いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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ODAやめて被災地に回せ 苦難に置かれた国民を守るのが統治の責務 

災害対応の見直し急務 行政機能麻痺し「自己責任」に委ねられた現状

 

使えなくなった家財道具を積み上げる(坂町小屋浦地区)

多くの家が瓦礫や土砂に埋まっている(呉市天応地区)

 西日本を襲った豪雨災害の被災地は、1週間を過ぎてもまだ混乱の中にある。国の集計は定まっておらず、いまも死者や安否不明者の数は変動しており、死者数だけで200人をこえている。さらに被災地では山や川から押し寄せた水とともに大量の土砂が町全体に堆積し、いまも町ごと土砂に埋まっている地域も多い。断水や停電などのライフラインが閉ざされたうえに、連日35度前後の猛暑が続いており、住民の復旧作業は過酷を極めている。現地取材をもとに、被災地の現状と課題、災害対応に携わる統治機能の問題について記者座談会で論議した。

 

  被害の大きかった広島県内では、すでに死者は100人をこえ、いまも15人の安否不明者の捜索活動が続いている。さらに2000人をこえる避難者をはじめ、家を失った住民たちの生活再建にも暗雲が立ち込めている。行政の災害対応がまるで追いついておらず、このままでは居住地域の復旧はおろか、被災者は生活の糧まで失い、ライフライン復旧も遅れて2次被害が拡大する趨勢にあるからだ。いくら国が特定非常災害や激甚災害に指定したといっても、範囲が広く、機能すべき行政が麻痺している。全体の復旧プランも見えず、「上からの指示や援助を待っているだけでは手遅れになる」と危機感を募らせ、自力で復旧に立ち向かっている。倉敷市真備町で50人以上の死者を出した岡山や四国でも同じ状況がある。

 

  先日、広島県呉市内の被災地に土砂撤去のボランティアにいったが、被災現場の惨状は想像をこえていた。瀬戸内海に面し、急峻な山の谷間にある集落で、町全体が土砂の下に埋まり、人間の膝あたりに家の軒先があるような状態だった。川は橋や堤の高さまで土砂や瓦礫、倒木で埋まり、本来道路だったところに勢いよく水が流れ出し、家の中にも流れ込んでいる。家の中に堆積した土砂や泥をかき出しても、家をとり囲む道に堆積した土砂が1㍍以上も高いため、雨が降れば水が流れ込む。それでも今のうちに家の中の土砂を出さなければ、大事なものもとり出せず、家が腐って二度と住むことができなくなる。解体するにも膨大な費用がかかる。だから、身内や近隣住民が助け合ってスコップで家の土を掘り出していた。土砂崩れで国道が閉ざされていたので、現場で作業ができるようになって4日か5日という人が多かったが、「体力的にも精神的にも限界」といわれていた。

 

道がないため歩いて水を運ぶ住民(坂町小屋浦地区)

家の中に堆積する土砂をスコップで運び出す。40度を超える空間での過酷な作業(呉市天応地区)

 

  日中は35度をこえるほどの暑さだ。ペットボトルを凍らして持っていっても、2、3時間もすればお湯に変わる。日なたでは数十分が限界で、土砂に埋もれた家の中での作業でも、脱水症状になるほど汗が噴き出し、こまめに休憩しなければ身が持たない。断水も続いており、冷たい水が欲しければ、避難所にもらいにいくか、コンビニまで走って買いに行かなければならない。家族や親戚、子どもの同級生、職場の同僚などが力を合わせて気の遠くなるような量の土砂と格闘していたが、みんな慢性的な熱中症だ。孤軍奮闘にも限界がある。とくにお年寄りだけの世帯は途方に暮れている。体育館に雑魚寝する避難所生活を拒み、孤立状態の自宅に住んでいる人もかなりいるが、行政には水や食料を配って回るほどの人員はいないようだった。冷たい水や濡れタオルを持っていくとみんなが喜んでいた。

 

 D 住民たちはみなスコップを握って人海戦術でやっていたが、土建業者の重機が入ったところとの差は歴然としていた。同じ地域でもショベルカーが1台あるだけで進み方は全然違う。呉市天応地区では、まず下流域から人海戦術で土砂を掘り出して重機が入れる道を確保し、いまは川の中にユンボが3台入って川に埋まった土砂をトラックに乗せて搬出しはじめ、ようやく川に水が流れるようになった。土砂で埋まった川沿いの家の中から土砂を川の中に落としていたが、それをユンボでかき出していく連係プレーができあがっていた。

 

