いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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ルポ 福寿丸に乗って 

対馬沖を目指して航行する第15福寿丸

 本州最西端に位置する下関漁港はノドグロやアンコウの水揚げ量日本一を誇り、その他にもさまざまな魚種を築地をはじめとした都市圏の水産市場に送る供給基地として役割を果たしている。

 これらの魚を獲り、下関の水産業を過酷な海の現場で支えているのが「以東底引き船団」だ。7組(14隻)まで減ったとはいえ、市場に水揚げされるものの大半を占め、仲卸や付属する関連産業にとって生命線ともいえる存在だ。

 本紙は10月下旬、野本水産(下関市伊崎町)にお願いして「福寿丸」に記者が同行させてもらい、誰がどのようにして魚を獲ってくるのか、日頃あまり知られることのない漁業生産の現場を直接取材させてもらった。記者が見て感じたことを漁業体験記として紹介したい。(記者・鈴木彰)
 
 下関で水揚げをおこなっている以東底引き網漁船は現在7組(14隻)。漁期は毎年8月15日から5月15日までの9カ月間だ。主な漁場は長崎県対馬の北側の海域で、船からは朝鮮半島が見え、高層ビルのような建物も薄っすら見えるほどの場所で漁をおこなっている。この漁場で狙う魚は「ノドグロ」(アカムツ)だ。近年、テニスの錦織選手がインタビューで「ノドグロが食べたい」と発言したのをきっかけにして人気が高まり、一躍高級魚の仲間入りを果たした魚として知られる。白身でありながら、旨味が詰まった脂がしっかりと乗り、焼き物や煮付けなどにしてもよし。夏場過ぎはとりわけ味が良いことから高値で取引され、効率良く水揚げできれば一航海あたりの利益も大きなものになる。


 以東底引き網で獲れる魚は他にも、アンコウ、ササガレイなどの高級魚やタイ、ヒラメ、アジ、サバ、アナゴ、イカなどさまざまな種類がある。何でもまんべんなく獲れるのが他の漁業にはない特徴で、少し海域を変えるだけで獲れる魚の種類も変わる。一週間の航海を終えて帰港した漁港市場には、そうやって獲ってきた魚が1000~2000箱も並べられる。船底から次次と運び出されていくトロ箱が魚種ごとに積み上げられ、市場を埋め尽くしていく光景は壮観だ。ではこの魚は誰がどうやって獲っているのか、水産都市の生命線を担っている漁業生産の現場とはいったいどのようなものなのか、ぜひ同行取材させてほしいと野本水産さんにお願いしたところ、快く引き受けて頂いた。

 2艘で目指す対馬沖合 9カ月間続く漁期

 乗船したのは第15福寿丸。船の大きさは約75㌧。以東底引き漁船団は「2艘引き」という漁法で、この2艘が常に行動を共にし、協力して漁をおこなっている。網には2本のロープが付いており、2艘の船が1本ずつ互いにロープを引きながら1つの網を引く漁法だ。船で引く網はワイヤーが800㍍、ロープ550㍍、網が70㍍で、全体の長さは実に1420㍍にもなる。


 乗組員は1艘に約10人。2艘合わせて約20人だ。10代の頃から福寿丸一筋で30~40年乗っているベテランが4、5人。40年以上乗っている超ベテランの人もいた。以前は長崎県の以西底引き漁船の乗組員だった人も多く乗っている。下関に家庭を持つ人、長崎など県外に家族を残して下関に働きに来ている人など、事情はさまざまだ。また、日本人乗組員の他にも18~21歳のインドネシア人実習生が1艘に2人ずつ、計4人乗っている。世代をこえ、国籍をこえた10人×2隻がチームとなって海に繰り出していく。


 休みは5月の後半から8月のお盆までの禁漁期間の3カ月間。盆明けからは毎月1回「勘定休み」があり、だいたい月末に3~4日間休みとなる船団が多い。下関漁港から漁場へ向かい、漁をして帰るのに4~5日間かかる。魚を獲り市場へ水揚げに帰ってくるのがだいたい夕方から夜9時頃の間で、荷役が終わればその日の夜中に再び出港して漁場へ向かう。このサイクルが8月のお盆過ぎの漁解禁日から翌年5月までの約9カ月間続く。乗組員はその間、ほとんど船に乗りっぱなしだ。

 揺れる船内で漁の準備 外海へ乗り出す

 10月末の出漁当日、この日は勘定休み明けで午後3時の出港となった。漁港でまず、約1週間の航海に備えて氷や水、食料などを積み込む。燃料は毎回漁を終え、帰港してすぐに積み込んでいるようだ。氷を船底の船穀に積み込む作業が終わると、いよいよ出港だ。漁船2隻が連なり、彦島大橋をくぐって響灘へ乗りだすと、ここから9時間かけて対馬北側の漁場を目指す。


