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福島から問う原発汚染水の海洋放出と真の復興――アジア太平洋とつなぐ ふくしま環境フォーラムより(1)

 福島大学(福島市)で8日、「アジア太平洋とつなぐ ふくしま環境フォーラム」が開催された。ふくしま環境フォーラム実行委員会が主催し、NPO法人アジア太平洋資料センター(PARC)が共催した。東日本大震災から12年が経過するなか、日本政府は福島第一原発の敷地に貯まるALPS処理水を海洋放出する方針を決め、今年にも実施する構えを見せている。福島県の浜通りの漁業者をはじめとする多くの県民が反対の声を上げているなか、政府はさらに原発の再稼働まで進めようとしている。こうしたなか、同フォーラムでは、原発事故発生から現在に至るまで、放射能問題と向き合いながら生活してきた福島県の漁業者や住民みずからの経験や思いを全国に発信し、二度と同じ悲劇をくり返さないための訴えがあいついだ。また、研究者からは海洋放出を止めるために、どうすれば増え続ける汚染水を減らせるのか、奮闘する漁業現場のとりくみや人々が海とともに紡いできた営みなど、さまざまな立場から問題提起をおこなった。海外から見た福島原発問題についての発言もあり、福島の教訓を広く発信、共有する場となった。以下、各氏の発言内容を紹介する。

 

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 開会にあたり、同フォーラムの共同代表である菅野正寿氏は、以下のように挨拶した。

 

 今福島は桜や菜の花、桃などの花々が咲き乱れ、春爛漫の季節となった。12年前、桜の咲く4月は、原発事故からの避難ができる・できない、種を蒔く・蒔けない、野菜を食べる・食べない、など混乱と葛藤、不安の渦の中にあった。うちの隣の家のおばあちゃんと孫の炊飯器は別々になり、食卓も分断された。子どもたちは「マスクをしなさい」「土に触るな」「外に出るな」といわれ、お母さんたちは放射能から子どもを守るために必死で、見えない放射能に怯える日々だった。「ただちに健康に害はない」というフレーズは、今でも続いている。

 

 福島県で津波によって亡くなった人々は1650人あまりだが、避難をくり返すなかで亡くなった人、みずから命を絶った人など、原発災害関連死は2400人近くになっている。私たちの仲間である有機農家や酪農家、いちご農家など多くの農家がみずから命を絶っている。「汚染水はアンダーコントロールされている」といって強行した東京オリンピックは、皮肉にもお金に汚染されたオリンピックになっていたように、国民を欺くとどうなるかを証明している。

 

 福島県の阿武隈山地では、いまだに山菜・タケノコの出荷停止が続いている。原木椎茸農家はほぼ全滅した。「この美しい里山を汚染したまま、今度は海までも汚染するのか」「故郷に戻ることができない県民を置き去りにして原発再稼働を許していいのか」というのが県民の声ではないだろうか。

 

 放射能に汚染され、バラバラにされた福島県だからこそ、地域コミュニティを大事にした環境宣言と、再生可能エネルギーの大地と海を次代の子どもたちに繋ぐことが私たち大人の責任ではないだろうか。「汚染土壌も汚染水も、未来の僕たちにツケを回すのですか?」という子どもたちの声が聞こえてくる。子どもたちに何を繋いでいくのか、大切な選択の場に県民が参加できる仕組みをつくっていくために、今日はみなさんと話し合いたい。

 

 また、共催したPARCの田中滋事務局長も挨拶に立ち、「私たちは東京に事務所を置き、今年の秋に50周年を迎える。世界の活動家や日本のいろいろな社会運動を繋げていくために雑誌を出したり情報を発信する活動をしてきた。だが私たちの活動では福島原発事故を止めることができなかった。そのことで、私は福島のみなさんに申し訳ない気持ちでいっぱいだ」とのべた。そんななか温かく迎え入れてくれた福島の人々に感謝をのべ、協力できるせめてもの活動として今回、海外では処理水の放出がどのように受け止められているのかについて、福島の人々に知ってもらう機会をもうけたという。最後に、「私たちの活動のなかでは、市民一人一人が調査し、その情報に基づいて政府や企業とたたかっていくことを国内外で繋げている。東電が用意した環境影響評価や、それをよしとするIAEAやいわゆる専門家などといった人たちではなく、どんな専門家よりも長くこの福島に住み、この12年間、24時間放射能が身近なところにある環境下で向き合い続けてきた方々の意見こそがもっとも重要だ。今回のフォーラムは全国、全世界にオンラインで配信している。福島の人々から学ばせてもらいたい。そして、福島の人々にも、海外でどのように受け止められているかを知ってもらいたい」と訴えた。

