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広島土砂災害が示す重大な教訓 救える命が救えぬ鈍い対応

 20日未明に広島市北部で発生した豪雨土砂災害は、死者66人、行方不明者21人(市災害対策本部・27日現在)という未曾有の被害を出し、1週間が経過してもなお不明者の捜索が続いている。復旧の見通しどころか、被害の全体像もいまだ把握できておらず、現場の混乱はおさまらない。被災現場では、自衛隊、警察、消防など約3000人体制で捜索活動がおこなわれているが、統治機構が機能不全に陥って陣頭指揮含めた動きが鈍く、救えるかもしれない命が救えないような麻痺した状態が浮き彫りになっている。さらに今回の災害では企業の利潤追求のため広範囲の山林を切り崩して宅地造成を繰り広げ、無謀な都市開発がやられてきたこと、それを税収アップとセットで行政が開発許可を乱発してきた背景も露呈している。津波、地震に限らず災害の危険はいつも国民生活と隣り合わせである。しかし、いざ災害が起こった場合にもっとも助けを必要としている段階で統治側から放置されるという経験が東北の被災地でも広島でもくり返されている。「国民の生命や財産を守る」側の機能崩壊という点において、重要な教訓を突きつけている。
 
 雨が降るたびに中断される作業

 災害発生から7日目を迎えた被災現場では、土石流が堆積した住宅地にようやく自衛隊や警視庁の重機が入り始め、倒壊家屋の解体が始まっている。既に1週間が経過した。多いところでは2㍍をこえる土砂や泥が住宅地を飲み込んでおり、それを撤去しなければ不明者の捜索も進まないが、断続的な雨や二次災害の恐れを理由に数時間ごとに中断と再開をくり返して進展しない。


 土石流による被害がもっとも大きかった安佐南区八木3丁目(死者32人・不明者19人)でも25日から、大型重機4台を使った捜索がはじまった。それまでゼロ更新だった発見者が徐徐に増え始め、25~26日にかけては9人の不明者が新たに見つかった。だが、災害発生からすでに6日が経過しており、生存の望みどころか、遺体の身元特定すら難しいといわれる。


 26日は、陸上自衛隊(800人)、県内広域消防(102人)、島根県、岡山県、山口県、愛媛県から緊急消防援助隊(177人)、市内消防団(147人)、県内外の警察組織(1100人)などが派遣要請を受け、数十人ずつの組織ごとにグループを作って倒壊家屋のまわりをスコップで掘ったり、手作業でガレキをのけたりしながら捜索を続けていた。本職をもちながら実質ボランティアで参加している消防団をはじめ、各消防組織も広域化の中でぎりぎりの人数で通常業務をこなしているため、「さらに捜索が長期化すれば体力的にも限界」といわれている。土砂を撤去しなければ遺体にたどり着くこともできず、本来の救命救急の役割すら発揮できない。


 存在感が薄いのが自衛隊で、「800人というがどこにいるのか?」「本業以外の消防や無償のボランティアが駆けつけているのに、こういう時のために日頃の訓練をし、必要な装備や予算が確保されている自衛隊をなぜもっと増員しないのか?」「海外では道路や橋の補修復旧などをやっているというが、ここの現場でそんな活動をしている様子がない」「しかも雨が降ったら真っ先に退避する」と口口に語られている。現場では、「人命捜索が最優先」であるため、住宅が土砂に埋もれていても、道路が破壊されていても不明者のいない地域は自衛隊も警察も1人も見当たらない。だが、肝心の捜索活動も、雨が降るたびに中断続きで、一縷の望みを抱きながら不明者の発見を固唾をのんで見守る住民を落胆させている。


 土砂に埋まった住宅地では、1日のべ2000人(安佐南区、安佐北区)をこえるボランティアが集まって、全身泥だらけになりながら、個人宅や道路の土砂を集めて土嚢袋に積んでいく作業や、積み重なったガレキの仕分けなどを担っている。首相命令で動員されてきた自衛隊以上に、自らの意志で手弁当で結集したボランティアの方がはるかに活力、機動力があるという現実を見せつけている。


 お年寄り世帯など個別家族だけでは途方に暮れるしかなかった住宅も、手から手へと土砂が取り除かれて1軒ずつ原型をあらわしていく。それでも、水路を塞ぐ大量の土砂や巨大な岩石、倒木などは手作業では太刀打ちできず、道路に山と積まれて溜まる一方の土嚢などは行政が仮置き場を決めて運び出さなければ軽トラすら入れない。26日からやっと市が契約した業者が小型トラックやユンボを投入して、土嚢袋の地区外への搬出を始めた。だが、通路にドミノ倒しのように押し寄せた車などは「個人所有物」扱いとなり、所有者が保険会社と相談して自費で撤去しなければならない。行政による復旧作業は7日たってようやく動き始めた。山の崖崩れは268カ所、倒壊や浸水家屋は360棟、道路・橋梁の破損は530件、河川は274件など膨大な被害カ所についてはほとんど手が付いていない。


