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福島県双葉町民に聞く 原発に町を委ねてはならぬ メドない避難生活と「加害者」扱いの重圧

  福島第1原発の事故からもうじき4カ月が経過するというのに、半径20㌔圏内は「立入禁止」区域に指定されたまま、6町に住んでいた7万人にのぼる人人が強制避難をよぎなくされ、多くが避難所暮らしや移住生活を強いられている。自治体崩壊に近い離散も日日進行し、さらに30~45㌔圏の飯舘村や伊達市でも「放射線量が高い」といって避難を迫られるなど、原発周辺の広大な土地から人人が生活の糧をもぎとられ、締め出された状態に置かれている。放置したまま住民を元に戻させない、あきらめさせて土地を接収し、高濃度放射性廃棄物の最終処分場にしたいという為政者の願望と、故郷を元に戻すこと、失った生活をとり戻させるよう望む住民との矛盾が臨界点に達している。
 本紙は今回、立地町である双葉町(人口6932人)、大熊町(人口1万1511人)の住民たちが、その後どのような状態に置かれているのか取材した。3月11日に着の身着のままで家を出たのち、3~4回と難民のように各地を転転と移動し、メドのない避難生活だけでなく、その後は「加害者」扱いの攻めに精神的にも苦しんでいる状況がある。言葉にし難い重圧のなかで、誰もが「今からどうやって生きていくか…」「戻れるのか、戻れないのか」を悩み、言葉少なに40年近い原発との暮らしや、故郷に帰ることのできない今の状況、葛藤する胸の内を語っていた。「私たちの本当の思いは誰にもわかってもらえない…」と涙ぐんで去っていく婦人たちも少なくなかった。
 福島第1原発は大熊町に1~4号機、双葉町に5、6号機が設置され、2つの町にまたがった格好で立地していた。双葉町の住民たちは震災後、川俣町の避難所に1週間ほど身を寄せ、「危ない」といわれて、さいたまスーパーアリーナまで移動。そこで2週間ほど過ごした後、埼玉県の田園地帯である加須市の旧騎西高校に役場ごと避難していた。
 4月に役場とともに移動し、当初1400人ほどいた騎西高校の避難民は、その後2カ月を経て借り上げ住宅に移動したり、福島県内に散らばる形で930人にまで500人近く減っていた。耶麻郡猪苗代町の「リステル猪苗代」というホテルにも750人が避難し、その他の5000人近くが避難所以外に離散する格好になっている。生活保護を受けて若者が出て行ったり、日が経つごとにバラバラになっていく状況について、年寄りたちは「町がなくなっていく」と危惧していた。
 3㌔圏内に住んでいた60代の婦人は、震災後に近所の避難所に身を寄せていたが、その日の晩に「危険だ」と知らされて隣の避難所に移動し、そこから川俣町の避難所に移動するまでの様子が忘れられないと語っていた。「普段は30分くらいで着くはずなのに、5時間かかった。パニックになって避難する車で渋滞が起き、時速12㌔で進むのがやっとだった。騎西高校に来るまで私は5回避難所を転転とした。満杯だからと断られ、大熊町の避難所にたどり着いた人もいた。難民のような気持ちで、下を向いても仕方ないと思いながら笑い飛ばしたいけれど、そうもいかない」と気持ちを吐露していた。
 「いつ戻れるのか」を誰もが気にしていること、毎日炊き出しの食料を食べ、洗濯以外にすることのない毎日について、「ボランティアで助けて頂けることに感謝しながら、こんな生活は当たり前の日常じゃない…と思い、早く生活のメドが立たないものか悩んでいる。以前の工務店の仕事に戻りたい」といった。傍らにいた80代の婦人は「放射能を浴びてもいいから家に帰りたい」とつぶやいていた。高齢者も多い町で、近所の一人暮らしに逃げ遅れがないかを気にしながら、なにが起きているのか訳がわからず、懸命だった様子が語られていた。
 もともと、運動部の部室だった校舎裏の喫煙所では、男性たちがタバコを吹かしながら雑談をかわしていた。「報道関係者はご遠慮下さい」の貼り紙が各所に貼られていることについて、住民の1人は「大手新聞の女性記者が張り付いて取材をしていたのだが、リステル猪苗代(リゾートホテル)に避難している住民と騎西高校の待遇の違いについて、私たちが不平不満をいっているとおもしろおかしく1面に書いたんだ。すると、直後から東京などから“立地町のおまえたちが贅沢な不平不満をいうな”“それなら出ていけ”“あなたたちのおかげで原発汚染にさらされて迷惑しているのだ。そんなあなたたちを食べさせ、避難所生活を可能にしているのは私たちの税金なのですよ!”といったファックスや電話がじゃんじゃんかかってきた。本意じゃないことが活字になり、電波に乗って伝わることに、みなが悔しさを感じた。その記者をみなで問いつめたんだ。私らの本心を全国に伝えてほしい。だけど興味本位や物珍しさでやってほしくない」と思いを語っていた。
 立地町というだけで「加害者」扱いの重圧がのしかかってくることについて、表現し難い複雑な感情が渦巻いている。「避難所で1週間目に初めていただいたおにぎりが美味しくて、有り難くて涙が出た。感謝しているんです。話したいことはたくさんあるけど、本意じゃないことが伝わってしまうから、なにも話せないんです…。全国のみなさんに感謝していることだけはわかってほしい」と涙をためて語る婦人もいた。
 双葉町の住民たちに上関原発計画のことや山口県にとっても今回の事故が決して他人事ではないことを伝えると、「俺たちみたいになるぞ。止めるべきだ」「原発は麻薬だ。40年の夢が覚めたら、家も生活もすべて失ってしまった。叩き出されてからでは遅い。こんなことは二度と繰り返してはいけない」と親身になって語っていた。

