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充実した展示に共感広がる広島「原爆と戦争展」 7日まで

全国からの参観者が被爆体験を学ぶ輪が広がっている

市民が資料持ち込み被爆者が体験語る

 広島市中区袋町で7月30日から開催中の第16回広島「原爆と戦争展」には、広島市内の被爆者や被爆二世、全国各地からの親子連れや教師など、連日多くの参観があいついでいる。展示を見て自身や親族の被爆体験、戦争体験と重ねて記事を読み込んだり、みずからの体験を語る被爆者の姿もある。また、事前に賛同者になった市民や協力者が呼びかけて集団で参観したり、参観した大学生が「先生に知らせたい」とチラシを持ち帰ったり、幼稚園の保育士が「園内に貼って知らせたい」とチラシを持ち帰るなど、8月6日に向けて市民の手によって参観を呼びかける動きが広がっている。


 広島市内に掲示されたポスターや案内チラシを見て家族や友人と誘いあって参観する市民や、毎年この時期に開催する同展を心待ちにしている市民が会場を訪れている。


 毎年参観している60代の男性は「平和資料館の被爆蝋人形も撤去され、原爆の実態がまったく分からない味気ない内容になってしまっている。この展示は毎年パネルも更新され、展示されている資料も年年増えてますます充実した内容になっている。市民からの資料提供や協力があるのも納得できる。短期間ではなく、ぜひ市内でいつでも誰もが参観できるように常設展示をしてほしい。被爆体験を聞くことができることも今ではとても貴重なことで、ぜひ継続していってほしい」と支持を寄せた。


 広島市内に住む60代の被爆二世の男性は「自分は戦後生まれだが、母の家族は実家が八丁堀で、親戚8人が原爆で死んだ。母は入市被爆だった。自分が幼いころは親戚の法事が何回もあったことを覚えている。子どものころは母や祖母から被爆体験を聞いたり、父親の戦地での体験を聞いたことはあったが、みな自分にはあまり詳しく話しはしなかった。今日このような展示を初めて見て、とくに戦地での兵士たちの体験が詳しく示されていることに驚いた。爆撃で船が沈められ、海へ投げ出された兵士たちを米軍は機銃掃射で1人1人狙い撃ちしてまで殺したことや、戦地での死因は病死や餓死がほとんどだったことなどを初めて知ったが、おそらく父親も壮絶な体験をしてきて子どもには話すことはできなかったのだろうと思う。原爆の悲惨な写真も含め、父母が私に語ることができなかった実体験について考えさせられた」と話した。


 市内に住む60代の被爆二世の女性はパネルを見た後、「祖父は東観音で大やけどを負い、体中にウジが湧いて死んでいったと聞いた。5歳離れた兄は当時2歳で、母親に抱かれて実家へ避難し、何の外傷もなくその後元気に過ごしていた。広島商業高校で野球をやり、社会人として働き始めた20歳のときに突然耳から大量の血を流し、病院へ行くと白血病を発症していた。病院で寝たきりになった兄は働き盛り、遊び盛りの時期に病に侵され、体力も奪われていくことにひどく気を病んで、“いっそのこと死んでしまいたい”とよく口にしていた。その話し相手をする私たち家族も本当につらかった。兄は2年間の闘病の末に22歳で亡くなった。原爆で苦しむ人たちが72年経った今でも大勢いる。被爆の実態を若い人たちに伝えてほしい」と語った。


 現在の東アジアをとり巻く戦争情勢や、アメリカ追随の日本政府による戦争政治に対する憤りを多くの参観者が語っている。また、広島平和資料館の改装によって被爆蝋人形が撤去されるなど、被爆当時の広島や原爆投下の残虐性を訴えかける内容が削られ「きれい」になっていることなど、真実が積極的に堂堂と伝えられていない現状に煮え切らない思いを抱く市民も多い。


 毎年参観している広島市内に住む60代の男性は、最近新しく追加した展示の終盤にある現在の安保法制や基地問題についてのパネルをとくに真剣に読み、「北朝鮮が何度も“ミサイル”の発射実験をくり返しているのも、日米政府による煽動が大きく影響している。ニュースでやたらと“ミサイル”というが、弾頭を積んでいないロケットなら日本でも似たような発射実験はおこなっているし、その技術が軍事に利用されることもある。危機感を煽り、またアメリカの武器を大量に買わされるパターンだ。韓国で配備するTHAAD(高高度ミサイル防衛システム)をいずれ日本も買わされるのではないか。日本のオスプレイ配備や基地増強も同じで、戦争をビジネスにしている者がいることをもっと多くの人に知らせる必要がある」と強い口調で語った。


 知人から参観を勧められ、初めて会場を訪れた胎内被爆者の男性は、「原爆資料館の内容はアメリカがおこなった原爆投下の残虐性を伝えるというものではなく、あれではネットでも分かる範囲の展示であり、なによりもあの地に眠る犠牲者たちに失礼だ。あろうことか被爆国日本が核兵器禁止条約に反対を表明したが、だれに気を遣っているのか、広島の心をバカにしているし、その広島出身の岸田外務相が骨なしで、あれでは話にならない」と憤りを語った。

被爆者同士が語り合う場面も

 

