いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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臭すぎる物に蓋はできず

 明治期に広がった女子教育の伝統を継いできた下関市の梅光学院(大学、中高校)が学校崩壊ともいえる事態に直面し、教育関係者や父母、同窓生のなかで心配する声が広がっている。この1~2年で大量のベテラン教員を雇い止めにしたり辞職に追い込んだことから、非正規教職員をかき集めてカリキュラムを成り立たせていたが、そのなかで教員免許を持たない者が教壇に立っていたことが明るみに出て、それらは免許更新の不手際の問題として処理されていた。しかし、ここにきて「不手際だった…」の説明を覆すような驚くべき新事実が浮かび上がろうとしている【詳報次号】。


 同窓生でもない者にとって、その伝統を汚す行為がけしからんとか、母校を思う当事者意識のようなものは基本的に乏しい。しかし、公立ではないにせよ、そこは子どもたちが通っている学校であり、教員免許のない者に教えられたおかげで、子どもたちが夏休みに八時間の補講を受けなければならないとか、その他諸々の教育機関としてあるまじき実態を知るにつけ、ただただ唖然とするばかりで、現在通っている子どもたちが最大の犠牲者だろうという思いがしてならないのである。「改革」だろうが何だろうが、その結果として子どもたちを振り回し、不安にさせていることへの痛みが、果たして現経営陣にはあるのだろうかと思う。それこそ、戦災孤児を幾人も引き取って育て上げた故・佐藤泰正氏(元学長)などと比較して、その教育理念はいったいどこにあるのかと疑うものがある。財産をなげうってでも教育に熱情を注ぐ者と、財産を獲得するために教育ビジネスに熱情を注ぐ者との違いではないか。


 文科省キャリアが理事長に就いているからなのか、あるいは某宗教勢力が大がかりな乗っとりを仕掛けているという噂を恐れているのか、県教委や市教委など教育行政を司る者たちも何かを“忖度”しているように動きが鈍い。なんなら臭い物に蓋で黙認していくような気配すら漂っている。吉田松陰以来の伝統を継ぐ教育県なのだとあれだけ自慢しているくせに、こんなときに「教育行政を歪めてはならない」と一肌脱ぐ者が残念ながら一人もいないのは情けない話でもある。とはいえ、中学校は義務教育課程であり、その教育体制と関わっていい加減な態度を続けるなら、理事会、評議員、県教委、市教委も含めて、子どもたちを振り回す大人たちには重大な責任が問われることになる。臭い物には蓋ができても、臭すぎる物には蓋などできないことは、既にモリ&カケが教えている。世論如何でこの勝負は決まる。     吉田充春

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