いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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東北巡る記者座談会 復興阻む棄民政治との対決

 1万9000人もの死者・行方不明者を出した東日本大震災と、福島第1原発の爆発事故という未曾有の原子力災害が引き起こされてから、もうじき1年がたとうとしている。被災地では瓦礫のなかから人人が復興に向けて立ち上がり、津波に流され、放射能によって汚された故郷の再建にとりくんでいる。しかし1年も経過しながら復旧がまともに動き出さず、産業復活や生活再建の展望を見出せない状態が続いている。大震災とそれに対応する政府の姿は国の有り様を根本から考えさせている。震災1年を総括してみる記者座談会を持った。
 


 復旧が遅れる宮城県 建築規制や漁港集約方針の中

 A 大震災から1年がたった。ここまできて総括的に見てなにがいえるか、1年たってどんな現状であり、どんな問題があるのか、現地の状況から出してもらいたい。


  宮城県、岩手県は津波からの復興が焦点になってきた。これらの地域は産業として打撃を受けた中心は水産業だった。三陸漁業は日本で重要な位置を占めてきたが、漁業が中心になって水産加工、製氷、運搬、資材、造船や鉄工そして商店など地域全体が相互の依存関係を持って総合的な産業体系をつくってきていた。この復興が焦点だ。しかし一年たってみて、企業関係でも操業を再開できたところは一部で、店舗や工場が丸ごと流されたまま、地盤沈下した土地がそのままで手が付けられなかったり、資本が乏しかったりで自力再建が困難な状態にある。被災3県で2000業者が廃業して、5000もの商工業者が休業状態におかれている。


 石巻では水産関連会社だけで200社くらいあったが、1月末段階で操業を再開できたのは4分の1程度。生産規模も限定されていて、実質的に動いていない。12月下旬に国のグループ化補助金(復旧費用の4分の3を補助する)が決定したが、すべてにおいて対応が遅すぎる。復興庁が2月に発足して、3月に入ってようやく復興交付金の第1回配分額が決まる有様だ。しかも各自治体の要求額の5~6割程度であるのと審査が厳格で、要望通りにいかないことや、中央省庁からの紐付き資金特有の使い勝手の悪さが問題になっている。


 宮城県では村井知事の水産業復興特区、漁業権の民間開放や漁港集約の方針もあって、岩手県に比べて復旧が遅れている。漁港の水揚げ再開状況を見てみると、岩手県は113ある漁港のうち88港が再開している。釜石市が極端に立ち後れているのを除くと、早期再開にこぎつけている。宮城県では141あるうち48港がようやく再開しているが、多くが放置されたまま。気仙沼では38港あるうちの1港、石巻では44港のうち8港、女川は12港すべてで水揚げ再開に至っていない。宮城県では141あるうちの60港に拠点港をしぼって、それ以外は集約し切り捨てる方針が打ち出された。対象から漏れた漁港や地域が放ったらかされている。


 置き去りにされ、消滅しかねない地域の反発が高まっている。石巻市が建築規制をかけた雄勝地区では、4300人いた人口が1000人にまで減るなど人口流出がひどい。県漁協支所の調査で、漁業者の廃業率が86%と他地域よりも突出している。人人が戻れない地域が出てきている。豊かな湾を囲んだ広大な地域だ。
 
 福島県も深刻 人口流出とまらず 核処分場意図する国策と衝突

  福島では20㌔圏内は相変わらず立ち入り禁止になっているが、原発周辺でも広野町では役場が再開したり、川内村も警戒区域が解かれる。同心円状の立ち入り禁止ではなく、実際の線量によって避難地域を判断すべきだという要求が高まってきた。被曝線量が年間20㍉シーベルト以下ということもあって、川内村は戻れるようになった。住民のなかでは1年たって地元を復興させたいという世論は相当なものだと思う。


 小高区に住んでいる女性と話したのだが、南相馬市役所では3月末の退職者が138人も出ているという。医療関係者が68人いて、そのうち医者が8人。幼稚園・保育所関係が9人。子どもを持った世代が相当数流出している。原発事故が起きてから激減していた人口は、6万人程度まで持ち直して、年寄りを中心に帰ってきている。しかし帰ってきても医療機関が縮小していた、生活環境が様変わりしている。