 行政が責任をもつのは河川や道路だけで「民有地は個人」というのが原則だが、業者のおっちゃんたちは家から出た土砂も一緒に運んであげていた。それでも町のメイン通りは土砂に埋まったまま手つかずで、この地域に投入された重機もあと数日で別の場所に移ってしまうため、「いまやらなければ手遅れになる」と住民たちは必死で土砂撤去にあたっていた。

 

 地域全体が被災しており、復旧させる手順、組織化されたマンパワー、重機などの機材が投入されなければ地域の復旧は不可能だ。行政は防災放送で「土砂を河川に投棄しないでください。土のう袋に詰めて指定の廃棄場所に持っていってください」とアナウンスしていたが、「現場の実情にまったくあっていない」と不評を買っていた。あれほどの土砂を個人ですべて土のう袋につめて自力で運ぶには人力も機材もない。「置き場を作るから個人で運べ」というのでは、1日でみんな倒れてしまう。実際にスコップを握って土砂をかき出した者からすると、あれらすべてを土のう袋に入れるなどあり得ないような労力だ。

 

スコップよりもはるかに作業効率がよい重機。1台入るだけで進行速度は格段に増す

待たれる公的復旧支援 統率者ない孤軍奮闘

 

  地域内、また身内や知人に土建業者がいるかどうかでまったく進行速度が違う。一般の家庭には大きなシャベルや猫車(手押し一輪車)もなく、土のう袋の数も圧倒的に足りない。坂町の坂地区では、ちょうど県道の拡張工事中で重機が置いてあったので、それを復旧作業に切り換え、その地域だけは土砂撤去が進んでいた。経験値の高い土木のプロが動けば、素人の何倍もの速度で動く。灼熱の炎天下で丸1日作業できる土木作業員の持久力、手慣れた手つきで重機を扱い、大量の土砂を一気に運び出していく連係プレーを見て、「これまで手作業でやっていたのは何だったのか…」とみんなが目を見張っていた。そのように組織された力が必要だ。個人責任で放置し、規制だけしていくのでは復旧は進みようがない。行政が早急に業者を召集し、すべての地域に投入することが求められている。

 

  いくら家の中の土砂や泥をかき出しても、次から次に地面から水が溢れてきたり、水が引かず手が付けられない家もあった。上流の川が崩壊したままで、排水溝や地下の汚水管も土砂で埋まっているため水の逃げ場がないからだと住民は嘆いていた。自分のところの泥を外に流せば、隣の家に迷惑をかけるため、沼のようにヘドロが溜まり続けている家もあった。これらも含めて公有地と私有地の線引きなどできないのが実情で、行政が地域全体の復旧プランを早急に描いて情報を発信するだけでも住民の負担は軽減する。現状ではまったくされていない。

 

  国の対応の遅さは、東北や熊本の被災地のように災害復旧を「自助努力」のまま放置し、住民が諦めかけたところで「創造的復興」などといって建築制限や立ち退きを命じ、これを機に大規模開発を進める可能性すら感じさせる。このままでは瀬戸内沿線の町が消えてしまいかねず、「手遅れになる前に」とみなが自力で頑張っているのが現状だ。

 

  不明者が見つかっていない地域や土砂崩れの警戒が解かれていない地域では、公的な復旧作業はできず、業者もボランティアも投入されない。そういう地域は被害が甚大な地域だが、なにもできないまま1週間が経過し、生活の道筋もまったく見えない状態だ。行政のボランティア召集も、受け入れ体制も含めて効率的とはいえないものがある。受付開始が9時で、ボランティア保険加入などの国が定める各種手続きを済ませて、実質の作業がはじまるのは昼前、そして2時過ぎには作業終了だ。熱中症対策などの管理責任を考慮してのことだろうが、せっかく遠方から駆けつけても作業時間が2~3時間では非効率すぎる。1カ所に集まってバスで送迎するシステムもない地域も多く、「直接に行け」といわれた現地には駐車場がないため、1㌔以上も離れた場所に車を置くので現地にいる時間は短くなる。車が殺到すれば国道も渋滞するため、行きたくても行けない人がたくさんいる。結局、身内や知人にお願いして手伝って貰っている家が大半だが、「手伝ってくれる親戚にも家族の生活や仕事もあり、長くは頼めない…」と語られ、一人とか、夫婦だけで作業している家も少なくない。

 

避難所におにぎりを受け取りにくる高齢者(呉市天応市民センター)

