いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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日本の食と農が危ない!―私たちの未来は守れるのか(下) 東京大学教授・鈴木宣弘

グリホサートの散布

米国人が食べないものを日本に送るのか~日本人は家畜ではない

 

 米国の穀物農家は、日本に送る小麦には、発がん性に加え、腸内細菌を殺してしまうことで様々な疾患を誘発する除草剤成分グリホサートを雑草でなく麦に直接散布して枯らして収穫し、輸送時には、日本では収穫後の散布が禁止されている農薬のイマザリルなど(防カビ剤)を噴霧し、「これは〇〇(日本人への蔑称)が食べる分だからいいのだ」と言っていた、との証言が、米国へ研修に行っていた日本の農家の複数の方から得られている。

 

 グリホサートについては、日本の農家も使っているではないか、という批判があるが、日本の農家はそれを雑草にかける。それが問題なのではない。農家の皆さんが雑草にかけるときも慎重にする必要はあるが、いま、問題なのは、米国からの輸入穀物に残留したグリホサートを日本人が世界で一番たくさん摂取しているという現実である。

 

 農民連分析センターの検査によれば、日本で売られているほとんどの食パンからグリホサートが検出されているが、当然ながら、国産や十勝産と書いてある食パンからは検出されていない。【表⑪参照】

 

 しかも、米国で使用量が増えているので、日本人の小麦からのグリホサートの摂取限界値を6倍に緩めるよう要請され、2017年12月25日、クリスマス・プレゼントとして緩めた。残念ながら、日本人の命の基準値は米国の必要使用量から計算されるのである。

 

 ユーチューブで公開されている動画の中で、米国穀物協会幹部エリクソン氏は、「小麦は人間が直接口にしますが、トウモロコシと大豆は家畜のエサです。米国の穀物業界としては、きちんと消費者に認知されてから、遺伝子組み換え小麦の生産を始めようと思っているのでしょう」とのべている。トウモロコシや大豆はメキシコ人や日本人が多く消費することをどう考えているのかがわかる。われわれは「家畜」なのだろうか。

 

 また同じく、米国農務省タープルトラ次官補は「実際、日本人は一人あたり、世界で最も多く遺伝子組み換え作物を消費しています」とのべている。「今さら気にしても遅いでしょう」というニュアンスである。

 

 小麦も、牛肉も、乳製品も、果物も、安全性を犠牲にすることで安くダンピングした「危ないモノ」は日本向けになっているが、命を削る安さは安くない。日本では、まさか小麦にグリホサートはかけないし、乳牛にrBST、肥育牛にエストロゲンも投与しない。コロナ・ショックの教訓とともに、得られるメッセージは単純明快である。国産の安全・安心なものに早急に切り替えるしかないということである。

 

真に強い農業とは~ホンモノを提供する生産者とそれを支える消費者との絆

 

 真に強い農業とは何か――。規模拡大してコストダウンすれば強い農業になるだろうか。規模の拡大を図り、コストダウンに努めることは重要だが、それだけでは、日本の土地条件の制約の下では、オーストラリアや米国に一ひねりで負けてしまう。同じ土俵では勝負にならない。少々高いけれども、徹底的に物が違うからあなたの物しか食べたくない、という人がいてくれることが重要だ。そういうホンモノを提供する生産者とそれを理解する消費者との絆、ネットワークこそが強い農業ではないか。

 

 結局、安さを求めて、国内農家の時給が1000円に満たないような「しわ寄せ」を続け、海外から安いものが入ればいい、という方向を進めることで、国内生産が縮小することは、ごく一部の企業が儲かる農業を実現したとしても、国民全体の命や健康、そして環境のリスクは増大してしまう。自分の生活を守るためには、国家安全保障も含めた多面的機能の価値も付加した価格が正当な価格であると消費者が考えるかどうかである。

 

 スイスの卵は国産一個60~80円もする。輸入品の何倍もするが、それでも国産卵のほうが売れていることを筆者も目の当たりにした。国産卵を買っていた小学生くらいの女の子にインタビューをした人によると、女の子は「これを買うことで生産者の皆さんの生活も支えられ、そのおかげで私たちの生活も成り立つのだから、当たり前でしょう」と簡単に答えたという。

 