 家の駐車場の土砂を家族総出で片付けていた50代の男性は、「自衛隊、消防、警察が3000人近く来ていると聞くが、捜索に来ているだけだから、他のすべてのことは自分たちでするしかない。車を使うにも土砂で動かせないため、ベニヤ板を買ってきて、道を作った。すべて自己負担だが、待っていても進まない。安倍さんが避難所に来て被災者を慰めたりしていたが、そんなことよりも災害復興の具体策を出してほしい」と語った。


 2人の娘を持つ父親は、家の周りが流木や瓦礫に覆われ、家に帰ることができず、現在母親の商店で生活しているという。「土砂なら人手と時間があればなんとかなるが、巨大な岩や木はボランティアの力だけではどうにもならない。いまだに電気もガスも止まったままで、いつ家に帰ることができるのか、まったくメドが立たない。行政が本気で復興させる気なら、もっと人員や重機を派遣しないといけない。90歳になるばあちゃんまでが土嚢運びをしているのが実態だ」といった。


 現地には意欲的に市民や県外からも復旧のためのボランティア志願者が集まってくるが、社会福祉協議会が設置するボランティアセンターを介すると、人数制限がかけられたり、参加者は全員ボランティア保険(保険料300円~690円)への加入が義務づけられたり、自衛隊基準で雨が降るとすぐに中止になるなど規制が多く、せっかく無償で駆けつけた人人のなかでもどかしさが募っている。むしろ、東北被災地などでボランティアを担った人人などが独自にボランティアセンターを立ち上げ、そこで自治会から要望を受けて適時人員を投入する動きも始まっており、「安全規制」で足かせの多い行政管理のボランティアセンターよりはるかに有効に機能し、住民たちの要望に臨機応変に応えているのが実態だ。



 日頃から余裕なく 応援に駆けつけた消防



 災害発生から1週間が経過するなかで次第に明らかになってきた事実は重要な教訓を示している。


 未曾有の被害を招いた原因としてもっとも取りざたされているのは、広島市による避難勧告の遅れだが、災害発生当時、深夜であったことに加えて猛烈な雨と雷でだれも避難できる状況ではなかったこと、市消防への119番通報や救助要請は午前2時ごろからまたたくまに200件をこえていたが、市内八消防の当直体制330人では対応不能だったことなど、現場対応だけではどうにもならなかったことも明らかになっている。


 また、県知事から自衛隊への派遣要請は、災害発生から3時間後の午前六時半。陸上自衛隊が直線距離で15㌔しか離れていない海田市駐屯地を出発したのは7時40分で、第1陣(30人)が現場に到着したのはそれから3時間後の午前10時半を過ぎていた。「朝の渋滞に巻き込まれた」のが遅れた理由で、到着した頃にはすでに7時間が経過して雨もやみ、住民たちが力を合わせて土砂に埋もれた人人を助け出した後だった。「駆けつけ警護」や「集団的自衛権」が叫ばれ、首相が「国防軍」に昇格させようとしている自衛隊だが、1分1秒を争う足下の災害で「邦人の命」に対しては迅速ではなかった。雨が降れば「二次災害がある」といっていっせいに引き上げ、安全地帯から眺めている姿も住民たちを唖然とさせた。危険だから人命救出が必要なのに、10分程度の通り雨を理由に3~4時間待機するといった案配で、貴重な「72時間」はあっという間に経過してしまった。


 広島県警が発表する行方不明者数もあいまいで、災害発生から1日たった21日の夜まで不明者数は7人と発表。30時間たった時点から不明者の数は、43人(21日午後7時)、51人(同日午後11時)と一気に膨らんだ。警察への直接通報のみをカウントし、200をこえた市消防への通報や避難所などで「姿が見当たらない」という住民の情報についてはカウントから外していたのが理由だった。住民基本台帳や住基ネットなど個人情報の一括管理は進んだが、土砂災害という緊急事態でまったく現状を把握できないことも露呈した。


 各地の消防などに国から派遣要請がかかったのも災害発生から24時間たった21日で、本来の任務である救命作業よりも土掘り作業で隊員たちは消耗した。民間の災害救助団体として現地を訪れた男性は、「災害発生から72時間が限界というのは、地震などで壊れた建物の密閉空間に閉じ込められた場合の話で、今回のような土砂災害では圧迫され、酸素もない。即死の場合が多く、生きていても数分、数時間が勝負。1日たってしまえばあとは遺体捜索にしかならない」と初動体制の遅れを指摘していた。

 行政も開発許可 無謀な宅地造成の犯罪

 さらに根本的な問題として、災害の危険性を知りながら行政が進めてきた都市開発のデタラメさも浮き彫りになっている。中国山地を抱える広島県は、崩落などの恐れがある「土砂災害危険箇所」が全国最多で、その数は3万2000カ所をこえるといわれる。99年に県内南西部を中心に31人の死者を出した「6・29豪雨災害」をへて土砂災害防止法が定められ、県は危険箇所を「土砂災害警戒区域」に順次指定してきたが、指定されたのは全体の約3分の1。しかも、たとえ指定されても山の斜面の補強工事がされない場所も多く、今回の被災地域は指定すらされていなかった。これには地元の同意が必要であるため、商業マスコミは「同意しなかった地元の責任もある」と自己責任論を煽っている。しかし問題は、それ以上に監督義務のある行政の規制がまともに働いていなかった点にある。


