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原水爆禁止8・6広島集会  平和築く全国団結の力を結集

 

原水爆禁止広島集会のデモ行進(8月6日)

 アメリカによる原爆投下から72年目を迎えた広島で6日、「2017年原水爆禁止広島集会」が開催された。広島市内では先月30日から第16回広島「原爆と戦争展」が開催され、同時に平和公園でも原爆の子の像横で原爆展全国キャラバン隊による街頭「原爆と戦争展」が開催されてきた。3日からは広島市内を原水爆禁止全国実行委員会の宣伝カーが走り、広島市民をはじめ8月の広島を訪れた全国・世界の人人に原爆と戦争展や集会への参加を呼びかけた。すべての運動の集大成となった集会には、広島の被爆者・被爆二世をはじめ、全国で「原爆と戦争展」運動を担ってきた人人やそのなかで出会った人人が結集し、全国に充満する平和を求める力をさらに大きくしていくことを誓いあう場となった。

 

 集会では最初に原爆犠牲者へ黙祷を捧げた。次に基調報告を事務局の川村なおみ氏が提案し、劇団はぐるま座が峠三吉の「墓標」の朗読をおこなった。

 

 続いて壇上からの発言に移り、最初に原爆展を成功させる広島の会の被爆者・末政サダ子氏が11歳のときに被爆した体験を語った。爆心地から2㌔の大芝国民学校で被爆し、窓ガラスが身体に突き刺さり血だらけで吹き飛ばされていた。裏から火の手があがりどんどん燃え広がり逃げだしたが、負傷者があふれるなかパニック状態で「お母ちゃん!!」と泣き叫びながら走り回った。いざというときの待合場所に決めていた大芝公園まで走って行き、母と出会えた。母は頭にガラスが突き刺さって血が噴き出し、髪の毛はチリヂリに焼け、肩から腕に大やけどを負って血まみれだった。兄二人を戦争で失い、戦後は残った家族と生きてきたこと、しかし今また戦争の足音が聞こえていることへの危機感を込めて語った。唯一の被爆国である日本が核兵器禁止条約に反対した姿とあわせて、「国民のお金をアメリカにお供えし平和をはぎとられた日本の姿は哀れなものだ」とのべ、再び核戦争の戦場にさせない国民の意思を世界に向けて発信しようと呼びかけた。

 

 下関原爆被害者の会の河野睦氏は、平成6年の会再建以降、「平和な未来のために被爆体験を語り継ぐ」ことを使命に活動してきたことをのべた。そして、自身が女学校2年で被爆した体験を語った。7月2日の下関空襲で焼け出され、親戚を頼って疎開した先の広島で原爆にあった。東練兵場で建物疎開をしていたさなかのことで、自身は助かったが1年生や西練兵場にいた同級生が大勢亡くなった。何の罪もない人人の命を一瞬にして奪った原爆とアメリカへの怒り、そのアメリカの下僕に成り下がっている現在の日本政府への怒りを語った。

 

 下関市内の小学校に体験を語りに行ったさい、子どもたちや教師が真剣に受け止めてくれることへの喜びをのべ、「戦後の心ない風潮のなかで親たちは原爆について固く口を閉ざしてきたが、会を再建するなかで原爆の真実を伝えることの大切さを知り、今では胸を張って未来を担う子どもたちに戦争・原爆の悲惨さを話すことができるようになった。この運動が戦争を止める力になることを確信している。私たち下関の被爆者も、命ある限り被爆体験を語り継ぎ、みなさんと一緒に72年の平和を覆すものとたたかいたい」と力をこめた。

被爆者も多数参加した

 ここで、前日から広島に来ている「広島に学ぶ小中高生平和の旅」の子どもたち、教師、父母ら総勢50名が登壇し被爆者から学んだことを発表した。被爆者の受けた苦しみや悲しみ、そして戦争の愚かさと平和の大切さについて学んだことを小学校1年生から高校1年生までが堂堂と発表し、温かい拍手が送られた。

 

被爆体験受継ぐ若者達
各界からの意見発表

 

 続いて北九州市の小学校教師・林田正人氏が被爆者、戦争体験者に学び成長する子どもたちや青年教師のいきいきとした姿を発表した。

 

 広島市の大学生・井形佑哉氏は、曾祖母が被爆者であり戦争について関心をもっていたとのべた。大学の図書館でおこなわれた「原爆と戦争展」を見て、戦争について自分がほとんど知らなかったことに気付かされ、もう一度戦争について知ろうと思いボランティアに参加した。そのなかでさまざまな人と出会い気がついたことや、外国人が「自分の国で習ったことと違う」と衝撃を受ける姿などを見てきたことをのべた。さらに自身が展示のなかでつかんだこととして、授業での時代別の丸暗記で歴史を学ぶより、戦前から戦後、そして現代までを歴史の一つの流れとして学ぶことで学校では学べなかった真実を含む多くのことを知ることができたとのべた。そのように学ぶことで、「今の日本がまた戦争をしようとしている背景なども見えてくると思うし、自分たちが戦争に反対する理由もはっきりしてくるのではないか」と語った。

