いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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記者座談会 第五波で政府がすべきは何か 病床増やし検査・隔離の徹底を

 首都圏はじめとした都市部を中心に東京五輪と同時進行で新型コロナウイルス(デルタ株)の爆発的感染が広がり、またもや医療崩壊が深刻なものになろうとしている。1日の感染者数は18日に過去最大の2万3000人を突破、自宅療養者の数も膨れあがるなど、感染力の強いデルタ株の猛威に晒され、それが盆休みなどの帰省を通じて地方に波及している。国内初感染が確認されてから1年7カ月が経過したが、この間に新型コロナウイルスは変異をくり返してアルファ株からデルタ株、さらに中南米で猛威を振るっているラムダ株の出現など、姿形や特性を変化させながら世界中にまん延し、各国でこの封じ込めのために防疫対策がとられてきた。しかし、一部でワクチン接種が進み、治療薬の開発が進められているものの、現実的には「コロナ後」を見通せる状態にはなく、社会的混乱はますます深まりを見せている。100年ぶりの疫病禍を乗りこえるために必要な施策は何か、とりわけ思考停止状態に陥っている日本政府の対応について、記者座談会で問題点を整理してみた。

 

 A マスク生活も1年半。どこへ行くにもマスクは公衆衛生上の配慮から欠かせず、検温、消毒、手洗い、うがいが習慣のようになった。目に見えないコロナに対して、個人でできることといえば限られ、移動するにしても人と会うにしても運任せみたいな側面もあるが、そのなかで、極力人の多いところには出かけないとか、会食を控えるとか、集会や催し事も中止したり、この1年7カ月はまさに非日常だ。

 

 しかし、もうじき2年経とうかというのに、いまだに収束のメドがないことが世の中全体をズーンと重苦しくさせている。辛抱にも限界があるし、この疫病禍はどこまで広がるのだろうか…と先が見通せないため、不安とかストレスをため込む人も少なくない。業種や職種によっては、生活がままならず困窮している人も相当数いるが、政府による補償もなく自己責任に委ねられて放置されている。なんとも冷たい世の中だ。

 

 B 非日常が2年も続くというのは相当なストレスで、故に首都圏でも「やってられるか」の空気が強まっているという。補償もまともにない状況で食っていくために店を開かざるを得ない飲食店が出てくるのは当然だ。緊急事態宣言が発出されても「人流」は減っていないし、社会的にも第一波のときのような緊張感は薄れている印象だ。というか、日本政府の実質的に何もしないパフォーマンスに付き合わされて愛想をつかしたかのような空気もある。五輪まで強行開催するからなおさらなのだ。

 

  感染者が爆発的に増えて、「感染経路不明」が多いのは、既に従来の濃厚接触者追跡のクラスター囲い込みでは手に負えないレベルになっていることを示している。そして、既に疫学的検査は投げ出しており、どれだけの感染拡大が進んでいるのかも一日の感染者数だけでは把握できない状態にある。感染者の保護・隔離のためにまずは検査が必要だが、徹底的な検査によって感染者を割り出さない限り、このいたちごっこは永遠に続く。ザルから漏れた無症候の感染者が市中に野放しにされる限り、そこが感染源になって人知れず広がり続けるからだ。

 

 世界的にはPCR検査を徹底してきたが、日本ではいつでもどこでも誰でも何度でもPCR検査を受けられるような体制はいまだに整備されていない。PCR検査には擬陽性もあるというが、だからといって「やらない」のであれば、コロナウイルスに対して目隠しでたたかいを挑むようなものだ。誰が感染しているかがわからないから検査するのであって、それを放棄するということは感染を野放しにすることにほかならない。初期の頃からずっと専門家が指摘してきたことなのに、一向にやろうとしないのはなぜなのか? だ。国内企業がより迅速に大量に検査できるPCR検査機器を開発しているのに、それらは海外に輸出され、日本国内のPCR検査体制の強化のために導入されない。本来なら政府が全力で買い上げるべきものだ。

 

 D 台湾や中国でもデルタ株が発見されたが、PCR検査によって極めて限定的な段階で抑え込み、今のところ封じ込めに成功している。中国では十数人見つかった地域で1000万人以上をPCR検査する徹底ぶりだった。初動が早く、無症状の感染者をきっちり保護隔離するなら抑え込めるということだ。あるいは島国のニュージーランドでは一人出ただけでもロックダウンする。徹底している。

 