 小高区内では区長が中心になって弁護士をつけ、国、東電に対して1人当たり34万×10カ月を請求する動きも起きている。損害に対する正当な補償金をとるのは当然だが、そのなかで補償金依存で勤労意欲を失って荒廃している面が心配されている。「働かずして大きな金を手にすると勤労意欲がなくなる。なにもしないで飲み歩いている状況がある」と危惧されている。「これでは補償金を元手によそに家を建てようとなって地元を捨てて出ていってしまう。住民が帰ってこられる状況をつくるために、社会的な環境を整えるのが先だ。市長が東京マラソンを走るだけではなくて、南相馬の実情を発信することが必要で、医者が少なくなっていることも含めて全国に支援を呼びかけるべきだ」と語っていた。


 全村避難をよぎなくされた飯舘村では、村長が住環境2年、農耕地5年、森林20年と除染計画を立てて独自プランを動かし始めている。しかし福島市や伊達市と違って除染は国といって国が乗り込んで身動きがとれない状況もある。中間貯蔵施設の話し合いがもたれていくなかで、地元の復興要求と核のゴミ処分場にしようとする国の別目的が衝突している。


  全部が復旧していないのではなく、大企業の部品工場などはいっきに復旧した。全力投入で一つの工場を再開するのに全国から大量の人員を動員して復活を遂げた。ところが、その地に住む人たちの生活復旧が二の次、三の次で放置されている。津波でやられたのは漁業地帯だった。漁師だけでなく市場から製氷、加工、運搬、その周囲に商店が依存しているし、学校や医療といった共同体のコミュニティーが形成されて一つの生活圏になっていた。


 原動力である漁業とそれをとり巻く諸産業が放置されている。放置されているだけでなくとくに宮城県では強権的に建築規制がかかってなにもやらせない状態だ。規制をかけてなにかするのかといえば、なにもやらない。だから地域崩壊になる。「創造的復興」などといって足下の地域に立脚した産業と生活を復旧させるのにストップをかけてしまったことで人口流出がとまらない。


  福島県はもっとも人口流出がひどい。県が確認している数字だけでも、4万人は超えている。とくに原発の20㌔圏内とその周辺だ。福島県では主に農林業、畜産、果樹の位置が大きい。ここが甚大な影響を被った。個個の生産者はいろいろ努力してきたが、大きなプレッシャーになっているのが風評被害だ。加えて食料品のベクレル規制値を引き下げたものだから一段と困難が増した。生活基盤を破壊して、離散するのを待っている。そのなかで諦めて、「補償金でももらった方がマシだ…」という流れがあらわれている。浜通りから中通りにかけて二束三文で売り飛ばさせる方向だ。中間貯蔵施設・最終処分場をつくりたがっている側が明らかに誘導して住民離散にかかっている。しかし一方で飯舘村のように「愛する飯舘村を還せ!」と村民決起集会が開かれたり、自力で除染しようと故郷帰還を目指す要求も強い。


  政府というものが国民生活を守る意志もなく、まったく機能しない。むしろ潰していく。ショック・ドクトリンつまり災害便乗資本主義そのものだ。政府が、市場を剥奪しようとする外来資本の要求ばかり代弁し、復興需要も大手ゼネコンがつかみどりをする。
 
 復興巡り激突 住民の為か外資の為か 「逃げろ」では解決せず

  知識人の発言もこの1年大きな変化があらわれている。論壇上ではだれのための復興かが鋭い対立になっている。共同体の生産者なり住民の側から復興させるのか、それとも外部資本の復興ビジネスのためかだ。村井知事が進めている漁業権の民間開放や特区構想に対する批判的な論調が知識人のなかでも強まっている。


 さらに激化しているのは、福島県の飯舘村を巡って村長や地元住民が除染計画をして故郷に戻っていこうとする方向と、反原発勢力を筆頭とする「避難せよ!」「逃げろ!」の大合唱が衝突している。とくに進歩派といわれてきた側が「逃げろ!」と連呼しているのが特徴だ。反原発で知られている京都大学原子炉実験所の今中哲二が「1㍉シーベルトまで線量が落ちないとダメだ」といって、補償金を要求する急先鋒的なポジションにいる。自然に線量が落ちるのを待つべきだという主張だ。


