いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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TPP阻止の全国民的運動を この国に未来はあるか 東京大学大学院教授・鈴木宣弘

 信じ難い背信行為

 昨年末の総選挙で、公約に書いたことは行わず、書いてないことを実行しようとした民主党政権に国民は「レッドカード」を突きつけた。国民はばかではない。選挙に勝てば、平気で公約を無視する政治には手痛い「しっぺ返し」が待っている。しかし、驚くべきことに、民主党政権を公約違反だと批判し、「TPP(環太平洋連携協定)反対」を公約として、全国の地域の期待を集めて登場した自公政権が、舌の根も乾かないうちに、もう約束を反故にし、同じ轍を踏もうとしている。地域の民意を受けて六割を超える議員がTPP反対と訴えていながら、一部の官僚と官邸の暴走をあっけなく許してしまうのか。これは有権者に対する信じがたい背信行為である。TPPに賛成か反対かを超えて、このような政治が繰り返されることを、国民は許すのだろうか。

 共同声明文の曲解

 安倍総理は、想定されたとおり、オバマ大統領から「聖域なき関税撤廃を前提としないことを明示的に確認した」として、残された自動車の規制緩和などの「前払い金」交渉を早急に詰め、TPP交渉参加に向けて舵を切ろうとしている。しかし共同声明は、「全品目を交渉対象として、高い水準の協定をめざす」ことを確認した上で、「交渉に入る前に全品目の関税撤廃の確約を一方的に求めるものではない」と形式的には当たり前のことを述べているだけで、「例外がありうる」とは言っていない。

 例外はほとんどあり得ない

 そもそも、いままでにない例外なき関税撤廃、規制緩和の徹底をめざすTPPでは、「すべての関税は撤廃するが、7~10年程度の猶予期間は認める」との方針が合意されている。米国は乳製品と砂糖について、オーストラリア、ニュージーランドに対してだけ難癖をつけて例外扱いにしようとごり押ししているが、両国は反発し、そんな例外を認めるのであればTPPに署名しないといっているくらいで、圧倒的な交渉力を持つ米国でさえ例外が認められそうにないのに、日本がどうやって例外を確保できるのだろうか。

 「聖域」とは

 そして、「聖域」とは何をさすのか。コメだけでも例外にするのが不可能に近いのは明らかで、かりにも、コメだけが例外にできたとしても、乳製品や砂糖など、いままで日本が「聖域」にしてきた重要品目すべて(関税分類上は840品目)を守ることは不可能であり、北海道、沖縄をはじめ、全国の地域コミュニティの崩壊が避けられない。日本にとっての「聖域」は到底守られないのであって、聖域なき関税撤廃が回避できるという解釈はそもそも間違っている。

 屈辱的な途中参加条件

 「早く入れば交渉が有利になる」「交渉力で例外も作れるし、いやなら脱退すればいい」というのも極めて難しい。そもそも、米国は、「日本の承認手続きと現九ヵ国による協定の策定は別々に進められる」と言っている。最近、米国がメキシコやカナダの参加を認めたときも、屈辱的な「念書」が交わされ、「すでに合意されたTPPの内容については変更を求めることはできないし、今後、決められる協定の内容についても口は挟ませない」ことを約束させられている。つまり日本がどの段階で交渉に参加しようが、法外な「入場料」だけ払わされて、ただ、できあがった協定を受け入れるだけで、交渉の余地も逃げる余地もない。


