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現代資本主義の終末的危機を示す人間労働・生活破壊―その克服はいかに (2) 埼玉大学名誉教授・鎌倉孝夫

2、人間労働破壊の現実

 

 製品品質偽装・検査不正の頻発、大事故寸前の「のぞみ」の運転に示される安全・保安体制、保安・指令員の安全・保安意識の欠落――それをもたらしているのは、明らかに「人間労働」破壊というべき生産・労働現場の現実である。「人間労働」の破壊とはどういう事態か。労働・生産過程における人間労働の特質を明らかにしつつ、その破壊の現実とそれが何をもたらすか、を示そう。

 

 (1)「人間労働」の特質―その歪み(分析基準)

 

 ①「人間労働」の社会的特質をとらえたのは、マルクスであった。『経済学・哲学草稿』(1844年)で「人間労働」に基づいて人間の特質をとらえた。何よりも、人間の人間としての特質は「自由な意識的活動」である、と。


 「人間は自分の生命活動そのものを、自分の意欲や自分の意識の対象にする。…彼自身の生活が彼にとっての対象なのである。ただこの故にのみ彼の活動は自由なる活動なのである。」意識性こそ人間の特質である。意識=自己意識は何より自分自身を、その考え、行動を、対象にすることであり、自分自身の考え、行動を点検、反省することである。自己点検・反省によって、人間は発展しうる。それを「自由なる活動」というのである。


 この意識的活動は、何より労働・生産活動で発揮される。「人間は、まさに対象的な世界の加工において、はじめて現実に一つの類的存在として確認されることになる。この生産が人間の制作活動的な類生活なのである。この生産をつうじて自然は、人間の制作物、及び人間の現実性として現われる。それ故労働の対象化は、人間の類的生活の対象化である。」同時に、人間は目的意識を共有する者との共同的活動によって、目的を実現し、発展しうる存在――意識的共同性をもつ存在である。


 この認識をふまえ『資本論』は、資本―労働・生産過程を支配する産業資本の、価値形成・増殖根拠として、「労働過程」をとらえ、「人間労働」の特質を明らかにした(第1巻第5章第1節)。


 人間労働者は、自然(土地・水、森林・鉱山等)を対象に、自らと協力共同する仲間の協議を通して、自らと仲間の欲するものを、どれだけ生産するか、どのように生産するかを目的意識的に決め、それを自らと仲間との協働の力で創造する―意識性に裏付けられた自主的、創造的な共同活動こそ人間労働の特質であること、そしてこの労働活動は、社会形態のちがいを越えた、人間社会の存立・発展の根拠(実体的根拠)である、ことを明らかにした。


 ②もちろん、社会的生活の存立・発展にとって何をどれだけ、どのように生産するかは、それぞれの生活を実現している地理的な位置と、歴史的な慣習、風土の上で規定される生活の必要と欲求によって左右される。


 生活の実現の上で決定的に重要なのは、自然法則の作用である。自然法則は、人間の意思や行動によって変えられない。人間はこの法則に従わなければならない。しかし、人間は労働する中で自然法則への適応を経験的に学んできたし、自然物、その動きの分析、自然科学の発展によって、自然物の性質を認識し、分解・合成・加工等を通して、新しい有用性(=使用価値)をもつ新生産物を開発、利用してきた。それがまた生活の欲求を変えながら、同時に人間の能力を発展させた。


 生活上の欲求を効率的に実現する上に、生産力の発展―道具、機械の発明・応用による―を図ってきた。その利用が自然法則を侵害し生活・生存の破壊をもたらすこともあったが、生産活動における労働者の自主的、創造的活動の自覚の下で、自然法則への意識的適応―自然の循環法則の遵守―を実現させてきた。


 社会の存立・発展の根拠としての生産の場において、自分自身の自主的判断による自己の認識と行動の反面=点検・是正によって、人間・人間社会は発展してきた、といえよう。


 ③もちろん、人間、直接には労働・生産者のこの自主的・目的意識的活動は、階級社会においては、支配階級の、その支配体制維持を目的とする国家による支配の意図によって、歪められてきた。その下で、直接に生活・生存の根拠を担う労働者は、生活・生存に必要不可欠な生産活動ではなく、支配階級の意図(支配欲・権力欲、そのための領土争い等)による労働が強制され、自主的活動を奪われた。しかし支配階級の意図によって、労働・生産活動が破壊されれば、その社会体制は存続しえず、解体する。社会の存立・発展に不可欠な労働ではなく、それとは関係ない、むしろその労働を破壊する労働(仕事)を強要されれば、社会の存立自体が解体する。


 資本主義的生産では、社会存立・発展にとって不可欠な生活資料(物質的、精神的富=人間生活の維持・向上に必要不可欠な有用物・使用価値)の生産ではなく、何を生産・販売するかに関わらず、価値・価値増殖=利潤を獲得することを目的としている。前者はその手段とされる。