 発熱や自覚症状がある人のみの検査(日本方式)では、市中に無症状のスプレッダーを野放しにしてしまい、そこから傷口が広がる。そうやって、今日の第五波のように手が付けられないレベルにまで日本国内はコロナに汚染されてしまった。PCR検査の業務が大変だから「やらない」、病床が埋まったから「医療をやらない(自宅で寝てろ)」、困窮する国民生活の補償も「なにもやらない」等等、結局なにもやらんのかい! と思う。無為無策に対する批判は各方面から為されてきたが、医学的、科学的対応よりも政府の五輪を開催したいとかの恣意が勝って、後の祭りみたいな状態に追い込まれているのだ。今日の第五波も東京五輪でヒャッハーしている傍らで拡大したもので、その労力とカネをコロナ対策に回していたらどれだけ違ったことか。とことんバカげているのだけど、まさに後の祭り状態なのだ。

 

  デルタ株が指数関数的に増えることを考えると、この第五波はまだまだ巨大な波になることが想定される。それだけ重症患者も増える。だからこそ、まずはいかなる形であれ病床の確保をしないと救える命も救えない最悪の事態を招いてしまう。

 

 A 第五波で患者が急増しているのにともなって、日本政府は病床が足りないことを理由に重症患者以外を原則として「自宅療養」とする方針転換を表明したが、さすがに医療関係者はじめとした批判世論の高まりを受けて軌道修正するに至った。軽症者はまだしも、中等症患者の中には急激に病状が悪化して呼吸困難に陥ったり、容体が急変することもあるわけで、「自宅で寝てろ」は見殺しを意味する。その搬送も救急隊の業務が逼迫してままならないのが現実で、既に自宅療養死も出始めている。

 

 C  8月に入ってからの感染者数の増大は過去にないもので、東京では5000人台が連日のように続き、1日あたりの全国の感染者数も2万人台に突入している。重症患者も過去最大の1600人近くになり、当然病床が逼迫している。「重症者」といった場合、集中治療室などでの管理や人工呼吸器が必要とされる人、体外式膜型人工肺を取り付けている人などが含まれる。

 

 ICU(集中治療室)の病床はコロナ前から各病院にそれほど多くなく、三交替のICU専属医師や看護師を抱えている病院は元々少なかった。他の診療科と兼務する形の、いわば“なんちゃってICU”がほとんどなのだと医師たちはいう。山口県内でも、山口医大など3病院しか本来あるべき形のICUは存在しない。命の砦になるこの重症病床の数が極めて限られ、しかも次々と埋まっていき、さらにコロナ患者が過去最大のスピードで急増する事態になっている。病床が足りないのだ。

 

 医療機関は「1㍉も余裕はない…」といい、限界を迎えている。東京都のモニタリング会議では感染状況について「制御不能」として、「もはや自分の身は自分で守る行動が必要」、医療体制についても「深刻な機能不全に陥っている」とお手上げ状態のような感じだ。

 

 

  自宅療養者は東京都だけでも2万人をこえ、全国では8万人近くにものぼる。ところが第五波が深刻になるなかで政府が何をいい始めるのかと思ったら、前述のようにコロナ感染患者について「重症患者や重症化リスクが高い人以外は原則、自宅療養とする」というものだった。単純にいうと見殺しだ。自宅療養の軽症患者が容体急変で119番通報をしても半数以上が病院に搬送されないというのに、今日の爆発的感染への対処が医療体制の拡充ではなく、「自宅で寝てろ」というものだった。さすがに各界から批判が高まって軌道修正したが、国民の生命を守らなければならない政府が、分科会の医師たちの意見も何も聞かずに、こんなことを平然と打ち出す。とんでもない政府といえる。

 

即座に病床増やす各国 日本は自宅置き去り

 

  医師たちがこれまでの経験から指摘しているのは、コロナの場合、軽症の患者のなかでも急速に容体が悪化する人が少なからず存在するため、医療を施せる環境下で保護しなければならないということだ。ホテル療養とて、医師が診察して様子を観察し、不測の事態に陥った際にはすぐに対処できる状態を確保しないといけない。ところが、日本政府ときたら病床が足りなくなったら「自宅で寝てなさい」というのだ。世界中を見渡しても、そんな国はどこにもない。為政者としては全力で国民の生命を守るために動くというのが当たり前だ。

 

 ここで重要なのは、「足りないなら病床を増やす」をなぜ選択しないのかだ。各国の例を見てみると、昨年ニューヨークで爆発的感染が起きた際、クオモ知事は大型展示場や病院船などを利用して、およそ3週間で9万床のベッドを確保した。野戦病院のようなテント作りの病床もあったが、とにかく病床を増やし、近隣の州から酸素吸入器などもかきあつめて対応した。

 

