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後絶たぬ餓死や孤独死 ー下関市彦島で見つかった老夫婦の亡骸ー

高齢者2人が亡くなっていた民家(下関市彦島江浦町)

 下関市彦島で8月23日、2人暮らしの高齢者が自宅で亡くなっているのが発見された。2人は訳あって籍を入れていなかったが、年下だった男性(75歳)が認知症だった女性(85歳)を介護しながら暮らしていたところ、男性が先に亡くなってしまい、残された女性が餓死していたことから、全国ニュースでも現代社会を映し出す悲しい出来事としてとりあげられた。この数年、下関市内ではこうした事例が珍しいことではなく、自治会関係者や民生委員の多くが「他人事でない」「明日は我が身の問題だ」という思いを抱いている。急速に高齢化と人口流出が進み、それと比例して老人や中年男性の孤独死、孤立死が増えてきたからだ。地域コミュニティーを強めて目を届かせようと努力もしているが、自治会や民生委員がすべての住民をケアするのにも限界があり、支援を必要とする人が社会的なセーフティーネットにひっかからず、ひっそりと亡くなっていくのである。

 

 2人が暮らしていたのは彦島江浦町。8月23日、地域包括支援センターの担当者が自宅を訪れたが応答がなかったことから、地域の民生委員を呼んで一緒に自宅に上がった。そのさい、玄関の鍵はあいたままになっており、2人が家にあがってみると夫婦が亡くなっていた。男性はベッドですでに死後数日経っており、傍らに女性が倒れていた。厳しい暑さのなか腐敗も酷く、表現し難い臭いがたちこめていたという。警察の調べでは、介護をしていた男性のほうが何らかの理由で先に亡くなり、認知症の女性が1人では生きていけずに餓死したとされている。

 

 近所の住民たちは、亡くなった男性が自転車で買い物などに出かけたり、女性を支えるようにして歩く姿も日常的に見ており、衝撃を受けている。女性は認知症も進んでいたため、これまでも介護サービスを受けるよう周囲は勧めていた。しかし断っており、男性がすべてを見ていたようだ。遺体発見後も女性の家族とは連絡がつかないため、住民たちは2人の遺骨がどうなったのか心配している。

 

 彦島での悲劇の数日前には、幡生地区で70代の独居老人が自宅でいすに腰掛けたまま亡くなっているのが見つかった。男性は病気を抱えて生活保護を受けていたが、以前から具合が悪く、周囲には病院に行くよう勧められていた。生活保護受給者の場合、医療機関にかかるさいには事前に市役所に行き、「保護変更申請書」をもらわなければならない。この書類を医療機関に提出し、医療機関が記入して行政に対して請求する仕組みだ。緊急性のある場合を除いて、原則的にはこの書類を受けとりに行かなくてはならないが、具合が悪いうえ、わざわざ生活保護受給者である証のような書類をもらい、病院にかかることに抵抗を感じている受給者は多い。結局、男性も病院には行かずじまいだったようだ。「こんなにきついのなら、いっそ死んだほうがいい…」と周囲に話していた矢先の孤独死であり、男性を知る人人はもどかしい思いを口にしていた。

 

 綾羅木地区でも昨年、68歳の男性がアパートの自室で亡くなっているのが見つかった。男性は1人暮らしで、病気のために仕事ができなくなっていた。地域とのかかわりも絶っており、日常的に近所の人人も心配していた。男性の部屋から異臭がし始め、管理人が鍵をあけて入ったところ亡くなっていた。

 

 市内中心部でも数年前から孤独死が増加してきた。
 丸山町では、74歳の婦人が孤独死しているのが見つかった。発見されたときには、すでに死後数カ月はたっているであろう変色した亡骸になっていた。癌を患って入院し、その後退院して自宅療養していたが、再検査の予定日にあらわれなかったことから民生委員に連絡が入り、自宅に様子を見に行ったところで発見された。

 

 市内のある地域では、1人暮らしの高齢者が焦げ茶色に肌が変色し、痩せこけて骨の形があらわれ、心臓だけがドクドクと動いている状態で発見されたり、別の地域では妻が倒れているのに認知症の夫が気付かず、「(妻が)3日間も寝ていてご飯もつくらない」といっているのを近所の住民が聞き、自宅に上がったところ危険な状態になっていたのが発見されたこともあった。すぐに病院に運ばれそのまま入院となったが、それから認知症を発症し、自宅には帰れぬままとなった。