 

双葉町の海岸から見える福島第一原発(2021年3月)

◆基調報告


原発事故から12年 福島の現状と課題


 ふくしま復興共同センター代表 斎藤富春      

 

 原発事故の避難・関連死・帰還の状況について説明する。避難状況は、昨年12月の福島県発表によると、2万7789人だ。12年経ってもこの数字だが、私たちは、原発事故前と今を比較すると、約8万人が故郷に戻れていないと見ている。関連死も2335人となり増え続けている。帰還状況は、今年1月に県が発表したものを見ると、避難指示区域12市町村の居住率は30%にとどまっている。これは、必ずしも前に住んでいた人が戻ったわけではなく、現地の作業員などが新しく住民票をとったケースなども含めた数字だ。

 

 国や県は、避難者の正確な数や生活実態をつかもうとしていない。毎月の被害状況速報も、昨年度から3カ月ごとになった。また、毎年避難者に対しておこなっていたアンケートで「戻らない」と答えた人や、住所不明者など(2022年約6600人)は、避難者としてカウントしない方向で動いているようだ。

 

 国や東電は、「どのような状況を“廃炉”というのか」について、私たちにきちんと示していない。だが、日本原子力学会の資料(2020年7月)によると、廃棄物を除去し、敷地を更地にして再利用できるようになるまでに最短でも100年以上かかるとされている。

 

 また、2021年に原子力規制委員会が発表した資料によると、1~3号機にある格納容器の上ぶたの汚染状況が深刻化している。1~3号機全体の汚染状況は、7京ベクレルという天文学的な数字になっている【図1】。

 

 「廃炉」とは、簡単にいうと格納容器の底に溶け落ちた核燃料(デブリ)をとり除くことだ。そしてこれと同等に深刻な汚染が格納容器の上ぶたにもあり、規制委員会の言葉を借りると「デブリが上にもあるようなもの」という状態だ。この問題をめぐっては、21年5月に国会で規制委員長が「廃炉計画に影響を及ぼす」と答弁している。国や東電は、廃炉に30~40年かかるといっているが、そんな時間では収まらない。

 

 国や東電は、昨年末から海洋放出に向けてテレビCMや新聞広告で、「安全コマーシャル」をくり返している。また、中間貯蔵施設と第一原発の見学会を積極的に組織しており、私も昨年11月に参加してみた。現地では、汚染土を15㍍の高さまで積み上げてそれを汚染されていない土で覆い、さらに芝生を植えるための施設の整備が進められていた。今このような貯蔵施設を、東京ドームの314倍もの面積を使って整備している。

 

 汚染水の海洋放出は、沖合1㌔まで海底トンネルを掘ってそこから放出する計画だ【図2】。国や東電は福島県知事の了解を得ないと海底トンネルをつくれないが、福島県の内堀知事は昨年8月に許可した。汚染水問題をめぐっては、岸田政権と福島県政は一体となって進めようとしている。

 

 国は、「関係者の理解なしにいかなる処分もおこなわない」といっておきながら、海洋放出を決定し強引に進めている。内堀知事は海底トンネルについて、「事前了解は設備の技術的な安全面などを確認する手続きであり、海洋放出を認めたわけではない」とコメント。国に対して「丁寧な説明と風評対策」を求めるが、みずからの態度を表明しておらず、事実上容認の姿勢だ。

 

 こうした状況のなか、昨年10月の県知事選には独自候補を立て、海洋放出問題を最大争点にして選挙戦をたたかった。結果は負けたが、4年前の知事選と比較すると、2倍の得票率を獲得できた。海洋放出の対案として「広域遮水壁」と「水抜き」を合わせた対策を掲げ、広く訴えた。

 

