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記者座談会 解散総選挙の結果から見えたこと 既存政治の窒息状況を反映 確かな光明も

 10月31日に投開票を迎えた衆院選は、自民党が改選前から15議席を減らしたものの単独で半数(233議席)をこえる261議席(追加公認2を含む)を確保し、公明党とあわせて与党が293議席を確保した。トップの首をすげ替えた自民党が逃げ切りを図る選挙となったが、甘利明幹事長、若宮健嗣万博担当相、石原伸晃元幹事長ら現職閣僚やベテラン組が選挙区で落選するなど、支持基盤の崩壊ぶりを露呈した。また立憲民主党も13議席減らすなど、与野党ともに旧勢力が窒息し、有権者から見限られる兆候があらわれた。そのなかで衆院初挑戦となったれいわ新選組は、2年ぶりの国政復帰となる山本太郎をはじめ3人が比例当選し、結党から2年で衆参あわせて5人の国会議員を擁する国政政党となった。次なるたたかいのステージを来年7月の参議院選に移すことになる。本紙は記者座談会で選挙戦の特徴をふり返った。

 

 

 A 投票率は55・93%で、前回を2ポイント上回った程度で、戦後3番目に低い投票率となった。実に44%が投票そのものを棄権した。政権交代が起きた09年衆院選の投票率が69・28%だったのを考えても低調すぎる。有権者の5割近くがそっぽを向く趨勢に変化はなく、対立軸が明確でない既存勢力がキャスティングボートを握る政局にみなが辟易していることを物語っている。

 

 自民党としては、コロナ禍での失政で国民世論に怯えつつ、安倍・菅から岸田へとトップの首をすげ替え、総裁選では「新自由主義からの転換」「新しい資本主義」「民主主義の危機」「モリカケ再調査」……云々の言葉を並べてイメチェンを図った。これも有権者の自民党政治に対する憤激の高まりを反映している。だが、選挙全体としては、立憲を頭にした野党側にも政権奪取の迫力は乏しく、しぼんではいるものの組織票を固めた自民・公明が短期決戦での逃げ切りを図り、議席の56%におよぶ絶対安定多数を握った構図だ。

 

  選挙前になってにわかに小池百合子が「希望の党」を立ち上げ、旧民主党を解体したのが2017年の前回衆院選だった。あれはいわば「野党殲滅選挙」だった。ところが野党の仮面を被って自民党の補完勢力になろうとした「希望」は有権者から総スカンを食って選挙後に消滅。世論に押されて自民との対決を打ち出した枝野・立憲民主党が躍進したが、その枝野もフラフラして自民党との明確な争点を打ち出せないまま、政権交代で一度味わった財界や連合の代理人としての立ち位置にしがみつく姿が見透かされ、足元をすくわれた。財界の側は、組織票の持って行き場を自民や立憲から維新へとシフトしたのが、維新躍進の背景だろう。

 

 そのなかで政治に幻滅した5割に対して懸命に政治参加を呼びかけ、「市民の側に権力をとり戻す」ことを主張してきたれいわ新選組が、わずかではあるが着実な一歩を踏み出し、有権者から浮き上がって窒息した政治構図に風穴を開ける端緒を開いた。

 

  「寝た子を起こすな」の戦略に甘んじてきた自民党だが、支持基盤の瓦解が急速に進んでいる。自民党で選挙をとり仕切る立場にある甘利明幹事長(当選13回)が、神奈川13区で敗北したのが象徴的だ。選挙戦終盤では、「甘利が負けたら正義が通らない!」「日本の未来がなくなる!」などと絶叫していたが、URの口利きで1200万円の賄賂を受けとった疑惑への説明責任が果たされていないことも響き、有権者からはシビアな審判が下された。相手の立憲新人は、前回ダブルスコアで敗北してからの4年間、草の根の活動を展開して支持を広げ、選挙戦終盤には山本太郎も応援に駆けつけて、支援を呼びかけた。敗北した甘利は比例復活こそしたものの、就任から1カ月足らずで幹事長辞任に追い込まれた。

