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広島市平和教育教材『はだしのゲン』削除問題を考える 日本図書館協会・図書館の自由委員長 西河内靖泰

西河内氏

 広島市教育委員会が、小学生向けの平和教育の教材からマンガ『はだしのゲン』を削除する方針を決めたことが物議をかもしている。市教委は2013年度に始めた市立小中学、高校の平和教育プログラムのために独自教材を開発している。問題になっているのは小学3年生向けの教材で、①貧しい家計を支えるために路上で浪曲を歌って小銭を稼ぐ、②身重の母親に食べさせようと池のコイを盗む、③原爆の火の手が迫る中、家の下敷きになった父親がゲンに逃げるように叫ぶ――の場面で、「家族の絆」を学ぶ内容だ。6㌻にわたりマンガを引用している部分を、「児童の生活実態に合わない」「誤解を与える恐れがある」という理由で教材から削除し、他の内容に差し替えるという。この問題の本質は何なのか。母親が広島で被爆した被爆2世でもあり、『はだしのゲン』とも関わりのある、公益社団法人日本図書館協会・図書館の自由委員長の西河内靖泰氏(元・広島女学院大学特任准教授、現・山口大学人文学部非常勤講師)に話を聞いた。

 

◇          ◇

 

今回の問題から、私が感じたこと

 

『はだしのゲン』の単行本(汐文社)

 『はだしのゲン』は、広島の被爆者である故・中沢啓治さん自身が体験した社会の現実と被爆の実相を描いた作品であり、50歳代以下の多くの人が一度は読んだことのあるロングセラーのマンガ作品です。たいていの小・中学校の図書室に置かれていることから、子ども時代から多くの人たちに広く読まれてきた作品であります。

 

 『はだしのゲン』には、焼けただれた皮膚をぶら下げて歩く被爆者や、傷口にウジがわくシーンなど、原爆投下直後の被害の惨状・実態がなまなましく描かれています。同時にこの作品では、どんな過酷な状況であってもユーモアを忘れず、たくましく成長する主人公・中岡元たちの姿が描かれています。『はだしのゲン』が、多くの人たちに読まれ、単なるマンガ作品だけでなく戦争や原爆の現実や問題を伝える教材となってきただけに、今回の市教委の方針に被爆者団体や市民などから疑問の声や抗議の声が上がるのも仕方のないことだと思います。

 

 ロシアのウクライナ侵攻以後の国際情勢から、平和を希求してきたこの日本でも好戦的な論調が幅を利かせてくる状況にあるなかで、こんな時期に広島市教委が平和教育の教材から『はだしのゲン』を削除することが、そうした状況の反映ではないかと理解されてしまうこともわかります。

 

 ただ、地元紙である中国新聞をはじめとした大手マスメディアの論調を見ていますと、『はだしのゲン』の削除を決めた市教委への批判などについては、ともすればステレオタイプの狭いイデオロギー的な議論の枠に切り縮められ、教育的な論争にはなっておらず、ことの本質からずれた論議になっているように感じられます。

 

 今大切なことは、この問題を通じて、「平和教育」の意味やこれからどうあるべきかについて、もっと真剣に考えていかなければならない、そのことが問われているように思います。

 

 広島市は2013年から平和教育プログラムの教材をつくりました。10年が経ってきて、先の戦争を知らない世代も圧倒的に増え、子どもたちをとり巻く状況も変わってきており、教師の力量も変化してきています。教材をつくった時は平和教育プログラムに十分に役立つものとして発行されたものと思われますが、現段階ではそれを教えるには教師自身にかなりの教育力が必要であるということ、戦争体験を持たない実感から程遠い教師では実際この教材では子どもたちに理解してもらえるように教えることが難しいというのが現状でしょう。確かに見直す必要はあり、決して平和教育をないがしろにしようというのではなく、きちんと使える教材にしないといけないというのが市教委の本音だろうと思われます。それ自体の意図は当然だと思いますが、そうであるならばテキストの構成全体を見直して、若い教員を中心に子どもの主体的な学びに役立つ教材として作成するべきではないでしょうか。

 

 小学3年生の教材で『はだしのゲン』からの引用部分は「家族の絆」をテーマにしたところだそうですが、被爆前後にゲンが家計を助けようと路上で浪曲を歌って小銭を稼いだり、栄養不足で体調を崩した身重の母親に食べさせるために池のコイを盗んだりする場面です。中国新聞の報道では、教材を見直す有識者会議の委員から「(コイを盗んだ場面について)児童の生活実態に合わない」「浪曲がわからないのではないか」という意見が出たと紹介されています。