 国と東電による処理水放出計画は破綻している。国は、海洋放出にかかる時間を54・8年としている。この時間はトリチウムの濃度と汚染水の発生量によって決まるため、地下水を抑制できなかった場合は64・4年を要する。また、昨年3月に地震が発生したさいには、3号機で50万ベクレル/㍑を記録した。この数値でいくと、海洋放出には214・9年を要する。

 

 2月には、海洋放出をめぐる政府アンケートの結果が公表された。これによると、賛成46%、反対23・8%、わからない30・2%と賛成が多かった。だが、16の地方紙がおこなったアンケートでは、賛否は拮抗している。「賛成」と「やむを得ない」が45・2%、「反対」と「できればやめてほしい」が48・4%だった。こうしたことから、「賛成」のなかにはやむを得ないと考えている人がかなりいることがわかる。

 

 また、今年3月の全国世論調査では、「賛成」26%、「反対」21%に対し、「分からない」が53%となり、昨年の32%から大幅に増えていた。国の説明は不十分だ。海洋放出が迫るなかで、国民が改めて考え直しているのではないか。全国的な海洋放出阻止の世論を高めていきたい。

 

 今、福島の復興は「イノベーションコースト構想」一色だ。これは大企業を呼び込み、大軍拡型の復興だ。ロボット、農林水産、エネルギー、放射線、原子力災害という5つの分野で新たな産業基盤を築く国家プロジェクトとなっている。「ガラガラポンで新しい浜通りをつくる」というような計画だ。この計画には2023~2030年度で約1兆6000億円がつぎ込まれる。そしてすでに復興を隠れ蓑にした軍事開発も進められており、南相馬のロボットテストフィールドでは、車両の遠隔操縦実験や、高機動パワードスーツ(強化服)の実験もおこなわれている。そして今年1月には、みなさんが納めている復興税の一部を防衛費に転用することが閣議決定された。こうした大きな枠組みのなかで福島の“復興”が進められようとしている。

 

 震災直後の2011年8月には「福島県復興ビジョン」が示され、当時は県民に寄り添い、励ますビジョンとして受け止められた。「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」という基本理念にもとづき、主要事業として
 ▼日本一安心して子どもを産み、育てやすい環境の整備
 ▼全国に誇れるような健康長寿県
 ▼再生可能エネルギーの飛躍的推進による新たな社会づくり
 などが示された。その結果、18歳以下の子どもの医療費無料化(2012年)や、県内原発10基廃炉決定(2019年)は実現した。ただ、再生可能エネルギーに関しても、中央資本による大規模な計画が次々に浮上し、お金も電気も地元に落ちないという開発のあり方になってしまっている。

 

 このように、現在は当初の復興ビジョンから見ると、非常に歪んだ状態になっている。そのため、昨年7月に「県民版復興ビジョン起草委員会」が立ち上がり、新たなビジョンが提案された。代表を務めるのは福島大学の鈴木浩名誉教授で、元の福島県復興ビジョン検討委員会の座長を務めていた人だ。元のビジョンを作った本人が「歪んでいる」という現状認識を持っている。改めて県民版の復興ビジョンに基づいた復興を進めていきたい。

 

◆現場からの報告


 清き海いつまでも――海とヒトとのかかわり――


新地町漁師・前日本民俗学会会長 川島秀一   

 

 私は東北大学の教授を退職し、5年前から漁師の手伝いをしている。大学では長らく日本民俗学を専門にしてきた。今日は福島第一原発をめぐるALPS処理水の海洋放出がテーマなので、民俗学の立場から海とヒトとの関わりについて話したい。

 

 参考までに、海ではないが「森の民」について読んでもらいたい文章を紹介する。おもにアフリカを中心に調査をおこなったイギリスの文化人類学者が、「ムブティ」という狩猟民と一緒に暮らしながら、3年ほどかけて作り上げた民族誌から。農耕民とムブティとの対立について、以下のように記されている。

 

 ――この異文化間の衝突のプロセスは、農耕民にとっては経済的価値に限られていたのに対して、ムブティにとっては精神生活にかかわるものだった。つまりムブティは森を神聖なものと考え、自分たちの存在自体を支えるもの、すべての「よきもの」の源泉と見なしていた。ムブティが農耕民の森への侵入を阻止しようとしたのは、たんに狩猟採集生活を維持するためでなく、自分たちの尊厳を守るためだったのである。ムブティは「森」についての豊穣なシンボリズムを持っており、「森」こそが至上の価値であることを子どもたちの胸に刻み込む――

