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“沖縄戦は日本軍部責任”の欺瞞 沖縄を奪い基地にするため大殺戮  中国、アジア市場支配狙う

 沖縄県宜野湾市で米軍ヘリが墜落炎上し、米軍が現場を封鎖して現場検証もさせず、一方的に同型機の飛行を再開するという事件は、日本の主権がアメリカにあるという実態をあらためて暴露し、沖縄県民はもとより全国的な怒りを呼んでいる。
 アメリカは在外米軍の再編をすすめて、各国からは撤退、縮小するなかで、在日米軍基地は増強する計画である。そして日本の若者をアメリカの国益のための戦争の肉弾にし、さらに日本をたてとして朝鮮、中国、ロシアへの原水爆攻撃の拠点にし、日本全土を原水爆戦争の戦場にするという恐るべき計画をすすめている。在日米軍基地の問題はふたたび原水爆の戦火にさらされるという日本民族の命運をかけた重大問題であり、沖縄のヘリ墜落事件をめぐって、たんにこの様な事件、事故が起こらないようにすればすむという問題ではない。
 沖縄県民が米軍の横暴に怒るのは、沖縄戦の残虐な体験と戦後の有無をいわせぬ土地とりあげによる基地増強、米軍による抑圧の歴史的な体験に根ざしている。戦後アメリカ占領者は、まれに見る大量虐殺をやった沖縄戦についての怒りがアメリカにむかないようにさまざまな宣伝で押さえつけてきた。
 原爆投下について「日本軍部をして戦争を終結させ、幾百万の命を救う慈悲深い行為であり、戦争に協力した日本人はみな反省しなければならない」という宣伝をして、原爆を受けた広島、長崎市民を押さえつけてきた。沖縄戦についても同じようなことがやられてきた。表にあらわれた評価は、「沖縄戦は満州事変にはじまった侵略戦争の行き着いたものであり、米軍はやむなく反撃し、日本軍国主義から沖縄の住民を解放した。沖縄戦のすべての責任は日本軍国主義にある」というものであった。それが「日本軍国主義の戦争に協力したものは反省しなければならない」という響きを持って宣伝されてきた。だが多くの沖縄戦を体験した人人の声は表にあらわれないところで渦巻いており、「沖縄戦の真実は語られていない」といっている。
 沖縄戦は一方では、天皇を頭とする支配階級が、国内の人民を抑圧、搾取し、市場獲得をめざして侵略戦争をつづけ、満州事変にはじまる中国侵略、東南アジア侵略、そして米英仏蘭との戦争に突きすすみ、最後に全土の空襲、沖縄戦、広島、長崎の原爆をへて敗戦をしたという帝国主義強盗戦争であった。そのために中国・アジアで1000万人以上の人人を殺し、国内では1000万人を徴用し320万人を戦死させ、筆舌に尽くしがたい苦難を押しつけた。
 だが沖縄戦は、もう一方の米英軍の戦争目的があまりにも隠ぺいされてきた。アメリカの対日戦争への参戦は、真珠湾攻撃を受けたから、やむをえず反撃し、野蛮な戦争をやった日本を降伏させて平和をもたらすことが目的ではなかった。
 米軍は1945年3月からはじめた沖縄戦で、ベトナム戦争に匹敵する55万人の軍隊を動員、1500隻の艦隊を動員するという、太平洋戦争における最大の作戦態勢をとった。戦艦からの一㌧爆弾による艦砲射撃をはじめ、「鉄の暴風」といわれる爆弾の雨を降らせ、住民を無差別に殺りくし、建物、田畑を破壊し、地形が変わるほど破壊した。そして猛烈な艦砲射撃のあとに地上軍の攻撃をくり返し、皆殺し作戦を遂行した。沖縄県民50万人のうち15万人を虫けらのように戦死させ、沖縄に送りこまれた兵隊6万余も戦死させた。