 

 「浪曲がわからない」とか「コイを盗ること云々」などの意見が出たり、議論すること自体がトンチンカンな話ですが、「そもそもなんでこの教材にこんな部分をピックアップしたの?」との疑問が最初からあります。「家族の絆」のテーマの設定もさることながら、あのシーンでこのテーマを表現していいのだろうかと思ってしまいます。原爆の問題ではなく、全然違うテーマの話になっていきますから。なぜこの教材に『はだしのゲン』のあのシーンを登場させたのでしょうか。引用をするのなら、どのような編集者の意図だったのでしょうか。『はだしのゲン』からのシーンで表現しなければならない必然性を感じられません。そもそも引用しなかったほうが良かったのではという意見もあながち間違いではないと思います。

 

 私としては『はだしのゲン』は、ごく一部分のシーンを教材に入れて子どもに提示するのではなく、もともとのマンガの本を読んだ方が良いと思っています。学校図書館にあって、自由に読むことができる状況でいいのではないでしょうか。もっというならば、授業で使うつもりならば『はだしのゲン』をそのまま副読本にすればよいし、それを子どもが自由に読んで議論させればいいのです。

 

 今や、平和教材を全面的に見直すと同時に、従来の平和教育のあり方を真剣に考え直すときにきているように思います。

 

マンガ『はだしのゲン』の歴史と評価

 

『はだしのゲン』の一場面 原爆投下で家屋の下敷きになった家族とゲンのやりとり

 『はだしのゲン』は、1973~74(昭和48~49)年にかけての1年半ほど『週刊少年ジャンプ』(集英社)に連載されました。私は大学生のときですから、連載をはじめから読んでいませんが、夏休みに実家に帰ったときに当時小学生だった弟に「これを読め」といわれて読んだのが作品との出会いでした。そのとき受けた衝撃は忘れることはできません。

 

 私は母親が広島で被爆しています。母方の祖父母も被爆者です。呉市出身の父親の従弟も入市被爆者でした。大学生のときに東京に被爆2世の会ができて、その会に入り役員もやっていました。1975(昭和50)年2月に、東京の被爆教師の会と被爆2世の会とで、中沢啓治さんとマンガ評論家の石子順さんを呼んで『はだしのゲン』のことをとりあげたシンポジウムを開催しました。その時、中沢啓治さんは風呂敷に『はだしのゲン』の原画を包んで持って来られていました。その原画を参加者全員で回覧して読みました。

 

 中沢さんの手元に原画があることについて、石子さんは「出版社は、普通は雑誌の掲載後、単行本にして売ってもうける。原画が作者の手元に戻っているということは、集英社は単行本にする気はないということだ」という話をされ、「この作品を埋もれさせてはいけない」と訴えておられました。

 

 このシンポには、被爆教師ではない教組の役員の方も参加されていました。学校の先生ですので、皆さんマンガには頭から否定的で『はだしのゲン』を誰も読んでおられなかったのですが、原画を回覧して読んでいるうちに顔色が変わってきて「自分たちがやってきた平和教育は、独善ではないか」「こういう作品をマンガだからといって否定したらダメだ」として、「このマンガを埋もれさせてはいけない」と本にして普及にとりくみたいといわれたのです。参加者の多くは学生でしたが、「なんとか『はだしのゲン』を単行本にできないか」という声が出ていました。

 

 そのときすでに、石子さんはこの作品を埋もれさせてはいけないと尽力されていました。出版元となった汐文社(2013年に買収され現在はKADOKAWAグループの出版社に移行)に話はされていたようですが、出版社も意欲はあったものの「確実に売れる確証がないので難しい」ということでなかなか決断に至らなかったようでした。「本が出たら、皆さんが普及してくれると約束してくれるならば、出版社の感触もよくなるだろう。小さな出版社なので売れるなら出してくれる」とシンポで発言していました。このシンポを背景に石子さんは出版社に最後の働きかけをしたという感じがしました。

 

 こうして1975(昭和50)年5月に単行本は出版されましたが、当初はまったく売れませんでした。元社員が書かれた手記では、全4巻で2万部を発行したのですが、2~3ヶ月後には出版社には7~8割が返本されたそうです。

