いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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沖縄戦せずとも戦争は終わっていた アメリカの沖縄戦目的 基地略奪のための大殺りく

 沖縄の米軍ヘリ墜落事件は、日本がイラク戦争と直結した戦場となっており、アメリカが日本の主権者になっている現実を暴露した。この問題は、たんに事故がないように基地をやってくれればよいというものではなく、沖縄だけでなく日本全土を核攻撃基地化し、中国、朝鮮、ロシアとの戦争に日本を総動員する道につながったものである。それは日本の若者がアメリカの国益のための戦争にかり出されて殺されに行くだけでなく、日本全土が原水爆の戦場になって、第2次大戦どころでない犠牲を強いられる道である。政治、経済、教育、文化など全面にわたる植民地状況は露骨なものとなっているが、その支配の根幹は在日米軍基地である。在日米軍基地は、かつての戦争によってつくられ、今日にいたっている。極東最大の軍事基地である沖縄基地の問題を考えるためには、基地として奪われた沖縄戦はどのような戦争であったのかから考えるほかはない。そしてこの問題は戦後、アメリカ占領者の宣伝と、その追随者、さらに平和勢力を装う共犯者によってさまざまに欺まんされ、真実がおおいかくされてきた。欺まんのベールは引きはがされなければならない。
 
 3カ月間も艦砲の嵐 「日本人を皆殺せ」の檄
 アメリカの極東最大の沖縄基地は、沖縄戦によってつくられ、軍政によって維持され、施政権返還後も「日米安保条約」によって保障されてきた。米軍基地の問題を考えるためには、基地ができた出発点である沖縄戦について考えるほかはない。
 沖縄戦は、沖縄県民にとって語るもおぞましい大殺りく戦であった。アメリカ軍は、空母16隻、戦艦8隻、巡洋艦16隻、駆逐艦数十隻、そのほか輸送船などあわせて1500隻を、はるか太平洋をこえて沖縄沖に大結集させた。兵員は上陸部隊18万人とあわせて55万におよぶ。太平洋戦争最大の作戦であり、ベトナム戦の最高時に匹敵する大部隊であり、沖縄の沖は海が見えないほど艦船で埋まった。
 この大艦隊が、3カ月にわたって艦砲射撃をつづけ、町や家屋や田畑をまさに地形が変わるほど破壊し尽くした。日本の海軍が壊滅して使い道のなくなった海戦用の巨大な砲弾、ロケット弾などを、地上にむけて絨毯(じゅうたん)砲撃をつづけた。1600機の艦載機を動員して、ナパーム弾投下、機銃掃射をやり、この艦砲のあとから地上軍が攻めこんだ。
 沖縄に配備された日本軍は正面から対抗する力はなく、米軍は無血上陸をした。米軍はすぐに沖縄の南北を分断、日本軍と住民を北部に逃げることができないようにして、南部の方に追いつめていった。ちなみにサイパン陥落後の前年8月には、本土への疎開船・対馬丸が米潜水艦に撃沈され、八百数十人の学童が殺され、疎開の道もふさがれて、まさに袋のネズミのようにされて虫けらのように殺されたのである。
 こうして沖縄は、空からは偵察機に追われ無差別爆撃にさらされ、地上軍からは動くものはみな撃たれる状況におかれた。壕や墓の中に逃げれば火炎放射器で焼かれ、爆弾や毒ガスを投げこまれ、あげくは壕の上から爆弾を仕かけられ壕ごとつぶされた。こうして住民は悽愴苛烈な極限状況におかれ、あてどもなく逃げまどい、殺された。戦後生き残ったものは「艦砲の食い残し」といわれた。
 沖縄戦の戦死者は、沖縄県援護課の調べで、本土出身兵6万5908人、沖縄出身軍人・軍属2万8228人、県民の戦斗参加者5万5246人、一般住民3万8754人となっている。だが戦後劣悪な収容所の中でのマラリアなどの病死、餓死などの死者を入れるなら60万県民の4分の1にあたる15万人が犠牲になったといわれている。
 1銭5厘の赤紙で家族を残して召集され沖縄に送りこまれた兵隊は、11万のうち捕虜は7401人だけで、事実上の皆殺し作戦であった。戦傷者は戦死者の3倍で、戦死が3分の1というのはその軍は崩壊というのが常識である。それはいかに徹底した皆殺し作戦であったかを示している。
 沖縄戦では、鹿児島県の知覧などから特攻機が1900機出撃し、若い命が海の藻くずと消えた。また戦艦大和を中心とする艦隊が、沖縄戦への玉砕前提の特攻攻撃にかり出され、4000人が戦死した。前年には沖縄に派遣する富山丸が米潜水艦に撃沈され兵隊4000人が命を失っている。