 だからどの生産部門でも、資本が賃金を支払って雇った労働者を、可能な限り労働させ、価値形成・増殖を図る。労働時間の延長・労働強化による剰余価値生産の拡大(絶対的剰余価値の生産)が図られる。しかし余りにも労働時間が延長され、労働強化が強要されれば、労働者の生活時間は奪われ、労働力の再生産自体が不可能になるし、労働者の個人的、集団的抵抗も強まる。労働力の再生産・確保の上に、一定の労働時間制限が図られなければならなくなる。

 資本はこれに対し、さらに剰余価値生産の増大を図るため、機械の導入を行なう。資本主義における機械の開発・導入は、何よりも人間労働を単純化・定型化して、人間労働自体を、資本にとって物=原料・材料と同じように操作可能にすること、そのことによってさらに労働強化、労働時間延長を実現し、剰余価値生産を拡大することに目的がある。そのことは反面、労働・生産現場の人間労働の本質である自主性、創造性自体を奪い、自主的判断力を奪うことになる。


 人間労働の単純化・定型化は、機械・技術(現在ではITやAI、さらIoT等の新技術)導入による人間労働の置きかえ―生産現場の雇用の削減をもたらす。しかしどれだけIT、AIなどの技術が発展しても、その技術自体には自己点検・修理(反省)能力はない。人間がこれら人為的技術に与えた機能を越える自主的創造的判断力はない。IT、AI化導入が全面化し、人間労働者の労働を放逐することになれば、再生産能力はかえって失われることになる。


 上述したように、個々の資本にとっては、社会的生活・生存に不可欠、有用な生活資料の生産は、たんなる手段でしかない。しかし社会的には、社会の生存・発展を担う労働者の生活・生存の維持(さらにその能力の向上)は、資本の生産、生産力発展にとっても不可欠な条件である限り、この社会的必要を充たさなければならない。しかし資本としては、この生活に不可欠な労働力再生産費用(賃金)を可能な限り引下げようとする。生活資料の量的削減さらに価値切下げが図られてきた。


 現在この点に関し特徴的なのは、生活の維持、再生産に必要(有用)な使用価値生産の観点がほとんど失われ、ただ売れればよい、大量に、儲けを獲得しうる価格で売れればよいという観点が明らかに社会的必要という配慮を切捨てた。価値増殖目的に徹底した販売が、推進され、支配的になっている、ということである。


 添加物だらけの健康に有害な農産物、スマホをはじめとする情報器具、対人労働(福祉・教育労働等)におけるロボットの導入等々、人間的生活自体を歪め、破壊する生活資料が売られ、生活の中に侵入し生活を支配している。その典型は、人間生活にとって完全に無用な浪費であり、破壊をもたらす(それにしか目的がない)軍需兵器である。しかもこの生活・生存破壊の生産で、それを生産する資本は儲け、労働者・民衆はその負担(税金)で生活を圧迫され、労働力の再生産は損われる。しかし軍需生産に雇われ、生産している労働者に、どれだけこの認識があるか。


 ④『資本論』は、資本主義的生産の発展の中で、労働者が人間社会の生存、発展に必要不可欠な生産を担うだけではなく、資本主義社会にだけ必要な労働、もともとは資本家(経営者)が、利潤獲得・拡大目的で行なってきた仕事――販売促進=商業機能、資金活用=銀行機能、証券売買=金融機能――を、賃金労働者が担当することになることを指摘している(第3巻第4篇第17章の商業労働、第5篇第23章の「企業者利得」)。


 商業労働自体は、広告・宣伝活動等を通し、商品販売を促進し、流通コストを効率化し、削減する機能を担う活動=資本家的機能であり、社会的再生産や人間生活・生存にとって必要不可欠な情報・通信活動=使用価値生産労働ではない。しかしこの資本家的機能が賃金労働者によって行なわれる。大量に、儲けがえられる商品の販売を、労働者自身が行なう。この機能を担うことから利潤獲得・拡大という本来の資本家的機能が、労働者自身の労働としてとらえられることになる。


 資金貸付け―利子獲得に関連して、『資本論』は企業者利得という資本機能に対する報酬を明らかにしているが、ここで経営管理の仕事に関し、分業的労働の組織・調整機能=生産的労働と、賃労働者に対する搾取強化を目的とする監督労働を区別しながら、前者の機能さえ賃金労働者が担うことによって、労働者自らが労働者を搾取する労働を行なうことになることさえ明らかにしている。


 現代における商業・金融領域の拡大―その機能を、賃金労働者自体が担うことによって人間労働=社会の存立・発展の実体的根拠を担う主体としての労働の認識が、労働者自身から失われることになる。時間を問わない経営管理者的機能(資本家的労働)が、賃金労働者の労働として行なわれることによって、労働者自身の「必要労働」の観念が失われる。(過労死をもたらす要因となる。)

 

(つづく)

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