 

 ところが、当時のフジテレビ系の昼のワイドショー『3時のあなた』でとりあげられたことで、放送直後から出版社には各地の書店からの電話が鳴りっぱなしになります。それから爆発的に売れ出し、『はだしのゲン』はベストセラー、ロングセラーになったのです。真偽のほどはわかりませんが、フジテレビに『はだしのゲン』を売り込んだのは、具体的に誰がというのは特定されていませんが複数の自民党の国会議員だったとの話が伝わっています。その経過を見ても『はだしのゲン』の普及に尽力したのは、思想信条に関係なく、原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さを『はだしのゲン』を通して実感した人たちだったのです。

 

 『はだしのゲン』は、その後の掲載紙や最初の単行本が当時は共産党系の出版社であった汐文社から出され、発売直後の「赤旗まつり」で中沢啓治のサイン会があったこともあり、現在のネット右翼などから「アカ(共産党)マンガ」との決めつけをされますが、当時の共産党といえば宮本顕治委員長はマンガを退廃文化と評価して、マンガを否定的にとらえており、『はだしのゲン』といえども決して好意的には見られてはいませんでした。特に、中沢さんのマンガは決してきれいな絵柄ではなく、むしろ泥臭い絵柄で嫌われやすいものでした。その絵柄が『はだしのゲン』という作品に向いていたのですが、『はだしのゲン』がかなり広がった時期になっても、絵柄が気に入らないという左派の方々の意見を聞くことは結構ありました。昔はマンガを俗悪とみる風潮が左派系に強く、1950年代には、共産党系の婦人団体や「日本子どもを守る会」などが、マンガ雑誌を山積みにして火をつけて焼いたこと(『焚書事件』)などもありました。そのことは、マンガ家・ちばてつやさんの『ひねもすのたり日記』(『ビックコミック』2023年3月10日号)にも触れられています。マンガを「悪書」呼ばわりして忌避する風潮は、その後も続いていました。70年代はじめでも、その風潮は決してなくなってはいませんでした。

 

 『はだしのゲン』もマンガであることで、当時の世間的にはかなりの抵抗があったことは確かです。でも、そうした風潮を変えていったのは『はだしのゲン』自体でもあったのです。あの時のシンポのときの教組の先生の姿勢を変えたのは、『はだしのゲン』の持つ圧倒的な迫力だったと思うからです。マンガに否定的であった教師たちの姿勢を変え、その教師たちが普及にとりくんだこともあって、学級文庫や学校図書館に『はだしのゲン』が置かれるようになります。それによって、多くの子どもたちの目に触れるようになり読まれることで、その子どもたちの支持によって『はだしのゲン』がさらに広がっていきました。90年代になってもマンガに否定的だった公共図書館にも、『はだしのゲン』は置かれていました。『はだしのゲン』がマンガに対する世間の評価を変え、社会の姿勢を変えたのです。

 

松江市学校図書館『はだしのゲン』閉架問題から考える

 

 その力は同時に、平和を望まない勢力にとっては脅威となっていることを意味しますから、『はだしのゲン』はつねに圧力を受けてきました。2013年に、島根県松江市の教育委員会が学校図書館の『はだしのゲン』を閉架書庫に移し、「閲覧制限」をしたことを地元紙が報道したことで全国的に話題になりました。このときは、民族排外主義のヘイトスピーチをまき散らす右派の活動家による執拗な恫喝がきっかけのようでしたが、松江市教委事務局は「過激な描写」「子どもの発達上、悪影響を及ぼす」という理由を並べて、市立小学校・中学校の図書館の『はだしのゲン』の蔵書を閉架措置にしたのです。

 

 この問題のとき、私は日本図書館協会の図書館の自由委員会の委員長として、松江市教育委員会あてに措置撤回の要望書を出しましたし、市教委事務局にもヒアリングを実施し、マスコミの取材を受けてコメントもしています。

 

 ところで、当時はマスコミも含めて、その多くの論議は『はだしのゲン』が「良書」であるか「悪書」なのかという論争でしかなく、学校図書館の存在や役割について、ほとんど理解されることはなく、本当に問われるべき本質からズレてしまっていたのでした。私はこの問題について、「図書館の自由」の原則から「学校図書館は、“自由な学びの場”であり、学びの保障には、その場所が自由であることと、学ぶための環境が必要」であるから「特定の本を撤去することは、あり得ない」ことを指摘しています。