 

 長府地区では、一人暮らしをする90代の女性が、8月末のある朝、目を覚ますとフワフワとめまいがして起きられなくなっていた。女性が「自分もこれで終わりか…」と思いながら必死に這って電話機まで行き、日頃から頼っている知人に連絡した。知人がかけつけて病院に連れていくと熱中症にかかっており、「あと数時間たったらどうなっていたかわからない」と医師からいわれたという。女性の自宅にはクーラーがなく、昨年買った扇風機1台で猛暑をしのいでいた。その扇風機も電気代の節約のためにあまり使わないようにしていた。寝るときは扇風機は付けず、配達される牛乳についてくる保冷剤を凍らして脇に挟み、窓を開けて寝ていたという。

 

 駅裏の某所で、営業に回っていたある女性は、道ばたで倒れている老婦人にでくわした。ほかの通行人とともに起こそうとしたが、老婦人はフラフラして起き上がることができないのだった。聞くと、「朝からなにも食べていない…」と話したのだという。それとは別に、自宅でこけて起き上がれなくなり、見つかるまでなにも食べていなかった高齢者が飢えた状態で病院に運びこまれ、与えられた食事を手づかみで一心不乱に貪っていた等等、下関の消防・救急、医療や介護にかかわる人人のあいだでは、高齢化に加えて貧困のすさまじさが語られている。

 

 高齢者宅を回るヘルパーも、訪問先でそのような光景に遭遇することがしばしばあるという。ある男性ヘルパーは、認知症の老老介護の家庭を訪れたところ、夫が妻に暴力を振るっており、妻は血だらけになっていた。認知症同士の老老介護となるとさらにひどい状態で、夫が暴力を振るって妻がケガをしていても、妻は誰にやられたのか覚えておらず、夫はなぜ妻がケガをしているのかわからないのだという。また独居老人が前日にお酒を飲んで入浴し、そのまま湯船で亡くなっていたのを発見したこともあるという。

 

身寄りない高齢者支える地域の取り組み

 

1人暮らしの高齢者に会食サービスをおこなう「綾羅木ボランティアの会」(昨年11月、下関)

 

 高齢化が急速に進むなかで、とりわけ社会や地域コミュニティーとかかわりをもたない高齢者の支えになっているのが、民生委員や自治会だ。孤立死、孤独死が増加するなかで、自治会長や民生委員のあいだでは常に独居老人や老老介護が問題になり、どのようにして住民同士のつながりで見守っていくことができるかが話しあわれている。

 

 多くの自治会で独居老人や老老世帯の家をチェックし、「回覧板を回すさいにはポストに入れるのではなく、玄関を開けて手渡しすること」「年に数回ある募金も、たとえそのお宅の高齢者が寄付をしなくてもいいから必ず声をかけること」など、なるべく地域住民と顔を合わせ、会話をすることを促している。なかには、ゴミの日にはゴミを自宅前に出しておいてもらうことを高齢者と約束したり、徘徊老人にどのように対応するかを話しあうなど、熱心なとりくみをおこなっている自治会もある。

 

 さらに民生委員になると自治会以上に住民の生活に深くかかわることができ、「気をつけなければならない家」には頻繁に訪問し、見守りをおこなっている。民生委員は1人でそうした住民を20~50件ほど抱えており、多い地域では100~120件を抱える民生委員もいる。

 

 下関市長寿支援課によると、総人口26万7509人(7月末現在)に対し、65歳以上の人口は9万746人、そのうち独居は1万5542人。また75歳以上のみの2人以上世帯は4998世帯となっている(いずれも5月1日現在)。数年前と比較しても格段に高齢化が進んでおり、それを支える体制を確立することが急務になっている。地域によってはふれあいセンターをつくったり、老人たちが集える催しを開催する地域もある。そうしたとりくみは大変喜ばれて必要とされているが、足を運ぶことができるのはある程度動けたり、社交的な人に限られ、もっとも深刻に支援を必要としている人は来ることすらままならないのも現実だ。

 

 ある民生委員は「見回りをするといっても断る高齢者もいる。なるべく人の世話にはなりたくないというのが昔の人には多い。従って無理矢理行くことはできない。そこに入り込めるのは行政だけだ。もっと行政に現実をしっかり見てほしい。国が把握している以上に事態は深刻だ」と語っていた。

 

善意だけで解決できぬ社会的問題

 

