いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

原水禁8・6総括座談会 ー50年8・6からの歴史的到達点ー

被爆市民の側から真実を発信

 

原爆展会場では被爆体験を聞く人が相次いだ

 8・6を頂点にした今年の原水爆禁止運動は、核兵器禁止条約の締結など歴史的に段階を画した国際的な世論が高まり、他方では朝鮮半島危機など戦争の危機が切迫する状況下で、広島を拠点にして大きな成果を上げた。6月の長崎「原爆と戦争展」(13回目)、7月から8月上旬にかけての広島「原爆と戦争展」(16回目)、広島平和公園での街頭展示、全国被爆者交流、小中高生平和の旅、広島市内の宣伝活動など、広島・長崎を基盤にした多彩なとりくみをへて原水爆禁止8・6広島集会に結実した。本紙では、運動にかかわった本紙記者、原爆展キャラバン隊、原爆展を成功させる広島の会、劇団はぐるま座などのメンバーで座談会を開き、今年のとりくみの到達点を明らかにし、成果と教訓、今後の展望について論議した。

 

 司会 まず反響の特徴から出して欲しい。

 

 (記者) 今年の大きな特徴の一つが、国際的な反響の大きさだ。原爆展に訪れる外国人の数も多かったし、論議された内容も鋭さを増していた。今年は国連加盟国の6割、世界122カ国が賛成して核兵器禁止条約が締結されるなど、核保有国の妨害にもかかわらず被爆者の長年の悲願が結実した。日本政府はこれに反対しボイコットしたが、世界の注目は広島・長崎に集まり、被爆地の声を共有する国際的な基盤の広がりを実感するものだった。

 

 (広島の会事務局) 広島での原爆展は今年で16回目だが、2001年の旧日銀広島支店での原爆展から17年になる。峠三吉が活躍した1950年8・6平和闘争の路線にもとづく原水禁運動の再建を目指してきたが、それが一循環して、全国、世界に大きな影響を与え、それがふたたび広島に戻ってきて相互に共鳴しあっているという実感がある。とくに今年は、リピーターが多かった。団体や知人・友人が連れ立って来たり、賛同者が新しい人を連れてくるなど、17年間の蓄積をへて新たな段階に入った印象だ。「7年ぶりに来ました」という人や、福屋百貨店での広島市民原爆展(2003年)以来の再来者もいた。6年前の大学生のときに原爆展に来て被爆者から話を聞き、教員になって再来した女性が、集会やデモにも参加した。「ここに来れば広島の本当の世論に触れることができる」「安心して自分の思いを語れる」という感じで、全国的、世界的な平和運動のセンターとして人人のよりどころになっている。

 

 また、アンケート記入者だけでも、世界15カ国から40人以上の外国人が訪れた。アメリカ、カナダ、中国、韓国、台湾、フィリピン、フランス、イギリス、スペイン、オランダ、ベルギーなど、中東からもアラブ首長国連邦、中南米からもコスタリカやペルーなどから来ている。平和公園の街頭展示では数千人以上が見ている。街頭展示を見て、わざわざ距離の離れた原爆と戦争展の会場まできて、時間をかけてじっくり見ていった。

 

 被爆者たちは、「今は戦争前夜であり、体を張ってでも阻止する」という気迫に満ちていた。「苦しかった」「悲惨だった」というだけでなく、なぜ戦争になり、何の目的で原爆が落とされ、誰が苦しんだのか、そして、2度とくり返させぬためにこれからどうするのかということまで被爆者自身が振り返り、勉強もして発言している。新たな戦争を絶対に阻止するし、「核兵器を2度と使わせないために若い人がしっかり頼みますよ」という熱のこもった訴えを若い人が真剣に受け止める。賛同者の支持と、被爆者の熱意と、それを受け継いでいく若い人たちのサポートが渾然一体となって熱気を帯びた原爆展になった。

 