 

 教委や学校現場では“(政治的に)中立”という立場を強調されますが、それをいうなら、どんなイデオロギーにも、いかなる立場にも一方的に屈してはならないことが“中立”であるはずです。あらゆる妨害に耐えながら、「図書館の自由」の原則を守り通すのが図書館の使命だからです。松江市教委は、最終的に「閲覧制限」を撤回します。

 

 どのような本であっても、本の内容を肯定する自由もあるし、批判する自由もあります。どんなことをいうことも自由ですが、資料そのものを抹殺・規制することは、議論になる素材そのものをなくしてしまうことで、議論の幅を狭めてしまいます。それでは、自由な言論ができなくなってしまいますから、資料の排除は正当化できないのです。

 

 マンガは、否定や排除を受けてきた歴史を持ちます。その歴史を、大幅に転換したのが『はだしのゲン』という存在なのです。だからこそ、マンガは基本的に、子どもが自由に読めばいいものです。大人の側が“良い”“悪い”を決めつけるのではなく、勝手に読んで考えさせればいいということなのです。

 

 ともすれば、大人の方たちは、自分たちは戦争や平和のことを知っていて、“平和教育”と称して、戦争や平和のことを子どもたちに教えようとしていますが、実は教えているつもりの大人たちの方がちっともわかっていなくて、子どもたちの方が独自に学ぶ力を持っているのです。その力をつけさせてくれた、象徴的な存在が『はだしのゲン』であったのです。

 

“平和教育”から“平和学習”へ

 

 広島の原爆資料館もそうですが、近年は戦争のなまなましい描写はできるだけやめて、特に子どもたちに触れさせることを避けようとする傾向がみられます。確かに子どもにあまりにグロテスクなものを何の配慮もなしに見せることがいいことだとは思いません。でも『はだしのゲン』は当初の掲載誌が少年誌であったことから、中沢さんは子どもの状況や反応に配慮しながら描いたと話されています。現実はもっと悲惨であったが、原爆の凄惨な状況を伝えるためにいわばぎりぎりの表現で出されたものなのです。だからこそ、原爆の問題を伝える代表的なものとなったのです。『はだしのゲン』の表現が「残酷だ」ということは、真実を隠そうとする意図があるのではないでしょうか。むしろ、その言葉は、まぎれもなく原爆のもたらすものが「残酷なもの」であることの証左ということになります。

 

 さて、今日子どもたちに原爆のもたらした被害を見せるものとして、私が大切な資料だと思っているのは、被爆した市民が描いた絵です。被爆者一人ひとりの体験を描いたものですが、これはユネスコの「世界の記憶」(「記憶遺産」)に値するものだと思います(まだ、絵が増え続けて更新されているので、現在は申請する資格がありませんが)。

 

「市民が描いた原爆の絵」の1枚。黒い雨が降る中を衣服を剥がされた女学生たちが、先生に連れられて己斐国民学校の方向へ避難しようとしていた。(画・名柄規四郎、当時40歳)

 また、きちんと伝えるべきなのは、原爆だけではなく太平洋戦争下における米軍による日本各地の空襲記録です。鹿児島空襲の写真を見せ「どこの写真」と聞いたとき、広島の写真と答えが返ってくることがあるといいます。徹底的に市民の殺戮を目的に都市を破壊しつくしている写真と体験記録から学ぶことは多いはずです。そうした全国各地の空襲の末に、都市に対する原爆攻撃があったことをきちんと位置付けて学ぶことが大切ではないかと思っています。

 

 そして、日本の庶民が体験したことだけでなく、中国で、フィリピンで、インドネシアで、日本軍が何をしたのかもきちんと伝えなければならないのです。私たちが、戦争の問題について見ていくための大前提があります。それは「戦争で誰がもっとも犠牲になるのか」、その立場からものを見てほしいということです。戦争で犠牲になるのは、戦場に駆り出される兵士以上に、子どもたちであり、女性たちであり、老人や障がい者など、弱い立場に置かれた人たちなのです。

 

 その観点から考えますと、戦争体験のない教師がテキストを見ながらその内容を教えるという旧態依然の平和教育の方法はすでに限界にきているのではないでしょうか。むしろするべきなのは、大人の側は子どもが自由に多様な資料に触れることのできる環境をもっと整えてあげることでしょう。

