いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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東北被災地巡る記者座談会 復興させる能力ない国の有様

 東日本大震災から1年7カ月以上が経過し、被災地はもうじき2度目の冬を迎えようとしている。本紙は震災後、東北の被災地である福島、宮城、岩手に出向いて現地取材にあたってきた。今回、第10波の取材をつうじてつかんだ現地の状況とあわせて、復興をめぐってなにが問題となっているのか、敵と人民の関係でどのような矛盾があらわれ、なにとたたかっていけば打開の展望があるのか、全国的な共通問題とも重ねて、記者座談会を持って論議した。
 
 ゼネコンや商社だけ復興特需

 司会 まず被災地の実情から出してもらいたい。
  今回の取材では岩手県から下りながら宮城県の沿岸を回った。どこでも市街地の瓦礫はかなり撤去され、構造物も解体されて更地化が進んでいた。しかしその後がなにも進まず、広大な土地に草が生い茂って荒れていたり、日中でも閑散としているところが多かった。夜になると電灯もなにもないので、漁業者などは市場に出荷するのにも困っていた。地盤沈下しているし、足下が見えないと恐いのだと。
 浜では船や生産設備、養殖施設なども整いはじめ、復旧がだいぶ進んでいた。「農林水産省の補助金も陸側に比べたら手厚くて、船でも1割自己負担すれば確保できた」という。それに比べて、陸側の復興が手続きその他でもたついて、明らかに遅れていると指摘されていた。主に都市計画や浸水地の利用方法がはっきり打ち出されないことがネックになっていた。住宅を再建しようにも手が付けられず、「待った」がかかっている。
 仮設住宅に暮らしている人の数だけ見ても、岩手県は4万人、宮城県は12万人、福島県は10万人といわれている。全国の親戚や知人宅に身を寄せたりしている人人も含めたら、30万人近くが避難生活をよぎなくされている。仮設入居の条件は2年間だったが、あと数カ月で新居のメドがつくような被災者はほとんどいない。「このままだと五年くらい仮設生活かもしれない…」と肩を落としている住民も多かった。住宅再建のメドがなにもないからだ。
 行政から業務委託されたコンサルタント会社が、浸水地の買いとり価格をはじき出して説明会も持っていたが、震災前よりひどく安価なもので、「かりに高台移転で住宅地が整備されたとしても、移住する際の土地代にもならない」といわれていた。新たなローンを組んで住居を構えようと思っても負担はバカにならない。
 岩手県の田老地区では60世帯が出ていったといわれていた。人口流出も深刻だ。蓄えがある者や公務員、会社員などの現役世代ほど「待ちきれない」といって、次の住み家を確保して出ていく。震災前に売れ残っていた高台の開発団地が飛ぶように売れて、しかも地価が高騰していた。ただ、そうやって抜け出せる人はごく少数だ。置き去りにされそうなのが高齢者で、年金暮らしの人間には銀行が融資しないから新居は絶望的。最終的に山側の復興公営住宅に集団で押し込められるのではないかと危惧されていた。
 「終の棲家は姥捨て山だ」と80代の爺ちゃんが候補地の山を指差して悔しそうに話していたのが印象的だった。中心地から離れ、完成したとして買い物やコミュニティなどどうなるのか心配せざるを得ない。しかも現状では造成工事すら始まっていないし、5年も6年も待たせたら高齢者は仮設で最期を迎えることになってしまう。「時間がたてばたつほど気持ちが負けてしまう」といわれ、復興がなにも進まないことへの苛立ちが語られていた。