 (キャラバン隊) 平和公園での街頭展示では、7月から外国人が圧倒的に多く、アンケートだけでもアメリカ、カナダ、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、中東、中南米まで世界40カ国から参観していた。とくに、アメリカ人の教師や留学生、日本で働く英語教員たちが「これまではアメリカ側の見方しか知らなかった」という衝撃を率直に語っていたのが印象的だ。「原爆犠牲者に敬意を感じる展示だ」「このような民間人を狙った殺戮であったことをはじめて知った」という意見も多かった。あるアメリカ人の男性は、1950年8・6闘争ではじめて原爆投下に抗議した『平和戦線』のパネルを何回も読み、夕方の撤収時に再来して「もう1度見せてくれ」といっていた。20代のフランス人留学生も「フランスはまだ中東で戦争をし、国内では原発が稼働している。核廃絶や戦争反対の声を上げていかなければいけない」と感想を書いていた。各国の人人がすごく熱心で、核兵器禁止条約が締結される素地を実感した。

 

海外から来た人人が熱心に街頭原爆展を参観(平和公園)

 

 (記者)  旧ユーゴスラビア出身の男性は、「アメリカは日本との戦争が終わった後も朝鮮、ベトナム、イラク、アフガニスタン、リビア、シリアなど世界中で戦争の火を付けて回ってきた。大量破壊兵器や核開発問題はこじつけで、石油メジャーが石油資源を略奪することが主な目的だった。今北朝鮮をめぐっても同じことをしている。ここではアメリカがやってきた犯罪についてはっきり書いてあるのがいい」と評価していた。また「ユーゴスラビアのコソボには欧州最大の米軍基地がある。アメリカは当時と同じことを今も変わらずやっている」とも強調していた。被爆地広島で、誰にも遠慮することなく、ありのままの事実を伝えていることに敬意をあらわす外国人が多かった。

 

  30代の韓国人男性は、1950年8・6闘争のパネルを指して、広島から「朝鮮戦争で3発目の核兵器を使うな」のスローガンを掲げて原水禁運動が始まったことに驚き、「これは本当ですか? 占領下で言論も自由にできない時代でありながら、勇気ある行動に心から敬服する。この事実を韓国人は知らない。ぜひ国で伝えたい」とパネル冊子を求めていった。数人で来た男性グループも「教育行政に働きかけて、国内でこの展示をやりたい」と申し出てきた。「韓国では原爆被害を知らない人が多いが、今こそ伝えるべき内容だ」という。アジア圏の反応も非常に強いものがあった。

 

 今までアジアでは「日本の加害責任に対する報復」「原爆投下が植民地支配を終わらせた」という定説が振りまかれてきたが、朝鮮半島をめぐる米朝衝突が表面化するなかで、「世界中のいかなる民族の頭上にも原爆を使わせるな」「平和のために力をあわせよう」という被爆者の訴えがストレートに受け止められる。日朝人民を分断してきた戦後の定説が崩れ、アメリカの第2次大戦への参戦や原爆投下の目的の暴露が国際的な響きをもって広がっているし、「被爆体験を伝えていくことはアジアの平和のために重要なことだ」と連帯が強まっていることを示した。

 

 

行動的な学生たち

 

 (キャラバン隊) 全国からも教師や大学生などの参観が多く、日本が戦争に突入していく過程のパネルを熱心に読んでいた。修学旅行の下見に来た教師たちは、被爆者が高齢化していくなかで「子どもに体験を学ばせたい」という思いが強く、原爆と戦争展会場まで被爆者に会いに行き、修学旅行で体験を聞くことが決まった学校がいくつもあった。北海道から来た小学校教員は、「距離は遠くて子どもを連れて来れないが、インターネットのテレビ電話を通じて体験を聞かせたい」と申し出た。北方領土問題などがあり、平和教育が難しいが、平和教育をどのようにするかという問題意識を持って広島に来ていた。パネルの内容と被爆者の語り口に感動し、広島の会と一緒にとりくむことになった。

 

