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【インタビュー】海底に眠る歴史に“潜る” 長生炭鉱遺骨収容プロジェクトリーダー 水中探検家・伊左治佳孝氏

(2025年10月6日付掲載)

120年前の日露戦争で福岡県沖に沈んだ「常陸丸」の船体。現在も水深80㍍の海底に眠っている(伊左治佳孝氏撮影)

 山口県宇部市の長生炭鉱水没事故で犠牲となった183人(うち136人が朝鮮半島出身者)の遺骨収容プロジェクトが、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下「刻む会」)を中心におこなわれている。8月25、26日の第6次潜水調査で遺骨の一部が収容され、来年2月からは世界のダイバーを招請しての本格的な遺骨収容がおこなわれる予定だ。遺骨収容のダイバーを率いるのが水中探検家の伊左治佳孝氏(37歳)だ。同氏はこれまで水中洞窟や沈船、大深度の潜水など一般のダイバーがおこなわない「テクニカルダイビング」(*)による探検をライフワークとし、沖縄・南大東島の水中鍾乳洞やメキシコの海底洞窟など国内外で潜水活動をしてきた。現在、長生炭鉱の遺骨収容調査と並行して、8月末には120年前の日露戦争で沈められた沈没船「常陸丸(ひたちまる)」の潜水調査に臨んだ。海底遺跡(戦跡)の発掘調査が遅れているという日本で、先例をつくっていきたいという思いもあるという。本紙は、伊左治氏に海底遺構の調査にとりくむ胸の内を聞いた。

 

(*)テクニカルダイビングとは、40㍍をこえる大深度潜水、閉鎖環境〈洞窟や沈船内部〉での潜水、または減圧停止を伴う潜水など、一般的なレクリエーショナルダイビングの範囲をこえる、高度で冒険的なスキューバーダイビングのこと。

 

長生炭鉱の潜水調査をおこなう伊左治氏ら日韓のダイバーたち(4月1日、宇部市床波)

 ――常陸丸の潜水調査にあたって伊左治さんはブログのなかで、「レック(沈船)への潜水は、単に水中景観を楽しむだけでなく、その船が歩んだ歴史に“潜る”行為でもある」と書いています。常陸丸への潜水調査の成果はどうでしたか?

 

伊左治佳孝氏

 伊左治 今回調査したのは、120年前の日露戦争のときに撃沈され玄界灘に沈んだ「常陸丸」です。「常陸丸」は日露戦争中の1904年、ロシアのウラジオストク艦隊の攻撃により撃沈された日本の大型貨客船で、撃沈にあたっては1000人をこえる死者を出しました。正確な沈没地点は長らく不明とされてきましたが、2023年に水深80㍍の海底で発見されました。この船は外洋の深海に沈んでおり、これまで本格的な潜水調査は実施されてきませんでした。

 

 今回8月19日には写真を、20日には動画を撮影しました。沈船には陶器や瓶がそのまま残っていて、「人がそこにいた」という痕跡がかなりありました。船の外側にロープが垂れていて、これはおそらく当時のロープだと思われます。結び目がつくってあり、海に飛び込んで船から逃げようとするためだったのでしょうか。当時の新聞記事などを見ると、将校兵は船に残り、一般人には逃げろという指示が下っています。戦時下の雰囲気をそこから感じました。

 

 これまでさまざまな沈船を調査してきましたが、例えば第二次世界大戦中に山口県周防大島沖で沈んだ戦艦「陸奥(むつ)」では陶器製の食器を確認することができますが、太平洋のチューク諸島(トラック諸島)で沈んだ日本の軍艦からも同じ柄の既製品の食器が出てきます。同時期の軍艦に載っているのは同じ食器で、遠い異国で日本の船が沈んだということを感じます。また、チューク諸島の沈船には、食器の横にそのまま遺骨がありました。そういうのを見ると、いまだに太平洋から日本に帰っていない人が多くおられることを実感します。

 

 ――「常陸丸を“歴史の証人”と捉えており、その潜水調査に臨むにあたっては、船の歴史的背景にふれ、理解することが不可欠であると考えている。調査の意義を深めるためにも、そして潜水者としての経験をより豊かなものとするためにも、背景理解は欠かせない」とも書いておられます。今回は遺族会の方とも事前にお話をされたそうですね。

 

 伊左治 常陸丸の調査は、まず単純に探検家としてチャレンジしたいという思いがありました。調べてみると常陸丸は当時の日本では最大の大型貨客船であるとともに、西洋技術をとり入れ始めた最大の貨客船であり、民間船の変化のマークとなるような船でした。日露戦争から120年、第二次世界大戦終戦から80年という節目の年に、この戦跡を実際に潜水して記録・検証することは意義があると思いました。120年前の沈没船なのでいつ壊れるかもわからないため、記録することを優先しました。

 

 潜水調査にあたって常陸丸の遺族会の方とも連絡をとりました。120年の時間の経過、日本が勝った戦争ということもあると思いますが、日露戦争は忘れられていると感じました。現在は、戦争といえば第二次世界大戦というイメージがありますが、そこから遡って40年前には日露戦争があり、日本人の犠牲者も他国の犠牲者の方もいました。遺族会代表の竹内さんにお聞きしても、常陸丸事件は当時は大事件で、毎年この日には新聞で特集が組まれるほどだったそうです。当時の『朝日新聞』にも記録がありました。

 

 竹内さんのご先祖は、連隊長で常陸丸の指揮をとっていたこともあり、沈没事件以後は毎年、家に部下が集まって慰霊を続けていたそうです。それが今では多くの人が知らない出来事になっている。忘れられることが悪いことだとは思いませんが、忘れたくない人のために記録に残すということで自分が何かできることは嬉しいことだと思います。

 

海底戦跡調査の先例に 常陸丸の調査

 

沈没した常陸丸の船内には陶器製の食器とみられるものも残っている(伊左治佳孝氏撮影)

 ――海洋遺跡、海洋戦跡の調査や記録についてどう考えていますか?