 理不尽な入場料を飲まされる

 しかも、共同声明では「自動車部門や保険分野に関する残された懸案事項」について、日本が早急に入場料を支払うよう明記された。「その他の非関税措置」についても対処を求められた。例外品目確保の保証を得られず、「入場料」だけを一方的に求められるようなものだ。
 この「入場料」交渉については、国民にも、国会議員にも隠されてきたが、今回の共同声明で「公然の秘密」となった。国民には「情報収集のための事前協議」とウソを言い続け、水面下では、自動車、郵政、BSE(狂牛病)の規制緩和など、米国の要求する「入場料」に対して必死で応える裏交渉を煮詰めてきた。
 BSEに伴う米国産牛肉の輸入制限は、2011年10月の緩和検討の表明から「結論ありき」で着々と食品安全委員会が承認する「茶番劇」である。米国へのお土産として表明したのは明らかなのに、「科学的根拠に基づく手続きでTPPとは無関係」と平気で言い続けた。国民をバカにするのもいい加減にしていただきたい。
 自動車については、ゼロ関税の日本市場なのに、「米国車に最低輸入義務台数を設定せよ」と「言いがかり」の要求を突きつけられているが、これを国民に知らせて、あからさまに議論したら、日本国民も猛反発するに違いないから、所轄官庁が極秘に譲歩条件を提示している。良識ある官僚は、「そんなことを国民に隠して、あとで日本がたいへんなことになったら、あなたはどう責任を取るのか」と迫るが、逆に、「はき違えるな、我々の仕事は、国民を騒がせないことだ」と言われる始末である。米国が「頭金」を払ったと認めたときが実質的な日本の「参加承認」である。昨年11月の東アジアサミットでも、日本の「決意表明」が結局見送られたのは、まだ米国が「頭金」が足りないと言っているからで、国民の懸念の反映ではない。
 国民には、「アイデアの交換をしているだけで、日本のTPP参加とは何ら関係がない」と平気で言い続け、国会議員が何十人も集まって「説明せよ」「説明できることはない」の押し問答を何十回も繰り返し、この異常なやり取りをテレビカメラも一部始終撮影しておきながら、地上波は一切流さない。TPPの異常さが国民にわかってしまうからである。
 国民はもとより、その民意を代表している(はずの)国会議員もここまで愚弄し、TPP参加を既成事実化し、タイミングだけの問題としようとする卑劣な手法は許し難いが、それがいよいよ完結しようとしている。このような事態の進行を、結局、誰も止められないのか。

 公約の6項目はどうなったか

 総選挙での自民党の公約は6項目あった。「聖域」問題はもちろんほかの公約も守られる保証は何もない。それどころか、「自由貿易の理念に反する自動車等の工業製品の数値目標は受け入れない」と公約しながら、共同声明では、逆に、日本の交渉参加の承認条件の一つとして「前払い」することを確約させられている。
 あるテレビ局の方が、日本は米国からの要求に対しての「守り」ばかりで、日本のメリットとして米国に要求する「攻め」はないのかと考えてみたが、出てこないので困ってしまったと漏らしている。米国の2・5%の自動車関税がなくなるのが、せめてものメリットかと考えたが、それさえ、逆に、米国側から猶予期間を要求されている。
 「国民皆保険制度を守る」「食の安全基準を守る」「国の主権を損なうようなISD(投資家対国家紛争)条項は合意しない」という公約も守られる保証は何もない。むしろ、国内的には、こうした公約を自ら破り、TPPのお膳立てを着々と進めている。以前の自公政権がやろうとした極端な規制緩和は、若者を含む多くの雇用を奪い、地域の商店街を潰し、地域医療も崩し、人々が助け合い、支えあう安全・安心な社会を揺るがし、三年半前に「ノー」を突きつけられたはずなのに、性懲りもなく、「経済財政諮問会議」「産業競争力会議」「規制改革会議」などを復活し、大手企業の経営陣とそれをサポートする市場至上主義的な委員を集め、「規制緩和を徹底すれば、すべてうまくいく」という「時代遅れ」の方向性を強化している。それを貫徹する「切り札」がTPPである。

 条件闘争では立ちゆかない

 交渉参加の流れに抗しがたいかのような雰囲気に飲まれて、「条件闘争」に入るべきとの声も聞こえてくるが、けっして、そういう議論に乗るべきではない。TPPは、いままで日本が「聖域」にしてきた重要品目をいきなりゼロ関税にすることだけをとっても、金銭補償などの「条件」で何とか相殺できるようなレベルの協定ではない。かつ、関税だけでなく、日本の独自のルールが非関税障壁として否定され、国民生活全体に多大な損失をもたらす。ひとたび受け入れてしまえば、取り返しがつかない。