 この日の海は穏やかで「これ以下はない」と船員の1人が教えてくれた。ただ湾内とは違い、外海に出れば揺れもきつくなる。スピードを出すとさらに船体は揺れる。素人が立っているのもやっとの思いでいたなか、周囲は淡淡と網の片付けやロープの準備を続けている。「こんななかで、どうして立っていられるの?」と驚きながら、船にしがみついているしかなかった。


 出港して1時間ほどで片付けや準備を終えると、早めの夕食をとって腹ごしらえをする。夕食を終えると、みな漁場に付くまでの八時間は貴重な睡眠時間だ。漁が始まれば約1週間、朝も夜も関係なく、網を入れては上げての繰り返しで長時間まとまって眠ることは難しくなる。船の上での睡眠時間の確保は、船員にとって非常に貴重なものなのだと教えてもらった。

 いよいよ底引き漁開始 一気に高まる緊迫感

 

甲板から網を投入する


 そうこうして揺れながら、夜中に漁場に到着した。いよいよ漁がはじまる。片方の船が網を入れ、その網を2艘の船で引く。2時間たてば網を上げ、続いてもう片方の船が網を入れ、また2艘で2時間網を引く。この作業を何度も繰り返して漁をおこなう。2艘で一緒に漁をおこなうことによって、効率よく常に海中で網を引くことができる。これが「2艘引き」の最大の利点のようだ。


 この漁法では互いの船や船員同士の連携が要になる。網を引いて魚を獲る間、互いに1本ずつロープを引いているが、網を船へ引き揚げる時には1艘の船が2本とものロープを使って巻き上げ、魚を回収しなければならない。そのため、網を2時間引き終われば、網を揚げない方の船がこれまで引いてきたロープを船から外し、網を揚げる船にロープの先を投げ入れる。この作業が「2艘引き」の特徴で、船を海上で巧みに操り、近づけたり離したりしながらおこなう。


 網入れは、両方の船の船員が漁労長の指示のもとで息を合わせて手早くロープの受け渡しをおこなう。漁労長が操舵室から甲板の作業の進み具合を見て、準備が整えばマイクを通して網を投入する合図を送る。船尾に吊るしてある網の先端を海へ落とせば、鎖が甲板を走るガラガラという大きな音とともに、長い網がするすると船尾から海へと滑り落ちる。適当に積み上げられているように見えて、実はきれいに順序よく折りたたまれ、重ねてあるため、網は絡まることなく海へと滑り込んでいく。網を入れると船員は船員室に戻り、また2時間後に網を上げるまで睡眠だ。


 網投入から2時間後、船員室にベルが鳴り響く。みながいっせいに寝室から起き出して甲板にあらわれ、今度は網の巻き上げ作業が始まる。ヘルメットを被り、ライフジャケットを着て、慌ただしく網回収の準備をおこなう。魚の選別をおこなうため船底の氷をケースに詰めて引き上げたり、選別用のトロ箱を甲板上の作業台の上に隙間無く並べていく。隣の船からロープの端がこちらの船へと投げ入れられ、それをウィンチ(ロープを巻いて網を引き上げる装置)に装着すれば、いよいよ網を上げる作業が始まる。


 甲板上では船員が手を後ろに組み、網が上がってくる船尾の方向を向いて直立不動でスタンバイする。船全体の空気が引き締まり、緊迫感が一段と高まる。ロープとワイヤーを巻き上げていたウィンチの回転音が止まると、そこからは手動で網を引き上げていく。手動といっても網にワイヤーを取り付け、船の両サイドにある回転する装置にワイヤーを巻き付けて機械の力で巻き上げる。両サイドで巻くタイミングがずれてしまえば網がよじれてしまうという。この作業をおこなうのがベテラン乗組員の2人だが、お互い合図もしないのに巻き上げるタイミングがピッタリと合っていた。


 網に引っかけたワイヤーを手元まで引き寄せると、ワイヤーの先にあるフックを網から外して、再び船尾の網に引っかけてワイヤーを引っ張る。これを何度も何度も繰り返して船の上へと引き上げていく。ワイヤーの付け替えを任されているのがインドネシア出身の実習生2人だった。揺れる甲板の上を太くて重いワイヤーを手に持ち、何度も走って船尾と巻き上げ装置の間を往復する。
 網を船の上にすべて引き上げると、クレーンで網を吊り、揺すって魚を網の底の袋になっている部分へと落として集める。すべて集まればクレーンで吊り上げて、船尾から甲板の中央付近にあるスペースへ移動させ、そこで網の底を開いて魚を一気に網から出す。大量の魚が塊のようになって振るい落とされ、山のように甲板上に積み上がった。


