いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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反戦を掲げる護憲派は、明確な「停戦」の声を 日本は緩衝国家であることを自覚せよ 東京外国語大学名誉教授・伊勢崎賢治

*以下本文は『マスコミ市民』3月号「【特集】平和と安全保障 日本の進むべき道は」より転載(ウェブサイト限定掲載)

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 今から2年前の2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まった。ロシアの軍事侵攻は決して認められるものではないが、ウクライナも東部ドンバス地域での人権侵害やミンスク合意の不履行、NATOの東方拡大など非難されることも多々ある。武力による解決ではなく、憲法9条をもつ日本こそが停戦を促すべきであろう。あれから2年が経っても戦闘状態が続き、尊い命は今も失われている。今日のウクライナ情勢とパレスチナの戦闘、そして私たち日本社会と市民の役割について伊勢崎賢治さんにお話を伺った。【取材=マスコミ市民編集部】

 

●侵攻開始の10カ月前、赤信号が点滅した

 

伊勢崎賢治氏

 プーチンはゼレンスキーを見てウクライナで戦争をしているのではなく、ゼレンスキーのバックにいるアメリカとNATOを見ています。戦闘が始まる10カ月くらい前、21年の4月頃から、私はノルウェーやフィンランドの研究者との接触が増えましたが、その時期にロシア軍はウクライナ国境付近に集結し始め、それがどんどん膨らんでいきました。北欧の研究者たちは「黄色信号から赤信号が点滅し始めた」「大変なことが起きる」と、警鐘を鳴らし始めていました。

 

 当時、アメリカは20年間戦ってきたアフガニスタンの戦争に行き詰っていました。ブッシュの時代に始まった戦争は、オバマ、トランプ、バイデンと4人の大統領を跨いで続けられていました。アメリカはこんな戦争を経験したことはなかったので、バイデンがこの戦争にどう決着をつけるのかが大きな課題でした。同時に、アメリカに付き合って一緒に戦ったNATOの加盟国も、この戦争の行方を憂慮し始めていました。そんな中、21年4月にバイデンは9月11日までにアフガンから撤退することを表明しました。NATOにとっても、その創立以来、初めて全員で戦った戦争なのに、出口戦略もないまま自分だけ撤退すると言ったのです。結果、8月15日に敗北。ベトナム戦争以来の敗走を余儀なくされました。そういう状況をプーチンはすべて見ていたはずです。

 

 NATOは30年間にわたってロシアをずっと刺激してきました。本来ならば、冷戦が終結した時にNATOを発展解消してもよかったのですが、そのまま継続して、さらに東方に拡大していきました。そうした冷戦崩壊からの積年の恨みをプーチンが晴らす時期がきたのではないかと、多くの研究者は考えていました。そして案の定そうなったのです。ウクライナとの国境地帯の兵はどんどん増えていき、最後は10万人以上のロシア軍が集中したのです。

 

 2021年の12月に私はノルウェーのオスロ国際平和研究所に呼ばれて、中立的なロシアの軍事専門家たちとも議論をしました。「プーチンは絶対に開戦する」という危機感は最高潮に達していました。このように、国境での軍事緊張が長期にわたって加速していったのですから、戦争を回避するための時間はあったはずです。でも、指導者同士はそうした努力をしませんでした。電話一本架けなかったのです。

 

 ウクライナの戦争は、ロシアが侵攻するずっと前から続いていました。2014年のロシアのクリミア侵攻を契機として、東部ドンバス地域の帰属をめぐって内戦状態でした。22年2月24日にいきなり戦争が始まったわけではありません。東部の親ロシア系の人たちの自決権をウクライナ政府は阻止してきました。もちろん、その自決権運動にロシアの介入があったのは当然ですが、ウクライナ軍が犯す非人道的行為も国際メディアは問題視していました。プーチンはその地域の人たちを助けるという名目で集団的自衛権を悪用して軍事侵攻したのです。それは、冷戦時代にソ連がアフガニスタンへ侵攻したときとまったく同じ理屈で、歴史上、アメリカによっても繰り返されてきたものです。民族自決権の支援を名目に、集団的自衛権を正当化し、軍事侵攻することは、私は国連憲章違反だと思いますが、民族自決権の保護は同じ国連憲章の重要な精神の一つでもあるのです。

