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礒永秀雄没40年詩祭 

 戦後、日本民族の魂をうたった詩人・礒永秀雄の没40周年を記念する詩祭が3日午後1時から、海峡メッセ下関4階イベントホールで開催された。

 山口県内はもとより広島、沖縄、北九州、京都、愛知など全国各地から、小・中・高校生、大学生、親世代、戦争体験世代など幅広い層の人人600人が参加した。世代をこえた人人による朗読、演劇、詩劇、朗読劇、紙芝居、大型絵本など多彩な形式を用い、出演者の思いを通じて描き上げられた礒永秀雄の世界は、その精神を現代にいきいきと蘇らせ、書や感想画、絵画などの作品とともに参加者に深い感動を与えるものとなった。詩祭は、没35周年以後の五年間、とくに今詩祭のとりくみ開始後の数カ月間に、かつてない反響を呼びながら高まってきた礒永秀雄顕彰運動を反映し、深い感動を会場全体が共有した。


 会場ロビーでは、午前10時から礒永秀雄の生涯と業績を紹介したパネルや写真展とともに、沖縄県や下関市の書家の作品や、下関市内の幼稚園児から高校生までが礒永秀雄の作品の一節を書いた書作品116点、絵画、紙芝居、小・中・高校生の感想画や感想文など、豊富な作品が展示され、午前中から途絶えることなく参観者が続いた。


 開会にあたって、実行委員長である海原三勇氏(元下関市PTA連合会副会長)が挨拶に立った。海原氏は、礒永秀雄が逝去して40年の間、5年ごとの詩祭を開催してきたことにふれ、没40周年記念詩祭を開催するにあたり、9月の実行委員会発足から2カ月半、多くの人の協力で下関市内の商店、街頭にポスターが貼り出され、運動が広がってきたことに喜びと謝辞をのべた。


 「礒永さんは戦争を体験し、その思いから詩人となり、多くの詩や童話を残してきた。本日の詩祭も出演する一人一人の思いが会場に伝わるのではないかと思う。みなさんとともに詩祭を成功させ、礒永さんの思いを下関から発信し、全国につなげていくものにしていきたい」とのべた。


 続いて礒永秀雄の三男である礒永泰明氏が紹介され、同氏と長男の礒永天志氏のメッセージが代読された。天志氏は幼い頃、父から学徒出陣の途中、フィリピン沖で魚雷攻撃により輸送船が沈没し、そのとき命を落とした親友の名前が「天志」だったこと、軍人勅諭を覚えるのを拒否して2等兵のままであったこと、戦地・ハルマヘラ島でのこと、1人の敵兵を殺めることなく帰国できたことなど、断片的に聞いてきた話を紹介。「父の人生に関しては知らないことの方が大半だ。でも、正義感が強く、権力にへつらうことを嫌う生き方をしていたことは確かだ」とのべ、死後40年を経た今もなお、その生き様と作品が熱い思いで顕彰されていることに喜びをあらわした。
 両氏はメッセージで、父であり、詩人かつ教師であった礒永秀雄の日常生活、生き方、言動を思い起こし、死後40年を経た今なお、多くの人人の手で顕彰されていることへの感謝の気持ちを伝えた。

 多彩な表現生き生きと 現代社会生きる糧に

 舞台発表に移り、礒永の詩人としての出発点とその葛藤を描いた詩劇「中也の詩による幻想曲・修羅街挽歌」をはぐるま座が熱演した。プログラムは、この戦後出発から、民族の魂をうたう詩人となっていった礒永の生き様と詩業を浮き彫りにしながら進展した。