 江浦の遺体発見を巡って、民生委員・自治会関係者・介護職関係者たちのなかでは、介護制度が崩壊していることと併せて、行政がまともに機能していないことを問題視している人が少なくない。例えば介護を見てみると、国は国民から高い介護料を徴収しながら、介護サービスの切り捨てに暴走し、要支援1、2の高齢者の介護保険外しや、要介護3以上でないと施設には入れないなど改悪を重ねてきた。

 

 そして、現行では介護を受けることを本人が断ってしまえば救う道はなく、どれだけ周りが介護を受けるよう進めてもどうにもならない。以前は介護は福祉事業であり、本人の意志とは別に社会福祉協議会が何らかの形でかかわることができていたという。今はそれができないうえ、申請書類も非常に複雑で、頼る人のいない世帯は申請すらできずに諦めてしまうケースが多多ある。プライバシー保護のもとで、連絡先をつかむことすら困難になっているという。

 

 ある自治会関係者は、「介護を必要とする本人と、受けさせたい周囲、それと行政が同じ方向を向かないとなにも解決しない。受けさせたい側は熱心に勧めるが、行政の方が削ろう、削ろうとする。本人にとって今なにが必要なのか、ここで一致して進まなければ、これから被害者はもっと出てくる。子ども世代は就職で県外に出て行き、残された年寄りは大変だが、子どもに帰って来いともいえない。子どもからしても、収入も少ないなか子育てに一生懸命で、親に仕送りするカネもない。介護のために仕事を辞めて帰ってきても、逆にそのまま孤立してしまう。にっちもさっちもいかない状態になっている」と危機感を語っていた。

 

 また、別の民生委員は「本当に救いを必要としている人こそSOSを発しない」と指摘する。生活保護に対するバッシングが強まり、自己責任社会の風潮が蔓延するなかで、自分の苦しみを誰にもいえずに生きている人が増えている。そうして、わずかな年金で辛抱しながら暮らす高齢者など、セーフティーネットに引っかからない人人が誰にも看取られぬまま死んでいく事態になっている。こうした状態は、人人の善意だけに委ねられて解決できるものではなく、「公共の福祉」によって、全面的に国なり地方自治体が責任を負わなければどうしようもない問題といえる。ボランティアや地域社会の善意に丸投げするのであれば、「行政は何のためにあるのか」である。下関でいえば、安倍事務所の秘書上がりの市長が、学園祭に毛が生えたようなロック演奏に興じたり、観光都市化やハコモノをくり広げるために行政が存在しているのではない。

 

 江浦で発見された二人暮らしの老人の死は、決して特異な事例でも何でもない。「公共の福祉に資する」ことを第一義に掲げた行政が建前としては存在し、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)を保障しているはずの先進国において、現代社会からはじき出されるようにして、餓死や孤独死という形でひっそりと亡くなっていく人人が後を断たない。介護を受けられないだけではない。年金も受給額は減り、引かれものばかりが増えて、最下層の高齢者になると食べることもままならないような、微微たる金額しか手にすることができない。前述の2人が籍を入れていなかったのも、遺族年金が切られるからであった。

 

 今起きている悲劇は、そうした福祉切り捨てや社会保障の抑制、受益者負担であるとか自己責任を叫んで「死んでいく自由」「孤独死していく自由」だけを貧者に与えた政策の帰結といわなければならない。もっとも社会的弱者である高齢者に、そのしわ寄せが鋭く反映しているといえる。

 

 貧困を根底にした社会の荒廃は目に余るものがある。コンビニやスーパーには廃棄物として捨てられる食材が有り余っている一方で、何日も食事をとることができない独居老人がミイラ状態で発見されたり、飢えた子どもたちのために「子ども食堂」をつくらなければならないような不条理に満ちた現実が横たわっている。首相の友だちであるとか、大企業になれば補助金や国有財産がたんまりと懐に転がり込むのに、貧乏人には貧乏を苦しむ自由だけが投げ与えられて、介護苦や生活苦が地域社会のそこかしこに氾濫しているのである。

 

 「新自由主義」の冷酷なる社会構造のもとで引き起こされる悲劇に対して、下下の善意だけで対応していたのでは結果をもたらす原因をとり除くことにはならない。この苦しみは孤立化した1人1人の個別の経済的問題にとどまるものではない。広く社会的な問題として、解決に向けた力を束ねることが求められている。

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