 

 この文章について、農耕民を国と東電、ムブティを福島浜通りの漁業者として置き換えて考えてみてほしい。

 

 ALPS処理水海洋放出の議論のなかで、漁師は感情的に反対しているというような言説で捉えられているが、「感情的」という言葉の背景をまったく探ろうとも分かろうともしない。むしろ「感情的」というレッテルを張ることで、判断を中止してしまうのはマズいことだ。なぜ、反対しているのかをもっと広く、深く考えていかなければならない。

 

 私の専門は、日本全国の漁業民俗だ。全国の漁村を回って、漁師から昔の漁業のことを聞き書き調査してきた。私の調査現場では、夕方になると漁業をリタイヤした人たちが波止場や漁港、漁協などに三々五々集まってきて、ずっと海を眺めたり、使い古したソファやイスに座りながら会話をしている。こうした光景が、私にとっては海と人間の関わりを考える原点でもある。そして今でも、三陸沿岸を除けば、同じような光景を目にすることができる。

 

人々の暮らしと海を遮断し延々と続く巨大防潮堤(2121年2月、宮城県石巻市)

 三陸沿岸には「スーパー防潮堤」が建っている。私は宮城県気仙沼市出身だが、気仙沼市では住民から「海が見えないのはマズい」という声があり、防潮堤には小さな窓が付けられた。だがこれは本当の意味で海を眺めるということの意味がよく分かっていない。都会の人たちが単に海が美しいと騒ぐような感覚ではなく、そこにいて潮風の匂いを嗅いだり、海から反射する光を浴びたりするなかに、自分たちの生きがいのようなものを感じる――。こうした感覚をまったく理解していない。海洋放出の問題とも共通することだが、結局、シンボリズムを認識するセンスがない、想像力がない、海と人間がどう関わってきたかということに関してまったく無知であるということだ。防潮堤をつくって海と陸を分断しようとしても、人間がもともと持っている感性や生活感覚のようなものは断ち切ることができない。とくに海のそばに住む人々にとっては、その部分を大事にしなければすべてが始まらないと思う。

 

 「海」とは過去の津波や海難事故によって多くの死者が眠っている場所でもある。今でも福島県新地町では、送り盆のときに過去の海難者供養をしたり、代々の海難者を供養する「流船供養」の碑も建てられている。東日本大震災で亡くなった人を弔うときも、必ず海に行って手を合わせる。「死者が眠る海」であるということを忘れてはならない。

 

 海に汚染水を流すということはどういうことか。過去に典型的な反対運動がおこなわれた長崎県壱岐の勝本浦の例を紹介する。1973年、勝本小学校が校舎を新築し、水洗便所を設置した。当初の計画では、下水は勝本湾に流すことになっていたが、漁協の組織をあげた猛反対により、1000万円かけて漁家のいない他の湾へ下水を流すことになった。反対理由は、たとえ汚水処理をしていても、糞尿の混じった水を海に流されたのでは海水が汚れて、「船霊さま」のお清めができないからということだった。

 

 福島の汚染水問題とも同じ反対理由だと思う。福島県新地町でも、出初めの日や、船下ろしの日には、海水を汲んで船にかける「お清め」をする。また、海というのは潔斎(けっさい)や禊(みそぎ)をする場所でもあり、全国各地に禊の浜があえてつくられている。新地町でも子どもが産まれると、その子が産まれた日の翌朝に父親が裸になって禊をする儀式がある。それだけ海は清らかなものでなければならないという考え方が日本中にある。

 

 今、福島の浜通りでは「浜下り」神事の一斉調査をおこなっており、私も調査員をしている。現在おこなわれなくなったものも含めると、100以上もの浜通りの神社が浜に下りて神事をおこなってきた。神社のなかには、海から到来したと伝承され、「原点」として海に縁起を持つものが多くあるため、こうした神事が根付いている。

 

 東電は補償金の問題に持ち込もうとしている。机上の計算で補償額を算出し、売れなくなった魚を買い取って冷凍保存するというような案も出してきている。これを聞いて漁師はどう思うだろうか。かえって反感を煽るのではないか。

