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沖縄・金武町 緊急抗議県民集会 米軍実弾演習強行に抗議し1万人終結 

 
 米軍キャンプ・ハンセン内「レンジ4」都市型戦斗訓練施設での実弾射撃訓練強行に抗議する緊急抗議県民集会が19日午後6時半から、沖縄県金武町の金武地区公園で開かれた。地元の伊芸区、金武町、同町議会、県議会超党派の四者が主催し、伊芸区民はもとより、全県から9500人(主催者発表)が結集。沖縄戦以来つづく米軍による国家主権蹂躙(じゅうりん)と占領支配への積年の憤りを爆発させた。集会宣言で「都市型訓練施設の即時閉鎖撤去」「伊芸地域の基地全面撤去」「日米地位協定の抜本的見直し」などを決議した。会場では「沖縄戦の真実」と「原爆と峠三吉の詩」のパネルが展示され強い共感を呼んだ。長周新聞号外「沖縄戦は戦争終結に必要なかった」も3000枚配布され注目を集めた。

 沖縄戦体験者を先頭に
 県民集会は冒頭、主催四団体の代表があいさつ。
 県議会の外間盛善議長は「住民が早朝抗議行動をつづけてきたが、県民の声を無視するように実弾射撃訓練をはじめ恐怖に陥れている。6月県議会で決議し訓練中止要請をおこなった翌日に訓練を開始した」と語り「県民を無視するものであり、生命財産を守る立場から容認できない」「県民を守る立場から最大限の努力をする」とのべた。
 金武町の儀武剛町長は「期待どおりの集まりでたいへんうれしい。みなさんの熱いパワーと怒りを感じる」と切り出し、「米軍は暫定使用をやめてくれとお願いしたのに強行した。これほどなめられていいのか。これだけ多くの人が集まった声と熱意を日米両政府はきちんと見なければいけない。町民の怒りは頂点に達している」と力をこめて発言。「小泉政府は抑止力というが、どこにたいする抑止力なのか。また基地の負担軽減というが、われわれがどれほどの負担を受けているかわかっているのか」とのべ、「政府は日本国民として生きる権利をわれわれに示してほしい。なぜ沖縄に基地があるのか。その歴史を国民全体にも考えてほしい。沖縄の心を全国民に伝えよう」と結んだ。
 金武町議会の松田義政議長は「政府に要請に行くと米軍と声をあわせたように“基本的に安全である。不安を払拭するために移設する”といっていた。しかし1000㍍届くライフル銃を横をむいて撃てば民間地に届く」とのべ「たいせつなことは県議会、町、町議会、伊芸区が一枚岩になって行動を開始したことだ。県民の思いを日米両政府に突きつけるべきだ。この演習をつづけさせないためには、みんなが伊芸区民の立場に立てばそれは可能だ。海も山もとられて民家のそばで演習をするところは世界中にどこもない。熱い思いを全国に伝えよう」と語った。
 地元伊芸区の池原政文区長は「きょうはひじょうにうれしい。人口900人の伊芸区の問題を県民の問題としてとらえてくれ感謝する」と語り、「戦後60年近く、米軍の実弾訓練によって、多くの被害を受けてきた。銃弾の飛びかう地域として悪い面で全国で有名になってしまった」「いまひじょうに危険な訓練が米軍によって強行されている。それを容認している政府を糾弾しなければならない」と強調した。
 そして「ゲート前の早朝抗議行動は420日以上になる。雨の日も暑さも凍りつくような寒さも乗りこえてきた」「戦後、危険のなかでの生活を強いられてきた。こんなものを子や孫に残してはいけないという思いでがんばってきた。地域の住民は睡眠もろくにとっていない。こんなことがあっていいのか。こんな危険な施設が世界中のどこにあるのか」と憤りを表明。さらに「(高速自動車道で)観光バスに銃弾があたって大惨事が起これば沖縄県の観光は台なしになる。グアムのアンダーソン基地に建設しようとして商業地域に近いと中止になった。それがなぜわたしたちの地域でまかりとおるのか。撤去に追いこむようにみなさんにお願いする」と強調した。
 つづいて稲嶺恵一県知事が登壇。「集会が四者で開催されたことは県民の強い意志をあらわすものであり、心強く感じる。実弾射撃訓練がおこなわれていることは伊芸区、金武町、県民の思いに反するものであり、きわめて遺憾だ。実際に施設を見たが、きわめて危険であり、暫定使用に反対する思いを強くした。これまでも流弾被弾があり一時使用も容認できない」とのべた。そして「暫定使用を中止させ、伊芸区に静かな生活環境をとりもどすため全力をつくしていく。訓練中止へのたたかいはこれからであり、みなさまとともに力強くとりくんでいく」とのべた。
 ついで沖縄県商工会連合会会長から激励電報が届いたことが披露された後、地元からの意見表明に移った。