 同じように中国では武漢で10日間でユニットハウスの巨大なコロナ患者用病院「火神山医院」をつくった。その他にも体育館や大規模施設を利用して臨時病床をつくったり、軽症患者に至るまで保護隔離する対応だった。「自宅で寝てなさい」では疫病は抑え込むことが不可能で、その家族に至るまでますます蔓延するからだ。

 

  イギリスでもロンドン五輪会場を仮設病院に作り替えたナイチンゲール病院で4000床、500台の人工呼吸器を設置したが、あの時設計を担当したのは日本企業だった。「能力がないからできない」のではなく、「能力はあるのにやらない」をやっているだけなのだ。民間企業や専門家の英知を結集して対応するなら、まだまだ無限大の能力があるだろうに、そうした力が生かされていない。思考停止した政府が行政を司っているという悲劇がある。

 

 それこそ東京五輪の選手村は14~18階建てのマンションのような宿泊施設が21棟もある。そこに五輪期間中は1万8000床のベッドが置かれていたわけで、すぐにでもコロナ病床として転用するとか、できることは山ほどある。7000人の医療関係者を五輪に動員していたが、そうした力を対コロナに振り向け、しっかりと医療従事者のもとに患者たちを保護するのがベストだ。

 

 何万人もの患者を自宅に置き去りにして、その都度救急搬送でそれぞれの個人宅まで迎えに行かなければならないというのでは効率も悪い。それよりも大規模な収容施設をもうけてひとまとめに収容して、医師の管理下で患者の症状を捉え、最悪の事態を回避するような体制を作らなければならない。どこの国も「足りないなら病床を増やす」を選択し、社会主義の中国であろうが、資本主義のイギリス、アメリカだろうが「国民の生命を守る」ための対処をしている。

 

 医療体制の少なさという都合に患者を合わせて「自宅で寝てろ」をやる国など他にない。その病床の少なさも元はといえば自民党政府が進めた病床削減のせいなのだ。さんざん病床を削減しておいて、いざ不測の事態に陥ったら「自宅で寝てろ」はあんまりだ。コロナの感染拡大や患者数の増大に照応して、なにがなんでも医療体制を確保しなければ話にならないのだ。

 

政権担当能力のなさ暴露 内閣の支持率急落

 

  医師たちが診てきたところでは、重症化するはるか手前の初期の段階で適切な医療を施しさえすれば、それこそ「ただの風邪」といえるレベルまでコロナの特性は見えてきたという。だからこそ初期の段階、感染がわかった軽症のうちに対応することが重要だ。感染拡大のペースや重症者の数を見る限り絶望的なものもあるが、しかし手の打ちようが何もないわけではない。「自宅で寝てろ」によって、なんなら自然治癒に委ねるというような放置ではなく、医学の力、科学の力によって対応するほかないのだ。

 

 疫病禍で自民党政府がフリーズ(固まって動かなくなる)して、アベノマスクを配ってみたり、PCR検査を抑制したり、頓珍漢な対応によってこれほどまでに国内の感染を広げてしまったが、本来なら島国である日本は封じ込めには有利な環境のはずだ。各国がやっているように水際対策を徹底することにくわえて、検査を真面目にやって無症状の患者に至るまで保護隔離しなければ、とてもではないが封じ込めなど実現できない。そのためにも疫病に対して無能な政治家が采配を振るい、いつまで経ってもコロナが収束しないばかりか、むしろ日本列島全体が泥沼のような状態に向かっているのに歯止めをかけないといけない。これは10~11月の解散総選挙で重要な争点にならざるを得ない。

 

  官僚機構もここまで落ちぶれたのかと愕然とするが、自民党に政権担当能力などないことをコロナ禍はこれでもかというほど炙り出した。内閣支持率が急激に落ち込んでいるが、「何もしない」のだから当たり前だ。「もはや手がない」とか「次に切れるカードがない」などと政府関係者たちがぼやいていると報道されるが、これまでにいったい何のカードを切ってきたのかと思う。

 

 緊急事態宣言といっても結局のところ「みんな自分で気をつけてね」の範疇でしかなく、何度もくり返しているうちに誰も相手にしなくなった。リモートで働ける環境にない人も多く、デルタ株は空気感染するともいわれるなかで東京では満員電車がそのままだ。国民一人一人に対する補償が10万円1回こっきりで、とてもではないがそれで自宅にこもることなど無理なのだ。

 

 D 検査、保護隔離、治療。これが世界中でやられているコロナ対策の基本だ。「憲法の規制があって日本ではロックダウンができない」などといっている者もいるが、生活をしっかりと補償して、みんなで強烈に自粛する期間を集中的にもうけるほかにない。現状ではダラダラと緊急事態宣言、解除をくり返して「付き合ってられっか!」の空気が広がっており、そこをデルタ株が急襲している。重症者の7割が50代以下の世代で、現役世代にとっても他人事ではない。