 割高な国産卵が売れる原動力は、消費者サイドが食品流通の5割以上のシェアを持つ生協に結集して、農協なども通じて生産者サイドに働きかけ、ホンモノの基準を設定・認証して、健康、環境、動物愛護、生物多様性、景観に配慮した生産を促進し、その代わり、できた農産物に込められた多様な価値を価格に反映して消費者が支えていくという強固なネットワークを形成できていることにある。

 

 そして、価格に反映しきれない部分は、全体で集めた税金から対価を補填する。これは保護ではなく、様々な安全保障を担っていることへの正当な対価である。それが農業政策である。農家にも最大限の努力はしてもらうのは当然だが、それを正当な価格形成と追加的な補填(直接支払い)で、全体として、作る人、加工する人、流通する人、消費する人、すべてが持続できる社会システムを構築する必要がある。

 

 イタリアの水田の話が象徴的である。水田にはオタマジャクシが棲める生物多様性、ダムの代わりに貯水できる洪水防止機能、水をろ過してくれる機能、こうした機能に国民はお世話になっているが、それをコメの値段に反映しているか。十分反映できていないのなら、ただ乗りしてはいけない。自分たちがお金を集めて別途払おうじゃないか、という感覚が税金からの直接支払いの根拠になっている。

 

 根拠をしっかりと積み上げ、予算化し、国民の理解を得ている。筆者らが2008年に訪問したスイスの農家では、豚の食事場所と寝床を区分し、外にも自由に出て行けるように飼うと230万円、草刈りをし、木を切り、雑木林化を防ぐことで、草地の生物種を20種類から70種類に増加させることができるので、それに対して170万円、というような形で財政からの直接支払いがおこなわれていた。

 

 個別具体的に、農業の果たす多面的機能の項目ごとに支払われる直接支払額が決められているから、消費者も自分たちの応分の対価の支払いが納得でき、直接支払いもバラマキとは言われないし、農家もしっかりそれを認識し、誇りをもって生産に臨める。このようなシステムは日本にない。

 

 さらに、米国では、農家にとって必要な最低限の所得・価格は必ず確保されるように、その水準を明示して、下回ったら政策を発動するから安心してつくって下さい、というシステムを完備している。米国は、コメを一俵4000円(日本円換算)で売っても1万2000円(同)との差額の100%が政府から補填され、農家への補填額が穀物の輸出向け分だけで1兆円規模になる年もあるほど、農家への所得補填の仕組みも驚くほど充実している。

 

消費者補助で生産者を支える仕組み

 

 ところが、驚くのは早い。もう一つのポイントは消費者支援策である。米国の農業予算は年間1000億㌦(約11兆円)近いが、驚くことに予算の8割近くは「栄養(Nutrition)」、その8割はSupplemental Nutrition Assistance Program (SNAP)と呼ばれる低所得者層への補助的栄養支援プログラムに使われている。

 

 なぜ、消費者の食料購入支援の政策が、農業政策の中に分類され、しかも64%も占める位置づけになっているのか。この政策の重要なポイントはそこにある。つまり、これは、米国における最大の農業支援政策でもあるのである。消費者の食料品の購買力を高めることによって、農産物需要が拡大され、農家の販売価格も維持できるのである。

 

 経済学的に見れば、農産物価格を低くして農家に所得補填するか、農産物価格を高く維持して消費者に購入できるように支援するか、基本的には同様の効果がある。米国は農家への所得補填の仕組みも驚異的な充実ぶりだが、消費者サイドからの支援策も充実しているのである。まさに、両面からの「至れり尽くせり」である。

 

 これが食料を守るということだ。農業政策を意図的に農家保護政策に矮小化して批判するのは間違っている。農業政策は国民の命を守る真の安全保障政策である。こうした本質的議論なくして食と農と地域の持続的発展はない。

 

 カナダ政府が30年も前からよく主張している理屈でなるほどと思ったことがある。それは、農家への直接支払いというのは生産者のための補助金ではなく、消費者補助金なのだというのだ。なぜかというと、農産物が製造業のようにコスト見合いで価格を決めると、人の命にかかわる必需財が高くて買えない人が出るのは避けなくてはならないから、それなりに安く提供してもらうために補助金が必要になる。これは消費者を助けるための補助金を生産者に払っているわけだから、消費者はちゃんと理解して払わなければいけないのだという論理である。この点からも、生産サイドと消費サイドが支え合っている構図が見えてくる。

 