 A 「逃げろ」では、住民生活の問題はなにも解決しない。逃げても生活できる者だけの主張だ。放射能から逃げても、どうやって生活をするのか、どうその地域に根付いた共同体を立ち直らせるのかが問題だ。人がいなくなった廃村に核廃棄物処分場をつくるという既定コースをやりやすくするだけだ。


  チェルノブイリでは避難基準が5㍉シーベルトだったが、周辺住民を強制的に避難させた結果、放射線そのものよりも避難ストレスによって健康が蝕まれ、平均寿命が7歳下がるなどした。避難生活によって心身ともに荒廃がひどくなったわけだ。ロシア政府も総括文書でその反省を明記している。福島ともかかわってとり上げられている。思いがけずに入ってきた補償金によって、勤労意欲を失ってアル中になったり、絶望して自殺したりという荒廃状況も現実に出てきている。


  宮城県でも操業をはじめた船の乗り手を募集するが応募者がいないといっていた。変にお金だけが入ってくるのが災いして、「骨病み(骨が痛いといって働かない)が増えてしまった…」と夏頃から語られていた。一方で漁師が「陸から毎日海を眺めるばかりで、なにもかも世話され、食って寝るだけの生活なんてまっぴらだ。ワシらはモルモットじゃない」といって海に繰り出していく姿とダブらせて語られていたのが印象に残っている。生産者や働く者の気概こそ地域復興にとって最も重要な要素なのだと。


 C 被曝線量をめぐる騒動について、広島大学の原医研の幹部クラスの人が、「明らかに別の意図が働いている。政治的なものだ」と話していた。「放射能云々について学術的に解明されていない部分はあるが、少なくとも広島・長崎の経験からするとあの程度の低線量で発ガンリスクというのはほとんどない。しかしそれを指摘しても聞かない国の姿勢があって、進言するのをやめた」と語っていた。


  「危険食物」問題は今回の放射能汚染に限らない。口蹄疫でもしばらくしたら泡を吹いた牛も治るし、食べられない肉になったのではないのに、大騒ぎして大量に殺処分させたことに宮崎県の農民がひじょうに怒っている。下関でも漁師が魚を売ろうものなら保健所は衛生基準法をかざして「ケースに入れろ」などとうるさく規制する。その一方では、狂牛病肉を輸入せよとか、遺伝子組み替え食品を輸入せよとかアメリカからいわれて飲んでいく。アメリカは規制緩和で庶民は規制強化だ。あの手の「危ない」「危険だ」のチャンピオン的な位置で放射能恐怖症のショックを煽っている。これは医学的基準ではなくて政治的な基準だ。


  広島・長崎の経験から見ていえることは、爆心地で直爆した人たちが28~32シーベルトを浴びて急性白血病などで死んでいった。仮に年間20㍉シーベルト浴びたとしても原爆の1万4000~1万6000分の1の低線量ということだ。年間20㍉シーベルトという基準値も20年後にガンが発症する人が1000人のうち2人の確率とされている。100㍉シーベルトでも100人に1人、1%の発症確率だ。被爆しなくても60歳を超えた成人は半数が癌にかかるわけだ。そういう影響の程度を見た上で、人人の自由な判断で復興に当たるようにすべきだし、国の強権で排除したり、メディアがバカ騒ぎを繰り返すのは規制されなければならない。


  影響の出やすい子どもや妊婦はもっとも警戒しなければならないし、1㍉シーベルトでも影響は出る可能性があるということと、しかし生活を作らなければもっと大変な事態になる。放射能ではすぐには死なないが、食えなかったらすぐに死ぬ。広島・長崎はそんなこといっておられなかった。「生活させない」政策を続けるなら地域崩壊にならざるを得ない。

 農漁業の再生こそ活路 戦後の価値観転換

  避難生活というのが棄民的だ。そのなかでいきなり生活基盤を奪われて荒廃していく。勤労意欲も失わせていく。人間の有り様を破壊してしまう。家族離散、自殺、荒廃があらわれる。資本主義の絶対的貧困化のあらわれだ。幕末の百姓の間引き、離散、逃散のような事態だ。東北全体を見ても、その地域の産業全体を破壊する政治が上から一貫して加えられている。だから地域の再建にならない。しかし人間は少々の放射能があろうとも生産することによって生活し、共同体を維持するところに人間的生き甲斐がある。その要求も強くなっている。