 

  一方でワクチン接種も進んでいるが、50代以下はまだまだ順番が回ってきていない。デルタ株の感染拡大という局面で、「いつになったら打てるんだろう…」と思いながら順番待ち状態が続いている。下関では盆前に50~59歳の予約受付がようやく始まり、40代以下は盆明けからようやく受付がはじまった。しかし、一日1000人とかで枠が狭い。近隣の市では10代の接種も始まっているというのに、市長の前田晋太郎(元安倍事務所秘書)が65歳以上の接種の際、1カ月半もサボタージュしていたのが若年世代にも影響を及ぼしている。前田晋太郎と同世代の40代も「ふざけんなよ!」と話題にしている。

 

 たまりかねた人たちのなかでは、「住所地外接種」で他都市でワクチン接種を予約する人も続出している。例えば北九州に働きに行く人であれば、まず厚労省のホームページから「住所地外接種」の届け出をして、理由としては「居住は下関ですが、仕事で頻繁に北九州市に出向くため」等等の理由を記してクリックし、発行された「届出済証」をPDFでダウンロードするかスマホでスクリーンショットをとり、そこから北九州市のワクチン予約機関に電話を入れて住所地外接種をしたい旨を伝えると迅速に予約を入れてくれる。接種当日は届出済証とワクチン接種券、身分証明書を持って、北九州市内の指定された接種会場なりクリニックに打ちに行くという案配だ。

 

  デルタ株がどんな勢いで広がっていくのか想像がつかないが、重症化予防の効果はあるということでワクチン接種をする人も多い。しかし抗体がどれだけ長期に持つかわかっておらず、抗体値が下がっているのを理由に3回目のワクチンを接種する国もある。
 

 

 ワクチンについては人によって「様子見」の人もいるし、一方で極端なものでは反ワクチンで陰謀論を熱弁する人もいたり、なんだか下手をすると感情的な議論になりがちなのだが、ワクチン頼みだけではコロナの終息にはつながらないことも見えてきた。ブレイクスルー感染も問題になってきた。ワクチンで重症化を防ぎつつ、また治療薬の開発も急がれるが、やはり感染拡大を世界的に封じ込め、最終的には集団免疫を獲得しなければ終息にはならないのだ。本当の意味で「ただの風邪」になるまでにはまだまだ道のりがある。

 

  ワクチンへの不信でいうと、政府への不信が拒否反応となってあらわれている側面が強いのではないか。国家と国民の信頼関係が乏しい国ほどワクチン拒否が根強いようで、日本国内を見てみると、どちらかというと「左」にウイングをとっている人のなかで多いような気もする。「何も信じられない」という思いが根底にあるようだ。リスクがないわけでもないのだから、慎重に考えて判断するというのは大前提だが、いずれにしても科学的に判断する以外にない。

 

  mRNAワクチンといわれても一般的には知られておらず、なんだか得体の知れないワクチンのようにも見られがちだ。「打ったら体に磁石がくっつく」とか「五年以内に死ぬ」とかさまざまな風説がSNS上に出回って、一種の混乱状態にあるなかで、もっと専門家たちによる発信が必要なのではないか。リスクも含めて、どのようなワクチンであるのかを落ち着いて説明するとか、アナウンスが求められる。菅義偉が出てきて、死んだ魚みたいな目をしてワクチン接種を促されても説得力はないし逆効果だ。

 

  そういう意味で日本学術会議のシンポジウム「新型コロナワクチンを正しく知る」はわかりやすかったのだが、一方で「ワクチンを推奨するなどけしからん!」と激怒する人もいたり反応はさまざまだった。学者や専門家の意見に耳を傾け、素人とてそこから学んで自分なりに考える以外にないのではないかと思う。さすがに「磁石が~」とかの主張をする類いについては、ちょっとどうしようもないのかな…とは思う。あくまで科学に拠るべきだ。

 

  第五波の緊張した局面で、なお日本国民は実質的な自己責任で放置されている。これまで論議してきたように、政府をしてやるべきことは大概はっきりしている。国民に理解されたうえで集中的な自粛期間をもうけ、その期間の全国民の生活を補償しつつ、検査の徹底、感染者の保護隔離、治療をする以外に封じ込めの術はない。現状では放置、棄民をやめさせることが最重要課題で、自民党政府がヌボーっとしているなら、衆院選で首をすげ替える以外にない。国民の生命を守る政府の大切さが身に染みてわかるコロナ禍でもある。

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