 誤解を生む世論調査

 各種世論調査では、TPP推進の声が多いかのように出ているが、人口の四割が集中する首都圏中心に行われる、わずか1000人程度の結果は誤解を生む。首都圏の人口を支えているのも、北海道から沖縄までの全国の地域の力である。人口は都市部に多くても、単純に人の数だけで評価されるべきではない。
 全国の多くの地域がTPPに反対している。都道府県知事で賛成と言っている方は6人しかいないし、都道府県議会の47分の44が反対または慎重の決議をし、市町村議会の9割が反対の決議をし、地方紙はほぼ100%が反対の社論を展開している。だから、都道府県ごとに世論調査をして47の結果を並べてみれば、圧倒的にTPP反対の声が大きいはずである。だからこそ、自民党議員の六割以上がTPP反対を唱えているのである。しかし、このような全国各地の地域社会の声が、東京中心のメディアの発信ではほとんど伝わらない。全国の真の声を共有しなくてはならない。

 この国に未来はあるのか

 徹底的な規制緩和を断行し、市場に委ねれば、世界の経済的利益は最大化されるという論理は、単純明快だが、極めて原始的で幼稚である。突き詰めれば、政策はいらないのであるから、市場原理の徹底を主張する政治経済学者は、自分もいらないと言っているようなものである。それを徹底すれば、ルールなき競争の結果、一部の人々が巨額の富を得て、大多数が食料も医療も十分に受けられないような生活に陥る格差社会が生まれる。それでも、世界全体の富が増えているならいいではないか、と言い続けている。そんな「経済学」に価値はあるのだろうか。逆に平等を強調しすぎると、人々の意欲(インセンティブ)が削がれ、社会が活力を失う。
だから、最適解は、その中間のどこかにある。そのgolden mean(中庸)を見つけることこそが、我々に求められている。にもかかわらず、いまだに、とにかく市場に任せるだけで何もいらないかのような短絡的な議論が高まっていることは、何と進歩のないことか。TPPを進めるというのは、まさにそういうことなのであり、格差社会をめぐって世界各地で暴動が起きていることを無視した、時代に逆行した方向性である。このようなTPPの拡大をくい止め、世界の均衡ある発展につながる柔軟で互恵的なルールをアジア中心に作らなければ、日本の、アジアの、世界の将来はない。米国の言いなりでない、日本独自の将来構想を具体的に示すときである。
 全国民が、「米国の経済植民地化」を完結しようとするTPPの恐ろしさを再認識し、国民を欺き、水面下でTPP参加を既成事実化し、発表のタイミングだけの問題としようとしてきた一部の官僚と官邸の暴走を止めて、ここで敢然と米国の要求を拒否しないと、日本の、そして世界の将来は救えない。日本が入ってしまったら、他のアジアの国々も入るしかない状況が生まれてくる。すでに、カナダは日本の参加を想定して日本との貿易が不利になることを恐れてTPPに参加表明した。日本が、日本のみならず世界を暴力的な協定から守る「砦」である。大企業の経営陣も、「自分だけ、今だけ、金だけ」で、自らの目先の利益だけを追求していて、そんな生き方は本当に楽しいのだろうか。多くの人々の生活が苦しくなったら、自分たちも結局立ちゆかなくなることが、なぜわからないのだろうか。
 自民党内に六割を超える反対の声があるが、最後は、「党は必死で反対したが、官邸が専権事項として進めてしまった」と言い訳をして幕引きするのか。そんなことになれば、民主党政権にもまして「背信行為」の極みである。国民は、このような政治を許すのだろうか。
 いまこそ日本に政治家がいる意味が問われている。何歳になっても、保身と見返りを求めて、国民を見捨てて生き延びても、そんな人生は楽しいだろうか。日本にも本当に立派な政治家がいたな、と言われて、政治生命を全うしてほしい。それこそが、実は、自らも含めて社会全体を救うのではないだろうか。
             (東京大学大学院、農学国際専攻教授、農学博士)

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