 

 伊左治 海外で亡くなられた日本人の遺骨収容には予算がついており、チューク諸島は、日本政府が主導して潜水しての遺骨収容を2回おこなっています。最近、終戦直前に沈没した疎開船「対馬丸」の船体調査を国がおこなうと発表しました。船体の撮影や遺品の収集など、戦争の記憶継承に活用する狙いだそうです。そういう意味で今回の常陸丸の調査は、海底遺跡、戦跡調査の先例をつくっていきたいという思いがあり、国とともにこのようなとりくみを実施していきたいと思います。

 

 海外では、海底遺跡の保存記録に対する予算が日本の100倍ぐらいあります。例えばインドネシアなどはそうです。僕自身は、戦争遺跡でこの周辺で関心を持っているのは知覧基地から飛び立った零戦です。僕の祖父も特攻の知覧基地にいて、いよいよ飛び立つ直前に戦争が終わったという経験を聞きました。今は、日本の海域のどこに何が沈んでいるかはデータベース化されており、そのうち手つかずの海洋戦跡が8~9割あると思います。遡れば1274年の元寇のときに沈んだ船も残っています。

 

 ――今後の目標などは?

 

 伊左治 僕は「この分野ではこの人」という第一走者になることを人生の目標にしています。そのことによって情報も集まるし、その分野で特別な何かがあったときに必要とされるようになります。また、一歩踏み出していくことも大切にしていて、現在とりくんでいる長生炭鉱への潜水調査も2023年12月の刻む会の集会を偶然、YouTubeで拝見したときに、あれほど目立つ場所にピーヤ(排気筒)があって、長い間調査の見込みが立っていないということは、誰かが一度潜らなければ進まないと思ったのがはじまりです。長生炭鉱は政治的にも繊細な問題を含むので参加する前に一瞬考えましたが、実際に調査を始めて、遺族の方など多くの方に喜んでいただけたことで、「参加してよかった」と思っています。新しい場所を切り拓くと現地の人たちとのコミュニティが生まれることはとても嬉しいもので、宇部市の長生炭鉱でもそうですし、沖縄の南大東島もそうで、「おかえり」みたいな場所が増えていくのがとても嬉しいです。

 

 戦争とは少し離れますが、洞窟性の新生物の発見にも力を入れようと思っています。僕が今見つけた新生物は3種類で、ゴカイとヨコエビ、無腸動物といってプラヌラに似た特徴を持つ動物の分類群の一種で、いくつかは僕の名前がつく予定です。洞窟性の新生物の多くは新種であることが多く、調査できるダイバーも少ないので、研究者の方々と一緒にやれたらいいなと考えています。

 

 今後のダイビング界隈のことでいうと、この世界では日本人の存在感が低くなってしまいました。とくにコロナ後は経済が落ちたことが関係すると思いますが、海外のダイビングサイトでは日本人だけが戻ってきていない。日本はアジアのなかでダイビング人口は多いのですが、先人がすでに開拓した場所に行くことが多く、新たなダイビングサイトを開拓しようという方は少ないと思います。

 

 僕のようなテクニカルダイビングの人口は、日本はアジアで一番少ない。韓国の100分の1ぐらいです。タイもインドネシアも日本より多い。他の国に負けているのが悔しいなという気持ちもあるし、健全な競争精神はあっていいと思っています。

 

 天井がある環境、すなわちオーバーヘッド環境に潜るケーブダイビングですが、僕がケーブダイビングのインストラクター(フルケーブインストラクター)になったのは35歳の時でした。その時点で、僕の次に若いフルケーブインストラクターは五四歳の方でした。これからテクニカルダイビングをやっていく若い人を増やすとともに、私が教えた人が将来私のバディになったり探検ができるようになったりすればよいと思っています。

 

 最近は、このような活動の成果か、私の周りにも少しずつテクニカルダイビングをする若い人が増えてきましたし、今回、長生炭鉱の調査のサポートに入ってくれたダイバーも探検をやりたいという人です。

 

山口県宇部市「長生炭鉱」の坑道(水深42㍍付近)。8月8日の潜水調査で伊左治佳孝氏撮影

 ――最後に、来年2月から世界のダイバーを招聘しての本格的な長生炭鉱の潜水調査が始まります。意気込みや思いをお聞かせください。

 

 伊左治 長生炭鉱の潜水調査が、ついに遺骨の収容という段階にまで到達できたことを大変嬉しく思います。市民団体「刻む会」やダイビングサービス「VOX plus」、そしてメディアの皆さんと共に、一歩一歩積み重ねてきた活動が、前回の調査で最初の遺骨収容につながったと感じています。

 

 その成果が注目を集め、来年2月には海外からもダイバーを迎えて調査を進められることになりました。この貴重な機会を生かし、多人数でなければ実施できないとりくみをおこなう予定です。具体的には、発見済み遺骨の記録撮影と収容、到達範囲内での測量や新たな遺骨の捜索、さらに奥へ進むための経路調査をチームで実施していきます。

 

 これまで以上に期待の大きな調査となりますが、これまでと同様に、一つひとつ着実にステップを踏み、次の段階へとつなげていきたいと思います。

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