 伊芸区住民が発言 子や孫のため湧く斗志
 女性代表として発言した伊芸区の伊波佳氏は「ますます斗志がわいてきた。それぞれ忘れられない月日があるが7月12日はわたしにとってその一つだ。訓練が強行された怒り、悲しみは言葉でいいつくせない」とのべた。とくに「高齢者にとって早朝の行動はたいへんだが、二度と戦争をさせたくない思いが、戦争を体験しているだけに切実だ。50年以上も実弾演習におびえてきた。被害は数えきれない。自動車道も死の道路と化すのではないかと心配だ」と強調。そして「小泉総理は現地に一度も足を運  ばずに安全というがあなたの住む地域に建設できるか。緑豊かで海の幸も豊かだったが、いまは面影もない。平和のなかで子や孫を育てたいというあたりまえの思いをどこの国にお願いすればよいのか。女性は子や孫のためにはどんな危険にもたちむかっていける。伊芸区の痛み、基地の島沖縄の痛みだ」と力をこめて訴えた。
 ついで学生代表として伊芸区から高校にかよう高校生・中江夕妃さんと山田梨乃さんが登壇。二人で「一年半以上、区民を中心に、町民がいろいろな抗議行動をしてきたにもかかわらず、施設がつくられ、訓練が開始され、残念でたまらない。オジイやオバアたちは毎朝抗議行動をやっている。以前、レンジ4から流れ弾があったと聞いた。わたしたちも同じことを体験するのでしょうか。なぜ、伊芸区なのか。なぜ政府は現実を見てくれないのか、なぜこれだけたくさんの人が反対しているのに強行されるのか理解できない」とのべ、「普通の生活ができない。生活が安心してできるよう強い力で解決してほしい」と訴えた。
 その後、集会宣言決議とスローガンが満場一致で採択された。決議は実弾射撃訓練強行について「県民の生命の安全や生活環境より、米軍演習を最優先するもので伊芸区では過去に流弾・被弾事故がくり返されている。日米両政府が唱える安全対策を信用するものはだれ一人としていない」と批判し、日本政府についても「日米地位協定を盾に米軍を擁護し、訓練を容認していることに強い不信感を覚える」と糾弾。「一滴、一滴のしずくが大地を切りさき、地下のマグマを揺さぶり、運動が拡大し、県民の心が一つとなったいま、わたしたちは沖縄県、沖縄県議会、金武町、金武町議会、伊芸区と県民のひとりひとりが強力なスクラムを組んで、生命の安全と生活環境を守るために立ち上がることを決意した」と明記。日米政府にたいし①施設の即時閉鎖・撤去、②伊芸地域の基地全面撤去の二項目を要求した。集会スローガンでは「日米地位協定の抜本的な見直し」も採択した。
 最後に参加者全員で「がんばろう」と拳をあげ、キャンプハンセン第一ゲートまで稲嶺知事もふくめてデモ行進をおこない散会した。
 


