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“地方創生”の逆行く産業破壊  潰される下関の港湾機能

 下関市の岬之町コンテナターミナルが沖合人工島に移転して10カ月がたとうとしている。移転は中心市街地にあった岬之町のガントリークレーン(一基)の老朽化を口実にしたものだったが、要するに海峡沿いの一等地から港湾機能を追い出して、跡地で市街地開発利権をやりたいという勢力の願望を貫いたものだった。自然条件が過酷な沖合人工島に追いやることについて当初から反発が渦巻いていたが、それを振り切って中尾市政が強行した。そして、関係者の誰もが冬場に人工島周辺で吹き荒れる強風を心配し、荷役ができない事態になるのではないかと危惧してきたが、案の定、はじめての冬を迎えて最悪の事態に直面している。
 
 強風で荷揚げができず 岬之町復旧しか選択肢なし

 18日、下関港に入る唯一のコンテナ船「シノコー」(韓国)が人工島に入港したのは午前9時50分だった。すでに強風が吹いており、接岸したものの荷揚げができず作業は中止となった。少し風が弱まった午後1時~2時までのあいだにコンテナ八本を下ろしたものの、ここで再び強風によって作業ができなくなり、残りの五本のコンテナを下ろせないまま待機することになった。一夜明けた19日は風がさらに強まり、雪が降りしきる大荒れの天気となり、午前10時と午後3時時点の様子を見て判断することになった。しかし、風が吹き荒れて再開の見通しは立たず、作業を断念することになった。荷が下ろせないのでコンテナ船も身動きがとれず、船体が護岸で傷つくことを恐れつつ人工島につながれて拘束された。
 この日、人工島で吹いた風は最大25㍍の風速計を振り切ったままだったと関係者は語っていた。丸2日間にわたって荷揚げできない異例の事態となった。また、強風騒動の裏ではコンテナ荷役用のジブクレーンが故障しており、幸いコンテナ船が入港する前の試運転で発覚したことから業者を呼んで対応していた。
 2日間コンテナが動かないことで関係各社は大混乱となった。取引先から電話が殺到し、遅れの説明や謝罪の文書を送り、手配していたトラックをキャンセルしたり、時間・天気とにらみあい、納期に間に合わせるための手段を準備するなど、それぞれが対応に追われた。企業によっては、キャンセル料の発生や輸送手段の変更によって、本来は必要がなかったコストまでがのしかかる。その責任はいったい誰がとるのか? と思いが語られている。

 業者に広がる怒りの声

 悪天候によって作業が中断することは、港湾業なら当然起こりうる。しかし関係者のあいだでは、「18日は荷揚げを中断するほどの風ではなかった」「もし岬之町だったら荷揚げはできていたはずだ」と異口同音に語られている。
 ある業者は、「内海側と日本海側では同じ日でも風の強さはまったく異なる。岬之町が風速20㍍だと人工島周辺では25㍍はあるだろう。さらに海上だからもっと強い風が吹いていると思う」と語った。この日、下関の対岸にある北九州太刀浦(内海側)のコンテナターミナルでは通常の荷役がおこなわれていた。人工島に移転したおかげで下関では荷揚げできなかったのだ。
 さらに人工島にはガントリークレーンが一基もなく、本来ならガントリークレーンの補完設備であるジブクレーンが一基置かれているのみだ。港湾局は「(ガントリーでもジブクレーンでも)遜色ない」といってきたが、一本で吊すジブクレーンの場合、コンテナが風で煽られると危険で、ガントリークレーンとは比較にならないほど不安定といわれている。人工島の強風を前にしてオモチャを与えられているようなもので、役所の人間はどこまで港湾作業をコケにしたら気が済むのだろうか、という思いもうっ積している。そうして関係者たちみなが心配してきたことが現実となり、「だからあれほどいったではないか!」「なるべくしてなった遅れだ」と憤りが広がっている。
 関係者の一人は、「(天候が荒れる)時期が少し遅れただけで、これぐらいの風が吹くことは予定通りのことだ。だから何度もいってきたのだ」と静かに憤りを語った。別の業者は、「“熱いから触るな!”と散散注意したのに、触ってやけどをして泣いている子どものようなものだ。あれだけみんなが駄目だといったのに“大丈夫です”とか“できます”といったのは誰なのか」といった。そして「港の整備には現場の意見が不可欠だが、そこが抜けるからこういうことになる。跡地利用などともかかわって上から指示があるのだろうが、下関市港湾局は国土交通省のものではない。荷揚げできない港となれば荷主も“下関港には揚げるな”となるに違いない。下関港のコンテナを減らしていく愚策ではなく、市民のため、下関港のためになる施策でなければならない。“(人工島が)あるから使わないといけない”では話にならない。いい加減に失敗を認め、下関が発展するような代替案を早急に考えるべきだ。このまま突き進んで失敗する道と、現場の意見を聞いて計画を見直す道と、二つに一つの選択を迫られている」と指摘していた。

 「反知性」ですまぬ愚策

 コンテナターミナルをめぐっては、2014年4月に岬之町コンテナターミナルのガントリークレーンの「老朽化」を理由に使用禁止にし、それから一年間、ガントリークレーンを修理することも更新することもなく、対岸の第一突堤でクローラークレーンによる荷揚げ作業をさせてきた。その間にも港湾局は人工島への移転を業者に迫り、天候を懸念する声や、不便さを訴える声に耳を傾けることなく、1年後の昨年4月に移転を強行した。コンテナ船社を含め各業者は反対したが、最終的に船社に補助金を出すことなどで入港を承諾させ決着をつけている。
 しかし、移転直後から中古かと思うほどジブクレーンの故障が何度も起き、その度に荷揚げする港を変えたり待機させられて、しわ寄せは業者がかぶってきた。即日通関・即日発送を強みにしてきた下関港のコンテナ荷役は、いつのまにか翌日発送体制となり、目にみえるかたちで港湾機能は弱体化している。
 現在人工島に入ってくるコンテナ船社は一社のみ。この船が積んでくるコンテナもずいぶん減っていると語られている。そして中国の青島と下関をつないでいたオリエントフェリーも一二月末で航路廃止となり、コンテナは激減している。かつてなく危機的な状況を迎えているなかで、追い打ちをかけるように使い物にならない人工島に移転させられ、わざわざコンテナ船が接岸できないような港をあてがわれている。これは誰がどう見ても産業破壊であり、早急に岬之町に港湾機能を戻し、ガントリークレーンを復旧させる以外に道はないことを示している。
 下関は本州西端の海上交通の要衝として発展してきた歴史がある。ところが、市長や行政が目先の市街地開発利権にうつつを抜かして、長年築き上げてきた港湾都市の地位を貶めるようなことをやっている。接岸できない人工島を嫌ってコンテナ船が逃げ、仕事がなくなれば港湾産業は干上がってしまう。かかわる業者やその家族、下関全体に与える影響は甚大だ。
 港湾を追い出した岬之町については、超高層のマンション群を建て、都会から富裕層の高齢者たちを移住させる構想が持ち上がっている。ただ、今のところ具体性はなく、誰が事業主体になるかとなると下関の企業家たちはみな及び腰で、そのような事業を手がける資本力がある者など見当たらない。東京など都市部から大手企業が乗り込んできて市街地開発利権をとっていくことが予想されている。その利権を仲介した政治家なり地元企業がもうけるというだけである。
 “地方創生”どころか、首相お膝元では地方壊滅、あるいは自爆ともいえる政策がやられ、下関にとって重要な産業が岐路に立たされている。事態は「反知性が市長をやっているから…」では済まないものとなっている。

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