 当時の戦局は、世界的にはイタリアが降伏し、ナチスドイツの降伏も既定事実となり、2月にはヤルタ会談が開かれて戦後処理が中心問題になっている時期であった。ヨーロッパでは、ソ連に攻めこんだナチス軍をソ連軍が撃破し、ソ連赤軍がベルリンをめざして進撃しているなかで、それまで独ソ戦で双方の疲弊を待っていた米英軍がノルマンディー作戦を開始し、戦後支配圏をめぐってヨーロッパの陣取り合戦に乗り出していた時期であった。
 すでに日本の敗戦を覆すことは不可能な局面であり、開戦半年後のミッドウェー海戦での敗戦以後、海軍は敗走につぐ敗走で壊滅、輸送船もなく、日本周辺の制空権、制海権は奪われ、日本軍の大半は中国大陸にクギづけになったほか、南の島で玉砕につぐ玉砕、兵隊は飢えと病気でとり残され、本土の戦力は力弱いものしか残っていないという状態であった。ドイツ降伏の3カ月後にはソ連が対日参戦するとり決めとなり、日本の敗戦は決定的なものとなっていた。
 天皇を頭とする支配階級は、国民には本土決戦を叫びながら、裏では日本の敗戦は避けることができないという判断のもとで、なによりも国民の天皇制打倒の力を押さえながら「国体護持」すなわち天皇の地位を守る敗戦の形をさぐるのが最大の関心という状態であった。そしてアメリカの側も、激しい東京空襲にもかかわらず、戦争相手の中枢司令部である皇居にはまことに正確に一発の爆弾も落とさなかった。
 沖縄戦で米軍は太平洋戦争最大の軍隊をくり出し、みずからも1万数千の戦死者を出し、4万数千の戦傷者を出したが、それは日本を降伏させるためだけには必要のないものであった。アメリカにとっては、沖縄を奪いとり、日本の単独占領の先がけとするとともに、戦後のアジア侵略のための軍事要塞をつくることが目的であった。建物も田畑も地形が変わるほど破壊しつくし、住民を無差別で殺りくしたのは、広大な土地を奪うために必要なことであった。
 アメリカの関心は戦後のアジア支配であり、中国人民の抗日戦争で最大の打撃を受けていた日本を単独で奪いとり占領すること、そしてなによりも中国・アジア市場を支配下におくことであった。アメリカは抗日戦争が勝利するなかで、蒋介石を支援し、中国共産党が指導する人民解放軍との戦争をそそのかしていた。ところが意に反して中国革命が勝利し、あわてて朝鮮戦争をひき起こしたが、それも思惑どおりにいかず、50年代にはさらに沖縄の基地増強のために、沖縄県民への軍政支配の強化と強制的な土地とりあげとなった。
 3カ月で20数万を殺した米軍の沖縄戦は、無差別のむごたらしいものであった。それはイラクでのファルージャでの殺りく、ベトナム戦争でのソンミ村事件などをはるかにこえる殺りくであった。広島、長崎への原爆投下はさらに殺人狂の姿そのものであり、東京、大阪をはじめとする全国の都市へのむごたらしい空襲もまた残虐きわまりないものであった。
 そのような米軍の犯罪にたいして、まるで平和の救世主の行為のように見せる宣伝をアメリカがやってきたし、革新陣営のなかからも「アメリカはファシズムとたたかった平和と民主主義の勢力」であり、「暗黒の日本軍国主義・ファシズムからの解放者」とみなす見方が補完して、対米従属の道を進歩であるかのようにみなし、現在のアメリカの犯罪を容認する世界でもまれに見る親米潮流をつくってきたのである。
 米軍基地の撤去、「安保」廃棄は、自民党売国奴政治の一掃の課題とあわせて、日本民族の命運をかけた課題となっている。広島、沖縄を結び、全国的な労働者を中心とする力ある独立と平和の統一戦線を強めることが切望されている。

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