いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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福島現地ルポ 農業復興への不屈の努力

 東日本大震災と原発事故から1年6カ月。東北被災地では、政府による放置政策のもとで復興にはほど遠い現実が横たわっている。とりわけ、福島第一原発事故による放射能汚染という深刻な被害を受けた福島県では、原発周辺の自治体にはいまだに一歩も入れないばかりでなく、県内の広範囲に未曾有の被害をもたらした。「汚染地域」のレッテルが貼られるなかでも、福島に生きる人人は、原爆被災から立ちあがっていった広島、長崎市民と同様に地域復興に向けた不屈の努力を続けており、放射能汚染に乗じた土地奪取を進める原発推進政治との正面からの対決となっている。原発事故から1年半たった福島県の状況を報告したい。
 
 本紙記者の現地ルポ
      収穫に追われる桃 安全実証し客7割回復 広島から激励も

 全国有数の「農業県」である福島県は、一斉に収穫の時期を迎えている。西の奥羽山脈、東の阿武隈山地に挟まれ、阿武隈川を本流とした低地帯が広がる中通り地域は、豊かな水と盆地特有の寒暖の差がもたらす気候条件のもとで、米や野菜、果実など全国でも上位に位置する豊富な品目の作付けがおこなわれている。
 福島市から伊達市にかけての果樹園では、福島県が全国2位の生産量を誇る桃の収穫に追われていた。桃が集められるJAの共選場では、各農家から出荷された桃を選別機にかけて仕分けし、ここから京浜地方をはじめ全国に出荷されていく。昨年は、放射性セシウム汚染に対する過剰反応のもとで福島産の桃は買い手が付かず、JAへの出荷が集中し、共選場にあふれかえった桃を明け方の3時、4時までかかって選別作業をしていたという。それでも、「市場価格は半額以下。売れずに捨てられたものもたくさんあり、情けない思いで一杯だった」と語られていた。だが、今年は様子が違う。まるでわが子を送り出すように一つ一つ丁寧に桃を選別していく婦人たちの顔は、晴れやかな表情にも見えた。
 共選場の職員によれば、「今年は7割方のお客さんが戻ってきてくれ、贈答用などの注文も順調に回復してきた。昨年はセシウム検査は100ベクレル以下だったのだが、風評被害で惨憺たる状態だったので、今年は、春先から全果樹に除染作業をやり、収穫作業もコンテナを地面に付けないなどの処置をとり、モニタリング自主検査をして安全が実証されたものしか市場に出さないように徹底した。消費者に向けても、“安全だから出荷している”ということを知らせると、安心して買ってもらえるようになった」という。
 福島の桃は全国シェアの20%を占めているが、寒暖の差が激しい気候と水はけの良い土壌がつくり出す糖度の高い桃は、全国的に評価が高く、出荷を心待ちにしている消費者も多いという。
 福島市から伊達市を結ぶ県道五号線は「フルーツライン」と呼ばれ、道の両側に果樹園が広がり、農家の直売所が軒を連ねている。春のサクランボ、秋の桃、梨、リンゴなどの収穫期には買い付け客や観光客などで賑わうはずが、昨年はまったく人が寄りつかず、農家にとって途方に暮れる日日が続いていた。だが、ここでも次第に注文が回復し、昨年の七~八割の売り上げが戻ってきたと語られていた。
 家族3人で800本の果樹園を営んでいる男性農業者は、「個人のお客さんが普段以上に注文してくれたり、“頑張れ”の思いも込めて買っていってくれる。昨年はたいへんだったが、全国各地から励ましの手紙が寄せられ、広島の被爆者の方からも“私は爆心地付近で被爆し、それでも元気に生きている。必ず立て直せる”という手紙をもらって本当にうれしかった。困難なときに支えになるのは、助け合いや人情だし、その信頼に応えていくために頑張りたい。原発は全国各地にあり、地震はいつどこで起こるかわからない。福島で起きていることは日本全国で起こることであり、その実態をしっかり伝えてもらいたい」と語っていた。
 原発から放出されたセシウムが植物に移行するプロセスは不明で、昨年も田畑の除染のためにヒマワリを植えて吸収させるという試験がやられたが、ヒマワリがほとんどセシウムを吸収しなかった。それはたとえ汚染された田畑であっても安全な作物を作れる可能性を示すものだった。
 桃の例をみても根からセシウムが吸収されたことは確認されておらず、今年初旬から高圧洗浄機による果樹の除染、枝打ち、樹皮や表土の剥ぎ取りなどを共同しておこなって樹皮や葉をきれいに洗い流すことで汚染の不安はほとんど払拭されている。
 
