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記者座談会 豊北病院で何が起こっているのか スタッフ一斉退職で過疎地医療崩壊の危機

 下関市豊北町粟野にある医療法人豊愛会が運営する豊北病院(入船龍也院長・法人理事長)で、看護師の一斉退職により入院機能を維持できなくなるというニュースが昨年末に報じられて市民を驚かせた。豊北病院は58床の療養病床を持っており、診療所を除くと豊北町内で唯一の病院である。市内でもっとも過疎高齢化の進む豊北町になくてはならない存在であり、場合によっては医療崩壊にもつながりかねないことから重大な関心を呼んでいる。看護師などスタッフの一斉退職はなぜ起きたのか、豊北病院はどうなっていくのか、取材にあたってきた記者たちで状況を整理してみた。

 

  まず、患者の周りではどのようにことが動いてきたのか見てみたい。透析治療を受けている患者の家族によると、昨年12月27日に、1月いっぱいで透析治療が受けられなくなるという連絡が病院から来たという。それ以前に病院のスタッフが何人もやめる事態になっていること、病棟が維持できなくなるだろうという話は耳にしていた。しかし透析についてはなんの連絡もなく、どうなるのかまったくわからなかった。透析で通院するさいには送迎があり、家族は大変助かっていた。もしも透析もできなくなり送迎のない病院に転院となると大変困る事態になり、一時は仕事を退職することまで考えたという。正式な連絡がなにもないまま年末まできて、27日になって透析ができなくなるという電話が来たのだが、新しい病院を探さなければ家族の命にかかわる。激しい憤りとともに、これから先どうなるのか…という不安にも苛まれていた。患者もその家族も不安を抱えたまま新年を迎えている。

 

  約50人いた入院患者もみな市内外の病院や特養などに転院となった。半数ほどは自分で転院を済ませており、下関市がかかわった12月19日時点で残っていたのは26人だったという。ある患者の家族は、以前から不穏な動きがあることは聞いており、どうなるのか心配していたが、11月段階で「1月まではとりあえず大丈夫そうだ」と聞いていたという。しかし12月の後半に入ってから突然、「入院ができなくなるため、今月中に出てほしい」といわれたという。突然のことで自分たちではどうしようもできないので転院は病院に任せ、下関市のサポートも受けて市内3つの病院から選ぶ形で転院ができたという。転院完了まで1週間もかからないスピードだった。それらに関する説明文書などは一切なく、すべて口頭で話されている。無事に転院できたが寝たきりの患者がずっと入院できる病院ではなく、再度転院することが決まっている。「決まったからよかったものの、もうあんな病院にかかわるものかというのが家族としての気持ちだ。なぜこんなことになったのか。よほど院長とスタッフの関係が悪いのだろう」と話していた。

 

  デイケア(通所リハビリ)に通っていた患者のところにも、1月いっぱいでデイケアを休止することが年末に伝えられている。家族に電話がかかってきたのと利用者に手紙が配布されている。それを受け他の施設にかわった患者もいれば、当面はどこにも行かず、豊北病院が再開すればまたデイケアに行きたいと待っている患者もいる。

 

説明もなくボーナスが半減 大量退職の発端

 

  豊北病院がこのような状態になったのは、直接には看護師をはじめスタッフが大量退職したことにある。年末にも報じられたとおり、12月末で十数人の看護師が一斉退職し病棟が維持できなくなっているが、1月末で残った外来と透析の看護師も退職するといわれている。看護師はほぼ全員がやめることになる。看護師以外にもリハビリに携わる理学療法士や介護職員も退職しており、他の医療機関から来ていた外来医師たちも病院を去っている。

 

  スタッフの一斉退職について大きな理由は、院長への不信が極限に達したことと、経済的な不安からだ。みなが異変を感じ始めた時期は昨年6月にさかのぼるが、6月のボーナスが当日までなんの知らせもないままに半額になっていたという。「なぜ?」という驚きと同時に「そんなに経営状況が悪いのか?」という不安が広がり、そのときに院長に聞いたスタッフもいたようだ。院長は「赤字ではない」とはいうものの半額にした理由をなにも説明しなかったという。当然心配されるのは次のボーナスが出る12月だが、「冬のボーナスも半額になるのではないか」という不安から11月末で退職を希望するスタッフが何人も出た。これに院長が「なぜやめるのか」と問い、スタッフたちが今の病院で起きていることについて説明を求めて集まったという。そこに院長が呼ばれ、みなが思いをぶつけたがなにも明らかにせず、「そんなに自分(院長)が嫌ならやめる」といい、病院を買ってくれる人がいるとほのめかしたのだという。院長が病院を去るなら残ってもいいということで、その時点で11月末での退職希望をとり下げたスタッフもいたようだ。しかしその後院長が「集団でやめることがわかったので売れなくなった」といいはじめ、12月初旬に12月末での退職希望が大量に出たようだ。