 米国の言いなりに何兆円も武器を買い増すのが安全保障ではない。いざというときに食料がなくてオスプレイをかじることはできない。


 食料・農林水産業政策は、国民の命、環境・資源、地域、国土・国境を守る最大の安全保障政策だ。高村光太郎は「食うものだけは自給したい。個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」と言ったが、「食を握られることは国民の命を握られ、国の独立を失うこと」だと肝に銘じて、国家安全保障確立戦略の中心を担う農林水産業政策を再構築すべきである。国民が求めているのは、日米のオトモダチのために際限なく国益を差し出すことではなく、自分たちの命、環境、地域、国土を守る安全な食料を確保するために、国民それぞれが、どう応分の負担をして支えていくか、というビジョンとそのための包括的な政策体系の構築である。

 

自由化は農家だけでなく国民の命と健康の問題

 

農業組合法人による田植え作業(山口県)

 農産物貿易自由化は農家が困るだけで、消費者にはメリットだ、というのは大間違いである。いつでも安全・安心な国産の食料が手に入らなくなることの危険を考えたら、自由化は、農家の問題ではなく、国民の命と健康の問題なのである。

 

 つまり、輸入農水産物が安い、安いといって選んでいるうちに、エストロゲンなどの成長ホルモン、成長促進剤のラクトパミン、遺伝子組み換え、除草剤の残留、イマザリルなどの防カビ剤などリスク満載になっている。これを食べ続けると病気の確率が上昇するなら、これは安いのではなく、こんな高いものはない。

 

 日本で、十分とは言えない所得でも奮闘して、安心・安全な農水産物を供給してくれている生産者をみんなで支えていくことこそが、実は、長期的には最も安いのだということ、食に目先の安さを追求することは命を削ること、それで子や孫の世代に責任を持てるのかということだ。

 

 福岡県の郊外のある駅前のフランス料理店で食事したときに、そのお店のフランス人の奥様が話してくれた内容が心に残っている。「私たちはお客さんの健康に責任があるから、顔の見える関係の地元で旬にとれた食材だけを大切に料理して提供している。そうすれば安全で美味しいものが間違いなくお出しできる。輸入物は安いけれど不安だ」と切々と語っていた。

 

 牛丼、豚丼、チーズが安くなってよかったと言っているうちに、気がついたら乳がん、前立腺がんが何倍にも増えて、国産の安全・安心な食料を食べたいと気づいたときに自給率が1割になっていたら、もう選ぶことさえできない。除草剤入り食パンは如実に語る。国産を食べないと病気になる。早急に行動を起こさないと手遅れになる。

 

 そして、日本の生産者は、自分達こそが国民の命を守ってきたし、これからも守るとの自覚と誇りと覚悟を持ち、そのことをもっと明確に伝え、消費者との双方向ネットワークを強化して、地域を喰いものにしようとする人を跳ね返し、安くても不安な食料の侵入を排除し、自身の経営と地域の暮らしと国民の命を守らねばならない。消費者はそれに応えてほしい。それこそが強い農林水産業である。コロナ・ショックを転換の機会にしなくてはならない。

 

武器としての食料~胃袋から支配する米国

 

 例えば、米国では、食料は「武器」と認識されている。米国は多い年には穀物3品目だけで1兆円に及ぶ実質的輸出補助金を使って輸出振興しているが、食料自給率100%は当たり前、いかにそれ以上増産して、日本人を筆頭に世界の人々の「胃袋をつかんで」牛耳るか、そのための戦略的支援にお金をふんだんにかけても、軍事的武器より安上がりだ、まさに「食料を握ることが日本を支配する安上がりな手段」だという認識である。

 

 ただでさえ、米国やオセアニアのような新大陸と我が国の間には、土地などの資源賦存条件の圧倒的な格差が、土地利用型の基礎食料生産のコストに、努力では埋められない格差をもたらしているのに、米国は、輸出補助金ゼロの日本に対して、穀物3品目だけで1兆円規模の輸出補助金を使って攻めてくるのである。

 

 ブッシュ元大統領は、国内の食料・農業関係者には必ずお礼を言っていた。「食料自給はナショナル・セキュリティの問題だ。皆さんのおかげでそれが常に保たれている米国はなんとありがたいことか。それにひきかえ、(どこの国のことかわかると思うけれども)食料自給できない国を想像できるか。それは国際的圧力と危険にさらされている国だ。(そのようにしたのも我々だが、もっともっと徹底しよう)」と。

 