 

 沖縄の野原郁美氏は、名護市の辺野古新基地建設をめぐる日米政府と沖縄県民の21年に及ぶ粘り強いたたかいについて報告した。そのなかでとりくんだ「原爆と戦争展」が沖縄と日本全国をつなげ、基地撤去を求める大きな運動として発展してきたことをのべた。

 

 岩国基地拡張反対連絡会議の森脇政保氏は、岩国市在住の古川豊子氏の体験記『あざみの花』が全国の広範な人人に深い感銘を与えながら普及されていることへの喜びを語った。さまざまな場所で求められ、戦争・原爆の愚かさと平和の大切さを共有する交流が始まっていることをのべた。この本が古川氏が母の最期を記した体験記であると同時に、長期にわたる原爆展運動が生み出したものであるとのべた。米軍岩国基地が極東最大の核攻撃基地として強化されているが、これが日本を守るものではなく日本を再び原水爆戦争の戦場にするものであること、アメリカに追従し戦時国家づくりに狂奔している安倍政府への怒りを語った。「すでに広範な人人が行動を求めて立ち上がっている。政党政派、思想信条をこえて、広く、固く団結し、全国民的運動の発展のために頑張っていきたい」と決意をのべた。

 

 大阪の高校教師・日置輝夫氏は、恒例となった大正区と守口市での「原爆と戦争展」のとりくみについて報告した。

 

 長周新聞社の鈴木彰氏は平和公園でとりくんできた原爆展全国キャラバン隊の「原爆と戦争展」の報告をおこなった。「原爆と戦争展」がとくに海外からの参観者に大きな衝撃を与えていることを紹介した。「日本人の視点から当時何が起こっていたのかを知ることができた」「自分が学んできた戦勝国側からの歴史とは違う側面から、個人の体験談を通して真実を知ることができるすばらしい展示だ」と感動が寄せられていることをのべた。「広島市民の側から原爆投下の犯罪を正面から暴くことは、アメリカを含む世界中の人人から強い共感を集め、あの戦争で誰がどんな目にあったのか、なにが起こったのか、歴史の真実を世界に向けて発信していくことこそが平和を願う世界中の人人から求められていると確信になった」と語った。さらに、この外国人との交流をサポートしている広島県内の大学生の活躍も紹介し、「今参加している学生や全国各地から訪れる参観者と被爆者、戦争体験者の思いをつなぎ、その思いを全国、世界に発信していく活動を今後さらに広げていきたい」と決意をのべた。

 

平和公園での街頭原爆展

 最後に平場から広島で大学講師をしている李容哲氏が、今、韓国国内で起こっている動きについて発言した。李明博政府、朴槿恵政府による南北の平和協力の否定、セウォル号事故に見られる無責任な指導者による市民の安全を無視した姿、原発反対の国内世論を無視した原発新規立地や海外輸出、さらに若者にとっては非正規雇用の拡大で大学を卒業しても未来がないなど、社会的な怒りが積もり積もって爆発したのが昨年秋、冬の行動だったとのべた。以前のような労働組合や市民グループではなく、市民一人一人がスマートフォンを通じてつながり、1000万人をこえる大きなうねりとなって朴槿恵政府を弾劾し退陣させる力になったとのべた。現在の大統領のもとで改善はしているものの、これがいつ後退するかわからないことを韓国国民は知っており、政策を目を大きくして見ているとのべた。

李氏の発言に聞き入る参加者

 最後に、広島の大学生が集会宣言を朗読し、満場の拍手で採択した。

 

 集会を終えた参加者はデモ行進にくり出した。峠三吉の『序』『八月六日』を朗読する子どもたちを先頭に、「広島、長崎の新鮮な怒りを若い世代に、全国、世界に伝えよう!」「アメリカは原爆投下を謝罪せよ!」「原水爆の製造、貯蔵、使用を禁止せよ!」と元気にシュプレヒコールをしながら行進した。沿道の店内、交差点、電停、併走する車などあちこちから手を振る市民の姿があり、またスローガンにあわせて拳をつきあげる人の姿もあった。今年の集会には「原爆と戦争展」を参観し、集会やデモ行進に飛び入り参加する人が幾人もおり、例年にも増して終始温かく強い支持が寄せられた。終点の原爆ドームで、1年後の8・6にむけて各地で奮闘することを誓いあって散会した。

集会後のデモ行進

子どもたちも峠三吉の詩を群読して歩いた

原爆展で被爆者に話を聞く子どもたち

8月5日におこなわれた全国交流会

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