   「母は沖縄戦で殺され、父はサイパンで戦死」
               原爆展・沖縄戦パネルに釘付けの集会参加者

 集会会場では「原爆と峠三吉の詩」のパネル展示もおこなわれ、県下各地から参加した人人の注目を集めた。そのなかで、沖縄戦とその後の米軍支配下での積年の怒りを重ねて、熱い思いが語られた。
 『原爆展全国キャラバン隊報告――沖縄戦の真実』のパネルに釘づけとなっていた62歳の男性は、「戦争のとき2歳で孤児になり、叔母さんに育ててもらった。母親は沖縄戦でアメリカに殺され、父親もサイパンで戦死した。2人ともどこで死んだのかもわからず、遺骨もない。親の顔を思い出すことさえできないのだ」と語りかけてきた。
 「戦後、沖縄県民は虫けらみたいに人権を無視されつづけてきた。復帰まえなど、基地のなかで米兵がイヌをひき殺せば200㌦の罰金が科せられていたが、日本人を殺しても無罪とされ、なんの補償もされない。動物以下の状態が強いられてきた。今度の実弾演習も同じだ。アメリカは民主主義などというが、外国は植民地にして、自分のことしか考えない。いまの政府はアメリカの下請で、沖縄は刑務所のなかにおかれている。集団的自衛権は、アメリカといっしょになって世界中で戦争をやるもので、日本の若者を奴隷として差し出そうとするものだ」と語った。
 そして「戦争になれば米軍の家族は逃げ出すが、わたしたちに逃げ場はない。名もない庶民が力を合わせるしか道はない。一流大学を出た偉いものが悪事のかぎりを働いているが、人間を幸せにするために学問というものはある。戦争をくぐって、どんなに苦労してもがんばって生きてきた人人を幸せにするのが学問だろう。これからはわたしたち国民が力を合わせて、権力者に勝たないといけない」と訴え、『アメリカに謝罪を要求する広島アピール』に署名とカンパを寄せ、パネル冊子を買い求めた。
 60代の元基地労働者は「広島や長崎の人たちの惨状を見て怒りがこみあげてくる。火傷の苦しみや、炭のようになって殺された人人はそうとう苦しんだことだろう」と拳を握りしめて語り出した。「わたしは八歳だったが、家族とともに南部の激戦地を逃げまどった。アメリカに見つからないように夜の真暗な中を逃げていったが、落下傘のついた照明弾があがると艦砲を撃ちこまれ、いっしょに逃げていた人が何人も殺された。艦砲が落ちると地面に大きな穴があき、そこから斜め横に鋭い鉄の破片が飛び散って、それでつぎつぎと死んだ。父親は内地にいて無事だったが、〝沖縄は全滅した〟と聞きしかたなくむこうで再婚して子どもをつくった。ところが帰ってみるとわたしも母親も生きていた。そんな悲劇はうちだけでない」と語った。
 さらに「戦後は沖縄を占領した米軍に使われて、定年まで働いた。倉庫番やペンキ塗り、アメリカ軍人の家の草刈りや修理、子どもの世話や女中のような仕事などで多くの人が使われたが、みんながまんができず労働組合をつくりたたかった。パネルに全軍労の人たちが米兵の銃剣にたちむかう写真があるが、あのなかにわたしたちがいた。待遇をよくしろというだけではなく、アメリカが勝手に法律をつくることをうち破ろうと、執行部が全員逮捕されてもたたかえるように、第二執行部まで準備して、逮捕覚悟でたたかった。コザで暴動が起きたとき、外人バーのボーイやホステスたちががんばったが、アメリカにやりたい放題に虐げられてきたからだ。それはいまでも同じだ」と回想した。
 「いまはアメリカとけんかしようとすると日本政府が盾になる。〝安保条約〟は日本を守るものではなく、アメリカを守るために日本を盾にするものだ」と語った。
 西原町から参加した男性は「義理の父は戦争に行き、復員して帰ってみると妻も子も沖縄戦でみんな全滅だった。それで再婚してできた娘が、わたしの妻だ。だからこんな実弾演習のようなことは絶対に許せない」と話した。
 『沖縄戦の真実』を見ていた婦人は「きょうは県民の集会なので日ごろは心で思っていても普段は表現できないので、なにがあっても来ようと思い仕事が終わってかけつけた。これは金武だけの問題ではなく、沖縄県全体の問題だし、日本中の問題だ。本土の方では基地があるから安全とか、日米安保があるから安全と考えているかもしれないが、ここにいる人の安全は脅かされているのです」と訴えた。
 「わたしは復帰運動を身体をはってたたかってきた」という70代の男性も『沖縄戦の真実』の展示を見たあとで「いまはなにもできないから集会だけには参加したいと思ってきた」と話しかけ、『原爆と峠三吉の詩』の小冊子と『沖縄戦の真実』のパンフレットを買い求めた。
 地元金武町の婦人は「友人の車にも米軍の弾丸が入っていた。被害がなかったので黙っていたが、いつ弾丸が飛んでくるかわからない、気をつけなさいよと友人がいっていた。表に出ていないことがたくさんあるんですよ」と語っていた。

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