 被災自治体の状態深刻 圧倒的に職員不足

  被災した自治体が置かれている状態も深刻で、一つには圧倒的に職員数が足りないことがある。職員が津波で亡くなって技術者がいないとか、前代未聞の被害だけに従来規模の職員数では対応が間に合わない。復興補助金の書類対応だけでも忙殺され、都市計画作成についてもさまざまな権利関係の整理など、少少ではない実務がある。リアス式で平地が少ないのに高台移転というから、走り回って造成できそうな山を調査するけれど、なにか文化的な埋設物が出てきたりするとダメになり、次の候補地を求めてはまたダメになり、という繰り返し。その間に、住宅メーカーが市価よりも高値で山を買い占めて、住宅開発を始めたりしている。
 震災後、東北の首長たちが全国市長会などに助けを求め、津津浦浦の基礎自治体から応援職員が駆けつけた。国や官僚機構の対応がもたついているなかで、動きが速かったのは地方自治の現場に精通した基礎自治体だった。被災自治体にとって、これがどれだけ心強かったかが語られ、すごく感謝されていた。住民との接点に立っている自治体の役割とか、その暮らしを支えていく公僕精神の大切さが改めて語られていた。
 復興についていえば、行政面から見ても「まだ復興のスタートラインに立ったくらいの状態」「復興の“ふ”の字段階」という認識で、困難な状況がある。住宅再建、産業再生、地域のコミュニティ再建など、どうするか解決策が具体化していかなければならないが、国に任せていても地元の人間が望んでいることは実現しないといわれていた。市街地の瓦礫処理についても漁業復興についてもすべて復興予算待ちで、国会で2次補正、3次補正が可決されるまで何もできない。国会が政争に明け暮れるのに振り回され、現場が動き始めるまでに随分と時間がかかる。
  だれのための復興なのか? とどこでも問題にされていた。国が示す復興予算も誘導的で、アグリビジネスや自然エネルギーを配したスマートシティ構想といったプランが列挙され、どの街も金太郎飴のような復興の青写真を作成している。復興会議や経済界の願望を押しつけても、その地域の実情に合致していなければうまく進むはずなどないのに、創造的復興を掲げてなにもできない状況を押しつけている。元に戻すことすらまったく進んでいないのに、「元に戻すのではダメだ」という議論に釘付けにしてなにも進まない。「いい加減にしろ!」と住民はみんな怒っていた。
 高さ12~14㍍、底幅40~60㍍もの巨大堤防をつくる計画がどの街でも浮上していた。河川が流れ込んでいるところでは、巨大水門計画もセットになる。200億円とかの工費が費やされる計画だった。自民党が主張し始めた「国土強靱化(200兆円)」の先駆けかと思わせる。国土交通省が旗を振って、ゼネコンが嬉嬉として進めているものだ。いくら巨大堤防をこしらえたところで、完成した頃には人口がすっかり流出して、産業やコミュニティ再建が困難になるなら元も子もない。
 防災都市・田老では5~6㍍ある巨大堤防が破壊されたが、それならもっと巨大なものを作るのだとなっている。おもだった沿岸を軒並み巨大堤防化する勢いを見せている。田老は世界から視察が来るほどの防災都市だったにもかかわらず、震災のときには防災無線も鳴らなかったし、水門も油が切れていて上がらなかった。格好だけの「防災」というか、巨大化して自己満足していてもダメだという声が方方で聞かれた。自然条件は変化するし、今回の津波でも50㍍近く波高が駆け上がった場所もあった。「巨大な構造物をつくったから大丈夫」という考えは自然に対して傲慢で、それよりも減災を意識した津波教育や避難訓練を徹底するとか、いざというときに避難できる防災棟を確保するなどした方が、はるかに現実的だと語る人は多かった。
 B ゼネコンだけが賑わっている状況について、岩手県で開催された全国都市問題会議でも問題にする意見があった。仮設住宅に押し込めてしまって、被災者の仕事がない。そのなかで瓦礫処理についても外側からやってきたゼネコンや協力会社が請け負って、住民を無職にしたり、義援金漬けにしていく。瓦礫撤去している業者に声をかけても方言からして違うし、ホテルや旅館はそれで賑わっている状況だった。
 C 奥尻島の復興が似たようなケースで、土建事業が活況を呈した時期だけにぎやかで、その後は以前よりも人口流出して過疎高齢化してしまった事例がある。町長が「高齢化対策にとりくむべきだった」と後悔しているが、島が潤ったのは島外から押し寄せた2000人の作業員がいるあいだだけで、島民自身が潤ったわけではない。1世帯で最大1400万円の義援金があったことで住宅再建も比較的スムーズに進んだにもかかわらず、産業が衰退して、しかも町は復興事業の負担金で債務が膨れあがり、財政的にも破綻状況に至った。「復興特需」でゼネコンが潤っただけではなんの復興にもつながらない。見せかけ優先ではなくて、産業政策や住宅政策などが共に動いていかなければ本末転倒な事態になってしまう。
 
