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懸命な復旧続く豪雨被災地 未だ全容つかめぬほど広範囲に及ぶ被害

30度超す蒸し暑さのなかスコップ担いで動き出す住民

 

家に堆積した土砂を取り除く住民(10日、坂町小屋浦地区)

 西日本を中心に襲った豪雨災害は、広範囲に及ぶ被災地に深刻な爪痕を残した。なかでも犠牲者数が最多となった広島県では、土砂崩れや河川の氾濫による被害は県内全域に及び、災害による死者は57人、行方不明者は少なくとも45人(いずれも10日午後6時現在)で、あわせて100人をこえると見られている。災害現場では、災害発生から3日間が経過(10日現在)するなかでも、安否不明者の捜索が続いており、被害の全容は今も把握できていない。現地を取材した。

 

 広島市の東側に隣接する安芸郡坂町(人口約1万3300人、5800世帯)では、10日現在で4人の死亡が確認されているが、依然7人が安否不明で、全国から集まった消防や警察による捜索が続いている。息子や娘たちが広島市内に出て、実家に残った高齢者が多い町であるため、犠牲者も70、80代が大半を占めている。

 

線路の至る所で土砂崩れが見られるJR呉線(10日、坂町)

 大規模な土砂災害が起きた6日夜半、海岸から緩やかに続く山裾にある坂町坂東地区では、山から海に向かって流れる幅5㍍ほどの総頭川が増水し、上流から大量の土石流が押し寄せて住宅地を飲み込んだ。現地では、上流から下流にかけて山から押し寄せてきた大量の「真砂土」(花崗岩が砕けてできた砂)が、住宅の1階部分が埋まるほど堆積している。堆積した土砂は高さ1㍍をこえ、玄関がすっかり埋まっている住居も少なくない。川が大量の土砂や流木、瓦礫で埋まり、アスファルトが剥がれて陥没した道が川になり、今も山から流れてくる水が激しく流れ出している。川や地面に堆積した大量の土砂を撤去し、生活道を復旧しなければ何も手が付けられないのが現状だ。

 

総頭川には真砂土が橋よりも高く堆積し、水が道路に溢れだしている(10日、坂町坂東地区)

 家の中の土砂をスコップでかき出していた年配の男性は、「6日の夜8時頃、家の1階で寝ていたら妻に起こされ、そのときすでに玄関まで水が来ていた。近所の人に避難を呼びかけられたが、濁流が玄関のガラス戸を破って家の中も浸水し、逃げられず2階に避難して一夜を過ごした。家の前の植木が水の勢いを遮ってくれたので家は流されなかったが危なかった。大雨で山の斜面が崩れ、上流から流れてきた岩や流木が橋に引っかかって流れを堰き止めたので、道路に水が流れ出し、住宅地を飲み込んで下流まで押し流した。ここに住んで50年になるが初めてのことだ」と話した。

 

 この地域ではようやく電気が復旧したが、まだ断水が続いており、「親子3人で家の泥かきをやっている。水は近所の井戸水をバケツで運ぶ毎日だ。いつまで体力が持つかわからないが、地域の人がおにぎりを作ってくれたり、手助けしてくれるので助かっている」と話していた。

 

道には流出した車や瓦礫が散乱している(10日、坂町坂東地区)

 1㍍ほどの高さまで土砂で埋まった美容室では、無事だった近所の親子が雑巾や新聞紙で家の中の泥かきを手伝っていた。店主の年配女性は「水の通り道になった筋では、家を諦めなければいけないほど土砂が溜まっている。災害当日は娘の家にいたので難を逃れたが、昨年リフォームしたばかりの家の有様を見たときは愕然として力が出てこなかった。1人ではどうすることもできず、こうして助けてくれる地域の善意が本当にありがたい」と話した。まだ家の様子を見に来ることができない人も多く、「広島市内からアクセスでき、家の片付けができるだけまだマシだ。車が出入りできない呉方面の地域はまだ何にも手が着いていない」と他地域を心配する人も多くいた。

 

総頭川の上流から流れてきた大量の流木や岩が橋に溜まり、水流を堰き止めた。水の通り道がなくなり道路に溢れた(10日、坂町坂東地区)

陸の孤島になった小屋浦 「老人孤立させぬよう…」

 

 同じ坂町でも、海岸線沿いに呉市に繋がる国道31号線が土砂崩れによって寸断した水尻地区から東側の集落では、国道、高速道路、JRすべての陸路が閉ざされ、土砂搬出の重機、救援人員はおろか物資や給水もままならない「陸の孤島」と化している。