 

 東京8区では、自民党石原派会長の石原伸晃元幹事長(当選10回)が野党統一候補となった立憲新人の吉田晴美に3万2000票差を付けられて敗北し、比例復活すらできなかった。直前に、れいわの山本太郎が野党統一候補として出る調整を立憲サイドとおこなっていたが、立憲側からハシゴを外される形で立候補をとりやめた選挙区でもある。これらの効果もあって「与野党対決」の象徴的な選挙区としてとりあげられ、共産も候補をとりさげて吉田で一本化し、山本も吉田と共同街宣をおこなって自民党との対決を呼びかけて勝利をもぎとった。石原家でいえば、三男坊の石原宏高(東京3区)も敗北(比例復活)し、長年「石原軍団」などに支えられてきた石原ブランドに陰りが見られた。

 

 東京5区では、現職閣僚の若宮健嗣万博担当相が、立憲前職に5400票余りの票差で敗北した。その他の閣僚経験者では、香川1区で電通出身の平井卓也前デジタル相、千葉8区の桜田義孝元五輪担当相も立憲候補に敗北。塩谷立元文部科学相(静岡8区)、金田勝年元法相(秋田2区)も立憲前職に競り負けた。いずれも比例復活している。

 

 熊本2区では野田毅元自治相(当選16回)が、古賀誠元幹事長らが支援した無所属の新人に敗れた。また、「ヤンキー先生」こと義家弘介(神奈川16区)、後藤田正純(徳島1区)も選挙区で敗れた。長崎1区では、自民党本部が安倍元首相の秘書だった初村滝一郎をねじ込んだが、国民民主の前職・西岡秀子に3万票以上の差をつけられて敗北した。

 

  一方、野党第一党の立憲民主党も13議席も減らした。東京1区の海江田万里常任顧問、静岡6区の渡辺周幹事長代行、大阪10区の辻元清美副代表、大阪11区の平野博文代表代行・選対委員長ら幹部があいついで小選挙区で敗れ、辻本と平野は比例復活もできなかった。また、比例復活したものの、岩手3区の小沢一郎、茨城7区の中村喜四郎元建設相などのベテラン組が選挙区で敗北した。

 

 安倍8年での「モリカケ、桜、河井」等々の疑惑に加え、無為無策のコロナ禍2年に対する有権者からの批判の高まりに自民党が危機感を強めるなか、本来なら有利にたたかえるはずの野党側が議席を減らしたことは、窒息状態となって形骸化した与野党構図に対して、有権者がなんの対立軸も、魅力も見出せなかったことを表している。結果として引き続き5割が棄権し、自民にしろ、立憲にしろ、ぬるま湯に浸ってきた世襲議員やベテラン組の足場を支えていたはずの旧来の支援者らも見限り、支持基盤の離散が進んだことを象徴している。

 

5割と切結ぶ力なかった野党共闘

 

 A 今回も「野党共闘」として、立憲民主党や共産党など5野党は289ある小選挙区のうち7割をこえる213選挙区で候補を一本化した。だが、勝ったのはそのうちの28%の65選挙区にとどまった。小選挙区制のもとで野党側が大政党に立ち向かううえでの手段としては理解できるが、その中身の問題が可視化されている。

 

 そもそも「自民一強」は、5割が選挙にいかないという低投票率選挙に依存したものであり、これに対抗するためには5割を惹きつける魅力的な政策なり、その迫力がなければどうにもならない。このうちの1割、2割が動くだけでも局面はガラリと変わるのだ。

 

 ところが、この5割が選挙にいかないことを前提にして、もともと支持が乏しい野党が寄り合い所帯を築いたところで、5割もの有権者にとってなんの魅力もないし、誰も動かない。いわばジリ貧に追い込まれた弱小政党の生き残り戦略であり、最初から5割と切り結ぶという意志がないからこその糾合というところに問題がある。

 

 野党共闘のイニシアチブは、野党第一党の立憲や共産が握っているが、思うような結果に繋がらないと「選挙に行かない有権者が悪い」などと悪態をつき始める政党関係者もいる。自分たちがなぜ5割から支持されないのか? という問題を直視し、そこにメスを入れることが必要ではないか? と率直に思う。