  NHK特集で経済評論家の内橋克人が、「漁業は地域の総合的産業として成り立っている。ここを再建しないと復興できるわけがない。今の社会制度の延長線上ではいけない」と批判していた。知識人のなかでは新自由主義批判が強まっている。


  若手学者のなかでも戦後の価値観を転換しなければいけないという発言が目立ちはじめた。工業万能から金融資本主義が花盛りだった時代を経てリーマン・ショックとなり、時代の転換期にさしかかっている。震災も経て、やはり農漁業が日本民族が生きていくための基本であるし、この見直し世論が格段に強まっている。社会的に衰退して工業も海外移転であてにならない。立て直すのは第一次産業からだと。都市と農村の関係でも、いざ食糧危機になって石原慎太郎が「芋をくれ」と泣きついてきてもやるもんか! と農家がいう。都会は田舎に依存している。水であれ食糧、電気、人であれ、田舎がまひしたときには都会が成り立たない。東京が悲惨なことになる。
 
 復興妨害する政府 被災地に金出さず食い物に TPP先取り

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人人の世論では絆や連帯意識が強まっているが、権力側が口先で「絆」というが一つもそんな施策をやらない。大震災まで至った政治とその後の政治を通じて、行政、国家とはなにかという姿が暴露されている。結局のところ被災地に金を出さない。やっと交付額が決まっただけで塩漬けにしている。現地の自治体は人員不足で、都市計画の専門家すら足りないところが少なくない。それなのに書類作成で忙殺されて、しかも日頃以上に煩雑な業務をやらせて何度も突き返す。この政府はなにかだ。


  漁協にしても書類手続きに手間をとられて四苦八苦している。嫌がらせに近い。書き換えばかりでなかなかパスしないから、漁船の確保でも数カ月を要する。しかも後払い方式だから漁協に金が一銭も入らず、動きようがないと問題になってきた。行政的手続きからしても基礎自治体と県、さらに国の関係でパイプが詰まっている。そして復興予算が出てきたらゼネコンの食いものにされ、福島の除染でもゼネコンが巨額の費用で請け負っていく。きれいにあの連中の懐に入る仕組みだ。防波堤や道路建設にも色めきたっている。


 A この間、菅直人に続いて野田政府が消費税を10~15%にするといってきたが、5%引き上げただけで10兆円の財源になる。しかし昨年は円高対策といって11月に10兆円をあっさりとばらまいてアメリカ国債の購入に化けている。ASEANにも2兆円出し、日本は消費税を上げよと指図しているIMFがヨーロッパ対応で資金拠出を迫ったらまた拠出しようとしている。麻生政府の時期には10兆円融資したがそれ以上になりそうだ。アメリカと財界の要求なら簡単に10兆~20兆円を使っている。


 エルピーダは4000億円を上回る負債額だったが、私企業なのに国が300億円以上の公的資金を突っ込んでいた。あそこはNECや三菱、日立の子会社だったが、要するに半導体は先が長くないから大企業が本体から切り離してつぶすことを見込んで統合したものだ。東北でも部品工場の復興には政府は力を入れた。大企業の新技術開発、新興国進出などには国の金を湯水の如く注ぎ込んでいる。しかし一方で地方生活、被災地、とりわけ農漁業などの地域に根ざした産業と生活はまさに自己責任。東北の復興路線というものがTPP参加路線の先取りとなっている。
 
 東北に群がる米国 意図的なショック・ドクトリン 狙いは宮城県

  ショック・ドクトリンが意図的に持ち込まれている。復興利権に目の色を変えているチャンピオンが米国だ。震災直後の4月には復興支援プロジェクト「復興と未来のための日米パートナーシップ」を発足させ、戦争利権で有名なボーイングのマクナニー最高経営責任者(CEO)や、マイケル・グリーン元米国家安全保障会議・上級アジア部長や、ブレジンスキー元大統領補佐官、アーミテージ元国務副長官、キャンベル国務次官補、元政府高官のジョセフ・ナイといったメンバーが復興利権のタカリ商売に身を乗りだしてきた。