 また1973年、バッツ農務長官は「日本を脅迫するのなら、食料輸出を止めればよい」と豪語した。さらには、農業が盛んな米国ウィスコンシン大学の教授は、農家の子弟が多い講義で「食料は武器であって、日本が標的だ。直接食べる食料だけじゃなくて、日本の畜産のエサ穀物を米国が全部供給すれば日本を完全にコントロールできる。これがうまくいけば、これを世界に広げていくのが米国の食料戦略なのだから、みなさんはそのために頑張るのですよ」という趣旨の発言をしていたという。戦後一貫して、この米国の国家戦略によって我々の食は米国にじわじわと握られていき、いまTPP合意を上回る日米の二国間協定などで、その最終仕上げの局面を迎えている。

 

 故宇沢弘文教授は、友人から聞いた話として、米国の日本占領政策の二本柱は、①米国車を買わせる、②日本農業を米国農業と競争不能にして余剰農産物を買わせる、ことだったと述懐している。占領政策はいまも同じように続いているのである。

 

自分たちの力で命と暮らしを守るネットワークづくり~生産者と消費者をつなぐ核になる共助組織

 

生産者による農産物直売所

 世界で最も有機農業が盛んなオーストリアのPenker教授の「生産者と消費者はCSA(産消提携)では同じ意思決定主体ゆえ、分けて考える必要はない」という言葉には重みがある。農協と生協の協業化や合併も選択肢になりうる。究極的にはJAが正・准組合員の区別を超えて、実態的に、地域を支える人々全体の協同組合に近づいていくことが一つの方向性として考えられる。

 

 国産牛乳供給が滞りかねない危機に直面して、乳業メーカーも動いた。J-milkを通じて各社が共同拠出して産業全体の長期的持続のために個別の利益を排除して酪農生産基盤確保の支援事業を開始した。乳業界は心強い。新しい酪肉近の生乳生産目標の設定にあたり、業界から800万㌧という意欲的な数字を提示し、「800万㌧を必ず買います」と力強く宣言している。さらに、具体的にどうやって800万㌧に近づけていくかの行動計画も提言で示しており、本来、国が提示すべきことを自分たちでやっていこうという強い意思が感じられる。酪農家とともに頑張る覚悟を乳業界が明確にしていることは励みになる。
 JA組織も系統の独自資金による農業経営のセーフティネット政策を国に代わって本格的に導入すべきである。

 

 先日、農機メーカーの若い営業マンの皆さんが「自分たちの日々の営みが日本農業を支え国民の命を守っていることが共感できた」と講演後の筆者の周りに集まってくれた。本来、生産者と関連産業と消費者は「運命共同体」である。

 

 いま頑張っている日本の農林漁家は、国民の食を守って奮闘してきた「精鋭部隊」として、ここで負けるわけにはいかないし、負けることはない。人に優しく、環境に優しく、生き物に優しい経営の価値を消費者が共感し、そこから生み出されるホンモノに高い値段を払おうとするような消費者との強い絆が形成される結果、規模が小さくても高収益を実現できる。

 

 新大陸型農業に規模拡大だけでたたかったらひとたまりもない。規模の大小は「優劣」ではなく「経営スタイルや経営思想が違う」のであり、様々な経営がその特色を生かし持続しうるし、現に持続していることを忘れてはならない。

 

 兼業農家の果たす役割にも注目すべきである。兼業農家の現在の主たる担い手が高齢化していても、兼業に出ていた次の世代の方が定年帰農し、また、その次の世代が主として農外の仕事に就いて、という循環で、若手ではなくとも稲作の担い手が確保されるなら、「家」総体としては合理的で安定的で、一種の「強い」ビジネスモデルである。こうした循環を「定年帰農奨励金」でサポートすることも検討されてよい。

 

 「大規模化して、企業がやれば、強い農業になる」という議論には、そこに人々が住んでいて、暮らしがあり、生業があり、コミュニティがあるという視点が欠落している。そもそも、個別経営も集落営農型のシステムも、自己の目先の利益だけを考えているものは成功していない。

 

 成功している方は、地域全体の将来とそこに暮らすみんなの発展を考えて経営している。だからこそ、信頼が生まれて農地が集まり、地域の人々が役割分担して、水管理や畦の草刈りなども可能になる。そうして、経営も地域全体も共に元気に維持される。20~30㌶規模の経営というのは、そういう地域での支え合いで成り立つのであり、ガラガラポンして一社の企業経営がやればよいという考え方とは決定的に違う。それではうまく行かないし、地域コミュニティは成立しない。混同してはいけない。