 

 その一つ、坂町小屋浦地区の現状はさらに凄惨を極めていた。大規模に崩落した山側から、2㍍を超える巨大な岩石や大木が集落の原形を留めないほど押し寄せ、押し流された家屋の瓦礫などと一緒に堆積している。上流に行くに従って、道も川も住宅地も判別がつかないほどかき乱され、潰れた家の残骸が土石流の威力をまざまざと感じさせる。地区内では、今も土砂に埋まった家から遺体を運び出す作業が続いている。

 

瓦礫や土砂が町全体に堆積している(10日、坂町小屋浦地区)

 

警察による安否不明者の捜索が続く(10日、坂町小屋浦地区)

 子どもや兄弟と一緒に、流された家の前で作業をしていた50代の男性は、「被災当時、家には70代の両親がいたが、2人とも家と一緒に土砂に埋まっていた。遺体があがるのを家族で待っている」と明かした。家が崩れる可能性があり、手作業による捜索には丸3日間かかっているという。

 

 一緒にいた家族によると、「大雨警報が出ていた金曜日の夜、私たちの住んでいる広島市矢野の方が危ないといわれていたので、小学生の娘と一緒に小屋浦の実家に避難することさえ話し合っていた。7時50分くらいまで母親と電話をしていたが、その直後に実家が鉄砲水のような土石流に襲われた」という。「下流地域にいた人たちは、午後8時ごろに雷のような轟音と地震のような地響きを感じたと語っていた。それが土砂崩れだったのだと思う。我が家は土砂をまともに受け止めたので助からなかった」と話した。2階建ての住居はへし折られ、1階部分は完全に土砂に埋まっている。

 

 広島市内で暮らす息子に母親が電話で助けを求めたが、国道が渋滞してたどり着けなかった悲劇が多くあった。ある家では、母親が息子に電話をしてきた午後8時ごろには膝下くらいだった水がしだいに上がり、午前3時ごろには母親は首まで水に浸かっていることを訴えながら電話を切ったという。その後、その母親も遺体で見つかり、息子は「首まで浸かりながら“助けて”と叫んでいた母を思うとやりきれない。こんなことになることがわかっていたら1人にしなかったのに…」と自分を責めているという。

 

家の中にも押し寄せた土砂(10日、坂町坂東地区)

坂町小屋浦地区(10日)

 男性は、「小屋浦地区だけで少なくとも10人は死者がいるが、統計にはなかなか反映されない。土砂に埋まっていることがわかっていても死体が運び出されなければ死者には数えられず、避難したという噂だけで行方が分からない人もまだいる。陸の孤島になっているが、これまで報道すらされなかった。この現状をぜひ伝えて欲しい」と話した。

 

 この地域でも電気も水道も復旧しておらず、別の地域から水を運んできたり、寝泊まりは親戚などの家でしている人も多い。避難所のふれあいセンターには高齢者が多く、精神的な疲労や、日中30度をこえる暑さの中で体の不調を訴えているが、道路が寸断されているため医者にも行けず、救急車の乗り入れも困難になっている。とくにトイレ、風呂(自衛隊による簡易風呂の提供が始まっている)がなく、上下水道が使えず衛生状態の悪化から感染症などが心配されている。救援物資は、町が船を使って運んでいるという。

 

 車の乗り入れが困難な呉市方面ではガソリンが枯渇し、「緊急車両のみ」とされ、供給されてもレギュラー、ハイオクともにすぐに売り切れるといわれる。自衛隊や行政の給水車も2~6時間も待つほどの長蛇の列になるため、井戸水を分け合ったり、水道の出る地域から運んでくるが、水を運ぶことのできない高齢者世帯の孤立が心配されている。

 

 広島市から呉市方面に入る唯一の陸路は熊野バイパスから焼山に抜けるルートだが、半日を要するほどの大渋滞をきたしており、あとは呉市桟橋から宇品港を繋ぐフェリーに頼るほかない。そのためフェリー乗り場には終日長蛇の列ができており、乗り切れないほどの人人が待機して、食料や水などを運んでいる。

 

 陸路が使えないため、自衛隊の護衛艦による風呂のサービスもおこなわれているが、フェリーの増便、または自衛隊艦を使った輸送など移動手段の不足を補うことが求められる。寸断された国道31号線も警察や自衛隊など緊急車両は通行できるようになっているが、早急に一般にも開放するなど、2次災害を防ぐためにも陸の孤島状態を解消することが待たれている。

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