 地域全体立ち上がらねば復興にならず

 A 浜は確かに生産体制の復旧が進みはじめている。しかし、「浜だけが復活してもダメなんだ」といわれていた。大船渡の市場周辺を取材していたときに、運送会社が「浜がよければ陸もよい!」とスローガンを掲げていた。問屋や包装、製氷、加工などみんなが立ち上がらなければ市場の魚も行き場がないし、地域全体が共に復活することがいかに大切かをだれもが強調していた。
 三陸は水産業が基幹産業だから漁師や漁協が復活することが生命線だった。一方で陸側の水産加工などの中小企業が、資金的な問題が解決せずに前に進めない状況に置かれている。企業対応の所管は原発と同じ経済産業省で、農林水産省と比べても復興対応に温度差があると指摘する行政関係者もいた。
 水産加工会社が再建しようと思ったら、共同化で補助金が得られるようになっている。ところが、書類審査でほとんどの企業が振るい落とされて、しかも基礎自治体↓県↓国と進むのに時間だけムダにかかる。あと、補助金は還付方式なので、いったん全額負担しないといけないようだ。金融機関に融資してもらいたいが、担保になるモノがなくはねつけられていた。もっと現実に即した支援でなければ意味がない。陸が一緒に復興しなければ、漁業も頭打ちになってしまうし歯車は狂ってしまう。
 三陸の水産加工は国内でも大きなシェアを占めてきたが、震災前から安い単価で量販店なり大手水産会社との取引関係があった。「借金はあってもカネはない」という企業は動き出せない。そのうえに仙台湾など宮城県の海域からは100ベクレル越えのマダラ、スズキ、ヒラメなどが水揚げされたといって出荷規制がやられ、立ち上がろうと頑張ってきた矢先にお先真っ暗な状況にもなっている。各浜で検査しているが、大丈夫な魚まで風評被害で敬遠され、最終的に量販店が三陸切りをして輸入シフトになることが懸念されていた。銀ザケの暴落がわかりやすい例で、せっかく復旧したのに、商社が震災のどさくさに紛れてチリ産を大量に輸入したおかげで、これまでキロ400~450円だったのが200円台にまで大暴落した。
 
 働く事や協同の力が持つ重要さ増す

 A
 行く先先で強調されていたのは、働くことの大切さであったり、労働の価値、意味についてだった。そして協同の力がいかに重要かだった。棄民に近い放置された状況のなかで、生産者はみずからの力に頼って立ち上がってきた。田老や重茂のように協同組合が威力を発揮したらなおさら馬力が上がって、相互に助けあいながら復活することができた。
  苦しいけれど、そこから再び奮起して立ち上がるかどうかが地域全体の雰囲気や、将来とも関係してくる。福島では原発事故の影響で補償金がさまざま出ている。南相馬では一人につき毎月10万円はお金が支払われ、家族が4人いたら40万円。赤ん坊であっても1人にカウントされている。さらに別の補償も入る。こうなると金漬けでもめごとが起きたりして振り回されている。昼間から飲み屋に入り浸ったり、人間の荒廃が進んでいることについて心を痛めている住民も多い。
  岩手でも、仮設でなにもすることがない状態は良くないと話されていた。「もらい癖がついて、100円、200円を稼ぐことを忘れたらいけない。義援金は確かに助かるし有り難いが、一方で毒にもなる」といういい方がされていた。お金が必要なのは確かだが、働くことによって生活を成り立たせていくことが大切で、そのような仕組みを動かすことが切望されている。外来の人や企業が何もかもなりかわってやるのではなく、ましてや利益だけかすめ取っていくのではなく被災地の住民の力をいかに発揮するかだと。「戦後は焼け野原から義援金なしで日本全体が復興していったんだ」という意見もあった。「がんばっぺ」で勢いよくみんなが立ち上がっていくのと、仮設にこもっているのとでは精神的にもまったく違う。
 