 

 地域住民と農家が支え合うことで自分たちの食の未来を切り開こうという自発的な地域プロジェクトが芽生えつつある。「身近に農があることは、どんな保険にも勝る安心」(結城登美雄氏)であり、地域の農地が荒れ、美しい農村景観が失われれば、観光産業も成り立たなくなるし、商店街も寂れ、地域全体が衰退していく。これを食い止めるため、地域の旅館等が中心になり、農家の手取りが、米一俵1万8000円確保できるように購入し、おにぎりをつくったり、加工したり、工夫して販路を開拓している地域もある。環境に優しい農法のおコメを2万円以上で買い取っている生協もある。

 

 協同組合・共助組織、市民運動と自治体の政治・行政が核となって、各地の生産者、労働者、医療関係者、大学関係者、関連産業、消費者を一体的に結集して、地域を喰いものにしようとする人たちを跳ね返し、安全・安心な食と健康な暮らしを守る市民ネットワーク(各地で動き出している。福岡や千葉や信州は筆者も立ち上げにかかわった)を強化し、徹底的に支え合えば、未来は開ける。改悪された国の法律に対しては、それを覆す県や市町村の条例の制定で現場の人々を守ることができる。

 

これからは共生の時代

 

梨の選果場

 我々の社会は次の「私」「公」「共」のせめぎ合いとバランスの下で成立している。


 「私」=個人・企業による自己の目先の金銭的利益(「今だけ、金だけ、自分だけ」)の追求。
 「公」=国家・政府による規制・制御・再分配。
 「共」=自発的な共同管理、相互扶助、共生のシステム。「私」による「収奪」的経済活動の弊害、すなわち、利益の偏りの是正に加え、命、資源、環境、安全性、コミュニティなどを、共同体的な自主的ルールによって低コストで守り、持続させることができる(ノーベル賞受賞のオストロム論文が証明)。

 

 「公」「共」をなくして「私」のみにすれば経済厚生(=経済的利益)は最大化されるというのが市場原理主義経済学だが、その前提条件の「完全雇用」(=失業は瞬時に解消される)や「完全競争」(=誰も価格への影響力を持たない)は実在しない。実態は、「勝者」が市場支配力(=価格を操作する力)を持ち、労働や原材料を「買い叩き」、製品価格の「つり上げ」で市場を歪めてもうけを増やす。その資金力で、政治と結びつき、規制緩和の名目で、さらに自己利益を拡大できるルール変更(レント・シーキング)を画策するため、「オトモダチ」への便宜供与、国家私物化、世界私物化が起こる。

 

 こうして、「公」が「私」に「私物化」されて、さらなる富の集中、格差が増幅されるのは「必然」的メカニズムともいえる。農地、種、海、山を既存の農林漁家からオトモダチ企業のものにしていこうとする一連の法改定、また、農協の共販・共同購入を弱体化する農協法改定や畜安法改定は、こうしたメカニズムの結果だと考えると、よく理解できる。

 

 「私」の暴走を抑制し、社会に適切な富の分配と持続的な資源・環境の管理を実現するには、拮抗力(カウンターベイリング・パワー)としての「公」と「共」が機能することが不可欠である。しかし、「公」が「私」に私物化され、「公」を私物化した「私」の収奪的な目先の金銭的利益追求にとって最大の障害物となる「共」を弱体化する攻撃が展開される。
 したがって、「共」こそが踏ん張り、社会を守らないといけない。「公」を取り込んだ「私」の暴走を抑制するのが「共」の役割である。

 

協同組合・共助組織の真の使命~生産者も消費者も労働者も守る

 

 農協や漁協は「生産者価格を高めるが消費者が高く買わされる」、生協の産直やフェア・トレードは「消費者に高く買ってもらう」と考えられがちだが、これは間違いである。


 コーヒーの国際取引でグローバル企業のネスレなどの行動で問題にされるのは、農家から買い叩いて消費者に高く売って「不当な」マージンを得ていることである。国内取引でも同じで、流通・小売業界の取引交渉力が強いことによって、中間のマージンが大きくなっていることが問題なのである。

 

