、政府の勧めている人文系廃止ともかかわって大学の知的劣化は全国的にも問題になっている。安倍首相に至っては「職業訓練校にするのだ」といってはばからない状況にもあるなかで、文科省天下りがトップに就任し、文科省が旗を振る改革を率先してやることで、補助金なりを獲得しようとしているようだ。それにしても体制がいい加減すぎる。

  この間、 保護者や学生、 生徒、 同窓会など、 さまざまな関係者が県学事文書課や文科省に陳情したり、 電話を入れたり、 なんとか子どもたちの置かれている状況を正常化したいと動いてきた。 しかし、 「私学だから」「権限がないのだ」といって、 両者ともに動きが鈍い。 戦前に私学が国家による強力な支配・統制を受けた教訓から、 戦後 私学の自由 が確立されたが、 それはあくまでも建学の精神に則って、 教育の自主性を重んじるということであり、 免許がない者が授業をするまでになっているような自由が許されていいものかだ。 とくに梅光は義務教育課程を抱えている。 その教育体制と関わって、 いい加減な態度を続けるのであれば、 理事会や評議委員会などのメンバーはもちろん、 市教育委員会、 県教育委員会も含めた監督官庁の責任は重大なものとなる。 OBや関係者以外の人人も知り合いの理事や評議員を捕まえて 「オマエらどうなってんだ? 」と問い詰めないといけない。 波佐間教育長やその他の教育委員たちにも「子どもたちがかわいそうではないか !」「しっかり責任を持て」 と態度を迫らないといけない。

  関係者だけでなく、 市内では「 梅光は大丈夫か?」 がそうとうな関心事になっている。 他校の教育関係者たちの間でも、 教育とはどうあるべきか――という問題ともかかわって論議が始まっている。 ただ、「大丈夫なのか? 」と私たちに聞かれても困ってしまう。 地元の私学の混乱について見て見ぬ振りはできないという思いで取材もしてきたが、 はっきりいって現在の 改革 が続けば大丈夫ではないだろうと思う。 そして、 地元関係者が排除された役員体制のもとで30億円ともいわれる豊満な現金資産が最終的にどうなってしまうのだろうか? という思いもする。 教育としてどうあるべきかが第一に重要だが、 併せて綺麗事ではなくカネの動きについても追いかけなければならないテーマだと思う。 役員たちはこの問題からは逃れられない。

  取材の過程で見えてきたのは、 梅光が外部の者に乗っとられて、 終いにはすってんてんにされる可能性があるということだ。 投資に突っ込んだ十数億円とかもどうなっているのかはあいまいにできない。 学院の混乱は 「学院長だった中野がだらしないからだ 」といわれればそうかもしれないが、 この混乱を黙って眺めておいてよいのだろうか? という思いしかない。「 カネがない 」「赤字だ」といって 改革 を進めているが、 先程も話になったように梅光は市内では最も裕福な現金資産を有している。 某私学の事務などはうらやましがっていた。

 教育体制の問題についていえば、 非正規雇用に切り替えて人件費を浮かせるというような、 職員をモノみたく扱う安易な発想が歪な構造の根にある。 子どもたちのことを思った教育理念など欠片もないし、 子どもたちをもそのように見なしていることを示している。 学校の主人公は子どもでなければならない。 そして、 その成長を促す教師の役割は非常に重要で、「誰でもいい」みたいな調子で寄せ集めるような学校がどこにあるのか。 教師は聖職ともいわれる。 日替わり定食みたいにコロコロ変わるような学校では安定しない。

  梅光は生まれ変わるのだ!みたいな主張もあって、 制服も校歌もみな変えるような話も耳にする。 しかし、 それなら外部の者が自分たちのカネでよそに学校を設立すればいいだけで、 梅光の現金資産を原資にするのは筋が違う。 文科相キャリアであれなんであれ、 自分で金融機関とかけあって融資を得るなりしなければならない。 この「乗っ取り」の姿は別の機会に改めて整理して見てみたい。 地方創生ではなく、 まるでうぶで純真な地方が食い物にされているような光景だ。

 内部だけを見ていると首を切られるかもしれないし、 子どもたちがもっと犠牲になるかもしれないと思うが、 その周囲の世論とつながることが大切だ。 もっと梅光関係者は発言して、 どのような状況になっているのかとか、 世間に向かって正々堂々とアピールしないといけない。 何事も正面から向き合って、 「こうではないか!」「 ああではないか! 」と是非をはっきりさせることが近道だ。 回り道をするより問題がはっきりすることもある。 より広く解決に向けて支援を得て、 協力できるすべての人人が力を束ねていくことが大切だ。 同窓生、 父母、 子どもたち、 教職員の足並みを揃えて、 世論に働きかけるのが一つの手だ。 萎縮して何かを常に心配していたり、 どう思われるだろうか…というものではなく、 開き直った方が強いと思う。 そうでないと、 改革 を是正してみなが望むような梅光をとり戻すことはできない。 細細の意見や見解は人それぞれなのだから、 誰もが納得いく主張など望めない。 しかし、 小さな見解の相違ぐらいは乗り越えて、 梅光を良くするために力を合わせることが大切だと思う。

関連する記事

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterEmail this to someone

この記事へのコメント

  1. 福岡在住 says:

    こんにちは。いろいろな記事を拝見して非常に秀逸な新聞社であると思いました。記事のクオリティだけでなく,分析のレベルが高いと思います。教員免許ないのに教壇に立たせていた学校,さらに義務教育でありながら必修科目の授業を長年していなかった学校としては私が在学していた早稲田中学もそうであります。早稲田中学に対しては必修科目の授業を一切しなかったとして,学費返還の裁判をしてこの前負けましたが,教育で起きている様々な闇が見えてきました。