 東京帝国大学在学中の昭和18年冬、学徒臨時徴集でニューギニアの手前、ハルマヘラ島に追いやられた礒永秀雄は、多くの戦友を失い、九死に一生を得て日本の土を踏んだとき、永遠に青春を生きるために詩人になることを決意する。だれのために、どんな魂に歌を捧げるのか、「死んだ戦友たちに聞かせる歌」をうたえる詩人になるための激しい魂の葛藤と決意をうたった「修羅街挽歌」は、はぐるま座の舞台背景、照明、音楽、音響効果でより深く描き出され、参加者の心に染み入った。自身の戦争体験や父母の戦争体験を思い起こし、涙を流しながら見入る参加者の姿もあった。


 余韻冷めやらぬなか、予科練の出身者で多くの仲間を戦争で殺された恩田廣孝氏(愛知県)が登壇し、中原中也らの叙情と決別した礒永が戦後10年目に平和への決意をうたった「十年目の秋に」を朗読した。前回の詩祭から5年間、原爆と戦争展の会場で朗読してきた恩田氏は80代という高齢ながら体調を押して出演し、みずからの戦争体験と重ねあわせながら、戦争のない日本を築くことへの強い思いを込めてうたった。


 続いて佐賀県嬉野市で劇団はぐるま座『峠三吉・原爆展物語』公演の実行委員会・有志が「さて」を朗読。司会が礒永秀雄が1960年代の「高度成長期」の浮ついたムードを風刺し、人間のまっとうなありようを励ます詩や童話を次次と発表したことを紹介し、そのなかから童話「天狗の火あぶり」を愛知県の前田克己氏が紙芝居(制作は光市の田中義雄氏)で演じた。


 続いて北九州市北方小学校の2年生が「鬼の子の角のお話」を音読劇で披露した。子どもに角が生えず困っている鬼の親と、鬼の子のために自分の体を提供しようとするウシやイノシシ、タケノコとのやりとりを、お面をかぶった子どもたちが元気よく朗読。純真な演技に会場は温かい空気に包まれた。家族や仲間との愛情、絆をいきいきと描いた礒永童話の優しさが、子どもたちが演じることで、より鮮明な印象を持って参加者に伝わり、最後には大きな拍手が送られた。


 今回の詩祭のとりくみのなかでは、自分中心ではなく無私の精神で奉仕することをたたえた詩「一かつぎの水」への共感が広がった。子どもたちはその精神に共感し、「馬新さんのように人のために動ける人になりたい」など、多くの感想を寄せている。舞台では、会社員有志が大型絵本で「一かつぎの水」を演じた。ステージに広がった畳一畳半ほどの大型絵本には、17年間風雪もいとわず、毎日朝早くから、韓爺さんに一かつぎの水を運び続けた馬新さん親子の無償の行為、その精神が、美しい絵とともに描かれ、参加者に深く染みいるものとなった。


 10分間の休憩の後、後半の演目に移った。最初に大分県別府市の黒木記念病院に勤務する医師、看護師、理学療法士、事務職員などで結成した黒木劇団が登壇し、「サルカニ合戦」の寸劇を熱演した。礒永童話のなかには日本の昔話や伝説になぞらえて現代を照射する作品が数多くある。「サルカニ合戦」もその一つ。音楽とともに迫真の演技で会場をなごませながら、「裏話にはこんなことがあったのではありますまいか。正義の味方などというものが実はボーリャクそれ自体であることをもっと確かめる必要があるように思うのです。この物語、おさとはそれからどう生きたか、それはみなさんの作っていくお話です」というナレーションで締めくくられた寸劇は、「真実とはなにか」というテーマを参観者に投げかけた。


 続いて沖縄県の婦人5人が登壇し沖縄返還の偽りを暴いた1971年の詩「核をかついで去れ」を、本土と沖縄の連帯と米軍基地撤去への決意を込めて朗読。下関市の画家・みねこうしろう氏が、革命家気どりで理論をもてあそび、その実現実から逃げ回って裏切りを重ねる者を叱咤した「ただいま臨終!」を朗読し、礒永秀雄に捧げる自作の歌を披露した。