 ということは、農協・漁協の共販によって流通業者の市場支配力が抑制される、あるいは、既存の流通が生協による共同購入に取って代わることによって、流通・小売マージンが縮小できれば、農家は今より高く売れ、消費者は今より安く買うことができる。こうして、流通・小売に偏ったパワー・バランスを是正し、利益の分配を適正化し、生産者・消費者の双方の利益を守る役割こそが協同組合の使命である。

 

 不当なマージンの源泉のもう一つが労働の買い叩きである。「人手不足」というが実態は「賃金不足」だ。先進国で唯一実質賃金が下がり続けている。労組は踏ん張らねばならない。

 

 単純化すると、例えば、(想定上の)完全競争市場なら流通業者はコメ1㌔㌘を100円で買って100円で売る(流通業者の費用を除く)が、市場支配力のある流通業者は70円で買い叩いて120円で売るという商売をする。今、農協の存在によって、流通業者の市場支配力がある程度相殺されると、現実の流通業者は80円で買って110円で売ることになる。あるいは、既存の流通業者が生協に入れ代わることによって、生協が80円で買って110円で売ることができるとする【図⑫参照】。
 つまり、農協共販や生協の共同購入によって、農家は今より10円高く売れ、消費者は今より10円安く買うことができるのである。

 

 こうして、農協共販や生協の共同購入によって、生産者も消費者も利益が増え、社会全体の利益も増える(共販・共同購入に伴うコストが増加利益を下回るかぎり)。同じ効果は、「公」が機能して、流通・小売の市場支配力を抑制する、適切な政策が実施された場合にも可能となる(行政コストが増加利益を下回るかぎり)。

 

 具体例を示す。農協と小売との取引交渉力バランスを示す係数(ωは0から1の値をとり、1のとき産地が完全優位、0のとき小売が完全優位)を導入したモデルによると、農協共販は生産者米価を高め、消費者価格を抑制し、社会全体の損失を軽減できることがわかる【図⑬参照】。

 

 もう一つ重要なのは、農地や山や海はコモンズ(共用資源)であり、「コモンズの悲劇」(個々が目先の自己利益の最大化を目指して行動すると資源が枯渇して共倒れする)が示すとおり、コモンズは自発的な共同管理で「悲劇」を回避してきたということだ。だから、農林水産業において協同組合による共同管理を否定するのは根本的な間違いである。

 

 「私」の暴走にとって障害となる「共」を弱体化しようとする動きに負けず、共助組織の役割をもっと強化しなくてはならない。協同組合は、生産者にも消費者にも貢献し、流通・小売には適正なマージンを確保し、社会全体がバランスの取れた形で持続できるようにする役割を果たしていることを、そして、命、資源、環境、安全性、コミュニティなどを守る最も有効なシステムとして社会に不可欠であることを、国民にしっかり理解してもらうために、実際にその役割を全うすべく、邁進すべきである。

 

 市場原理主義による小農・家族農家を基礎にした地域社会と資源・環境の破壊を食い止め、地域の食と暮らしを守る「最後の砦」は共助組織、市民組織、協同組合だ。

 

 集落営農の基幹的働き手さえも高齢化で5~10年後の存続が危ぶまれるような地域が増えている中、覚悟をもって自らが地域の農業にも参画し、地域住民の生活を支える事業も強化していかないと地域社会を維持することはいよいよ難しくなってきている。協同組合や自治体の政治・行政には大きな責任と期待がかかっている。忘れてはならないのは、目先の組織防衛は、現場の信頼を失い、かえって組織の存続を危うくするということである。


 組織のリーダーは、「我が身を犠牲にしても現場を守る」覚悟こそが、現場を守り、組織を守り、自身も守り、自身の生きた証を刻むことに気づくときである。国民、住民、農林漁家を犠牲にして我が身を守るのがリーダーではない。

 

コロナ禍 豊かに暮らせる社会 鍵は無理しない農業

 

 「なぜこんなところに人が住むのか。早く引っ越せ。こんなところに無理して住んで農業をするから行政もやらなければならない。これを非効率というのだ。原野に戻せ」――大手人材派遣会社のT会長がK県でおこなった発言である。コロナ・ショックは、この方向性=地域での暮らしを非効率として放棄し、東京や拠点都市に人口を集中させるのが効率的な社会のあり方として推進する方向性が間違っていたことを改めて認識させた。都市部の過密な暮らしは人々を蝕む。

 