 

 これは国連憲章を基軸とする国際法の大きな矛盾であるという意見には心から同感します。しかし、国際法を発展させる人類の営みに希望を持つなら、少なくとも冷戦後30年で起きたアメリカ、ロシア双方の法の悪用例を冷静かつ客観的に見つめて、例えば悪用を阻止する条約の成立に向けて、我々の思考を開始するべきなのです。

 

 日本の言説は、「力による現状変更は許されない」ということだけに支配されています。主権国家にとって国境が大事なのは当然です。しかし、国境をめぐって起きる戦争を何とか解決していくのも国連の役目です。そういう境目の係争地には必ずと言っていいほどマイノリティが住んでいます。そして、そういう人々はその国の政府によって不当に抑圧されていることが多いのです。それを助けるという名目で隣国や大国が介入し武力紛争に発展するという話はどこにでもあります。だから、それを何とかしようと、国連憲章11章には「非自治地域に関する宣言」として、マイノリティが住んでいる係争地の自治権を国連が保護するという考え方があるのです。

 

 冷戦時代から続いたインドネシアからの分離独立運動をやり遂げ、2002年に独立を果たした東ティモールは、そんなケースの一つです。私はその独立前、国連が一時的にその主権を預かり暫定政権ができた時に、県知事の一人に任命され赴任しました。

 

 インドネシア軍と警察、それが操る民兵たちによって、現地人に対する大量殺戮が起きました。冷戦時代には、独立派は「テロリスト」「アカ(共産主義者)」と呼ばれており、日本を含む西側は、インドネシア政府を全面的に支援し、軍事供与を行いました。そして、西側メディアは大量殺戮の事実に沈黙を貫いたのです。冷戦が終わると、そういう西側の態度は手のひらを返すように、独立支援に変わるのです。

 

 ウクライナ戦争においてロシア軍が犯した戦争犯罪や大量殺戮はもちろんですが、それ以前の「ドンバス内戦」中に起きた親ロシア系の人々に対する人権侵害が、それと対比して認知され、和解というコンテクストで、ウクライナの真の平和が語られるのは、時間の問題だと思います。

 

 ここで認識されなければならないのは、力による現状変更を許さないことだけが国連憲章の正義ではないということです。しかし、この2年間、メディアも学者・研究者の間でも、ロシアだけを悪魔化する言説空間だけが増大してゆきました。

 

 私はウクライナ戦争開戦の2日後くらいからSNSで停戦を訴えましたが、「プーチンに味方するのか」という批判を受けました。停戦とは交渉することですから、プーチンと交渉なんかしてはいけないという論理です。今はだいぶ変わってきたように思いますが、2年前は停戦という言葉だけで、「悪魔と交渉するのはとんでもない」という空気でした。ウクライナはこれまで勇敢に反撃してきましたが、犠牲は膨大ですし、反転攻撃を応援する報道が席巻する時期がありましたが、ウクライナの「勝利」を有望視する見解はバイデン政権の中でも消沈しています。また、ガザでの戦争が起きたことで、アメリカの戦争を支援する世論は急激に変化しています。ウクライナ国民の血で、正義を追求しようとする部外者の我々とは、一体なんなのでしょうか。たとえそれがウクライナ国民の“総意”であっても、です。

 

 ウクライナのオンライン新聞「ウクライナ・プラウダ」で、2023年3月に行われたウクライナ国内の世論調査の結果が記事になりました。回答総数の71・8%が、戦争はロシアに対して勝利したときに初めて終わるのであって、侵略国との妥協は不可能であると回答したというのですが、逆に言えば、徹底抗戦を熱烈に支持しているわけではない意見が3割近くもあるのです。同調圧力が猛威を振るっているはずの戦時の世論としては、驚くべき数字です。これが、第二次大戦中の日本だったら、どうなっていたでしょうか。ウクライナ国内の厭戦感情の浸透と、ゼレンスキー大統領への不支持が報道されている現在、徹底抗戦の世論は更に減少してゆくでしょう。

