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私の読んだみすゞの詩 悲しみを素直に美しく 母の人生と二重写しに  下関市中之町 さろんどルワ店主 

 不思議
私は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。

私は不思議でたまらない、
青い桑の葉たべている、
蚕(かいこ)が白くなることが。

私は不思議でたまらない、
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。

私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑ってて、
あたりまえだ、ということが。

 わたしの店の近くに、かつてみすゞさんが店番をしていた上山文英堂跡地があり、そこから第一別館を過ぎた弁財天橋の欄干に、この詩がかかげてあります。はじめて見たとき、ドキッとしました。橋を渡るときいつも立ち止まって見ています。
 みすゞさんの詩を読むたび、あんなに素直な気持ちで表現できるなんてすばらしいと思います。また彼女は豊かな言葉をもっていますが、それは学んでいなければ、素直でありたいと思っているだけでは、出ないと思います。そこに奥深いものを感じます。心が豊かでないと書けないと同時に、文学的素養が豊かでないと書けない詩です。
 みすゞさんについては、亡くなった花井正さん(みすゞのいとこ)から聞いていました。不幸な生い立ちについても聞きました。花井さんはみすゞさんがまだ有名になるまえ、世に出すためにお世話されたそうです。いまにして思えば、もっとくわしいことを聞いておくべきでした。
 みすゞさんは、ほっとする詩、涙の出るような詩をたくさん書いています。いったいどんな気持ちで書いたのでしょうか? 自分をふり返れば、悲しいとき、さみしいとき、泣いたりわめいたりうっぷんをぶつけるようになってしまうのに、彼女はそれを素直な気持ちで、言葉を選んで美しく表現しています。そういうところが好きです。詩という芸術への深い思いを感じます。
 昨年、母が亡くなりました。九五歳でした。生前から詩や俳句などをたしなむ人でしたが、亡くなったあと、自叙伝を書いていたことがわかりました。明治生まれの人で、カタカナあり漢字ありの文章でしたが、戦争をあいだにはさみ、戦後は子育てに一生懸命だったその母の、生きざまを見せてもらった思いです。若いころは「冷たい」とさえ感じていた母、しかしそれは終戦後の生活がたいへんななか、娘であるわたしに自立心を教えてくれたのだと、亡くなったあとになって親の愛を感じています。みすゞを思うとき、この母とダブるのです。
 みすゞさんもそうですが、亡くなったあとになってその人のほんとうの価値がわかるなんて、生きている人間ってバカですね。みすゞさんについてもっと知らなくちゃと思います。

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