 

 B それで病棟が維持できなくなったために、12月をもって入院を休止にした――というのが真相のようだ。しかし問題はその後で、一斉に報道があった日と同じ12月27日に振り込まれた12月分の給与が3分の1しか支払われていなかった。外来の医師にも3分の1しか支払っていなかったことも明らかになっている。給与明細に入っていた「職員の皆様へ」と題した理事長(院長)からの手紙には、「令和元年12月27日支給の給与については、支給額の3分の1の支給となっております。皆様におかれましては、ご承知の事と思いますが、多数の急な職員退職のため、全ての病院機能が麻痺をしております。本現状を年末年始も返上し是正をして行き、年明けには一定の解答をさせて頂きたいと思います。年の暮れにこの様な対応になってしまい申し訳無く、此処に陳謝申し上げます」とあり、結局のところなぜそうなっているのか説明はない状態だ。

 

 C やめたのは看護・介護のスタッフばかりではない。11月末には事務員3人が同時にやめており、その後事務は機能不全に陥っているようだ。事務員3人の退職から数日間は事務所に誰もいない日もあったといわれ、その後に院長夫人が来たようだが、事務をしたことがないので業務は回らない。退職者に対する手続きがわからないので「(あなたは)退職できない」と告げられた関係者もいた。年始になっても退職証明書などの書類がないままだったり、退職金も支払われるめどはないとみなが語っている。

 

  1月11日現在で12月で退職した職員に対しての説明はなにもない。ただ、1月も残っている職員には12月30日付で残りの給与の3分の2が振り込まれたという。公務初めの1月6日にはスタッフの多くが労働基準監督署に相談しており、翌7日には労基署が病院に入っている。そのさい1月の給料日までに昨年12月まで働いていた人の給与をすべて算出して出すよう指導がなされており、院長も支払うことを約束したという話も出ている。労基署にも豊北病院担当窓口ができている。

 

  豊北病院には、外来、入院、透析、デイケア、訪問リハがある。これほどの機能をもった病院がなぜこのような事態に陥っているのかだ。労使のもつれがあることは容易に想像がつくが、地域医療を担ってきた重要な病院であり、社会的機能を果たしているという点で私企業の破綻云云とは訳が違う。院長の口から説明をしてほしいと本紙も取材を申し入れたが、事務に来ている男性を通じて、年末のNHKで説明したことがすべてで「報道は避けたい」とのことだった。取材対応について検討し、かならず連絡するということだったが現在まで返事はない。

 

  下関市によると、11月8日の年一度の定期立ち入り検査のさいに、11月末で退職届けが出ているという情報を把握し、後日改めて立ち入り検査をおこなったところ病棟を維持できることを確認したという。12月5日には報告文書により、12月末まで維持できるということだったが、2週間後の19日に、退職が思ったよりも多く病棟を維持できないという報告を受けてその日のうちに立ち入りをし、翌20日から転院のサポートをおこなった。19日現在の入院患者は26人で、総合支所、福祉部、保健部など関係部局が連携して転院のサポートをし、最後の1人の転院が完了したのが12月31日だった。今後については、豊北病院の意思として「今後も通院と透析は継続できるようにしたい。病棟も体制が整ったら再開したい」という意向を持っており、市としても協力できることを協力したい、とのべていた。

 

外来や透析も継続が困難に みながいぶかるコンサルの存在

 

 A 外来は継続したい、透析も続けたいと行政や患者の家族に対して院長は意欲を語っている。だが、その言葉とは裏腹に、再開どころか外来の継続も困難と思わざるをえない状況が年明け以降も続いている。まず、週1回の整形の外来が1月11日で終了となった。これは1月になってから患者にも伝えられたが、それだけでなく脳神経外科の医師については半ばクビのような形で退職となっている。その医師にかかっている患者も担当看護師もそのことを知らず、患者が年明けの受診に行き、担当看護師が医師に直接連絡をとって初めて「12月末で退職」となっていたことを知ったという。患者はその医師にかかりたければ別の病院に行ってくれといわれている。外来の医師が次次にいなくなっており、外来・透析で残っていたスタッフもほぼ全員が今月末で退職する予定だ。

 

  多くのスタッフの話のなかから浮かび上がってきたのが、院長とともに経営にかかわりだしたコンサルティング会社G社の存在だ。今から1~2年前、豊愛会が運営していた徳山病院を別の法人に手放して現院長が豊北に戻ってきたところからだんだんとおかしくなってきたというのがスタッフの実感のようだ。当時別の医師が院長をしており、豊北病院のために心血注ぐ姿にスタッフの信頼も厚かった。そこにG社を連れた現院長が戻ってきて、ほどなくして前院長は去ったという。徐徐にスタッフとの信頼関係にヒビが入り始め、今日のような一斉退職にまで発展しているわけだが、経営にもかかわっているG社の助言や存在は無視できないものになっている。事務職員の一斉退職にも関係しているようだし、このたび12月給与の残る3分の2について、G社から振り込まれていることも驚かれている。