 

 総意とは、一体何なのか。戦いたくない、それが妥協を意味しても、これ以上の犠牲はイヤだ、平和を望む。そういう声がまったくないと誰が言い切れるのでしょうか。ロシアの絶対悪魔化で既得利権を追求したい政治家ならともかく、ウクライナ民衆の血の犠牲を「総意」で片付け、停戦を誘導する国際世論の形成を阻止しようとするのが、同じ民衆の我々であっていいわけがありません。ましてや、安全地帯にいる我々が。

 

●戦争に反対する勢力が翼賛化している

 

 ウクライナ戦争が2年前の2月24日にいきなり宇宙人が攻めて来たかのごとく言われているのと同じように、ガザの戦争も、昨年10月7日に“人間以下の動物”ハマスがいきなりテロを行ったかのごとく喧伝されています。でも、それは違います。75年間、圧倒的な軍事力のイスラエルによる攻撃と土地収奪に日常的に晒されてきた人々の中の一派が、反撃したのです。

 

 確かに、イスラエル側の犠牲者1139名のうち695人は36人の未成年者を含む一般市民であり、大変に痛ましい事件です。しかし、そのうち373人は、イスラエル兵士・治安部隊の要員です。これは、イスラエル国軍基地などへの急襲と占拠、そして治安部隊との交戦の結果です。痛ましい市民の犠牲は、一つの軍事行動における「第二次被害」と「比例原則」の議論で糾弾されるべき問題です。

 

 「比例原則」とは、自衛権行使の要件が満たされ反撃が正当化されたときに、その反撃の「烈度」を戒めるものです。反撃に伴う市民への第二次被害は、“許容範囲”でなければなりません。それを超えた被害は、戦争犯罪と称されることになります。これが、国際慣習法としての国際人道法が、戦う双方の自衛権の行使における「倍返し」を諌める「戦争のルール」の最も根本的なものです。

 

 10月7日のハマスの所業は、テロではなく、それ以前から綿々と続いている戦争の中で起きた「奇襲攻撃」の一つとして認識されるべきであり、そこで起きたイスラエル市民への被害は「比例原則」で戒められる軍事行動中の第二次被害として捉え、そして既に2万2000人以上のガザ一般市民の犠牲を生み、「比例原則」を遥かに逸脱しているイスラエルの所業と対比させながら、違法性が査定されるべき問題です。

 

 ハマスはすでに勝利していると思います。タリバンが20年かけてアメリカとNATOに勝利したように、彼ら非正規の武装組織はそういう時間のスパンで戦うのです。情報戦から言っても、国際世論をこれだけ味方に付けましたし、停戦の予備措置は出なかったものの、ICJ(国際司法裁判所)はイスラエルとジェノサイドを関係付けました。それは、ハマスにとっての大きな勝利と言わざるを得ません。

 

 ネタニヤフは、昨年の10月7日を22年前の「9・11」と同じだという理屈で、アメリカからの支援の継続と拡大を狙っています。しかし、アメリカは20年かけてアフガン戦争に負けたのです。「9・11」のショックは、アメリカ国民のすべてを熱狂的な愛国者にしました。それは、イスラム教徒への差別に発展し、悪魔化・非人間視を正当化する愛国法を作りました。私の友人のリベラルな学者もそうなりました。でも、その熱狂が少しずつ醒めていくのに3年はかかりませんでした。ビンラディンは悪魔かもしれませんが、何が悪魔をそうさせたのか、という話です。ビンラディンもタリバンの首脳たちも、元はと言えば、冷戦時代に、アフガニスタンでソ連と戦うためにアメリカから軍事支援を受けた者たちだったのです。それが牙をむいただけの話です。その悪魔だけが悪い、では済まされないのです。

 

 ネタニヤフは、次の選挙で必ず負けると言われています。事実、イスラエル国民の過半数は彼を支持していません。ですから、どうせ覚めるのならば一日も早く目覚めてほしいというのが、停戦を呼び掛ける私たちの動機です。

 