 

 これはある例だが、カツオ船では、釣ったカツオが船の機械の隙間などに入り込んでそのままにしておくのを嫌う。不漁のときには全乗組員で探し、見つけたカツオは包丁で切ったり、手でちぎって海へ投げるという。神様からいただいた魚は、必ず人間が食べたり調理した形を見せなければならないからだそうだ。また、高知県には「あます」という言葉が伝わっている。これは神事に係わった物を捨てるときに使う言葉だが、魚を海に捨てるときにもこの「あます」という言葉を使う。このことからわかるように、「人間の口に入らない魚を獲る」ということは非常に漁師のプライドを傷つける。必ず調理をしてもらいたい、食べてもらいたいというのが漁師の思いだ。

 

 水俣病では、汚染された魚をミンチにしてドラム缶何千本分という埋め立ての材料にされた。第五福竜丸事件の後には、風評被害で「原爆マグロ」というレッテルを張られてしまい、漁師みずから黒潮の通る千葉県犬吠埼沖まで捨てに行った。沈んでいくマグロを見ながら、漁師たちは「息子を捨てるようなものだ」と悲しみ、供養するためエサのサンマを2箱撒いて合掌したという。

 

 魚とは、漁師にとって単なる「資源」ではない。今は資源という言葉がよく使われるが、わが身を切られるような思いが今でも伝わっている。海や魚に対する漁師の思いを一つも考えず、魚を資源とだけ見て補償金さえ払えばいいというのは、非常に貧しい発想だ。

 

漁業復興に全力でとりくむ


   アオサノリ漁師・遠藤友幸氏のメッセージ

 

 相馬市でアオサノリ漁をしている遠藤友幸氏は、現場からの報告をおこなう予定だったが、漁が繁忙期を迎え参加が叶わず、メッセージを寄せた。また、福島大学の林薫平准教授が生産現場から復興を目指す現地のとりくみを紹介した。

 

 遠藤氏が漁をしている相馬市松川浦では、アオサノリ養殖を再開したのは震災から7年が経過した2018年だった。養殖設備や収穫後にアオサノリを乾燥させる乾燥小屋などを再建するのに非常に多くの労力を要したという。今、ようやく回復の半ばにさしかかった状況だ。林准教授は「遠藤氏はよく、保障を受けながら漁をすることのもどかしさを口にする」と語った。保障を受ける分生産量を抑制しなければならない状況を打ち破り、思い切り漁がしたいという思いがあり、そのためにも松川浦の環境回復に力を入れてきた。アオサノリの幅広い商品化にもとりくんでおり、粉末にしたアオサノリを麺に混ぜ込んだ「あおさ香る力めん」を福島大学と共同開発して販売し、好評を博しているという。

 

 そんな矢先に、福島第一原発のALPS処理水海洋放出問題が浮上した。「漁業に再び影響が出たら保障します」というスタンスは、遠藤氏にとって、「これまでのもどかしい思いをまたくり返さなければならないのか」との不安を煽るものだ。

 

 遠藤氏はメッセージで「地元の人がまったく理解・納得していないなか、政府と東電がALPS処理水の海洋放出開始に踏み切るのであれば、大変なことになる」と危惧する。また、今後のアオサノリ漁では「アオサ商品をもっとがんばって作っていく。引き続き松川浦を一緒に守っていくような連帯をお願いしたい」と訴えた。

 

暮らしを取り戻すために――復興のありかたを問う――


 「生業訴訟」原告団事務局長 服部浩幸     

 

 私は二本松市東部の山間部で小さなスーパーマーケットを経営している。震災当時も同じ商売をしていた。店の半径5㌔圏内にはうち以外に食料品を扱う店がないため、うちが店を閉めると地域の人たちは食べ物がなくなってしまう。震災直後は物流が止まり、燃料がなく、満足に商品が揃うようになったのは5月頃だった。死にものぐるいで働いていた当時の私は、原発や放射能に関する知識は疎い状態で生活していた。

 

 転機になったのは震災から2年後の2013年5月だった。二本松市がチェルノブイリ事故を経験したウクライナに視察団を派遣することになり、縁あって私もそのメンバーとなった。約1週間の視察でさまざまなものを目にし、原発事故に対する考え方や、日本ひいては福島の将来のあり方に大きな危機感を抱いた。だが、「福島の人間が声を上げなければ、生き埋めにされてしまう」と思いつつ、何か行動したいが何をすれば良いか分からなかった。そのときに出会ったのが「生業訴訟」だった。