 

  既存野党を飛び出してれいわ新選組を立ち上げ、有権者と直接繋がりながら、そこに「消費税減税」という旗を立てさせたのが山本太郎だった。野党の体たらくに殴り込みを掛けた格好にも見える。「ただ野党が塊(かたまり)になるだけでは意味がない。人々にとって魅力的な政策が伴わなければならない」というのが一貫した姿勢だ。結党2年、参院2議席の小規模政党だったが、選挙があろうがなかろうが365日フル稼働で全国街宣をおこない、自力で局面を変えていった。

 

 「選挙に行くことをやめてしまった約5割のみんなとゆるやかに繋がりながら、社会をガラッと変えていくことをやる」「与党にも野党にも緊張感を持たせる存在になる」のだといい、既存の野党から煙たがられ、排除されながらも、パワーゲームに打ち勝って山本太郎の国政復帰を含む比例の3議席を奪取した。これが野党全体の尻を叩いて、牽引したことは誰の目にも明らかだ。

 

 A 野党共闘といっても、実際は野党間の熾烈なパワーゲームだ。選挙区で候補者調整をしても、比例ではライバルなのだから当然だ。山本太郎が街宣で「みんな野党共闘に夢を見すぎ!」といっていたが、公示直前の東京8区を巡る立憲とれいわのゴタゴタを見ても、一筋縄ではいかない権謀術数の世界がある。東京8区で立憲にハシゴを外された山本太郎は、枝野批判を封印して、あくまで自民党と対決するための統一を優先したが、結局のところ独力で有権者の支持をつかみとるような実力が伴わなければ「共闘」もなにもない。組織票や固定の支持者が減り、無党派層が増えていくなかにあってはなおさらだし、5割もの有権者の中に飛び込んで、渦巻く政治不信と対峙しない限り、局面打開の鍵などない。

 

 C れいわとしては、参議院選での2議席に加えて、東京、近畿、南関東の衆院比例ブロックで3議席を確保し、「得票率2%」と「衆参合わせて5議席」の政党要件を両方クリアした。「名実ともに、国政史上初、市民のボランティアに支えられた“一人前の政党”となった」(山本太郎)。今後はNHKも討論番組に呼ばざるを得なくなるし、なにより山本太郎の国政復帰によって全国的な露出度は格段に上がるだろう。「来年の参議院選挙では、さらに前進し、衆参で国会議員10名以上をめざしたい」としている。

 

 一方、比例でのたたかいは功を奏したが、選挙区での地上戦では課題が浮き彫りになった。選挙区や地域において、有権者が抱えている問題意識と切り結び、しっかりと地に根をはっていけるかが今後の鍵を握ると思う。

 

日本維新の会 自民以上の新自由主義勢力の台頭

 

 B もう一つの特徴として、低投票率に加えて、自民党離れも進むなかで、「反自民」の看板を掲げて大阪で勢力を拡大してきた維新が、改選前の11議席から、約4倍にのぼる41議席に勢力をのばした。選挙区では、大阪(全19区)に存在していた自民党の10議席は完全に消滅。それにかわって維新が15議席を獲得し、自民党にかわって維新と選挙協力した公明が現有の4議席を確保した。大阪以外では兵庫6区(宝塚市、伊丹市等)でも議席を確保した。

 

 維新は比例でも25議席を獲得。近畿ブロック(定数28)で10議席を獲得したほか、東北1、北関東2、南関東3、東京2、北信越1、東海2、中国1、四国1、九州2、と全国に影響を広げつつある。

 

 「反自民」を掲げながら、松井代表をはじめとする幹部のほとんどは元自民党出身者であり、住民投票で2度否決された大阪都構想(大阪市解体)をはじめ、「競争原理」にもとづく行政改革による小さな政府づくり、大胆な民営化や規制緩和など、外資や財界の意向をバックにして自民党以上の新自由主義をやりまくってきたのが維新だ。「身を切る改革」といいながら、コストカットと称して医療、公衆衛生、社会福祉、教育など人々の身を切り刻んでいく。その結果、コロナで全国最多の死者を出したのが大阪だった。何をやっているかを見れば、誰が支えているかがわかる。内実は「財界の犬」なのだ。

