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第16回広島原爆と戦争展 総括主催者会議  被爆地の運動さらに拡大させる

 

24日に開かれた主催者会議(広島市)

 

 広島市中区の中央公民館で24日、8月上旬におこなわれた第16回広島「原爆と戦争展」の主催者会議が開かれ、原爆展運動にかかわってきた被爆者や学生、社会人など約20人が参加した。今年8月のとりくみの成果を全体で共有し、米朝対立をめぐる緊迫した情勢のなかで、さらに運動を飛躍させ、全国、世界へ向けて被爆地の頑強な平和への意志を発信していくことを確認した。

 

 はじめに広島の会の高橋匡会長が挨拶した。「今年の原爆と戦争展は非常に大きな成果を上げることができた。一方、世界の情勢に関連して、日本はいま核実験やミサイル発射を強行した北朝鮮を締め上げるという論調に染まっているが、事態はますます危険な方向へ向かっている。80年前、日中戦争に突入した当時、欧米列強による経済制裁によって石油の補給路を断たれ、その結果、武器も兵力も十分にないのに太平洋戦争に突っ込んだのが日本政府だった。当時の日本に比べると北朝鮮は強力な兵器をもっているし、日本とは目と鼻の先の隣国だ。制裁と軍事的な圧力で対抗するのならば、あの当時とは比べものにならない多大な犠牲を払うことを覚悟しなければいけない。国民の心配をよそに、この国の首相は世界中に出向いては“制裁だ”“圧力だ”としきりにくり返し、アメリカのご機嫌をとることに懸命のようだ。汗の掻き方が間違っている。戦争は一度はじまってしまうと止められない。国民の命運を左右する一国の首相は、慎重な行動をとるべきであり、やみくもに険悪な関係を煽るべきでない」とのべた。

 

 「悲惨な戦争に突入した当時を知るものとして、原爆と戦争展を基本に、これまで以上に戦争反対と平和構築を訴えていかなければいけない。70年前の経験をふり返り、それ以上に悲惨な結果をたどらないためには、冷静に事態の本質を見極め、被爆国の名に恥じない行動をしなければいけない」と訴えた。

 

 続いて、広島の会事務局が今年の概況を報告した。
 今年は、安保法制や共謀罪法、ミサイル避難訓練などの戦時体制づくりが進行するなかで、広島から被爆と戦争の真実を発信するとりくみへ市民から強い支持が集まり、全国や世界各国からも多くの参観者を集め、会期中には新たに132人が賛同協力者となった。賛同者の総数は400人をこえ、会場では被爆者や戦争体験者などのべ40人が体験を語り、大学生、院生、留学生、社会人など50人をこえるスタッフが会場設営、チラシ配布、平和公園での街頭展示の運営などを積極的に担った。市民からの提供資料も、今年新たに被爆当時の絵、教育勅語、召集令状(赤紙)などが加えられ300点をこえ、市民の側から隠すことなく戦争と被爆がもたらした実態を堂堂と継承していく場として注目を集めた。

 

 国連で採択された核兵器禁止条約につながる世界的な世論の高まりを反映し、全世界から訪れた外国人の注目と共感は例年に増して強まった。今後は原爆展運動を基盤にしながら、全国的、世界的な平和運動のセンターとしての役割を果たしていくこと、現役世代や全国的な要求とも結びつきを強めながら、活動範囲を大きく広げていくことを提起した。

 

 参加者たちは、今年の成果への確信とともに強い意気込みを交流した。
 80代の婦人被爆者は、8月末に下関市で開催された教育集会に参加したときの感動を語り、「広島で体験を話した子どもたちがいきいきと学んだことを報告していた。先生たちも、熱意をもって平和教育をやっていることが伝わり、教育の力の大きさを実感した。被爆や戦争は私たちにとって悲しい体験ではあるが、メソメソ泣いてはいられない。子どもたちが平和な社会を作っていくための糧にならなければいけないし、悲しみ以上に若い人たちへの期待がある。政治家のやり方ひとつで国民の命は危険にさらされるし、平和な社会は崩されていく。ヒタヒタと迫る戦争の足音に対して、絶対に戦争を許さない全国的な力を広島から作っていかなければいけない」と力強くのべた。

 