 追詰められた軍と住民
 沖縄戦の艦隊司令官・ハルゼーはこの戦役で、「ジャップを殺して殺しまくれ。もしみんなが自分の任務を立派に遂行すれば、各人が黄色い野郎どもを殺すのに寄与することになるのだ」と檄を飛ばしていた。軍事的な戦略目標への精密爆撃でなく、都市全体を焼夷弾で焼き払う絨毯爆撃の創始者ルメイ少将は「日本を打倒して暗黒時代に逆もどりさせる」と豪語していた。
 沖縄戦では、追いつめられた日本軍が、住民をスパイ容疑で殺したり、集団自決を命令した。それは軍国主義教育のもたらしたものであり、日本の軍隊が国民を守るものではなく天皇の支配を守る軍隊であったことを示している。しかし大きく見れば、米軍の無差別攻撃が軍と住民を極限的な絶望状態にとことん追いこんだことが、決定的な要因であることは明らかである。
 米軍の沖縄作戦は、破壊し尽くし、焼き尽くし、殺し尽くすという大殺りく戦であった。それは南京大虐殺をはるかに上回る蛮行であった。
 米軍は上陸の5日後には読谷村に軍政府を開設、琉球諸島の本土からの分離を宣言した。そしてすべての住民を16の収容所に隔離し、金網で囲って通行も許可しなかった。その間に広大な土地に金網をはって巨大な基地をつくった。
 ちなみに沖縄戦における米兵の戦死は1万2500人ほどであった。しかし米軍としては太平洋戦争全体で最大の犠牲であった。
  
 中国市場の奪いあい 大陸侵攻へ拠点確保
 このような沖縄における大殺りくの地上戦は、戦争を終わらせるのには必要はなかった。戦争を終わらせるためならば、戦争司令部である天皇と大本営を精密爆撃で攻撃すればよいものであった。(イラク戦争でも穴にかくれているフセインを捜し出し、アフガンではビンラディンを攻撃すると称して爆弾の雨を降らせた)それはせずに、なぜ、米軍としては最大の戦死者を出し地形が変わるほどの艦砲攻撃を加え、日本軍と住民を無差別殺りくする必要があったか。
 沖縄の家屋や街、田畑まで、跡形をとどめないほど破壊する必要がなぜあったか。日本軍は皆殺しにし、住民を無差別殺りくし、絶望的な状態においたのはなんの必要からか。それはたんに戦争を終わらせるためには必要ではなく、沖縄を奪いとり、広大な土地を奪って基地をつくるために必要だったからである。
 米軍の沖縄戦は「アイスバーグ作戦」と称された。その任務は「沖縄を奪取し、基地として整備し、沖縄諸島における制空、制海権の確保」とされていた。
 沖縄を奪いとること、それは日本を単独占領するという目的を実現するためが一つ。それ以上に、中国侵攻の拠点にするという目的を持っていた。
 沖縄侵攻の米軍司令官バックナーは、沖縄戦を開始した4月、「中国大陸への道筋とした、ロシアの拡張主義に対抗する拠点として、沖縄を保護領その他の名目で排他的に支配することが不可欠」といった。陸軍参謀長マーシャルは7月、「戦後に予想される紛争地域のなかには黄海周辺がふくまれる。したがって琉球に基地をおき、残りの地域を非軍事化して友好国にゆだねることが望ましい」といった。またバリアン・モリスは「この島を守ることが日本を独立国として生き残りうるか否かのカギとなっていた」といった。
 アメリカが沖縄戦を決定したのは前年の10月であった。それまでは、台湾・中国本土への侵攻が米軍の戦略であった。しかし44年内ともくろんだドイツの降伏が遅れ、ヨーロッパ戦線からの兵力が移動できないなかで、日本を占領し、中国に侵攻するうえで絶好の位置にある沖縄を奪い巨大な基地をおくことに変更した、といういきさつがあった。
 アメリカと日本の戦争の最大の争点は、中国市場の争奪であった。中国はイギリスなどの半植民地状態にあったが、日本軍が中国全面侵略をすすめるなかで、アメリカは日本をうち破って中国を奪いとることを最大の戦略とした。米英は中国の抗日戦争で、蒋介石を支援し中国権益を得ようとしていた。
 日本がソ連と戦争するのではなく、日独伊3国同盟を結び、北部仏印に侵攻することで、アメリカの蒋介石への戦略物資の支援ルートを断つということで対立は激化した。アメリカは日米通商航海条約を破棄し、航空用ガソリン、くず鉄の対日輸出を禁止し、南部仏印侵攻すると、在米資産凍結、石油輸出の全面禁止をやり、中国からの全面撤退を要求した。そして12月8日の日米開戦となった。日本軍の真珠湾攻撃はアメリカにとって日米開戦の絶好の口実となった。それは9・11テロを、アフガン、イラクへの石油略奪戦争の口実にしたのと同じである。