 

 大阪府での投票率も56・2%で、4割以上がそっぽを向いているなかでの「一強」に過ぎない。自民党の賞味期限が切れるなかで、財界等の支配の側にとってはそれを補完する欺瞞勢力が必ず必要になる。民主党の解体後、希望、国民で失敗し、それが維新にシフトしている。自民党とタッグを組んで構造改革をおし進めてきた竹中平蔵をはじめ、米国仕込みの財界勢力が支えており、自民や既存野党に行っていた組織票が維新に流れている。

 

 その意味では自民消滅の大阪は、全国の先端を行っているし、競争原理で公共を切り売りしていく新自由主義政党・維新との対決は今後全国でさらに熾烈になることが予想される。そのなかで、れいわが比例近畿ブロックで1議席確保して一矢報いた意味は大きい。

 

山口四区の衝撃 2万4400票も減らした安倍晋三

 

  山口県内で見ると、4区の安倍晋三が前回の10万4000票から8万票までおよそ2万4000票近く減らしたことで衝撃が走っている。4区の安倍離れを象徴する出来事となったからだ。ゼロ打ち(8時に当確が出る)直後のテレビインタビューにひきつった表情で応えていたが、あれがすべてを物語っている。期日前の少なさや投票率の低さから計算して、8時前には8万票台まで減らすくらいは大概想像もしていただろうが、まさか8万票台すれすれまで減らすとは誰が想像していただろうか。本人自身も衝撃だったのだろう。ひどく落ち込んでいることが話題になっている。地盤崩壊といってもいいほどの出来事で、中央政界においてキングメーカーなんて気取っている場合ではない。どうしてこの4区の重大な変化が全国的には見向きもされないのだろうかと思う。

 

 C 山口4区の投票率は全国最低の48.64%。開票結果は、

   安倍晋三       8万448票

   竹村かつし(れいわ) 1万9096票

   大野頼子(無所属)  1万5836票

 という内容だ。安倍晋三は前回の選挙で10万4824票を得ているので、実に2万4400票も減らした。10万票を切ったのは、小選挙区制に移行した、安倍晋三にとっては2回目の選挙となった96年総選挙(9万3459票)以来のことで、今回の8万票台ギリギリはかなり衝撃的な減らし方だ。

 

  今回の選挙では10万票をなんとしても獲得しようと必死に挨拶回りをしていた。しかし地元で批判世論は強く、長期政権の驕りについて保守支持層のなかでも眉をひそめている人は少なくなかった。陣営に寄りつく人も従来より少なかったとかで、期間中は昭恵が「今回は批判世論が強いんです!」と必死に街頭で叫んでいたが、そもそも昭恵嫌いが根強いんだろうに…と話題になっていた。

 

 自民党の事情でいえば、もう片側の自民党派閥である林派が最後までつれない態度を示していたのも特徴だった。林芳正は3区に鞍替えして出て行ったし、どうして安倍晋三に尽くさないといけないのか? という思いも当然あるだろう。

 

 そうした自民党支持者のなかで「今回は安倍晋三には入れたくない…」と語る人は多く、かといってれいわ新選組の竹村に入れる気も起こらないという人々が「今回は白票だ」とか「安倍、麻生は×と書く」などと真顔で話していたのが印象的だった。下関だけで見ても投票率が前回より9ポイントも下がり多くが棄権したことを物語ったし、4000票近い白票が出たことからもそうした感情が伺える。集団的な感情が投票行動に露骨にあらわれているのだ。ポッと出の大野頼子が1万5000票を叩き出したのも、行き場のない票の受け皿として機能したと見るほかない。

 

