いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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子どもが腹を空かせた先進国

 中産階級の没落と貧困世帯の増大を背景にして、「子どもの貧困」が社会的な問題になっている。いまや6人に1人の子どもたちが貧困状態に置かれているのだという。わが町でも親のいない子や育児放棄にあった子どもたちを預かる児童養護施設が最後の砦として機能してきたが、これ以上の受け入れは不可能なほど収容人数が限界に達していることが話題になっている。

 

 住む家を失い、母親と車中泊のような状態を続けていたところを保護された子どもであったり、親の精神状態が崩壊して行き場を失った子どもであったり、施設関係者や下関の学校関係者たちが目撃してきた貧困の実態はすごいものがある。こうした状況を解決するためには、まず親をしっかりと立ち直らせ、働いて子どもを育てていける環境を作る以外にないと誰しもが口にするのである。


 親たちが社会的にも孤立し、頼るべきコミュニティーもなく絶望的な状況に追い込まれていく。そしてしわ寄せはすべて子どもに回される。せめて子どもの胃袋だけでも満たしてあげられないかと子ども食堂のとり組みも広がってはいる。しかし、行政に援助を求めると「三食に行政のお金(税金)を使うことはできない」といって突き放されている。恐らく、「税の公平性」の観点から三食を税金によって満たされる者とそうでない者が出るのは公平でない等等の理屈なのだろう。空腹に耐えかねて何杯も何杯もカレーライスをおかわりしていく育ち盛りの子どもたちを見て、腹一杯食べさせてあげたいと思う大人もいれば、「自分の所得でどうにかしなさい」と思っている大人もいるのが現実だ。


 子どもたちの貧困は親世代の貧困を解決しなければどうにもならない。この貧困は自己責任の問題ではなく、政治や経済構造に根本の問題があるのはいうまでもない。子ども食堂がいまやブームのように全国津津浦浦で広がっていることは、それだけ空腹の子どもたちが普遍的に存在しているからにほかならない。少子高齢化が叫ばれ、以前よりもはるかに子どもの数は少なくなっているのに、腹を空かせた子どもたちの数は増え続けているのである。そして、子どもだけでなく老人食堂も必要なのではないかと思うほど、高齢者の貧困や食事すらままならない状態もひどいものがある。


 国民を飢えさせないのは国の最低限の仕事なはずだ。GDPが伸びたとか経済成長が云云とかの話を聞かされるたびに、そのカネはどこに消えているのかと思う。外遊のたびにODA(政府開発援助)をばらまくのもそうだ。「北朝鮮の国民は飢えている」「アフリカの難民は支援が必要」等等のニュースに触れると、先進国・日本も大差なかろうにといつも思う。貧困対策なるものは、豊かさを私物化しなければいかようにも可能なはずだ。                        武蔵坊五郎

 

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