  関西の小学校教師は、これまで地元の団体の被爆者から体験を聞いていたが「被爆者の語りと子どもとの感情が合わないのでやめていた」という。原爆展を見て、戦争全体を伝えるパネルの内容から、被爆者やスタッフの雰囲気まで見て、「自分が考えていたことと同じだ」といって「修学旅行で体験を聞かせたい」となった。「戦争について教師は子どもに本当のことを伝えなければいけないが、それがなかなかできなかった。実体験に根ざして説得力のある平和教育を進めていくうえで、この原爆と戦争展の内容なら安心してとりくめる」という感想を語っていた。

 

  被爆者や学生などの全国交流会では、はじめて参加した婦人被爆者が、爆心地から500㍍に自宅があり、両親を含めて家族5人が原爆で亡くなった体験を語り、スイス人青年から「これだけの体験をされてよく黙っておられますね」といわれたことで目が覚めたこと、「日本人は原爆を赦しているかのような風潮があるが、私はアメリカを絶対に許してはいない」「あんな目にあいながら黙っていたらいけない」と熱情を込めて語っていた。「日本が無謀な戦争に国民を動員していった過程をこれだけはっきりと伝えているところはどこもなかった。これほどの展示を毎年やってくれていることに感謝したい」と語っていた。

 

 C キャラバン展示でも、8月5、6日は被爆者や遺族が多く、自分や家族の被爆体験を語った後に「自分もこのような運動をやりたい」「80代にもなって高齢で動けないが、若い人たちがもっと広げてほしい」と何人もの被爆者から激励を受けた。今の市民の感情は非常に行動的だ。

 

  これまで原爆被害をいえば「侵略の加害責任を」といわれ、「加害の歴史」をやれば「自虐史観」といわれるなど、「左」や右からの歪曲した歴史観に抑圧されてきたが、原子雲の下にいた市民の側、戦争犠牲者の側から第2次大戦の真実を伝えていくパネルの内容が、現代の日本の戦争情勢と重なって見る者を発動しているし、被爆者の意欲も増している。

 

  スタッフとして街頭展示に参加した大学生たちも、8・6前になるとお祭り騒ぎのようになる平和公園の雰囲気に広島出身者として嫌悪感を持ちながら、被爆した祖父母から「ほとんど話を聞けなかった。広島の者としてもっと学ばなければいけない」と厳粛に語っていた。すごく積極的に参観者から感想を聞き、運動の主体を担ってくれた。

 

  宣伝活動でも、チラシを見て「毎年行っている」「頑張ってくださいね」と声をかけてくる人が多かった。集会アピールのチラシを8・6の早朝に配ると、平和式典への参加者からは「3部ください」「5部ください」と、なかには「40部ください」と手が伸びてくる。こちらの訴えに関心をもっている人の多さに驚いた。元安橋のたもとでチラシを配っていると2人連れの白人男性が、「もう帰国しなければならず時間がないが、私たちも気持ちは同じだ。US反対だ」と親しみを込めて声をかけてきたり、宣伝カーのアピールを聞いていた30代の子連れの母親が「写真を撮らせてもらっていいですか?」と声をかけてきた。とくに「アメリカへの忖度」というくだりに頷いている人が多かった。

 

 

国民的基盤もつ運動に

 

 

 (記者) 戦争問題に対する切実さが増すなかで、国民的な基盤をもった運動として、この原水禁平和運動が今年の8・6闘争を通じて前面に登場している。どこから見ても広島市民のなかで歴史的に蓄積された力を体現した平和運動として、確固とした存在感を放っている。全国や世界から来た人たちが「ここがセンターだ」と感じるようになっているが、歴史的なうねりのなかでの到達だ。

 

  パネルの反応でいうと、2、3年前から「貧乏になって戦争になっていった」という戦前のパネルが関心を集めていたが、今年は「どうやって戦争を阻止するか」「自分たちはなにをすべきか」という問題意識が強かった。とくに若い大学生や20代、30代の教師が切実に方向性を求めて広島へやって来ていた。