 会場では、教師をはじめ東京、北海道、兵庫など全国各地からの親子連れ、集団での参観者が広島の会の被爆者から被爆体験を聞く姿も目立っている。他県から修学旅行の下見に広島を訪れた多くの教師らが、会場へ足を運び被爆者と交流しており、広島の会の被爆者に「ぜひ子どもたちに修学旅行で体験を語ってほしい」との申し出があいついでいる。


 大阪府から修学旅行の下見に広島を訪れていた小学校教師は、長時間かけてパネルや当時の赤紙、教育勅語、軍隊手帳などの展示品を見た後、広島の会の被爆者から被爆体験を聞いた。そして広島の会の事務局とも話をして、修学旅行生に被爆体験を語ってほしいと申し出た。「“あなたたちが被爆体験を聞ける最後の世代。親になってから子どもに聞かせようと思っても聞くことはできないかもしれない”と話している。被爆者の生の声や感情に直接触れることができればいいとずっと思っていた。そのためにも自分がこれからもっと勉強して、どう子どもたちに関心や問題意識を持たせるか、よく考えたいし、自分が学んだことを子どもたちにもしっかりと伝えていきたい」と話した。


 滋賀県から来た30代の小学校教師の男性は「資料館の展示を見ても感じたことだが、“恐い”“残酷”なものをできるだけ子どもたちに見せずに隠そうとする風潮には常常疑問を感じている。現実を知ったうえで子どもたちが物事をどうとらえ、考えていくかが一番重要だ。教育現場も同じだが、なんでも“危ない”などといって教師の方が萎縮してしまう部分がある。子どもたちに今しか聞けない被爆者の体験や思いをありのままに伝えたい。修学旅行当日は教師も一緒に話を聞いたり質問して勉強したい」と話した。


 例年に比べ海外からの参観者が多く、パネルや市民からの提供資料を見たり、被爆者と交流して衝撃を受けているのも特徴的だ。


 7月31日には韓国から広島に研修にきた十数人の学生グループが参観後、韓国人教員の通訳を介して被爆者から体験を学んだ。教員は、「この原爆展は日本側だけでなく、アジアの国国の立場からも納得できる内容なので、毎年学生たちを招待している。被爆者から生の声を聞けたことは非常によい経験になった」とのべた。


 さらに、最近の北朝鮮のミサイル問題に触れ、「韓国は日本よりも受け止め方は冷静だ。文在寅大統領も平和的な解決をするという公約で当選しており、米国が要求するTHAAD配備についても慎重論を唱えていた。それが国民の圧倒的な世論だからだ」とのべた。


 また、「日本では毎日のようにニュースで報道しているが、人口が1億2000万人をこえ韓国の3倍もある日本が、なぜ毎日、北朝鮮のことで騒いでいるのか? という驚きがある。日本人は“韓国は大変ですね”と聞いてくるが、日本で騒いでいるほど韓国ではミサイル問題は主要な話題にはなっていない。南北朝鮮は、70年にわたる休戦協定中であり、熱冷をくり返してきた。だが、一方的な情報しか入らなかった昔とは違い、今は北朝鮮の国内の状況や対外関係もわかるので、口先でいうほど北朝鮮が勝手に他国を攻撃などできないということもわかっている」という。


 また、「北朝鮮との関係についても朴政権の強硬路線によってふたたび緊張が高まったことに国民の批判は強く、国内では雇用の悪化や中小企業の倒産が深刻なのに、北朝鮮と共同運用していたケソン工業団地を閉鎖したため、工業団地に工場をもっていたヒュンダイや中小企業は大打撃を受けている。一時は後退していた北の軍もふたたび軍事境界線に出てくるなど、いいことは何一つなかった。同じ民族同士の敵愾心を煽るメディアに国民はうんざりしており、個別の交流を通じて平和的な互恵関係を求めている。戦争の痛ましい経験を共有し、二度とくり返さないために新しい関係を築いていくことがアジアのためになるのではないか」と期待を込めてのべた。


 国内の大学で日本近現代史の研究をしている米国人教授は、被爆者の説明を受けながら熱心に参観した。「30年近く日本に住み、特攻隊や原爆、空襲など、戦時中の日本人の経験を紐解き、それがどこから生まれ、どのような結果をもたらしたかを世界に伝えるために研究をしてきた。特攻隊の体験者とも長く繋がってきたが、亡くなってしまい、生の体験を知ることができない。とくに広島・長崎への原子爆弾の投下は、世界史の中でも絶対に消し去ることのできないものだ。2度とこのようなことをくり返させぬために、1人でも多くの体験者の実体験と思いを知りたいと思って広島に来た。この展示は初めて知る事実が多く、観点も非常にすばらしい」とのべて英訳版を求めた。「大学のゼミでも戦争や平和問題を扱っているので、学生たちに見せたいし、本国にも伝えたい。広島で今後も行事があるときはぜひ参加したい」とのべ、連絡先を記していった。


 韓国人男性は、もっとも印象に残ったものとして、1950年8月6日の広島での初めての原爆反対集会のパネルを上げた。「広島では朝鮮人も多く原爆で亡くなっているため、慰霊碑にもお参りした。だが、日本の原水爆禁止運動が“朝鮮戦争での原爆使用に反対する”というスローガンを掲げていたことは初めて知った。このことは韓国人は知らない。占領期で言論統制のあった時代の広島市民の勇気ある運動に心から敬意を表したい。母国に帰ってこの事実を伝えていきたい」と英語版冊子を求めた。

平和公園での街頭パネル展示

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