 その後は、水揚げした魚の選別作業が始まった。この選別作業が以東底引き漁船の作業のなかでもっとも大変な作業なのだという。甲板上に魚が山積みになった区画に入り、プラスチックのケースですくって魚をトロ箱に移していく。網に入るのは魚だけではなく、絡まった網や大きなプラスチックのケースやビニール袋など、大量のゴミもまざっている。また、1㍍以上もあろうかというサメやエイも一緒に入る。これらをまずとりのぞき、魚の山の中へ足を踏み入れながら、何度も何度も魚をトロ箱の中へと掻き出していく。トロ箱へ移した魚は、作業台の上に敷き詰められた別のトロ箱の中へ手で1匹ずつ選別していく。魚の種類だけではなく、サイズも大まかに分ける。この作業を船員みなで協力しておこなう。


 厚手のゴム手袋をはめてトロ箱の中へ手を突っ込み、市場へ出荷する対象となる魚だけを探し出して、下に敷き詰めたトロ箱へと分けていく。選別してトロ箱がいっぱいになれば空き箱と入れ替え、甲板上に積み上げていく。市場へ持って帰っても1箱5000円以下でしか売れないものは、箱代や口銭と差し引きして考えるともうけにならず「獲っても意味が無い」ということで選別の対象にはならない。

 

水揚げした魚を選別し、手早くトロ箱に詰める

 よく獲れる魚のなかでも、とりわけ手間がかかるのがアンコウだ。忘年会のシーズンには1箱の値段はノドグロよりも高くなる。ノドグロが1箱4万円をこえることはあまりないが、アンコウの昨年の最高額は1箱7万円にもなったという。これから冬の時期になればさらに身が締まり、品質が良くなる。大きなアンコウならそのまま選別して箱に入れて市場へ出すのだが、小さなアンコウはそのまま出してもなかなか買い手が付かない。そのため、船の上で1匹ずつ捌いてむき身にしなければならない。


 アンコウの担当者はトロ箱を裏返してまな板代わりにすると、山のように積み上がった小アンコウの箱から1匹ずつ取り出して延延と包丁で捌いていった。使う身は尻尾の方の身だけ。アンコウの身と頭の境目に包丁を入れ、尻尾に向かって皮と身の間に包丁を滑らせる。頭と身の間に切れ目を入れて、身を掴んで引っ張ると、ツルッと皮がむける。1匹を処理するのに要する時間はわずか5秒ほどの早業だった。


 また、ある日の漁では、対馬の北側から南側へ漁場を変えてタイを狙った。網を開けると大きなタイが次次に魚の山から出てくる。他にも5、60㌢ほどの見たこともないような大きなサバやアジも多く入っていた。


 魚の山からタイだけをより分け、それをベテラン漁師が手際よくエラの間に手鉤を入れて即殺し、氷水に浸けて血抜きをおこなっていた。すぐに血を抜くことで生臭さを軽減させるためだ。忙しい魚の選別作業のさなか、こういった魚の品質管理も怠らずに徹底しておこなっていた。


 大まかな選別が終わると、数やサイズが揃った魚から氷の敷き詰められた発泡スチロールに並べていく。市場に出荷するときのために「ムツ 19」というように魚の種類と数を箱の側面に1箱ずつ記入する。また、アナゴなど魚の種類によっては発泡スチロールを使わず、トロ箱に入れて出荷するものもある。魚の量が多いときはトロ箱に木枠を重ねて箱の深さをかさ増しして収納するなど、細かい工夫も施されていた。


 選別台下の船底は船穀になっており、氷が敷き詰められている。獲った魚はすべてここで冷蔵保存して市場へ持ち帰る。カギの付いたロープを魚の入ったトロ箱に引っかけ、上から吊るしながら船底の船穀へ降ろす。発泡スチロールは手渡しで降ろしていき、下で待ち構える数人の船員が箱を受け取り、船穀の中へトロ箱を収納していく。


 サイズや数が揃わず出荷用の発砲スチロールに納められないものも、そのままトロ箱に入れて船穀へ収納しておき、次の網を上げて魚の選別をおこなうたびに船底から出したり直したりを繰り返しながら、数とサイズが揃えば順次発泡スチロールへと納めていく。


 今回の航海では狙っていたノドグロは余り入らず、全体的な水揚げ量もそれほど多くなかったようだ。この日は同じ海域で下関の以東底引き船団が四組操業していた。同じ場所で何度も何度も網を引けば、獲れる魚も少なくなる。ただ、「少ない」といわれる今回の漁でも、水揚げ開始の合図のベルが鳴ってからすべて船穀に入れ終わるまでに2時間ほどはかかった。8月の禁漁期間開けの漁ではさらに大量の魚が獲れるため、選別作業も過酷なものになるそうだ。しかし魚が獲れた分、船員の給料も上がる仕組みだ。


 網を海へ入れ、2時間の睡眠をとって網を上げ、選別し、ロープの受け渡しをして再び網を入れ……。同じ作業が船の上で繰り返される。“1日の終わり”を感じるタイミングなどない。「慣れるまでが一番きつかった」と船員の1人が話していたが、記者も2日目の夜ごろになるとベルの音についていけなくなり、寝床から起き上がれなくなったこともあった。 (つづく)

 

※全編は書籍化することを検討しています。

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