  彼らの狙いは主に宮城県。「日本の復興はアメリカの利害にかかわっている」とむきつけにいう。GE社は自社が製造した原子炉が壊れているのに福島に補償するのではなくて、宮城県に植物工場をつくるとか、復興利権に熱を上げている始末だ。アメリカの戦略研究所もTPP参加が復興の条件だと主張している。東北を道州制導入の先進地、経済特区にする構想を経団連が要求してきたが、市場化モデルの拠点にしようとしている。グローバル市場拡大の線で政府が動き、村井知事が動いている。そのために東北の地に根付いて生産し生活してきた人人が切り捨てられている。グローバリズムから見てじゃまなのだ。


  今から企業進出は顕在化してくると思う。この間、宮城では新規立地企業に限って5年間無税とか、被災者を雇用する企業への補助金制度など特区制度がいくつか決まった。しかし津波にやられた被災地から遠く離れた内陸部の黒川郡大衡村にセントラル自動車とか東京エレクトロン、ソーラーフロンティアなどが工場進出の動きを見せている。トヨタも大衡村にメガソーラーを計画している。海岸沿いとは無関係の地域が、“特区”によってにぎわっている。


 牡鹿半島でも休耕田に東光電気工事(東京)が東北地方最大のメガソーラー(出力1万㌔㍗)を作る計画が浮上している。津波被害のなかった土地への進出だ。土地の買いあさり、更地万歳の企業進出がやられている。メガソーラーといって土地を奪ったら、あとは不動産投機にもつながる。地価もいずれ上昇するのは間違いない。


  国が今月から被災地の企業が被災者を1年以上雇った場合、最大で1人当たり3年間225万円を助成する対策事業を開始するが、震災後のもっとも大変ななかで操業再開をやり遂げた地元企業などいるのに、「対象は3次補正予算が成立した昨年11月21日以後の雇用に限りますよ」といって問題になっている。今から進出する大手企業にとってはパラダイスのような環境になる。無税地帯なうえに人件費まで国が税金で面倒を見る。
 
 対応できぬ国の姿 原発が象徴的 米国かぶれの結末

 A
 ショック・ドクトリンそのものを東北で実行している。このなかで社会の有り様に対する見方が変わっている。インテリ層のなかでは既存の学問体系の見直しが進んでいるし、リーマン・ショックも経た情勢の変化を反映している。新自由主義が破産して敵はさらに強烈に新自由主義を強行しようとしているが、世論上は働く者の共同体意識が強まって大激突になっている。


  震災対応について見ても信じられないようなことをやっている。本来なら災害対策では原状復帰が大原則だ。ところが元に戻すことはせずに「創造的復興だ」といって、はじめから別目的を持っている。それで消費税増税を叫び、「金がない」といいながら金融市場には使いまくっている。高台移転など5~10年先になるようなことばかりいって、その間どうするのかがなにもない。空中を遊泳している。


  復旧せずに復興というからみなは当座食っていけない。今までの常識を覆す非常識をやる時代になっている。国民の生命財産を守る国家ではない。グローバル資本の利益代表であるし、火事場泥棒みたいな連中の姿があらわれている。


 大震災対応、原発事故対応、それに至る戦後政治の抜本的見直しの世論が進んでいる。津波についても人民のなかでは伝承されているが、社会全般としては大津波が来るとは思っていなかった。戦後社会における日本の歴史否定、民族性否定のアメリカかぶれ、近代化かぶれの結末だ。日本の自然条件で育ってきた日本人の特性、その民族の歴史や文化を否定した結末が、その後対応できない姿につながっている。


 C 戦後の最先端技術とされた原発が象徴的で、アメリカの物まねこそ進歩という神話で、地震列島に54基もの原発をつくってきた結果、ひどい目にあった。原子力でひじょうにはっきりしたことは、日本の政府、東電、日立、東芝などのメーカー、原子力学者など、原子力の運転能力、管理能力などまるきりなかったということだ。事故が起きたときの対応の準備もまったくなかった。


 だいたい原発の構造を熟知していて、故障に責任を持つのは製造したメーカーだ。製造者責任はGEであり、ただちに呼びつけて対応させなければならない。それはせずに「トモダチ作戦ありがたや」をやっている。学者も部分しか知らず、専門家といってテレビに出てくるが、わざとだましているという側面もあるが訳がわからない無能な側面が大きかったと思う。