 住民生活再建後回しにする本末転倒

 C
 政府や官僚機構がチンタラして動かない。そしていざ復興となったら予算を虫食いしている。このザマはなんだという意識も強烈に渦巻いている。復興予算でも10年間で23兆円といわれ、復興増税までやりながら、沖縄の道路建設や霞ヶ関の官庁修理など被災地と関係のないものに使われまくっている。高速増殖炉「もんじゅ」を運営している日本原子力研究開発機構が核融合の研究事業費として42億円を計上していたことも明らかになった。福島事故であれほどの人人がひどい目にあっているのに、その復興予算で原発推進するのだからデタラメ極まりない。
 復興予算が被災自治体には十分に回っていない。必要とする現場に回らず、もっけの幸いで蜜にアリがたかる。官僚が他のことに使いまくっている。地震後に国が力を入れたのは大企業のサプライチェーン復旧だった。七月段階でかなりの部分が復活していたというから、大企業要求にはスピーディに応えたことがわかる。あとやったことといえば瓦礫撤去でゼネコンが乗り込んだり、創造的復旧といってコンサルタント会社が復興の青写真作りをしたことだった。復興特区を創設して、新規企業には法人税免除とか、雇用補助金を出すというのも決めていった。
 肝心な沿岸部は更地のまま、仙台界隈の大衡村とか、あまり震災で影響のなかった工業団地への企業誘致に熱を上げたり、優先順位が狂っている。外来資本が乗り込んで、復興予算のつかみ取り大会を繰り広げているだけだ。
 B 自治体関係者のなかでは、国が基礎自治体の思いを汲んでくれないことや、それに対して意見しにくい関係が語られていた。だから住民の望まないゼネコン特需創出だけが先行していく。その公共投資が食い散らかされて、終わったら退散するというのでは、10年後、20年後の被災地は悲惨なことにしかならない。
  今回も改めて宮城と岩手の違いを痛感した。岩手県側では被災地にもまだ活気があるし人や車などが頻繁に行き交っていた。しかし宮城に足を踏み入れると風景からして違った。「創造的復興」といってなにも創造しないし、むしろ破壊だ。放置すればするほど地域全体の復興に向かう力が分解してしまう。石巻市と合併した牡鹿町や雄勝町は、よそと比べても放置された状況が続いている。集落消滅が心配されている雄勝では、震災から3カ月後の調査では8割の住民が「戻りたい」と答えていた。しかし最近の調査では逆に八五%の住民が故郷を離れるという結果が出ていた。行政は浸水地は住んではならぬという規制だけ加えて、高台に押し込もうとしていたが、仮設住宅すら十分でなかった雄勝町民は分散してしまい、互いに連絡をとるのも困難だった。合併の弊害もあるが、住民が置き去りにされた復興の典型のようになっている。
  東北全体でいえばTPP体制をこの際作れという意向が明らかに動いている。そのための特区構想で、一次産業をつぶしても構わぬという明確な政治が貫かれている。だから復興がいっこうに進まない。国というのが被災者の心配をするものだと思っていたら、関心すらないといった印象だ。
 これは東北が典型的に表しているが、全国的にも共通する。TPP路線で地方破壊をやりまくっていく政治が横行して、増税でもオスプレイでも聞く耳なく為政者が突っ走る。全国的普遍性を持ったアメリカの大収奪体制との対決、それに従って国をつぶしてしまう売国政府との対決が迫られている。
 B 国がまひしている。国民に根のない政府、政治との矛盾が激化している。そのなかで下から産業や地域を興して盛り立ててたたかう行動が始まっている。原発に苦しむ福島でも生産者は下から地道に再建に向かっているし、岩手や宮城でもそうだ。東北だけでなく全国的な共通性もある。黙って泣き寝入りしていても展望はなく、地域や生産点を基礎に生産を興して、地域を守る全国的な共同斗争として強大な力にしなければ政府はいうことを聞かない。
  対抗する力は“連帯と団結”しかない。被災地を見ても生産者はパワフルだし明るい。働いて立ち上がっていく大切さが語られていたが、被災地の極限を生き抜いてたどり着いた重い言葉だと思った。生産人民こそが歴史を動かす原動力だというのを強烈に示していると思う。日本を壊滅させる政治家や官僚が跋扈して、大企業は国内を切り捨てて海外移転を繰り返す。御用学者にいたるまでみな役に立たないなかで、人民の側はどう進んでいくかが問われている。
 C 国を立て直すといったとき、これを破壊する者を取り除かないと解決にならない。世界的な大恐慌のもとで、TPP、日米同盟による日本収奪の一環としての東北収奪、棄民政治があらわれている。これとの斗争は安保斗争にほかならないし、日本全国の共通課題だ。全国団結で激励し合いながらつながって、矛盾を鮮明にしながら立ち向かっていくことが求められている。

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