 コメも期待高まる 全袋検査で万全の対策 風評騒ぎに憤り

 この復活機運に続けと、もうじき収穫を迎えるコメに対する期待も高まっている。福島県内では、昨年の調査で1㌔あたり500ベクレルを超える放射性セシウムが検出された福島市、伊達市、二本松市の九地区で作付けが制限されたのをきっかけに価格が半額近くまで暴落。農協が買いとりに応じたものの、コメ市場は「福島県産」を敬遠し、農協の倉庫には行き場のないコメが山積みにされる状況となった。
 だが、作付け禁止になった地域でも、セシウム米が検出されたのは、地域の山間の一部の痩せた土壌であり、肥料をやらなかったり、比較的手入れをしていない田であったことが明らかになっており、同じ地域でも地力があり、水や肥料の管理を徹底しているほとんどの田からはセシウム米は検出されなかった。各農家では、田植え前にセシウムを吸着するゼオライトや米への吸収させないためのケイ酸カリウムなどを田に混ぜたり、表土を地中に閉じ込める反転耕などなどの対策を実施。さらに収穫されたコメは、全袋検査し、安全なコメしか市場に出回らない万全の対策をとっている。
 そもそも世界の食品1㌔㌘におけるセシウム基準値を見ても、飲料水は日本の10ベクレルに対してEUは1000、米国は1200。牛乳では、日本の50に対して、EU1000、米国1200。その他の一般食品では、日本100、EUは1250、米国は1200と、日本の基準値は100分の1~10分の1という厳しさとなっており、それをクリアした農産物を敬遠する理由はなにもない。「厳密な検査をしている福島県産がもっとも安全」といわれ、ましてTPP参入によって検査なしで海外から狂牛病や添加物づけの農産物がなだれ込むことの方が国民にとってははるかに危険である。
 それ以上に、農家を苦しめているのは政府やマスコミがつくり出した風評被害であり、それに便乗して生産者から買い叩く流通資本のやり方だった。
 畜産と稲作を営む農業者は、「今や福島県産は、流通業者にとっては一番うまみの大きい品目になっている。安全が確認された以上、売ることはできるのだから、生産者からできるだけ安く買いとって消費者に売ればもうけが大きい。とくにスーパーや外食チェーン、加工用などの業務用には産地表示が義務づけられていないので、肉も“和牛”とだけ表示し、米は“国産ブレンド米”にすれば問題ない。風評被害とは、生産者からの買い叩きでしかない」と指摘していた。
 福島県産のコメは、食味のよさに定評があり、検定では新潟産に並ぶトップクラスの位置を占めてきたが、「新潟魚沼産」ブランドの方が流通業者のもうけが大きいため、これまでも「東北道を走る間に“魚沼産”になる」と語られていた。今回の事故後も、「キュウリも築地市場で5㌔1500円だったものが今年は600円。私たちが1本6円で売っているのにスーパーでは42円で売られていた」(二本松市)、「700㌔もある肉牛が子牛以下の1㌔あたり800円」(伊達市)など生活が成り立たない現状とともに、「がんばろう福島」のキャッチフレーズと裏腹に全国の同情を利用して流通資本による露骨な買い叩きがされていることへの歯がゆさが口口に語られていた。
 大玉村の年配農家は、「ここの米は、毎年すぐに売り切れるほど人気だったが、昨年は買い手が付かないといわれ、通常の半値で出荷した。農家は農機具などの機材も値上がりし、ガソリンや軽油も上がり、米の値段だけは年年下がるばかりで生活できない。だが、農業によって成り立っているこの村で田畑を荒らせば地域が崩壊する。気力勝負で頑張ってきたのに、原発事故でこんな目にあい、長引けば長引くほど立ち上がれなくなる。政府は、福島の農業など潰れても海外からの輸入を増やしてTPPを進めればいいという意図丸出しだが、日本全体にかかわる問題だ」と語気を強めて語っていた。
 また、作物価格が暴落しているにもかかわらず、東電が次第に損害賠償の枠を縮めていることも問題にされており、「東電と国会議事堂前で牛を放し、野菜をぶちまけてやりたい」「政府も東電も農家がのたれ死ぬのを待っているのか」と激しく語る農家もたくさんいた。
 福島県の農業の存亡は、それに依存する地域コミュニティーの存亡であり、自給自足による食糧安保、治山治水による国土保全など国全体の将来に直結するものとして一歩も引けない問題となっており、農業の復活への意気込みは、原発と引き替えに農業を破壊させてきた国政に対する根強い抵抗として脈打っていた。
 