 

  大学生からは、国際的に視野を広げるなかで、第2次大戦や戦争の経験に必然的に向き合わなければいけないという自覚の高まりを感じた。海外に行けば原爆について絶対に問われるし、自分の中に確固とした観点を持つとともに、立場の違う相手の主張も受け止めて論議できるだけの感情世界を持ちたいという思いが強い。「広島市民はアメリカに対して恨みはあるのか?」と聞かれても答えられなかったという学生もいて、被爆者の思いを真剣に学んでいた。国際化といわれる一方で、自国の近現代史を学ぶ機会は少ない。世界的な関心と連動して広島の学生たちが自発的に行動を始めている。

 

  「日本を核戦争の盾にするな!」「アメリカは核をもって帰れ!」というスローガンを一昔前は「過激ではないか」という人もいたが、今年は北朝鮮との関係で本当にミサイルの標的にされるという現実が深まるなかで、広島でも長崎でも当たり前の主張として受け止められている。原爆を投げつけられた日本が原爆投下者の方を忖度して核兵器禁止条約にも賛同せず、ふたたびアメリカの盾になろうとしていることには無条件に誰もが怒っている。沖縄や岩国、オスプレイ配備反対でたたかっている佐賀でも、「基地を作るから狙われる」「アメリカのために国民が犠牲になっている。なにが安全保障か」という世論が主流だ。被爆国の尊厳にかけて一歩も引けない問題だし、それを広島で堂堂と主張していることに強い共感があった。

 

  「戦争ではなく平和的な話し合いで解決せよ」とか「いかなる民族の上にも原爆を使うな」という主張に対する支持は非常に切迫したものがある。原爆関連施設のガイドボランティアをしている男性が「毎年関心を持って宣伝を聞いている。私が考えていることとまったく同じだ。個人でこれほどの内容を発信することはできないが、応援している」と声をかけてきた。毎年そのような反応があるが、今年はとくに注目を浴びた。

 

  今年の平和式典で国連の事務総長が「被爆者の方方の英雄的な努力は、核兵器の使用がもたらす壊滅的な影響を世界に強く印象付け、核兵器廃絶を目指す世界的な運動に貴重な貢献をしてきた」とメッセージを寄せた。各国の人人の反応を見ても、広島への世界的な注目度の高さを感じさせる。米軍占領下のさまざまな抑圧があるなかで原爆の犯罪を暴き、戦後5年目に「これほどの惨状をもたらした核兵器を今後いかなる民族の頭上にも使わせてはいけない」とはじめて声を上げ、それが世界に広がり、5年後には広島で原水爆禁止世界大会が開催されるところまでいった。あの時期から今日までの広島の努力に対する敬意だ。

 

 外国にいくと「広島はどうか?」と聞かれるのも、中東で「ヒロシマ・ナガサキ」に強い尊敬が注がれるのも、1950年8・6闘争の世界的な影響によるものとしか説明がつかない。そのなかで、60年代に原水禁運動が「禁・協」に分裂し、被爆者を党利党略に利用して親米派、ソ連派、中国派などといって攪乱する。市民が嫌がって運動から遠ざかるなかで、メディアは「被爆体験は風化した」という宣伝を強め、教育現場では「加害責任」を振りまいて被爆地特有の抑圧構造を作ってきた。広島の上に被さっていたがんじがらめの抑圧をはね除けて、8・6を頂点にして世界に向かって堂堂と発信する運動を全市民とともに再建してきた。世界から広島にきた人たちが「広島はものすごく元気だ」と受け止める。核禁止条約を主導したオーストリアの大使も昨年広島に来ており、国連関係者が原爆展を参観している。そこで広島の雰囲気を掴んで国際的な論議の進展に繋がっていることは疑いない。この運動が突破してきたことを確信しなければいけないし、そのことへの広島市民の強い信頼がある。

 