 C お年寄りだけの世帯はとくに大変で、水を吸い込んだ土砂や足をとられるようなドロドロの泥土は重く、泥まみれの家財道具を個人で運び出すことなど不可能だ。砂の下には汚水がまじったヘドロも大量に堆積していたが、断水しているため手も洗えず、お腹を壊したり、体調を崩す人もいた。自己責任でボランティアにいくと、「やっと来てくれたか!」と大歓迎され、家財道具を運び出すだけでも心から喜ばれた。若い者でも数時間やるだけでへたばるような重労働で、これを毎日やっていると思うと本当に気の毒だった。

 

  救援物資の受け入れ体制も混乱していた。いま何が必要で、なにが不要かの情報発信もままならず、テレビ報道やSNSの情報を頼りに全国からたくさんの物資が届けられるが、置き場が満杯になり、行政の限られた人員では仕分けも各地域への輸送もできない。坂町で物資受け入れ拠点となっている役場では、「対応が困難」として個人からの物資は受け付けず、業者からのまとまった数量の物資しか受け付けない。だが、町内の避難所にペットボトル入り飲料を届けると大歓迎されるという実態もあった。職員たちも1週間休み無しで24時間対応に追われ、疲労困憊していた。「行政改革で職員数が年年減っているから、このような広範囲の災害が起きると対応できない」と語っていたが、財政効率化と広域合併による地方切り捨ての犯罪性がある。

 

  行政機能の麻痺とかかわって、現場を統率する指揮系統が存在しない。ある地域では水は置き場がないほどあるが、行政区をまたいで隣の地域にいけば「足りない」といわれていた。自治体をまたいで連携を取り合い、補完し合えばこういうことにはならない。広範囲にわたる地域ですべての陸路が寸断したうえに断水し、水や物資の補給は数万人市民の死活問題になった。井戸水や給水車に人人が殺到し、呉市ではフェリーは予約で満杯で「キャンセル待ち」といわれる状態になった。取水手段が奪われた島や山間地ではいまも孤立化がつづいており、毎日、高齢者に生活用水を運ぶ人員の確保が困難になっている。

 

 陸路が使えなかったり、渋滞で流通が麻痺するなら、海上輸送かヘリなどの空輸で人員や物資を運ぶしかない。愛媛県宇和島では、孤立した島島に漁師が漁船で港づたいに水槽に入れた生活用水を届けて感謝されていたが、瀬戸内海の沿岸地域全体をまたいで即座にそのような海上輸送網が構築されていたら、「渋滞だから孤立は仕方がない」とはならない。呉には海上自衛隊基地があるが、自衛艦でなくても、国が予算を出して各地で地域を熟知した漁船や民間船舶を召集すれば、孤立集落にボランティアの輸送だってできる。市町レベルでは一時的な応急措置どまりで、国のバックアップがなければ長期的な体制はとれない。

 

崩落した道路の淵に建つ住居(広島市安芸区矢野東)

 B 避難所に指定された体育館で何カ月も段ボール生活というのも、日本中の災害で見慣れた光景になったが、住環境の整備でも同じことがくり返されている。先日、広島市でおこなわれた公営住宅の抽選に何百もの被災世帯が殺到したが、もっとも被害が多かった安芸区の公営住宅はわずか2戸だったという。広島県内の住宅被害は14市8町で4500棟をこえ、調査が進めば今後さらに増える趨勢だ。

 

 国の被災者生活再建支援法では、家賃などが減免される災害住宅は公営住宅優先であるため、地区内に民間の空き家があっても災害住宅にできない。そのため県外、市外などの地域外に移り住まなければならないことも、仕事や家族を抱える被災者の生活を直撃している。「東京都が都営住宅を提供する」と大大的に報道されていたが、それよりも先にやるべきことがある。

 

東北や熊本繰り返すな 被災者置去りの政治

 

  斜面の崩落箇所は、広島県内だけで5000カ所をこえている。地図で見たらよく分かるが、被災した集落は、山に囲まれた谷間の町であったり、市町村合併で吸収された地域が多く、これまでも「置き去りにされてきた地域」といわれる。70年とか50年前の石垣を詰んだままの砂防ダムがそのまま放置されていたことや、山間部の県道の斜面も豪雨に対応できるものではなかったことが露呈しており、孤立化する被災地が続出した。前述したような職員の減少や行政区の広域化に加え、財政効率一辺倒で公的業務を民間に委託しているため、行政自身が現状を把握できない。いまだに被害の全容がわからないというのも異常だ。

 