 意図的な帰還妨害 深刻な原発周辺地 核処分場を画策

 さらに深刻なのが、原発を抱える浜通り地域であり、双葉、大熊、富岡、葉、広野、浪江、飯舘の七町村が役場ごと県内外に移転したままで、今も16万人が故郷を離れて避難生活を送っている。県内に点在する仮設住宅にはお年寄りが多く、これまで自然豊かな田舎で農作業をしてきた人たちが狭い住宅に押し込められ、一年半も手足をもがれた状態でなにもできない状態が続いている。「姥捨て山だ」と語られていた。わずかな生活費が支給されるものの生きる気力を失って心身を病んで寝たきりになったり、自殺する人なども多く、県民みんながその先行きを心配している。
 そんななか、4月から警戒区域が解かれた川内村(原発から西に30㌔圏内)では、村長が「全村避難」指示を解き、「帰村宣言」をおこなった。深い山に囲まれた約3000人の小さな山村だが、それだけに住民の故郷への思いは強く、現在300人が村内での生活に復帰し、450人が村外の避難所と行き来する形で村に戻っている。
 その大半が65歳以上の年配者で、「自分たちは少少の放射能を吸ったところで寿命に影響はない。それならば早く故郷を立て直すために力になりたい」と意気込み、さっそく伸び放題だった田畑の草を刈り、トラクターをかけて除染したり、壊れた家の修復に精を出していた。仮設住宅で暮らす人人の重苦しさと違い、苦しいなかでも故郷に帰って働ける喜びに満ちた表情は明るく晴れ晴れとしていたのが印象的だった。
 その一方で、1年半ぶりに警戒区域が解かれたものの役場も住民も帰っていない葉町(人口7300人)では、田畑は背丈ほどの草がジャングルのように生い茂り、崩れた家もそのまま放置され、人気のない不気味な様相を呈していた。道路を走るのは、福島原発に向かう原発作業員を乗せたバスや警察車両ばかりで、歩く人はいない。電車の走らない線路にはレールが見えないほど草木が茂っている。
 原発の北側に位置する南相馬市小高区(1万2600人)でも、4月に警戒区域が解かれたものの同様の放置状態。住民の立ち入りは許可されているが、寝泊まりは禁止。除染どころか、上下水道の復旧も進んでおらず、区役所付近に仮設トイレが設置されていた。家の修復や掃除をしても、出たゴミは「放射能汚染物質」として区外への持ち出しはできないため、壊れた家に手を付けることもできない。海側では、草が生い茂った田畑の中でいまだに警察が遺体捜索をやっているという、一年前となにも変わらない光景だった。
 いずれも国の直轄で除染、復旧をおこなう地域だが、市町村が管轄した地域と比べても明らかな「放置政策」を見せつけていた。一つの地域に数百億円の除染予算を投入し、地元業者を差し置いて大成建設や鹿島建設、大林組といったゼネコン業者が一括受注しているものの「いったいなにをしていたのか?」の疑問が渦巻いている。
 自宅周りの草刈りをしていた60代の男性は、「家に帰ったところで水は出ないし、トイレにも行けない。こんな状態で立ち入りを許可されても、荒廃した町を呆然と見ることしかできない。“帰還を諦めろ”というのと同じだ」と憤りをぶつけていた。
 自宅は地震で空いた隙間からの雨漏りで畳はカビだらけで、歩くと床が抜ける。納屋は柱が倒れて屋根瓦が崩れ落ちている。さらに強制避難時に農家から野放しにされた牛や豚が、家に上がり込んで荒らし回っているため、糞や死骸の臭いでとても生活できる状況ではなかった。仮設住宅から通いながら、屋根にビニールシートをかぶせたり、これ以上の荒廃が進まないように家の修復を進めてきたが、東電は小高区や葉町に台頭する「避難解除準備地域」については家の価格の3分の1しか補償しないのだと怒っていた。
 「築何十年の古い家などは涙金しか補償されない。私もいつかは戻って生活したいが、一人二人が戻ったところで、インフラと病院、学校、商店など町のコミュニティーが回復しなければ生活できるものではない。国の除染作業は、高線量地域からということで人のいない山の落ち葉を集めたりしているが、住宅地は後回しだ。避難生活が長引くことで、県外に出て行く若い人、戻ろうとする年寄りとの意見が合わず、家庭内不和や一家離散が深刻化している。政府は福島を棄てたとしか思えない」と話していた。
 原発立地町周辺では、半永久的に「帰還困難」とし、放射能汚染をいいことに原発廃棄物の最終処分場を確保する動きと合わせ、住民に帰還を諦めさせる政策が露骨にあらわれていた。
 