 これからは、国民が日本全国の地域で豊かで健康的に暮らせる社会を取り戻さねばならない。そのためには、地域の基盤となる農林水産業が持続できることが不可欠だ。それは、小規模な家族農業を「淘汰」して、メガ・ギガファームだけが生き残ることや、オトモダチの流通大手企業などが虫食い的にもうけることでは実現できない。それでは地域コミュニティが維持できないし、地域の住民や国民に安全安心な食料を量的に確保することもできない。

 

 安いものには必ずワケがある。成長ホルモン(これだけで4割安くなる)、残留除草剤、収穫後農薬、遺伝子組み換え、ゲノム編集(現在ゲノム編集トマトを家庭菜園向けに無償配布して後代交配で広げていこうとしている)などに加えて、労働条件や環境に配慮しないソーシャル・ダンピングやエコロジカル・ダンピングで不当に安くなったものは、本当は安くない。
 本当に「安い」のは、身近で地域の暮らしを支える多様な経営が供給してくれる安全安心な食材だ。国産=安全ではない。

 

 本当に持続できるのは、人にも牛(豚、鶏)にも環境にも種にも優しい、無理をしない農業だ。自然の摂理に最大限に従う農業だ。経営効率が低いかのようにいわれるのは間違いだ。人、生きもの、環境に優しい農業は長期的・社会的・総合的に経営効率が最も高い。不耕起栽培や放牧によるCO2貯溜なども含め、環境への貢献は社会全体の利益だ。地域の農林漁家から農地や山や海を奪い、「今だけ、金だけ、自分だけ」の一部大手企業に地域を食いものにさせるようなショック・ドクトリンとは対極にある。

 

 消費者も単なる消費者ではなく、国民全体がもっと食料生産に直接かかわるべきだ。自分たちの食料を確保するために、地域で踏ん張っている多様な農林漁家との双方向ネットワークを強化しよう。地域の多様な種を守り、活用し、循環させ、食文化の維持と食料の安全保障につなげるために、シードバンク、参加型認証システム、有機給食などの種の保存・利用活動を強化しよう。それらを支援し、育種家・種採り農家・栽培農家・消費者が共に繁栄できる公共的支援の枠組みも提案していこう。

 

 世界的に農薬や添加物の使用・残留規制が強化されているのに日本だけが緩められ、危険な輸入食品の標的にされている。「独立」した知見ののべられない専門家と「科学的」消費者による審議会などの決定、米国企業などのロビー活動で決まる国際(コーデックス)基準など、公的に「安全」とされていてもEUなどは独自の予防原則を採る。消費者・国民が黙っていないからだ。消費者が拒否すれば、企業をバックに政治的に操られた「安全」は否定され、危険なものは排除できる。

 

 EUでは、免疫力強化の視点からも、有機農業などが一層注目されている。欧州委員会は、この5月に「欧州グリーンディール」として2030年までの10年間に「農薬の50%削減」、「化学肥料の20%削減」と「有機栽培面積の25%への拡大」などを明記した。こうしたことが日本はなぜできないのか。EU政府を動かし、世界潮流をつくったのは消費者だ。最終決定権は消費者にあることを日本の消費者も今一度自覚したい。世界の潮流から消費者も学び、政府に何を働きかけ、生産者とどう連携して支え合うか、正しい情報を共有して消費者に動いてもらおう。

 

 「今だけ、金だけ、自分だけ」の市場原理主義に決別し、こうした共生のシステムを日本とアジア、世界が一緒につくっていくために、各人がもう一歩を踏み出すときである。我が身とオトモダチの利益を守るために国民を犠牲にするリーダーではなく、我が身を犠牲にしてでも家族と国民を守るリーダーが必要である。どの時代の転換期も、一人一人の捨て身の行動が万人の大きなうねりとなり、新しい時代を作り出すものである。正義は勝つ(こともある)。

 

(おわり)

 

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 すずき・のぶひろ 1958年三重県生まれ。東京大学農学部卒業。農学博士。農林水産省、九州大学教授を経て、2006年より東京大学教授に就任。専門は農業経済学。日韓、日チリ、日モンゴル、日中韓、日コロンビアFTA産官学共同研究会委員などを歴任。『岩盤規制の大義』(農文協)、『悪夢の食卓 TPP批准・農協解体がもたらす未来』(KADOKAWA)、『亡国の漁業権開放 資源・地域・国境の崩壊』(筑波書房ブックレット・暮らしのなかの食と農)、『だれもが豊かに暮らせる社会を編み直す 「鍵」は無理しない農業にある』(同)など著書多数。

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