  政府の原発対応は処刑に値する犯罪だと思う。爆発して放射能放出が一番ひどいときに「直ちに健康に影響はない」ばかりいっていた。そのとき、風向きで放射能はどっちに流れているかはSPEEDIでわかっているのに教えなかった。そしてしばらくたって、放射能放出が減ったあと、今度は「危険だ」「危険だ」を連発した。今度は人を追い出すためだ。炉心溶融は全電源喪失の際には何時間後に始まるというのはシミュレーションができていたことだった。これもだました。


  そしてなぜ事故になったのかの検証もなく、対応策もないまま、「電気料金が値上がりするので再稼働せよ」が、財界からはずかしげもなくいわれ、枝野もいい出した。まことに国を滅ぼす売国奴だ。


  事故対応も官僚機構はまひしてしまって、菅直人が一人でヒステリックになって指揮するものだから、ますます機能不全になった。あのような危機対応では行政機構が自動的に動かなければならないのに、動けない。指揮所がない国の姿をさらした。というより指揮所はアメリカだった。アメリカが官邸に入り込んで指揮していた。主権放棄の暴露だ。それの線でTPP強行の主権放棄だ。
 
 売国政治とのたたかい 東北潰しは日本潰す典型 全国斗争に活路

  勤労大衆が下から共同体の力を復興させていく方向で、売国政治とたたかって、必要な譲歩をさせていく、そういう爆発的な斗争をしないことには政府はいうことを聞かない。日本を支配しているのはアメリカと財界だし、大震災を消費税増税やTPP参加というグローバル金融資本主義の市場にするチャンスとしている。それとの真っ向からの全国的なたたかいがないとどうにも動かない。


 E 米国の政府高官や著名投資家が相次いで被災地見学に訪れてきたが、東北復興が日本社会を食いつぶすTPP、対米従属、日米同盟の問題と連なっている。全国的な政治斗争とつながらなければ復興要求もメドはない。東北での政府のやり方を見ていて、全国でも例外ではないし共通の問題だと実感する。大阪で橋下「維新の会」がやろうとしているのも道州制と、既存の住民サービスや行政的な公共性の求められる仕事を投げ捨てて、ひたすらグローバル資本の街にする方向だ。中心都市部だけにインフラ資金を集中投下して、周辺自治体をぶち切ってしまう自治体解体に狙いがある。グローバル都市にするのが成長だというが、一握りの者だけの成長であって、大多数の貧困、非成長をともなう。


 B 朝鮮有事の際に米軍が重点港にすると指名した下関では、軍事都市作りが進められてきた。知らないうちに国交省主導で都市改造がやられ街は疲弊した方がよいといった調子だ。市民生活そっちのけで人工島や周囲の巨大な道路群整備には1000億円をゆうに超える資金が注ぎ込まれる。市民生活の必要性からではない。それならだれが要求しているか考えると、有事の拠点として使いたがっている米軍であるしグローバル資本だ。それらを喜ばせる市庁舎建て替えや駅前開発で、よそ者に見てくれを威張る開発ばかりに行政が散財する。中国や東南アジアから労働者が来たときに、「都会だな」と思わせるくらいしか立派な市役所にしたい理由が見あたらない。市民はボロでも支障はない。


 A 1年を期してどう進むかが問われている。戦後の対米従属のもとで働く者の生活や産業がとことん破壊されて社会が維持できない。これは日本社会全般に共通する。真っ向からたたかわなければ再建できないところにきている。被災地だけでなく日本中が同じだ。下から産業振興、農漁業を基本とする産業振興、共同体団結、全国的な統一戦線の団結とつなげて真っ向からたたかわなければ、日本中どこに行っても生活は成り立たない。東北が特殊でない。


 しかし世の中は働く者が主人公だ。震災後はトモダチ作戦で日米同盟が姿をあらわしたが、TPPそのものが日本大収奪と中国包囲網、対中国ブロック化を性質としている。東北ぶっつぶしは日本社会ぶっつぶしの象徴であり、TPP・日米安保に対決する全国的な政治斗争が立ち向かう力だ。

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