いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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戦地を生きる人からのメールから思うこと

日本学術振興会特別研究員PD 飛内悠子

 

 ジュバに住む知人からEmailが届いた。ウガンダ北西部のアジュマニ県で出会った南スーダン人の司祭からである。


 第1次スーダン内戦時南部人主体のゲリラ兵団の兵士であった彼は、第2次内戦時再び兵士として取られるのを拒み、ウガンダに逃れた。アジュマニで長く避難生活を送り、紆余曲折を経て司祭となった彼は自宅をアジュマニに持っており、妻子をウガンダに置き、自分はジュバの教会に勤めていた。アジュマニのキリスト教史を調査していた私は、今年の夏、ちょうど休暇でアジュマニに来ていた彼にライフヒストリーの聞き取りをさせてもらったのだった。そのとき彼はすぐにジュバに戻ると言っていた。


 つい2週間前、彼から電話があった。ちょうどそのとき南スーダンとウガンダの国境のニムレという街にいるところだという。ジュバは大丈夫かと問うた私に、彼は「ジュバは安定している。私はこれから息子の大学の卒業式に出席するためにカンパラに行くところだ」 といっていた。Emailの内容はその卒業式の様子を知らせるものだった。カンパラには多くの南スーダン人の学生がおり、卒業式の後は南スーダン出身の卒業生が集い、祝賀会が開かれたという。そしてそこで彼は来賓として挨拶をしたのだと。


 第1次、第2次スーダン内戦(1955―1972、1983―2005)、そして2013年12月から始まり現在も続く南スーダンの紛争と、南スーダンの歴史は戦争に彩られており、高等教育の整備は遅れていた。さらに内戦で多くの若者がウガンダに避難していたこともあり、ウガンダにはもともと多くの南スーダン出身の学生がいる。私の10年来の友人たちもカンパラ近郊で大学生活を送っている。ウガンダの首都カンパラを歩けば聞きなれた南スーダンのことばが聞こえることがよくある。


 彼らの生活は今厳しい。紛争の影響により南スーダン・ポンドの価値は大幅に下落し、彼らいわく「紙切れ同然」である。だが学費はウガンダ・シリングで払わねばならない。保護者は子どもたちの教育のため、必死で外貨を手に入れ、学費を払っていた。もちろん、学業が続けられなくなって、一旦学校を離れることになった者もいる。そうした苦労を乗り越えての卒業である。喜びもひとしおだったはずだ。私は返信のメールに心から「おめでとう」と書いた。


 返信はすぐに来た。メールには「あなたも知るように、国(南スーダン)は経済的に、そして政治的に倒れて(down)いる。私たちは子どもたちを教育する必要がある。しかしいま私たちは困難な時期に直面している。私たちは子どもたちの未来を創り上げる助けを与えてくれるよきサマリア人のために神に祈る」とあった。


 彼の行動とメールから、現在の南スーダン、特にジュバが安定しており、ウガンダ―南スーダン間の人の行き来があることがわかると同時に、南スーダン人である彼の眼にもすでに国としての南スーダンは倒れていると見えていることもわかる。確かに国境はある。南スーダンという国はある。ウガンダに逃れれば少なくとも銃弾は飛んでこないと実感するということは、皮肉なことに銃弾の飛び交う南スーダンという国を想起することにもつながる。だが、その国は「倒れて」いる。


 何をもってして彼が「倒れている」と書いたのかはわからない。しかし日々どこかで戦闘がおこり、人が死に、政府軍が略奪を行う国を通常運営がされているとはだれも言わないだろう。ジュバでは多くの人が水さえ買わねばならない。紛争開始以前から給水車から水を買うのがふつうであった。雨期であれば雨水をためて使うことが出来る。だが乾期にはそれが出来ないため、給水車に頼らねばならないだろう。世界一のインフレによりその水の値段は急激に上がっている。


 独立からたった5年。無きに等しいインフラ、国造りに必要な人材の不足、頻発する紛争と、確かにはじめからいくつもの困難を抱えた独立だった。しかし独立に大勢の人が希望を抱いていたのは事実である。それがなぜ「倒れる」にまで至ったのか。内戦時は反政府ゲリラ軍であり、のちに政府軍、政権与党となったスーダン人民解放軍/運動の戦時から平時への体制変換の失敗、不適格な指導者、度重なる横領―いくつもの要因が思い浮かぶ。紛争は、間違いなく南スーダン人が引き起こしたものである。だが同時にこの若い国は周辺諸国、そして国連の思惑ともがっぷり四つに組まねばならなかった。そして彼らは今も「自分の国」をかけて「戦って」いる。


 「戦う」のは兵士、政治家だけではない。ジュバや南スーダンの各地で生活を送る人、そしてウガンダ、エチオピア、スーダン等で避難、移住生活を送る人、南スーダンを生きる人びとほぼすべてが自身の生を必死に生きている。そこにはある種の「日常」がある。笑い、しゃべり、泣き、喧嘩する、そうした日常の背後に「戦争」がある。それが南スーダンの今である。


 15日に駆けつけ警護の閣議決定がなされるという。この「戦い」の中にある現地にとって駆けつけ警護が役に立つものにならないことは、容易に予想がつくことである。一体、誰のためのPKOであり、自衛隊派遣であり、駆けつけ警護なのだろう? 国の「支援」に政治的意図が付きまとうのは理解できる。しかしそれが当該国の役に立たなければ元も子もない。


 南スーダンを生きる人が「生きる」ための支援こそ今必要とされている。それは第一に戦闘を終結させ、人々の日常生活を取り戻すことである。それにはどうしても国家の力がいる。そこにこそ、国家としての日本が支援する意義があるのではないか。もちろんそれは複雑で難しい道である。緻密で豊富な情報、そして時間が必要とされる。そして日本としてそのどこに日本が関わるのがいいのか検討されねばならない。簡単ではないのは承知で、この難事業に取り組む覚悟を見せてほしいと思う。

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