 沖縄と本土の分離政策
 沖縄を本土と分離し、長期に軍政のもとにおいたのはアメリカの政策である。その最大の根拠は、中国、アジア支配の戦略のために、公然とした核基地として米軍が気兼ねなく使うためというアメリカの都合からである。アメリカは、沖縄戦のまえに沖縄について調査研究しており、捕虜収容所でもはじめから本土兵と沖縄兵を分離するなど、本土と沖縄の対立を意図的に組織した。
 その後の事実は、中国人民の抗日戦争が勝利すると、国共内戦をそそのかし、蒋介石を援助して、中国共産党・人民解放軍を攻撃した。しかし、アメリカの意に反して、中国共産党は蒋介石軍をうち破り、中華人民共和国を樹立した。中国革命が勝利すると、アメリカは沖縄と本土の基地を出撃基地にして朝鮮戦争をひき起こし、台湾での武力衝突をやり、ベトナム戦争をやった。それらの戦争は革命中国への攻撃が中心問題であった。中国を支配下におくという戦略は現在もつづいている。
 沖縄戦の大殺りく戦は、戦争を終わらせ、自由と民主主義を実現し、沖縄県民、日本人民を軍国主義から解放するためにはまったく必要なかった。広島、長崎への原爆投下は、戦争を終結させるためではなく、ソ連の参戦に焦り、ソ連や天皇を脅しつけて、日本を単独で占領するという目的のためであった。東京や大阪をはじめ全国の都市を焼き払う絨毯爆撃空襲も同じ目的を持っていた。
 アメリカにとって、対日戦争の終わりは少しも戦争の終わりを意味しなかった。アメリカは休むことなく中国の蒋介石を支援して戦争に乗り出した。沖縄戦の大殺りくはまさにそのような帝国主義強盗の残忍な野望のためにひき起こされたのである。
   
