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7万人が仮設住宅で暮らす国

 4月14日、熊本地震から2年を迎えた。仮設住宅で暮らしている避難民がいまだに3万8000人おり、現地では住宅をつくろうにも業者不足が深刻で手が回らないことや、創造的復興という名の都市計画が障害になって、人間の暮らしが後回しにされていることなど、さまざまな困難が覆い被さって難儀な状態が続いている。東日本大震災から7年以上が経過した三陸でも、避難者数7万5000人にたいして仮設住宅の生活者はなお3万人もいる。高度に発達した「先進国」でありながら、自然災害という避けがたい事態に見舞われると、国民がいつまでも万人単位でプレハブ暮らしをしなければならず、社会の豊かさや温かさから切り離されてしまうのである。そして、どこでも災害弱者である高齢者が孤立し、自死を選択する人まで出てくるほど過酷で絶望的な状態に投げ込まれる。この冷酷な現実に目を向け、災害時の復興の在り方を根本から問わなければならないと思う。


 「国民の生命や安全を守る」というのは、なにも海外の戦場に武器を担いで出向くことではない。あるいはミサイルを撃ち込まれかねないような喧嘩腰外交をして、Jアラートをかき鳴らすことでもない。このように具体的に困っている国民の暮らしを守り、立ち上がれずに突っ伏している人がいるならしっかりと抱き起こして、その背中を押すために温かい力を加えることなはずだ。しかし、7年も経過しながら復興が何も進まない三陸、2年が経過した熊本の実情からわかることは、国の力によって守られるどころか、放置されていることである。


 世界に誇る高度な土木建築技術を備え、ゼネコンはいまやバラマキ外交の果実である海外ODA(政府開発援助)に夢中である。東京五輪バブルも真っ盛りで、首都圏では競技場の他に収容人数1万7000人(14~17階建てを22棟)の選手村をつくっているのだという。一方で、三陸や熊本では、5万人もの被災者が住居のメドもなくプレハブで暮らしている。バラマキの一部でも被災地に振り向け、全国津々浦々から必要な重機や人員を総結集させれば、戦後復興どころでないペースで進むことは疑いない。しかし関心は困っている国民からそれて、海外インフラ整備や五輪の見てくれに注がれる。そうやって被災地を放置して「復興五輪」などと呼称している破廉恥について、私たちは真面目に考えなければならないと思う。


 自然災害は避けがたいものとしてある。いつ、どこで起きるかわかるにこしたことはないが、現在の科学技術では予知するまでには至っていない。火山噴火にせよ、巨大地震にせよ、日本列島で暮らす以上はその置かれた過酷な自然環境を理解し、明日は我が身を自覚しなければならないものでもある。同時に、火山活動が活発化し、連動して巨大地震が頻発する時代にあって、国民の生命や安全を第一にして、復興に尽力する当たり前の営みを統治機構に求めなければならないと思う。全体の奉仕者であることを忘れ、国民の心配よりもせっせと私物化に励んでいるような輩では話にならないし、何もしないくせに「復興五輪」で世界の注目を浴びたいだけなどというのは、あまりにもふざけすぎである。            武蔵坊五郎

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