 ここから、社会を支える民衆のたくましさをおおらかに歌い上げ、新しい時代を切り開く人民大衆を励ました礒永秀雄の晩年の作品が朗読された。
 山口県の農民の思いを方言でうたった「野良の弁」は劇団はぐるま座の細川英一氏が演じ、方言と味のある内容に会場から拍手が湧いた。


 司会の「社会の現実とかけ離れたところでむさぼる惰眠への、礒永秀雄の厳しい批判は、みずからの怠惰を戒め、心の真実を研ぎ澄ます努力と一体のものであった」という紹介とともに、下関市民の会の婦人5人が登壇し、「星と燃えなん」を全員で朗読。原爆二世に心を寄せた詩「連帯」を堅山キヌ子氏が愛情を込めて朗読した。


 続いて下関原爆被害者の会と原爆展を成功させる広島の会の七人が、ともに若い世代に平和への思いを託す熱意を込めて「前へ」を朗読した。被爆体験を語る使命で結束し、子や孫のためにと活動を続けている被爆者が、「自分たちの思いをそのままうたった詩」だと思いをこめた朗読は熱い共感を誘った。


 ここで小中高生平和の会の子どもたち23人と教師11人が登壇。スクリーンに感想画が映し出されるなか、「韓爺さんやみんなのためという気持ちを持って続けるということは本当にすごいと思った。私も馬新さんみたいな気持ちを持ってみんなを助けていきたい」(小3・女子)、「私も馬新さんのように頑張り、黙黙と人の役に立つようなことをもっとして、だれからもほめられなくても人の役に立つことをしたい」(小4・女子)、「おんのろが仲間と力を合わせて長者をやっつけるところに勇気をもらった。学校でも友だちに勇気を与えることができた。おんのろと一緒に一歩勇気を踏み出すことができた。人のためになにかを尽くすことは大切だと改めて実感した」(小6・女子)など、素直な感想を発表した。その後元気よく「一かつぎの水」「夜が明ける」を群読し、はつらつとした発表に会場からは大きな拍手が送られた。


 演目の最後は、礒永秀雄が逝去する前年、長周新聞創刊20周年記念集会でみずから朗読して発表した「新しい火の山に想う」。長周新聞青年勤務員の有志6人が、「百万の理論/実践をともなわぬ理論は/頭ですりかえることができる/頭でくつがえすことができる/しかし/背骨にしみわたった深い思想は/たえず若々しい水とともに背骨を支え」「われわれは/心から君たち平和への火の山/革命のミサイルを支持してやまない/いざ 羽搏いて立て/長周新聞!」と、凜とした空気をみなぎらせて朗読した。


 参加者全員でつくり上げた詩祭の最後に、全員で「夜が明ける」を朗読した。礒永泰明氏がマイクを握り、「小中高生のみなさんの元気な朗読などを聞けていい時間だった」と謝辞をのべ、5年後の詩祭への期待をあらわした。


 最後に閉会の挨拶に立った海原実行委員長は、礒永泰明氏のメッセージにふれ、「自分にしっかり勉強を教えてもらえなかったが、そのかわり自由を与えてもらったという話があった。現代社会の子どもたちが、自由のなかで何を見出して生きていくかを考えさせるものだと思う。礒永さんは本当にすばらしい詩や童話を残してきた。それは教育のなかでも生かされている」とのべ、子どもたちの発表や展示ブースの感想文、書、絵などをたたえた。さらに「今日が四五周年に向けたスタートだ」とのべ、この感動を共有し、さまざまな場で礒永作品を発表するなど礒永顕彰運動を強め、下関から全国に発信する運動を広げることの大切さを強調し、「これからもみなさんと一緒に歩んでいきたい」と締めくくった。


 感動と熱気に包まれるなか閉会したが、参観者はアンケートを記し、会場から出たのちも、「礒永秀雄の世界」展や書作品などに再び見入り、感動を語り合うなど、熱い交流が続いた。

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