 広島市は政令市の指定(1989年)を目指して、70年代から急速な宅地開発をおこない、山の多い安佐南区、安佐北区は広島市のベッドタウンとして人口が急増した。山を切り崩して大規模な宅地造成を進めたが、その多くが花崗岩が風化した「真砂土」と呼ばれる雨に対して脆弱な地質であること、山頂から尾根を下る渓流から広がった扇状地では土砂崩れが起きやすいことなどは早くから指摘されていた。


 市内の林業関係者は、「林業が衰退し、所有者も高齢化してもてあましている山に目をつけて不動産業者が低価格で買い取り、宅地に造成して分譲して売り出す。危険なことは不動産業者も全部わかっているはずだが、売るためにはそんなことは隠す。しかも、不動産会社からすれば開発可能な山裾部分しかいらないので、切り立った山頂は個人所有のまま放置されて間伐も手入れもされない。その結果、地面に日光が届かず、下草も生えないのでどんどん地力が弱っていく。造成の許可を出す側の行政(広島市)も、無価値だった山が不動産になり、地価が上がり、固定資産税が入るのでうま味がある。そうやって規制もなく、どんどん山際に家を建てていった結果ではないか」と指摘する。


 「同じ地区でも山林と宅地では地価、固定資産税はその額に二桁以上の差がある。県が警戒区域の指定に及び腰なのも、宅地に使えないとなれば周辺も含めて地価が下がり、それによって税収も減るという行政側の思惑も影響しているのではないか」と語られている。「そこに住んでいた者の責任」よりも「もうかりさえすればよい」で危険を知りながら売りさばいた業者、許可を乱発してきた行政の問題こそ問わなければならない。


 八木地区の男性は、「テレビの影響だろうが、最近になって“あんなところに住んでいたのが悪い。自業自得だ”といってくる人もいる。専門家が今になって“真砂土だから崩れて当然だ”“見たらすぐわかる”とかいっているが、自分たちが入居してくる当時はまったく明らかにされず安全といっておいて、危険区域を知らせる回覧も回ってきたのはここ2、3年の話だ。それも一時的な話で、災害に備えた長靴も無いほど危険区域という認識は薄かった」と話した。

 「八木蛇落地悪谷」 名称変化した八木地区

 可部地区で被災した家屋の土砂を取りのぞいていた女性は、「自家用車3台が流されたが、保険は対人、対物事故に限られるので対象外だ。まわりの家は沢沿いの法面が崩れ、家ごと流されたり、法面にひびが入って住めないような家も多い。ローンを組んで1、2年という家などこの先どうしていくのかと話になっている」と語った。


 また、「私は二十数年住んでいるが、不動産会社の説明では“ここは安全です。向こう側の山は土が柔らかいが、この山は昔城があったから頑丈だ”という話だった。でも4、5年前に資料が回ってきて、“警戒区域に指定された”とあり、“レッドゾーンだ”ということもその後いわれるようになった。家を売っておきながら後から“危険です”といわれてもどうしようもない」と思いを語った。


 そして山裾の上流から下流へ向けて開発が進められ、警戒区域に指定後も土砂災害の対策などはなにもされておらず、住民が何度陳情に行っても県には要望が聞き入れられなかったことを語った。災害後、死亡者を多く出した八木地区は昔、八木蛇落地悪谷(やぎじゃらくちあしだに)と呼ばれ、山から蛇が落ちてくるほど水害が多かったことから先人たちが危険な地域として見なしていたことも明らかになっている。不動産価値を上げるために地名が変えられ、現在に生きる住民たちに土地の記憶が引き継がれていなかったことも浮き彫りになった。


 災害から1週間をへても現場はいまだ復旧の見通しも示されないままである。2000人をこえる避難住民の疲労はピークを迎え、現役世代も職場復帰さえままならない状況に追いやられている。長引けば長引くほど、東北被災地と同様に復旧を諦めて他地域に移住するなど地域離散になりかねない。災害対応の立て直しとともに、国による責任ある対処が待ったなしとなっている。「米艦に乗っている邦人」以上に、現実に危険にさらされた邦人の命や生活を守ることが先である。それよりもゴルフがしたくて仕方がないという脳天気が最高責任者をやり、行政的機能といえば自衛隊を筆頭に指揮がバラバラで重要局面において烏合の衆と化し、その後は組織防衛ばかりに追われている姿は「悲劇」で済まされるものではない。災害は日本列島のどこで起きてもおかしくない。そのさい、東北の被災地だけでなく、国民は見捨てられるようないい加減な国になり果てている現実を突きつけている。

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