 日本敗戦決まっていた 中国人民の抗日戦勝利横取り
 沖縄戦をめぐっては、満州事変にはじまる日本軍国主義の侵略戦争が行き着いた先であり、日本軍にすべての責任があるという宣伝が支配的である。日本軍が、沖縄の住民をスパイ容疑などで殺害し、集団自決を強いて住民に犠牲を押しつけた元凶であり、沖縄が本土決戦の準備のための時間稼ぎの捨て石にされたという評価が支配的である。これは沖縄戦の一つの面であるが、対するアメリカの対日戦争目的について、まるで日本人民を助ける人道的で、平和と自由と民主主義の代表であるかのようにみなすのは、まったく事実に反することである。
 もう一方で、沖縄戦における天皇を頭とする帝国主義支配階級の犯罪は大きい。沖縄戦の時期にはすでに日本の敗戦は決定的なものとなっていた。
 第二次大戦のヨーロッパ戦線では、アメリカはドイツをそそのかしてソ連に攻めこませる陰謀をめぐらした(ミュンヘン会談)。米英は独ソ戦では、ドイツにたいする戦線を開かず、ドイツがソ連を侵攻し独ソの双方が疲弊するのを高みの見物を決めこんでいた。ようやくノルマンディー作戦を展開しヨーロッパに上陸するのは、スターリングラードのたたかいで、ソ連軍がドイツ軍をうち破り、ソ連赤軍がベルリンにむけて、なだれを打って攻めこんでいるときになってからであった。米英の参戦は、ソ連に対抗したヨーロッパの陣取り合戦にほかならなかった。
 沖縄戦のまえから、連合国側はヤルタ会談をやり、日本の敗戦は既定事実として戦後処理の検討にかかっていた。すでに日米開戦の半年後にはミッドウェー海戦で壊滅的な打撃を受け、その後は敗走につぐ敗走となっていた。前年のサイパンの陥落から、東京をはじめ全土がB29の空襲を受けるようになり、全土は爆弾の雨を浴び放題。海軍は壊滅状況になり、制空権も制海権も奪われていた。
 中国には100万の軍が釘づけとなり、南の島ではとり残された兵隊がチリヂリとなり、飢えと病気で死んでいた。本土の軍も力のない軍隊が残されるだけで、女や年寄りがバカげた竹槍訓練をさせられている状態であった。
 天皇とその側近のなかでは、天皇の支配的な地位をいかに守るかが最大の関心となっていた。敗戦の前年、近衛文麿の天皇への上奏文がある。それは「敗戦は必至。英米の世論は国体の変革までは進み居らず。もっとも憂うべきは敗戦にともなって起きることあるべき共産革命にござ候」というものであった。
 天皇を頭とする戦争指導者の中枢は、敗戦を早くから自覚しながら、みずからに戦争責任がおよぶことを避け、支配が維持される形で米英に依拠して降伏する条件を探ることが関心であった。そして国民には「本土決戦」「一億玉砕」を叫び、赤紙でかりたてた兵隊を無為にせん滅戦にさらし、幾十万の非戦斗員を殺されるままにほうり出した。残虐きわまりない東京空襲で、アメリカは皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。
 天皇を中心とする支配階級は、むしろアメリカの無差別攻撃に国民がさらされ、アメリカの占領にたいしても、天皇の責任追及についても、立ち上がれないほど、疲れはてさせることで、アメリカと利害を一致していたとみなすことができる。
 ドイツが降伏して3カ月後すなわち8月8日と決められたソ連の参戦をまえに、アメリカは広島に原爆を投下し、9日には長崎に投下した。ソ連の参戦は日本の敗戦を決定づけるものであった。原爆は、ソ連の影響力を排除して日本を単独占領するために必要であったが、天皇も自分の地位を保障してもらって戦争を終わる格好の口実となった。
 アメリカは早くから日本占領を研究し、天皇を利用することは、100万の軍隊を駐留させることに匹敵するとみなしていた。そしてマッカーサーの前に命乞いにあらわれた天皇を利用する方向をすすめた。
 アメリカは日米戦争をへて日本を単独占領した。しかし日本帝国主義にたいしてもっとも大きな打撃を与えたのは、アメリカではなく中国人民の抗日戦争であった。日本軍の主力は陸軍であるが、その100万は中国に釘づけであった。侵略を中国全土に広げたが、抗日戦争の持久戦によって、各個撃破のせん滅戦にあい、うち負かされていた。中国人民の死者は1000万人をこえる。これが日本の最大の戦争であった。
 アメリカは単独で日本を占領するために、アメリカがうち負かしたような顔をする、必要があった。そして、圧倒的な物量、原爆をはじめとする最新鋭兵器を持って、日本軍を徹底的にせん滅し、沖縄戦をやり、全土の空襲をやり、原爆を投下し、数多くの無辜(こ)の非戦斗員を殺りくした。
 アメリカはヨーロッパでソ連と各国のパルチザン斗争が勝ちとった勝利を横どりしたのと同じように、中国・アジア人民が血を流して得た勝利をくすねとったのである。アメリカの対日戦争における戦死は3万人台にほかならない。遠く離れた兵器戦は得意だが、その地を占領するための白兵戦の力は人民にはかなわないのである。アメリカより強いのは、民族の解放のために立ち上がった人民戦争であり、その教訓はベトナム戦争でも現在のイラク戦争でも証明されるところである。

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