 

  ボーナス半減とか、給与3分の1とかをやられるとスタッフからすると「この病院はカネがないのか?」と誰もが考える。そのために透析に使う医療機器も買うことができないとか、取引先業者が売掛金の支払いを求めており、それに対して1月中に説明会を開くなどの話も飛び交っている。業者からしても警戒する。

 

  なにが真実なのか、これまでなにが起き、なぜこのような事態になったのかは入船院長が関係者にきちんと説明しない限りはわからない。一連の騒動を官公庁が閉まる年末の公務納めの27日に公表したり、3分の1しか払わなかった12月給与の支給前にマスコミの取材に応じ、スタッフの大量退職について「意味不明だ。セクハラやパワハラ、賃金不払いは一切ない」とのべたりしている点については、かなり確信的で不誠実だといわれている。「意味不明」でここまでの病院崩壊など起きないし、世間から見ても説明がつかない。

 

患者や家族に不可欠な病院  過疎地での重要な役割

 

  豊北病院が医療過疎地でもある豊北町・長門地域で果たしてきた役割は大きい。他に病院がまるでない地域なので、患者や家族にとってはきわめて大切な存在だ。ひとたび病院がなくなれば医療難民が続出しかねない。豊北町では滝部にあった滝部病院が介護老人施設にかわって療養病床が一気に減り、豊北病院以外では19床を持つクリニックしかない。高齢化と同時に医療需要は高まっており、豊北病院は地域住民からたいへん頼りにされている。医療・介護スタッフと患者との強いつながりもつくられており、「いい病院」という定評がある。また、以前はスタッフを大事にした働きやすい職場だったという。そんな豊北病院がなぜこのような事態に陥ってしまったのか、なぜ地域医療のために献身的に尽くしてきたスタッフたちがみんなして一斉退職するようなことになったのか、深刻に考えなければならない。過疎地で医療機関として経営を維持していく困難さなど普遍的な問題もあるが、結果的に病院がなくなってしまうと困るのは住民たちなのだ。

 

  患者の家族や職員、さらに地域住民や行政関係者みなの願いは、豊北病院が粟野の地でこれまで同様に医療を担っていくことだ。とりわけ医療機関は患者の命や住民の健康を支えており、世間一般にもありがちなワンマン経営で従業員に愛想を尽かされてつぶれました――では済まない。下関市内の開業医や医療関係者のなかでは「計画倒産では…」という見方が広がっているのも事実だ。

 

 C 病院や医療の現場というのは医師だけでも成り立たないし、スタッフのチームプレーや連携が大切なのだと知り合いの医師が話していた。例えば手術一つとっても次に医師がなにを考え、どの器具を必要としているのか、どのように準備し補佐すればよいのかをあうんの呼吸でわかっている看護師やスタッフたちとのチームプレーなのだと。慢性期にもさまざまな看護師やスタッフがかかわるが、みんなの認識を共有しながら患者にかかわっていく。看護師だけでなく、医療事務に精通した事務員も欠かせない。そうしたみんなが役割を果たしあって、一つの病院の信頼を築いていく。そのような病院の雰囲気や職場環境をつくる、みんなが気持ちよく働ける職場にするのが経営陣に求められる手腕だ。「こんな病院やめてやる!」とスタッフが一斉退職する状況は、やはり相応の理由があるわけで、その原因を解決しなければ立て直しにつながらない。

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この記事へのコメント

  1. 豊北病院の破綻の原因は単に、現院長、医療コンサルタントに対しての職員の不安、不満の累積であろうか。多々の公的医療機関を経験して、今、現病院に働くものとして思うのは、職員もまた医療に対する姿勢、展望があまりに甘かったのではないかと思う。診療報酬、黒字維持・・・そのために地方の療養型病院として、患者に大きな負担をかけず、かといって患者になれ合いにならず、またそれを許さず、お互いに共有する痛みも可として、結果病院を維持するという姿勢が足りなかったのではないかと思う。勤務体制はまず勤務表作成者の希望を優先して行う。結果、到底考えられない勤務表ができあがる。異常な勤務表に文句も言えないままのスタッフ。でも仕事ができるのは患者の変動が少ないからである。清潔面、業務面、コスト面からもデイスポに替えればより効率的であっても、これを認めず、旧態然とした業務の展開しか需要できない。介護にしても力のある者に逆らえない。家が近い、子供が小さいと不本意ながらも力のあるものに逆らえず、またそれを是正できず、任せきりにした師長。豊北病院の破綻は今でなくても、医師だけでなく、事務経理、看護が過去から続く考えで運営される限り、必ず訪れただろうと確信する。

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