  広範囲にわたる断水も浄水施設や取水場の破損が原因だが、水道供給網を市町村から県レベルに広域化・移管したことが、復旧の遅れに影響しているといわれる。水が止まれば、たちまち住民は生きる活路が奪われることを本災害は示した。政府は水道事業の民営化を進めているが、水道事業が行政の手から離れれば、災害時の復旧も業者の裁量にゆだねられ、水道料金の値上げなどのリスクがさらに高まることはいうまでもない。

 

  豪雨災害の日に、安倍首相が閣僚らと酒宴を開き、自民党議員が自慢げにSNSに投稿したことに批判が集まっているが、被災地では「地元選出議員はなにをしているのか」と怒りをにじませる人も少なくない。政治家こそスコップを持って汗を流してみろと思う。困っている人がいるなら、それを助けるのが政治だろうに、股関節が痛いとかいって逃げていく。

 

 D 批判をかわすためか、首相が「視察」と称して被災地に出向き、受け入れる側の地元自治体の職員や警備が多数同行し、そこに在京メディアも押し寄せて「避難所で対話する総理」の記念写真をとって嵐のように去って行く。人手の足りない被災地では「大臣や議員が来るたびに被災者の対応をする職員がいなくなり、周辺も大渋滞して混乱が増す」「スコップをもって泥かきを手伝うとか、身銭を切って支援するのならまだしも、SPを引き連れてのぞき見して帰っていくだけではないか」と語られていた。顔を売ることばかり熱心で、まったくあてにならないからだ。

 

 B 「安倍首相がいく直前になって急に待遇がよくなった」という一般市民のSNS投稿に、経産大臣が「無責任な情報を流すな」とムキになって反論し、「〇〇にクーラーを設置して喜ばれた!」「〇〇をやりました!」と自己アピールに熱を上げる始末だ。被災地の復興どころか復旧も遅遅として進んでいないときに、「国民の生命と財産を守る」べき統治の責任者がそんな次元であることにみなが唖然としている。批判に対する自己防御などは後回しでよいはずだ。

 

  震災から7年たった東北では8万人、2年たった熊本でも4万人もの仮設暮らしの住民がおり、災害がくり返されるたびに同じように家を失う住民が増え続けている。同じ対応がつづくなら、今回の西日本全域に及ぶ地域でも同様になりかねない。それが被災地の不安を増幅させている。災害が起きるたびに「想定外」を連発するが、「過去に例のない被害」なら、過去に例のない対応が必要なはずだ。特別警報を発しながら、災害のまっただ中に最高責任者が閣僚をまじえて酒宴に興じ、国会は賭博(カジノ)解禁法案の審議だ。話にならない。

 

 A 安倍政府は毎年何兆円ものODA(政府開発援助)で途上国に札束をバラまいているが、同じインフラ整備ならなぜ何万人もが家を失った国内の被災地に回さないのか? だ。1世帯あたり住宅整備費を500万円としても、2000億円投入するだけでも4万軒の家が用意できる。1世帯あたり1000万円としても2万軒分の家が建てられる。全壊家屋に300万円しか補助はつかないが、それでは先は見通せない。全壊ではなく半壊といっても微々たる額では住宅再建のメドはたたない。お先真っ暗な避難民生活をあちこちでさせるのではなく、生活を取り戻すために制度を見直すことも必要だ。自然災害はどこでも起こりうるのだから、そのような大胆な国のバックアップが不可欠だ。

 

 アフリカのインフラ支援に3兆円、フィリピンの鉄道整備に1兆円、ミャンマーに8000億円、イギリスの原発事業に2兆円、パナマのモノレールに3000億円、インドの新幹線整備に1兆4000億円……とポンポンと札束をバラ撒く一方で、国内の被災地では、住民は今日明日の生活にも困窮し、住居すらないという矛盾だ。イージス・アショアを1基解約するだけで1000億円は回せる。米国で「雇用創出のため51兆円の経済支援」を約束して帰ってきたが、守るべき対象である国民に対してそれ以上の約束ができないところに問題がある。誰を見て政治をしているのかが如実にあらわれている。

 

  被災地では、いまだに2次被害の危険性と対峙しながらギリギリの復旧が続いている。旧態依然の行政対応では被害が広がるばかりで、住民の要望にたった早急な行政機能の立て直しと国の大胆な予算措置が求められている。日本列島全体で未曾有の災害が頻発するなかで、日本全国がその状況を共有し、被災地を支援すると同時に、状況に応じた災害対応を早急に見直すことが求められている。苦難に置かれた国民を守るのが政治なり統治の責務であって、これは当たり前にやられなければならないものだ。「国民の生命と財産を守る」を本当の意味で実行させなければならない。

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