 A 被爆者たちの確信は、少少の攪乱では揺るがない。安倍にせよ、広島出身の岸田にせよ、トランプがなにをいおうが、「世界的な多数派」としての自覚が年年高まっている。「記録も記憶もないという連中に負けるわけにいかない」とか「岸田は広島選出でありながらみっともない」とみながいう。コソコソと広島に来て帰っていく欺瞞勢力と比べても迫力が違う。去年は退任前のオバマがやってきて、市民から隔離された場所で「核なき世界」の欺瞞をやったが、あたかも全市民が歓迎したかのようにマスコミが報道して欺瞞を重ねた。そのインチキな振る舞いを目の当たりにし、「空から死が降ってきた…とはなにか」「原爆資料館も五分で出てきた」と逆に市民の怒りに火を付け、昨年の8・6は非常に熱を帯びた。

 

 今年の平和式典では、広島でも長崎でも市長は、核兵器禁止条約に反対した日米政府を批判した。長崎市長は「遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下でなにが起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか感じるべきだ」「核の傘に依存する政策を見直せ」と安倍首相の側を向いていっていた。足元から確固とした市民世論が突き動かしている証だし、この間の原爆展運動の成果でもあると思う。

 

 50年代も、峠三吉の『原爆詩集』が世界に広がり、「最初に原爆を使用した政府を人類に対する犯罪者と見なす」とするストックホルムアピールが世界5億人の署名を集めた。その世界的な影響力の広がりが朝鮮戦争での原爆使用をアメリカに断念させる力になった。今年の国際的な反響の強さはそれと同質のものを感じる。今ではアメリカを見て「民主主義の国」とか「核廃絶のリーダー」などという人はいない。原爆投下者の欺瞞が世界的にも剥がれ落ちている。

 

英訳判パネル冊子

  今年は「原爆と大戦の真実」の英訳パネル冊子が世界各国に出て行った。アメリカや中南米、ヨーロッパ各国の学生や知識人、香港のメディアも求めていった。この意味合いも大きい。それぞれが実際に原爆展を見た感動をもって持ち帰っている。広島・長崎の市民なり、日本人民の側から描いた第2次大戦の全貌だが、「偏っていない」「公平な視点だ」といわれる。これまで「日本は加害国だから被害をいうな」など「被害国か加害国か」の二元論で分断してきたが、戦争を引き起こしたものと犠牲になったものとを割っていくなら、韓国や中国を含め世界中の人人とも違和感なく連帯できる。現在、アメリカが朝鮮半島で戦争の危機を煽ることについても、韓国をはじめアジア人民全体の置かれている立場は共通している。原爆投下と第2次大戦の経験は、その国際連帯をつくる基盤になるし、この冊子が世界に届いていくだけでも凄い影響力を発揮するだろう。広島現地や日本国内にとどまらない国際的な連帯を生む力になるし、キャラバン隊、原爆と戦争展、宣伝活動全体を含んだ8・6全体のとりくみは、そういう意味で侮れない力を発揮していると思う。

 

  平和公園で常設展示をできないのかと何人もの市民からいわれた。原爆資料館が改訂され、市民の体験からかけ離れたバーチャルな施設になり、なにも伝わらなくなっていることへの批判は全国的な意見としても強かった。「悲惨だから隠すとか、触れさせないというのでは話にならない」と教育関係者からもかなりあがっている。学生たちも使命感をもって恒常的にやっていこうという意欲も高い。市民の側からありのまま真実を伝えていくことへの期待が集まっているし、常設展示の可能性も含めて全市的な運動へともう一段飛躍させていくことも検討が必要だ。

 

  今年の8・6は、昨年から1年間の急速な情勢の変化を反映したものになった。戦争情勢のなかで、大衆のなかではそれとたたかう力が格段に高まっているし、広島・長崎を基盤にした国際連帯が具体的に進み始めている。大衆の中から大衆の中への路線で断固として進むなら、戦争を阻止する強大な運動を組織できる。それを確信して来年に向けてさらに奮闘したい。

関連する記事

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterEmail this to someone

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。