 「9・11」からアフガン戦争でのアメリカの敗北の間に、どれだけの民衆が命を落としたことでしょうか。タリバンと停戦する動きが始まったのは、2006年頃です。相手が軽武装のタリバンですから、楽勝だと思ってアメリカに付いて行ったNATO諸国の中でも、自国の軍の派兵に敏感な国民を抱えるドイツが最初に停戦の声を上げ、私はドイツ政府の依頼でそれに協力しました。当のアメリカがそれに乗り出すのは、ブッシュ政権の末期で、タリバンが犯した戦争犯罪を反故にするアフガニスタン政府の「恩赦法」の発布を許可します。その後、タリバンとの直接交渉はオバマ、トランプ政権に引き継がれますが、迷走し、バイデン政権でアメリカの敗北という形で決着。停戦交渉が実を結ぶことはありませんでした。膨大な一般市民の犠牲を残して。

 

 私は、戦争を一日も早く終わらせることが大事であることを一番よく知っているのは日本人だと信じていました。もし先の戦争で停戦が頭にあったら、ヒロシマやナガサキや東京大空襲や沖縄の玉砕があったかどうか。徹底抗戦という名の下に最後まで戦った末路を経験した日本人が、なぜ真っ先に即時停戦を言わないのか。私にとっては驚きでした。

 

 普段から軍備強化や日米同盟を、と言っている人たちがこういう事態が起きると水を得た魚のようになるのは、まあしょうがないでしょう。しかし、普段から9条が大切だと言っている人たちもウクライナ戦争の停戦を言ってくれないのです。

 

 私がSNSで停戦についての発言をしてから、コンタクトを取ってきたメディアが、わずかですが、ありました。一つは「仏教タイムス」です。仏教の非暴力・平和の思想の観点から取材をしてくれました。そして、戦争において宗教者による対話の可能性を探ってきた国際団体である世界宗教者平和会議で日本を代表する立正佼成会が接触してくれました。さらに、公明党ではなく創価学会系の「潮」もです。

 

 また、長周新聞は一貫して私の主張を取り上げてくれました。期待した朝日新聞本体は、それは現在もそうですが、まったくダメでした。しかし、朝日系のAERA.comと廃刊になった「週刊朝日」は、即時停戦の主張を早々と取り上げてくれました。わかりやすい敵を言い募った方がメディアに都合がいいことはわかっていますが、大手新聞社には論説部があるのですから、しっかり戦争の末路を見据えて、第二次大戦中の所作として指摘されている「戦争を継続させる共犯者」にならないよう、気をつけて発信してほしいと思います。

 

 戦争になると、見事に体制翼賛が現れます。悪魔が現れた時には保守や主戦論者がこれぞとばかりに元気づくのはわかりますが、社会には常にそれに対抗する勢力が必要です。でも、戦時にはそういう人たちが見事に翼賛化していくのです。これは古今東西、共通する社会現象です。先の戦争の時には、アメリカの世論は真珠湾攻撃を、今でいう「テロ」と受け取ったのでしょう。「9・11」の時にリベラルの人たちがみんな愛国者になっていったように。ですから、戦争に反対する勢力が翼賛化してしまうのは日本だけではありません。しかし、繰り返しますが、日本人は戦争が最後までいってしまったら本当に大変なことになることを、身をもって知っているはずです。戦争の末路を経験した結果、今のような憲法をもつことになったのです。そういう理念を掲げている護憲派の勢力が、今は反戦とは逆の方向に行っています。アメリカの軍事支援が戦局を左右する戦争において、当事者の片方であるゼレンスキー政権を、日本共産党さえも与党自民党と共に礼賛しているのです。

 

●国際人道法で市民を保護するのが政治指導者の役目

 

 ウクライナでは戦争に市民が動員されています。便衣兵(一般人と同じ服装の戦闘員)とかパルチザンというのは、第二次世界大戦の際は抵抗する民衆といった、いいイメージで語られていますが、戦後の国際法の考え方は真逆です。兵士は、市民と識別して敵から戦闘員だとわかるようにユニフォームを着なければいけない義務が定められています。ジュネーブ条約を基軸とする国際人道法は、市民を保護するためにあるのです。市民は戦闘員ではないから、市民なのです。

 