 原発が心配の種に 何が起こるか分からぬ不安 現場は死者も

 さらに住民の心配の種は、政府が昨年12月に「終息宣言」を出した福島第1原発の現状だ。メルトダウンした1、2、3号機に加えて、大量の使用済み核燃料を入れたプールがむき出し状態になって傾いている4号機について「収束した」と見ている県民は一人もいない。
 1年前まで東電の下請をしていたという南相馬市の自営業者は、「みんなが帰ってこないのは、4号機の使用済み燃料が完全にとり出されるまでなにが起こるかわからないという不安があるからだ。東電や政府の発表を信じる人は福島県では皆無。原発の現場でも、これまでに数人が死んでいるが“行方不明”としか発表されず、そのままキャスク(分厚いステンレス製容器)に詰めて放射性廃棄物として処分されたこともある。それがわかってから、社員のなかで原発関連の仕事をやりたくないと声が強くなって下請をやめた。今福島原発は、ベテラン作業員は線量オーバーで入れないし、原発建屋の中は数分で死んでしまうほどの高線量。修復の仕方も捨てる場所もないものをつくったこと自体が問題だ」と話していた。
 仮設住宅で暮らす元作業員の男性は、「この1年半、新潟や鹿島など転転と難民生活をしてきたが、原発が終息したというのなら、総理大臣でも政治家でもここに住んでみればいいし、国民がどんな状況にあるのか知るべきだ。だれも住んでいない尖閣列島を守れと息巻いているが、原発で福島県を丸ごとぶっ潰しておいて、これだけ困っている人がいるのにわが身の腹を切ってでも助けようという政治家は一人もいない。原発をまだ続けるというのなら政治家が防護服を着て自分の手で廃炉作業を完結させてみせろ」と激しく語っていた。
 原発事故から1年半の福島で見た現実は、絶望的な状況から復興を促しているのは他でもなく地に根をはった生産者をはじめとする県民の力であり、政府は「原発推進」の必要から残酷な土地収奪と棄民政策を進める一方で、地域を復興する能力さえないことを浮き彫りにしていた。

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