 

 生業訴訟とは、2013年に福島地裁に提訴した民事裁判だ。被告は国と東京電力で、原発事故の責任をとくに国に認めさせ、きちんとした謝罪と完全な賠償をさせること。そのうえで法整備をおこない、事故にあった福島の人々が安心して生活できる環境を整えること。このような悲惨な事故が二度と起きないように、原発をなくしていこうという裁判だ。

 

 当初の原告団は800人だったが、最大で3860人あまりの大きな原告団となった。活動のなかでたくさんの原告の皆さんと接し、これまで知らなかった被害や苦しみを知るとともに、その痛みを我がことのように感じてきた。

 

 避難指示区域に住んでいた人たちは故郷を追われ、先祖代々の土地とも切り離され、地域の人同士が離ればなれになった。そして転居先で「賠償金をもらったんだろう」などと白い目で見られて近所づきあいを控えて肩身の狭い生活を強いられている。

 

 他にも、避難解除になり故郷へ戻ってはみたが、商業施設や医療機関など十分な生活環境が整っていないため、若い人は離れていく。結局高齢者だけが残って点在しており、不便で不安なままの生活をよぎなくされていることも知った。

 

 また、いわゆる「自主避難」を選んだ人は満足な賠償もないまま、唯一の救いだった住宅の提供も早々に打ち切られた。家族が離ればなれになる「母子避難」も多く、故郷に戻りたくても戻れず、最悪の場合そのまま離婚というケースもある。12年経ったが、経済的にも精神的にも辛い状況で子育てをしている方がたくさんいる。

 

 私のように避難をせず留まった人もたくさんいるが、みずから好んで留まった人ばかりではなく、家庭や仕事の状況から現実的に避難をすることなど考えられず、やむを得ず留まった人もたくさんいる。そして今も将来の健康不安を心に抱え「このまま住み続けていいのだろうか」と自問自答しながら、それでもがんばって前を向いて生活している。

 

 これらの苦しみの根底にあるのは、何の罪もない人々が原発事故で一瞬にして放射能の被害を受け、今までの幸せな生活を、人生を奪われるというこの理不尽さだ。この理不尽な状態は、原発事故に始まったことではなく、ずいぶん前からこの国でくり返されてきた。水俣病やイタイイタイ病などの公害もそうだ。企業の利益を守るために、国は被害の存在に気づいていながらいい加減な対策しかせずに放置し、住民に重大な健康被害をもたらしてきた。そして今でも被害が認められずに健康被害に苦しんでいる人が各地にたくさんいる。沖縄をはじめとする米軍基地の問題も同じだ。どれほど罪のない人たちが被害を受け、何の手立てもなく泣き寝入りしてきたことか。

 

 こうした経験は、今回の原発事故とも通じている。そしてさらに追い打ちをかけるのが、汚染水海洋放出だ。これほどまでに苦しい思いをしている立地地域住民にさらなる苦しみを押しつけようとしている。海洋放出とは、国や東電にとって都合の良い、単なる「汚染水処理の解決策」であり、受け入れることは到底できない。

 

 「海は誰のものなのか」ということを改めて考え直してほしい。海は世界中境目なく繋がっているのに、国や東電は福島県という小さな地域の、漁協というさらに限られた人を相手に交渉し、海洋放出を進めようとしている。県民、国民、さらには世界中の地域や国々を巻き込んだ議論をして解決策を考えながら対応することが当然の筋道だ。

 

 今回の極めて限定的な議論による拙速な海洋放出は、決してあってはならない。だが、残念ながら海洋放出に対する全国的な関心は低いと感じている。地元の当事者である福島県民が声を上げなければこのまま見過ごされ、地域やこの国の未来、ひいては地球環境にまで将来的に禍根を残すことになる。

 

 今回のような意見交換の機会があることは非常に心強い。地元住民がもう一歩踏み込んでアクションを起こすきっかけになり、国民が海洋放出に関心を持つ機会になってほしい。当事者が諦めずに声を上げて行動していこう。

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