 同じく80代の婦人被爆者は、「今年は長崎へも出向いて交流し、二度と原爆を使わせないために協力関係を深めてきた。広島では外国人が多く、何人もの人たちが会場内で英語でやりとりする光景は非常に新鮮だった。政治家や偉い人たちがどうあれ、このように一般市民が来て、パネルに涙ぐみ、心の通い合う交流ができたことは非常に有意義なことだと思う。“もう一度広島に来たい”という声が多かったことも心強い。自民党は、なりふり構わず戦争ができる国を願望して総選挙もやるようだが、私たちも若い人たちに歴史の真実を伝え、残された命をかけて真剣勝負で戦争に立ち向かっていきたい」と決意をのべた。

 

 90歳で元日赤看護学生の婦人被爆者も「これからの世界を考えると心配が絶えない。北海道から沖縄まで、全国から広島にくる人たちは圧倒的な熱意をもって話を聞き、質問をされた。それだけ戦争の危機感を身近に感じているのだと思う。私たちも高齢者だからといってウカウカしておれない」とのべ、体験証言や朗読などを通じて活動を継続していく抱負をのべた。

 

 80代の男性被爆者は「これだけの多くの人たちが平和を望んでいるが、国は逆方向に進んでいる。核兵器禁止条約にすら、戦争を知らない安倍首相は批准しなかった。そしていまは北朝鮮に対して“対話より圧力”“圧力しかない”となにかの一つ覚えのように触れ回っているが、端から見ればまるでケンカをふっかけているのと同じだ。必要なのは冷静な話し合いによる解決であり、軍事対立合戦をやることではない。核戦争をやれば地球は滅びるということを米朝双方にいうべきだ。唯一の被爆国でありながら、アメリカに遠慮して広島・長崎のことは一言もいわない。それが一番情けない」と語気を強めた。

 

国内外の反響を確信

 

 学生たちも発言した。
 主に通訳を担当した女子学生は「英語を学び、海外にいったり、留学の経験もあるが、まるでタブーのように戦争や原爆について話すことをしてこなかった。でも、原爆展で海外の人たちの関心の高さを学んだ。核兵器の恐ろしさを経験したことのない人たちは、広島に核兵器の恐ろしさについて真剣に勉強しに来ている。そしてどの国の人たちも“核兵器は使うことも開発することもすべきではない”と口を揃えていっていた。米国人は自国の歴史に負い目を感じながらも、他国の人たちよりも熱心にパネルを見ていた。被爆者の人たちの努力のおかげで原爆の実態が世界に伝わり、若い人たちも互いに論議がしやすい環境になっている。今後もスタッフとして海外と広島を結ぶ役に立ちたい」と意欲をのべた。

 

 広島出身の男子学生は「全国からも教職員の人たちがたくさん来ており、広島は平和教育の拠点として重要な位置にあることを改めて感じた。学生の日常の関心は楽しいことに流れがちだが、最近の世界情勢は平和な日常も一瞬に崩れる危険性があることを感じさせるものだった。広島を起点にして、平和の基礎になっている戦争の悲惨さを全国に伝えていきたい」とのべた。

 

 別の女子学生は「他の同級生も原爆展スタッフに参加していたり、若いお母さんが子どもをつれてきたり、若い世代も戦争や平和の問題に関心があることを知り、勇気をもらった。これまで被爆者と若い世代との間には考え方のギャップを感じていたが、辛い体験を知ることによって平和の大切さを実感できる。将来を考えるうえでも学ばなければいけないことだと感じた」とのべた。

 

 はじめて参加した60代の婦人は「原爆資料館とは別の視点でパネルが展示されており、じっくり時間をとって参観した。みんなが貧乏になって戦争になっていった第二次大戦の開戦当時のことから原爆、戦後にいたる一連の過程がすべてわかる展示物ははじめてみた。母が入市被爆しており、小さい頃からその体験を聞かされてきた。若い頃は“怖い”としか感じなくても、必ずそれを受け継いでいかなければいけない時がくる」と意欲をのべた。

 

 論議のなかでは、北朝鮮のミサイル騒動をめぐる米朝のパフォーマンスについて「相手がどんな国であれ、殺すか、殺されるかという方向へ持っていくべきでないし、歴史的な経緯に立ち返って平和的に解決するべきだ」「まるで子どものケンカのようなことばかり報道されている。日本政府は一線置いて、被爆国として絶対に戦争を回避する立場に立つべきだ」との意見が飛び交った。

 

 9月27日からは仁保公民館(南区)、11月7日からは留学生会館(同)のロビーで原爆と戦争展を開催すること、英語版パネル冊子を積極的に普及し、SNSを通じた全国への情報発信も強めていくことも提案され、全体の創意を集めて活動をさらに広げていくことを一致した。

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