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親と教師の信頼構築こそ解決の道 下関市の公立小学校教員が保護者を提訴した裁判で賠償命令 現場の歪な関係性象徴

(2026年4月27日付掲載)

山口地裁下関支部(下関市)

「学校はサービス業ではない」

 

 下関市内の公立小学校の男性教諭が、「保護者が教育委員会に通報したメール内容が事実無根であり、名誉毀損である」と訴えた裁判で、山口地裁下関支部は4月22日、保護者に賠償を命じる判決を言い渡した。

 

 昨年9月、保護者が「男性教諭らが授業中に女児をトイレに行かせず怒鳴りつけていた」などとする内容のメールを教育委員会に送信。しかし学校の調査で事実は確認されず、教諭は複数回の聞き取りや会議への対応を余儀なくされるなど精神的苦痛を受けたというものだ。

 

 陳述書には、「今回の出来事は、現在の教育現場、とくに小学校のなかでは氷山の一角だ」とし、そうした保護者からのクレームによって「小学校の教育現場では“余計な指導はするな”とか“もう関わらないように”などと教員としての本来児童たちに伝えるべきことを、放棄せざるを得ない状況となり、本来指導すべきタイミングで、児童指導する機会を完全に失ってきている」と記している。

 

 男性教諭は「学校がサービス業のようになってしまい、教員と親とが信頼関係を築くために気を遣い合うのではなく、教員の方がその場を穏便に済ませるために謝罪したりする。それを感じとった子どもに指導が入らないことも増えてきた。こんな学校、教育でいいのか、この状況で一番被害を受けるのは子どもたち。その現状を社会に訴えたい、一石を投じたいという思いだ」と話す。

 

 現職教員が現役の保護者に対して訴訟を起こすことは前例がない。その意味で、教育関係者のなかで「そこまでする必要があるのか……」という受けとめがあることも事実だ。一方で「これまで表面に出てこなかった学校のおかれた立場をあぶり出す裁判」という声もあり、1月と3月におこなわれた公判の傍聴には現職教員、退職教員らの姿が多数あった。

 

 3月13日の2回目公判後に、保護者(被告)は、本紙の取材に対し「今回のことは自分に全面的な非がありケジメをつけなければならないと思い法廷に立った。裁判のなかで、教育委員会にメールを送った動機を聞かれたが明確には答えられなかった。今にして思えば、自分の方が立場が上だという思いが無意識にあったのが、本当の動機だったかもしれない。保護者の立場が上だというのは間違いだ。教員も保護者も対等でありどちらが上とか下とかはない。保護者が何をいっても通用するわけではないことを肝に銘じたい」と話した。

 

相互理解深める関係構築を

 

 この裁判は、近年の学校現場をめぐる保護者、教員、教育委員会の関係の歪さを典型的に示したような事例でもある。本来、親と教師は対立する相手ではなく、両者が信頼関係を切り結ぶなかで子どもの成長も促される。ところがとくにこの10年、学校と教員は教育というサービスの提供者のようになり、子どもと親はお客様、お客様のクレーム受付担当が教育委員会という関係がつくられてきた。そうした構造のもとで信頼関係をベースにした教育的な人間関係が崩され、学校で起きるトラブルに対応するために弁護士(スクールロイヤー)が配置されるようにもなっている。

 

 こうした風潮のなかで、地域によっては学校が先回りして「クラス替えをするときはまず親の要望を聞く」のが当り前になり、学校に保護者から電話がかかってきたら、教員はまず「はい、すみません」と謝罪するといった「対応マニュアル」がつくられる。運動会などの学校行事で子どもたちのケガなどが想定される種目は、やる前から「やめた方がいいのではないですか?」という過剰なリスク回避の空気が覆い、「人としての成長」にとって必要な鍛えたり困難を乗りこえていく教育ではなく、必要最低限の業務を当たり障りなくこなす。そうした学校のあり方について疑問を持ち、「もっと鍛えてほしい」「学力をつけてくれ」と願う親たちの声が渦巻いているのも現実である。

 

 裁判について市内の小学校教師は、「保護者と私たち教員の目標は一つで、子どもの成長のために一緒に頑張りませんか? みんなで子どもを育てていきませんか? というシンプルなことだ。それが難しくなっている。かつては教員と親の意見が違っても互いを理解しながら人間関係を築いていくことができた。“先生、うちの子頼むよ”“家でもお願いしますね”という対等な立場と信頼関係の上にそれができていた。今は、お互いを評価しあって攻撃しあう関係性(価値観)にみんながさらされている。教育現場だけではない。子どもも大人も社会全体の人間関係がそうなっている。裁判で解決する問題ではないとは思うが、今の歪んだ社会そのものにもの申すための行動とも捉えている」と話す。

 

 教員が保護者を訴えるという裁判は、教育現場における展望が見いだせないなかでの消極的な手段でもある。教育関係者のなかには「裁判後に当事者の保護者と教員の関係性はどうなるのか」を心配する声が上がっており、その意味では、法廷の場で「白黒」がついたとしても、教育の場にかかわる保護者と教員が、こうした齟齬を乗りこえて信頼関係をつくっていくことでしか、本当の意味では決着はつかない。また手を携えるべき保護者と教員の分断が生み出される構造をうち破っていくためにも、「子どもをどう育てるか」という論議を通じた保護者と教員の信頼関係の再構築でしか展望は見いだせないことも教えている。

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