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『亡国の漁業権開放―協同組合と資源・地域・国境の崩壊』 著・鈴木宣弘

 TPP(環太平洋経済連携協定)をめぐって売国政治に反対する論陣を張ってきた東京大学教授の著者が、本書では安倍政府の規制改革推進会議が進める「漁業権の民間企業への開放」をとりあげ、それが日本の水産資源や地域社会、さらには国家主権すら実質的に奪われている深刻な内容があることを暴露し、警鐘を乱打している。


 著者によれば、日本の農業はTPPと国家戦略特区の合作によって、家族経営を崩壊させ、生乳共販の弱体化や信用・共済の分離など農業協同組合解体に向けた措置をとり、外資を含む大企業への便宜供与(農地取得の自由化や種子法の廃止)がおこなわれるなど、すでに存亡の危機に直面している。


 そして、ここにきて漁業についても、以前から議論のあった漁業権開放論が規制改革の俎上に再浮上している。漁業権はこれまで、長年その地に土着して漁業で生業を営んできた漁家の集合体としての漁協に優先的に免許され、その行使権を個個の漁家が付与されてきた。そして漁家は漁協に集まって、魚介類の獲りすぎや海の汚れにつながる過密養殖にならないように毎年の計画を話しあい、公平性を保つように調整し、資源とコミュニティの持続を保つ、きめ細かなシステムをつくりあげてきた。


 ところがこれに対して、「非効率な家族経営体が公共物の浜を勝手に占有しているのはけしからん。そのせいで日本漁業が衰退した。既得権益化した漁業権を規制緩和し、平等に誰でもアクセスできるようにせよ」と主張し、今後は一般企業も同列に扱って漁業権を付与し、最終的には漁業権を入札で譲渡可能にせよ(実質的に外資にも開放)――というのが規制改革推進会議である。


 漁業権開放は、東日本大震災の直後のショック・ドクトリンで口火が切られた。宮城県が実施した水産業復興特区がそれで、「多くのものを失った悲しみを乗り越えて生活と経営と地域コミュニティを再興しようと歯を食いしばっている人たちに、あなた方はもういりません、規制緩和して企業に入ってきてもらって一社で大規模漁業をやって、それを全国モデルにすればTPPをやっても大丈夫だ」というやり方だった。それは岩手県の、重茂漁協を手本に地元の漁協がリードしてコミュニティの再生をはかる方向とは対照的だった。

 

協調・共同で成り立つ漁業   相容れぬ競争論理

 

 著者はここで、「規制を撤廃して個々が勝手に目先の利益を追求すれば、結果的に社会全体の利益が最大化される」とする短絡的経済理論(新古典派経済学)を社会の共有資源に適用することは根本的に間違っていると指摘する。


 区画・定置・共同漁業権は、海を協調して立体的、複層的に利用している。定置の前で魚を獲ったら定置網は成り立たないし、マグロ養殖のそばを漁船が高速で移動したら中のマグロが暴れて大変なことになる。漁業は企業間の競争や対立、収奪の論理でなく、協調の精神、共同体的な論理で成り立ち、貴重な資源を上手に利用している。企業が漁業権を得てそこに企業の論理を持ち込めば、漁場の資源管理は瞬く間に混乱に陥ることは必至である。


 実際に昨年、宮城県石巻市のカキ生産者と県漁協、連合会は、カキの品質検査で出荷に不向きな卵持ちが多く粒も小さかったことから、出荷解禁を10月10日に延期すると申しあわせたが、特区を利用してできた桃浦かき生産者合同会社はそれを守らず、9月29日から出荷を始めた。これに対して漁協関係者から「県内で450人いる生産者はみな、おいしく質のいい物を出すために我慢している。生育が不十分なカキを宮城県産として販売し、信用を落とすことは許されない」と憤りの声が上がっている。


 また、漁業権を入札によって譲渡可能にするのがベストという論議は、資金力のある大企業が地域の漁業権を根こそぎ買い占めることが狙いである。しかし、その地に長く暮らしてきた多数の家族経営漁家によって、地域コミュニティは成り立っている。この漁業の営みがベースになって地域の加工、輸送、商業、観光業が成り立っており、それが資源や環境、歴史、文化を守っている。目先の損得だけ見る者にはわからないが、その価値は公共的で非常に大きい。漁業権開放はこの地域コミュニティを崩壊させるものである。


 さらに、外国の資本が全国の沿岸部の水産資源と海を、漁業自体は赤字で経済的な採算ベースに乗らなくても、買い占めていくことも起こりうる。海岸線のリゾートホテル・マンションなどの所有でも同様の事態が進みつつある。こうした事態が進めば、日本は日本でなくなり、日本国土の植民地化がいっそう進むことになる。

 

食料自給が最大の安全保障   世界の常識が欠如

 

 著者が強調するのは、農林水産業は国土・国境を守っているという感覚が世界では当たり前なのに、日本の為政者にはこの認識が欠如していることである。領土をめぐる軋轢を防ぐため、欧州各国は国境線の山間部で多くの農家が持続的に経営を維持できるように、所得のほぼ100%を税金でまかなって支えている。彼らにとっては農業振興が最大の安全保障政策なのだ。日本にとっての国境線は海である。沿岸の海を守るためには自国の家族経営漁業の持続的発展のために支援を強化するのが本来なのに、逆に漁業権を開放して日本の漁業をつぶそうとする本末転倒を実行しているのである。


 そもそも軍事による「安保」ばかり強調して食料自給率をないがしろにする者は、安全保障の本質を理解していない。一部大企業の農業や漁業ばかりもうかっても、いざというとき、国民に十分な食料を供給できなくて何が安全保障なのか。自分たちだけが生き残っても社会が成り立たなくなったら、自分自身が存在できなくなることが見えていないのだ。


 ここでは詳しく触れられないが、本書のなかでは「国家戦略特区」の農業分野の例などをつうじて、「岩盤規制にドリルで穴をあける」というスローガンそのものが、特区諮問会議の一部の者による国民の財産の私物化にほかならないことも暴露している。たとえば人材派遣会社の会長でもある竹中平蔵は、首切り自由特区と短期雇用で回転させる雇用改革法案を成立させ、家事支援外国人受入事業の特区を受注し、次には農業移民特区の全国展開構想を主張する――といった具合に。著者は、農林水産業と協同組合に「とどめを刺す」と意気込んでいる者たちに対して、国民一人一人が事態の本質を知って立ち上がることを呼びかけている。
    
 (筑波書房ブックレット・暮らしのなかの食と農、46ページ、定価750円+税)

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