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『ペーパーシティ』の制作進む 東京大空襲のドキュメンタリー映画

 1945年3月10日――第二次世界大戦の末期、米軍が東京都内を爆撃し、一晩で10万人以上の人々が犠牲になった東京大空襲から75年目を迎えた。東京都内ではこの日を前後して下町を中心に点在する慰霊碑を囲んで慰霊祭がおこなわれたが、東京慰霊堂での慰霊法要では、新型コロナの感染拡大防止を理由に、都知事も皇族も不参加とし、一般の参列もとりやめとなったため、席の大部分が空席のままとりおこなわれた。わずかな慰霊行事も縮小されるなかで、体験者や遺族の間では、歴史的大惨事である東京大空襲の経験を風化させることなく、後世に語り継ぐことへの強い思いが渦巻いている。

 

 この節目の年に向けて、オーストラリア出身の映画監督が東京大空襲の生存者の体験を丹念に取材したドキュメンタリー映画を制作し、今秋公開を予定している。作品名は『ペーパーシティ』。まるで紙のように無残に焼き払われた東京下町をそう形容する。

 

 監督のエイドリアン・フランシス氏は、メルボルン出身で15年前から東京に活動拠点を移してドキュメンタリー映画の制作に携わっている。スポンサーが付きづらいテーマであるため、制作費はクラウドファンディングで募る。

 

 そのなかで同監督は「10万人以上もが命を落とし、100万人ほどが住処を無くし、街の4分の1が消滅した。この凄まじい記憶が生存者の脳裏には焼きついている一方で、多くの日本人にとってはすでに忘れられてしまった過去となっている」と問題を提起する。また「日本とオーストラリアは第二次世界戦争の時は敵同士だった。そのため学校などで同盟国の話は聞いていたが、日本がどのような被害にあったかはほとんど教えられてこなかった」とのべ、東京大空襲の事実を別の映画ではじめて知ったとき「戦争に対する見方が180度変わり」、「言葉を失った」という。

 

 さらに「歴史上もっとも破壊的な空襲であったにもかかわらず、東京の街にはその跡がほとんど残されていない」「ドイツを旅した時には、ホロコースト記念碑を訪れ、過去を知ろうとする若者たちに出会い、広島では平和記念資料館を訪れ、原爆によって街がどのように変わっていったのか知ることができた。ニューヨークにも9・11の記念碑があり、世界中の人々が訪れ、過去の出来事を知り、学び、犠牲になられた方への敬意を払う場となっている。しかし東京にはそのような場がない。私はこの違いが生まれた理由を知りたいと思った」と着想の起点をのべている。

 

 映画では、東京大空襲を体験した3人の生存者が登場する。体験者たちは監督の思いを受け止め、快く家に招き入れて自身の体験や思いを語った。映画の中で体験者の一人は語気を強めて語る。「安倍総理が慰霊祭にやってきて“70年経っても我々はこの事実を忘れない”と話したが、嘘付けと思う。だって日本は、国が(東京大空襲の)犠牲者の数も名前も全然調べていないのだから」と。

 

 東京都江東区森下5丁目の町内会顧問を務める築山実氏(91歳)も登場人物の一人。当時16歳で江東区森下の自宅付近で被災し、燃えさかる街の中を生き延びた。兄、姉、妹は行方不明。病弱だった母親は大火傷を負い、我が子を失った失意の中で命を落とした。

 

 同町内は大空襲で壊滅し、その犠牲者数さえわからなかったが、当時の町内会長が「わが町内は一軒残らず焼失し、又全滅した家庭も多く、町のほとんどの人が亡くなってしまった。それを調べ出し、その霊を供養するのが同じ町に住んで生き残った私たちの務めだ」と呼びかけ、焼け残った資料をもとに町内犠牲者を割り出して過去帳にまとめ、800名におよぶ犠牲者を弔うため「八百霊(やおたま)地蔵尊」と名付けた地蔵堂を建立した。その後、築山氏らが発起人となり、過去帳に記された犠牲者の名前を刻んだ墓誌を5年前に建立した。

 

 築山氏は「墓誌を建立してから関心が高まり、参列する人が増えたことをありがたく思っている。だが現在、町内で生活する生存者は私一人となり、多くの若い人には町が丸焼けの廃虚となり、死体の山のなかを逃げ惑ったことなど想像もできないだろう。地元の小学校でも教えられていないようだ。戦後は猿江公園にも山積みの死体が放置されていたが、それがどこにどんな形で埋葬されたのかは公表もされていない。国は補償もせず、慰霊碑すら作らない。これでは犠牲者は浮かばれない。家族を失い、裸一貫で焼け跡から立ち上がってきた私たちには、この事実を語り継いでいく使命がある。今回の映画制作は外国人の監督でありながら非常にまじめにとりくんでいただき感謝している。若い人たちに伝える契機になれば」と期待を込める。映画は、そうした戦後の体験者の思いとともに、公的な記念館の設置要求にも耳を傾けてこなかった国や東京都の態度にもスポットを当てている。

 

 フランシス監督は「政府による支援がないなか、ボランティアや市民団体によって東京大空襲の研究や記録がおこなわれてきたが、草の根の活動にかかわってきた多くの方々が既に高齢で、あまり時間が残されていない。彼らが亡くなられたらどうなるだろうか。この大空襲の記憶は完全に忘れ去られてしまうのではないか」とのべ、「あの夜、あの場にいた人々の目線から見た東京大空襲の物語」として世界的に発信する意欲を示している。

 

 映画は今年9月頃をめどに、浅草で初上映会をおこなう予定。

 

※ 『ペーパーシティ』のクラウドファンディングはこちら

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