 箱物ばかりで地元経済疲弊 潤わなかった立地町

 立地にいたるまでの経緯を老人たちに聞くと、原発ができた場所は、戦中は旧陸軍が所有する飛行場だった。戦後になって、西武グループのドンとして鳴らし、自民党大物代議士でもあった堤康次郎の関係企業に払い下げされ、塩田として開発したもののうまくいかず、もてあましていた土地だった。敷地面積の3分の1をまとまった形で企業が所有していたため、用地交渉はすんなりと進み、昭和38~39年という短期間で終わったこと、一般の地権者300人弱のなかには開拓農民が多く含まれ、その用地交渉は福島県当局や誘致に熱を上げていた町役場が、東電になりかわって進めたことを、当時の経緯を交えながら話していた。
 「浜通は昔から住む人が少なかった。産業といえば農業しかなく、水田のほかに蚕を育てて糸を紡いだり、酪農を細細とやっていた。大熊町や双葉町の辺は“海のチベット”と呼ばれるほどで、男たちはみな東京方面に出稼ぎに行って、家族が揃うのは盆正月くらいだった。そんな過疎の町にハイテク産業の誘致が持ち上がってわいたんだ…。世界に誇れるハイテク産業を支えているというのが町民の誇りだった」と80代の男性住民は振り返っていた。
 ところが双葉町、大熊町の同じ原発立地町でも原発財源には差があった。原発のおかげで町財政は潤沢だったかというと、潤ったのは電源三法交付金が入る建設段階と、その後、運転開始にともなって固定資産税が入り始めた時期だけで、減価償却が進むとその額も減って首が回らなくなっていた。
 とくに双葉町は2009年に「早期健全団体」に指定され、町長は無報酬になるなど厳しい状況を過ごしてきた。町民税や保険料を滞納すると町からの取り立てが厳しくなり、町民が楽しみにしていた盆踊り大会もやらなくなった。かつて農業を生業にしていた歴史から伝統の神楽も部落ごとに7種類あったが、そのお披露目も町からの補助金が10万円から5万円に下がるなどし、財政悪化の影響で参加団体が減少するなどの事態にもなっていた。そして7、8号機の増設を要望する事態になっていた。
 騎西高校に避難していた男性住民たちは「麻薬中毒といっしょだ」「にわか成金みたいなもんだ」と口口に語っていた。温泉施設ができ、歴史資料館ができ、草野球場までできた。電源三法交付金はデラックスな箱物に使途が限定されていたため、次次と建物が建ったが、維持コストがかさむようになり、固定資産税が減ってくると逆に首を絞める存在になっていた。「草野球場をつくったはいいが、利用する者はほとんどいなかった。いい夢を見させてもらったが、はかないものだった」といった。
 近年では東京電力のコスト削減策が徹底され、設備投資も切り詰められていた。定期点検の期間も短縮され、そのことによって地元企業の生活の糧が失われ、原発の下請や孫請で生計を成り立たせていた企業や従業員たちのなかで反発が強まっていた。物品調達も地元商店を飛ばして町外からするようになり、大熊町には大型店が出店して地元経済が寂れるなどの事態にもなっていた。
 住民の1人は、「原発の孫請が増えたけれど、社長本人が現場で働かなければもうけにつながらないほど余裕はなかった。原発の仕事は7次下請や8次下請はザラで、上部のもうける連中だけはピンハネしてもうかる構造だった。地元から東電に採用されるのは町議や県議の息子や娘たちばかりで、優秀な子が振るい落とされたりして随分話題になったときもあった。コネのある人間だけ地方採用の形で雇われていた。初めの頃は、原発構内でドライバーを持って一日中ウロウロしていただけで日当をもらえた時期もあった。交付金にせよ、すべてが麻薬だったんだ。上関の人たちに伝えて欲しい。私たちのような目に二度とあわせたくないから、原発に町の運命を委ねるべきじゃない。運命共同体で飲み込まれて何もかも失うんだ」と真剣な表情で語っていた。

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