    東京都では暗黒私学行政が長年敷かれています。福岡では起こり得ない事です。福岡では時間割表について申請があれば直近のものは保管しています。ところが東京では教育課程表を三年経てば処分するのですから,時間割の内容すら行政としては把握しなくても良いという態度です。

    山口ではどうでしょうか。教育行政はどうなっているのでしょうか。特に教育課程表の保存はするのでしょうか。保存がなければ東京と同じく野放し状態になります。そこがポイントです。

    文科行政のレベルは長年とんでもなく低レベルです。

  2. 福岡在住 says:

    早稲田中学で起きていたような義務教育の必修科目の授業を長年行わないといった事態でありますとか,授業を行っていても免許なき教員によって教育が長年行われるといったような事態は,いずれも教育を受ける権利を侵害するものであることから,憲法で決まっている権利であることからしても,絶対にあってはならない事で,厳格に見なければならないことは,当然のことです。ところが,実際には,憲法違反が起こっています。法律違反は教育の分野では当たり前に,そこらじゅうで起きています。学校は法の外に置かれ,事実上の無法地帯であるとも言えます。そのような状況を生んだのが最高裁の判決であり,学校の問題を裁判所として基本的に扱わないか,扱っても学校が勝訴する構図にしてしまったのです。その為に教育を受ける権利は日本では殆ど重視されてきていないのが現状です。教育を受ける権利すらないのに,少子化問題云々の議論は無意味であるとさえ言えます。

    義務教育を受ける権利は,殆どの諸国で,共通に守られているべきとされています。必修科目すら受けられないのに,私学助成だけは出され,子どもの事など殆ど考えられず,酷い中学校になると卒業まで授業を一切行わないのに必修科目なのでとりあえずの成績だけはついているという事もあります。一人も必修科目の教員がいない私立中学もあります。それを監督機関である知事部局の私学担当に告発しても完全に何もしない,私学は自由と宣言されたこともあります。

  3. 福岡在住 says:

    私が知っている例ですから申しますと,早稲田に関して言えば,文科省は早稲田への天下りをした事例があります。それも何例もあります。教育行政と私学の間での癒着の構図があるために,既に参入している私学の利益と教育行政の利害関係というのは殆ど混然一体のものと化しています。そのために子供たちの学ぶ権利がどうなっていようと関係ない,一切タッチしないという東京の教育行政が行ってきた態度です。保護者が子供を学校に行かせないことに対する介入はあっても,学校が子供から教育を奪う事に対する介入はないのです。教育行政の目的が利得のためになって久しいのでしょう。

    そんな東京でオリンピックを開くなんて,おかしい事なのです。私学であれ公立であれ親が子を中学に行かせていれば子供が義務教育を受けられる東京にしてから,オリンピックを開いてほしいと思います。

  4. 福岡在住 says:

    教育職員免許法で無免許の教育をさせる事などは罰則規定があります。つまり犯罪として逮捕されることもあるような事態です。ところが,興味深いことに,必修科目の授業をしないことは犯罪として規定されてはおりません。東京都知事のように教育行政が違法な時間割を放任するとの事態が起こるという予見可能性が,立法者においてはなかったために,教育職員免許法で罰則規定としておくことがなかったために,これまで放置されてきているのでしょう。早稲田中学の時間割表の情報開示請求を東京都知事に対して行ったら不存在という事で決定されたので不存在処分の取消を求める裁判をしたら,不存在の処分は違法ではないという判決がおりたことがあります。

  5. 福岡在住 says:

    無免許教育に関しては重大な権利の侵害であるため,犯罪として規定されています。その為に報道された事例に対してのみ各捜査機関に対して,数例の告発をしてきました。ところが,これらの告発(教育職員免許法違反事案)によって起訴された事例は全くなく,いずれも起訴猶予になっています。残念ながら,教育を受ける権利に対する捜査機関の理解が乏しい状況ですが,捜査機関が特別法違反の事案についてどのような処分にするか決定する際には当該法の所管官庁に照会するのが通例でありますので,そのような照会を経たうえでの結果として,違反者に対する処罰は行わず,起訴猶予処分にとどめられていることからしましても,結局のところ所管官庁たる文科省自体の教育を受ける権利に対する理解に問題があることが根本的な事態の根源であります。

    文科省ではほかにも問題が凝縮しています。加計学園の事など,氷山のごくごく一角に過ぎないことです。文科省自体が問題官庁ですから,前川さんのような方がヒーローみたいに扱われるのはちょっと違和感が大き過ぎます。前川さんでも誰でもいいですが,文科省ob,また,都道府県の私学部門に対しては,全員に,憲法の教育を受ける権利を私立学校に対してきちんと守らせるべく,行政として適切に対応してきましたか,という質問を投げかけたいところです。何でも私学の自由として放任してきた事で,どういう事態を招いたか,猛省だけが求められると個人的には確信していますが。

  6. 福岡在住 says:

    長文のコメントになってしまい恐縮です。今回の記事と問題意識が長年取り組んできた課題に関連していましたので,今後の記事の為に参考にしていただければ幸甚です。長文すぎるためここに載せていただけなかったとしても,特に異議は有りませんし,お任せ致します。

    ちなみに本当はこの問題は一冊の本で出したいと長年思っている事です。しかしそのような出版社が見つからなかったため,単なる夢で終わっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。