  安倍ではダメだと思ったところで、その批判票が野党にすんなり流れるわけではなかった。れいわ新選組・竹村がその受け皿になろうといっても、野党共闘の枠内で飛び跳ねている印象もあって拒否反応を示す人もいたし、ハードルが高かったということだろう。しかし、いずれにしてもこれまであった4分の1が一斉に安倍離れを起こすというのは、一般的に無党派層が離れたというのでは説明がつかないように思う。従来の支持者が離れたのだ。朝日新聞などは序盤調査で「安倍が無党派の7割を抑えた」なんて書いていたけど、いったい何を根拠にそんなことを書いていたのだろうかと思う。投票率は40%台で無党派の多くは引き続き選挙に背を向けていたのだ。しかし、4区では従来から選挙に行く人々のなかで劇的に投票行動に変化が起きた。紛れもなく「安倍に背を向ける」という投票行動になった。それは野党候補の存在に関係なく起こったし、手厳しい審判が下されたのだ。

 

 C 野党統一候補としては、れいわ新選組・竹村かつしが挑んだが、やはり地上戦の難しさを痛感したのではないか。4区の独特な政治構造ももちろんあるが、何の支援組織もないなかで、また選挙経験も乏しいなかで一から手探りでやっていく困難さは終始伴っていたと思う。それをボランティアが必死に支えた選挙だった。1年8カ月にわたってボランティアとともにポスター張り行動などをとりくんでいたが、選挙をたたかうといった場合、もっと地域コミュニティのなかに食い込んでいく努力が必要なのではないか。公示からの12日間だけが選挙ではない。

 

 徹底的に選挙区を歩いて人を知り、自分を知ってもらい、候補者として認知してもらうこと、れいわ新選組の政策を届ける積み重ねが要なのだろう。いわゆる野党支持者だけでなく、保守といわれる人々のなかにも飛び込んで、その気分や感情、思いに触れて、信頼関係を切り結んでいたなら多少の受け皿にはなり得ていたかもしれない。選挙終盤にかけて街頭での有権者の反応は格段に変化していたし、とくに子どもたちや中・高生、20~40代の反応が強かったのは印象的だった。手応えはあったと思う。

 

 B ただ、得票としては「そんなものだろう」という評価と同時に「少なかった」と見る人も多く、やはり「保守王国」といわれる地盤において野党共闘の範囲内を彷徨(さまよ)っているだけでは限界があることをあらわしている。

 

 独自に広範な無党派に食い込んでいく努力が必要であることは、投票率が全国的にはどこの都道府県も50%台であるのに対して、唯一40%台であることからもわかるし、「選挙に背を向ける5割」の状態は微動だにしていない。山本太郎が常日頃から訴えているように、選挙のカギを握る5割といっしょにたたかっていくことこそ、れいわ新選組にとっては生命線なのだと思う。そこは過渡期とはいえ課題として積み残している。4区も「精一杯頑張ったね」「終わり」ではなく、この選挙の成果と同時に課題を鮮明にすることこそ大切だと思う。より地域コミュニティーに溶け込んで、地上戦をたたかい抜けるようになってからが始まりだと思う。

 

  今回の総選挙全般を振り返ってみて、既存政治が窒息したかのような状況もあるなかで、それを乗りこえようとする芽は出てきていると思う。れいわ新選組の3議席獲得、国政政党として所属国会議員5人は確かな二段ロケットになった。これは貴重な付託を受けたわけで、いわば始まりだ。よく選挙で当確が出た途端「万歳!」「万歳!」といって満足しているのがいるが、あれは当選がゴールになってしまい、むしろ「始まり」であることの緊張感が欠如しているような光景に見えて仕方がない。「いや、これは始まりなんだ」といってのけたあたり、あっぱれ! と思ったし、まったく満足することなく次に向けてたたかいを準備していくのだろうと感じた。世の中を変えない限り事を為したことにはならないし、本気のたたかいが続くということだ。来年夏の参院選に向けて動き出している。

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この記事へのコメント

  1. 佐々木洋美 says:

    れいわの候補者は愛知15区でも12,000票でした。
    善戦だったと思います。
    竹村さんも同様だと思います。お疲れさまでした!

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