 

 土台、内容を正確に教えることは今の教師にできるはずはないのですから、子どもたちの主体的「学習」を促していくことです。子どもたちが知りたいこと、調べたいことに到達するためにどのような調べ方をするのか、適切な本や資料を紹介したりするのが、本来の教育ではないでしょうか。簡単にいえば、教師の役割とは子どもたちが平和のことを考える入口を紹介するナビゲーターとしての役割なのです。

 

であれば、広島市教委の平和教育教材も、平和の問題を子どもたちがみずから主体的に学ぶことができる、ナビゲーションとしての性格を持つものとして、徹底的に作り替えればすっきりするのではないでしょうか。

 

 例えば、平和や戦争のことが学べる博物館(戦争・平和博物館)のリストを掲載し、その紹介をするのも一つのアイデアでしょう。あるいは、きちんとものを考えさせ適切な情報を提供してくれるサイトを紹介することもあってもいいです。要は、教師たちは子どもたちが学ぶための入り口をつくればいいと思うのです。子どもたちに紹介する本については図書館に協力を求めればいいし、今や児童・生徒が1人1台タブレットを持つ環境となっているのだから、『はだしのゲン』のアニメを視聴することもできます。広島平和資料館にある証言映像がDVDになっていますから、それを学校図書館に資料として保管して、子どもたちが視聴できるようにしておくことも一つの方法でしょう。戦争や平和のことを学ぶ方法はいくらでもあるのです。

 

 広島市教育委員会は「『はだしのゲン』を否定しているわけではない」といいます。それならば、学級文庫や学校図書館にあるボロボロの本を新しいものに買い替えたり、もっとセットで入れて、多くの子どもたちが読めるようにする環境を整えてもいいのではないでしょうか。それに、今の教師のほとんどが『はだしのゲン』の名前を知っていて読んだことがあったとしても、その作品をとり巻く歴史や評価の状況を全く知りません。それでは、教材として『はだしのゲン』を使うのは無理があります。読み方は子ども自身に任せればいいのです。『はだしのゲン』もすでに電子書籍として配信されているのですから、スマホで読んでもらって子どもたちに議論させることもあっていいのではないでしょうか。

 

 教師が内容を伝えようとする学校教育の枠の中での旧来の「平和教育」ではなく、みずから主体的に学ぶ「平和学習」へと、現代に相応しい形に変えていくことが今こそ必要ではないでしょうか。それは学習指導要領で強調される「探究学習」の手法であります。グループごとにみずから調べ学んだことを発表しあい、子どもたち同士が互いに質問しあうことで、断片的な知識から全体像や流れを理解していく。教師の役目は、それをサポートすることです。

 

 多様な資料が提供される環境があることで、子どもたち自身に調べさせたり、考えさせることができます。そのためには、調べものに適切に対応できる学校図書館の改革、発展、充実こそが求められます。広島市がしなければならないことは、みずから子どもたちが主体的に「平和学習」する環境を整えることにあると私は思います。使えない学校図書館をそのままにしている姿勢では、「平和教育」をすすめているとはとてもいえないと思います。いいにくいことですが、図書館学を専門とし、「平和学習」(社会教育における)を研究テーマのひとつとしてきた大学教員の一人としては、そういわざるを得ません。

 

 今回の問題から導きだされる方向は、決して平和教材に『はだしのゲン』のシーンを「残す」「残さない」などの問題ではありません。ヒロシマという地での「平和教育」そのものが問われているのです。今こそ、形骸化していると批判されている「平和教育」から、主体的にみずから学ぶ「平和学習」に転換していくときなのです。そのためには、図書館が大切なことを強調しておきたいと思います。

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この記事へのコメント

  1. 仲栄真恵美子 says:

    はだしのゲン、最初に読んだ時、強い衝撃を受けました。絵も怖かったのを覚えています。本を読む、漫画もしかり読む人の解釈は、誰にも制限できません。只、受け止める側の器の分理解される。読む人に委せるべき判断になぜ介入するのか?何度も繰り返し読むか、時を経て思い返すか、そして判断する。納得する。この権利は誰にも止められない。幼いときから、回りの大人の何を聴き、何を見たか。育った通りに理解ができる。平和教育もしかり。

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