 便衣兵も敵から見たら戦闘員です。皆が戦闘員であるということになれば、敵国には無辜の市民はいない、という無差別攻撃を誘発するマインドセットが出来上がってしまいます。それが起きてしまったのが第二世界大戦です。もちろん日本軍もそれをやりましたが、日本側にもヒロシマ、ナガサキに原爆が落とされました。そういう戦争を経て、市民を保護するために国際人道法が発展し、いまだに改良が続いているのです。

 

 国の指導者は、こういう国際法を盾にして、自らの国民を保護しなければなりません。だから戦争に動員してはいけないのです。ゼレンスキー大統領は開戦直後から銃まで配っていますし、男の人は国外に出ることも禁止しました。

 

 それどころか、開戦前のウクライナでは、APなどの大手国際メディアの報道によって、「アゾフ義勇大隊」という準国家組織が10歳くらいの子どもを集めて軍事訓練を大々的やっていることが問題視されていたのです。その時のウクライナは、いわゆる日本の今のような平時ではありません。「ドンバス内戦」が進行する戦時です。主にアフリカの内戦の悲劇を経て、現在の国際人道法の運用で、国際司法はこういう行為を明確に戦争犯罪とみなします。法の適用が肌の色で違ってしまうことは許されません。こういう話をリベラル系のメディアが取り上げようとはしないのです。今回、一部とはいえ、なぜ護憲派の人たちが翼賛化してしまったのか。いくつか理由があると思います。

 

 その一つは、「専守防衛」をめぐる言説です。「専守防衛」は、日本独自の造語です。防衛省が定義するように「相手から武力攻撃を受けたときに“はじめて”防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ…、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」であり、護憲派も納得する日本の専売特許です。つまり、敵が“いきなり”攻めてきた時には、いくら9条でも自衛権の行使は否定しないだろう、ということです。

 

 9条を素直に読んだら、「戦うな」、「戦う力も一切持つな」としか言っていないのですが、戦後ずっと日本人がやってきた、9条と自衛隊の存在の問題を回避するための「憲法解釈」の一つの落とし所となったのが「専守防衛」です。それによって、護憲派は自衛隊が存在しても9条を維持できたし、改憲派は9条下でも軍拡できたのです。

 

 つまり「専守防衛」には、「火星人の地球侵略」のような“いきなり”が必要であり、今回のウクライナ戦争では、停戦を主張する私たちを非難する護憲派・改憲派の両方が、「プーチンという、何をするかまったくわからない予測不可能な狂人によって、いきなり22年の2月24日に始められた戦争」という言説にこだわったのです。

 

 もう一つは、歴史修正主義と関わる部分があると思います。ロシアにも理屈があって戦争を始めたということになると、じゃあ太平洋戦争の時の日本にも理屈があったということを認めるのか、となってしまいます。だから、それは認めたくないのです。

 

 先日、京都アニメの殺人事件で被告に死刑判決が出ました。あれだけ多くの人を殺してしまったのだから死刑は当然だという気持ちは私の中にもあります。でも被疑者の生い立ちや当時の状況を分析し、「なぜ事件は起きたのか」を考える言説も社会には必要です。
 その裁定は、被告人にも弁護人が付き司法の場で行われるのです。それは戦犯法廷もまったく同じで、将来プーチンが戦犯法廷に起訴されても同じ仕組みで裁定され、「推定無罪の原則」もその裁定の原則としてジュネーブ条約に明記されています。それが法の支配の原則であり、大勢の人々の「胸がすく」裁決が法の正義ではないのです。日本のリベラル・護憲派は、こういう「法の支配」に最も敏感であってほしいのに、ウクライナ戦争に関しては本当に残念な結果になりました。

 

 いずれにしても、憲法9条の非戦主義や平和主義の精神は大切であり、それを現実の政治に翻訳することが「即時停戦」を主張する私たちの役目だと思っています。その際、北欧のノルウェーという国がやってきたことが参考になります。

 

 ノルウェーはロシアと接しています。そして、国境近くのロシア側にはロシア海軍の拠点であり原子力潜水艦の基地であるムルマンスクがあるのです。ノルウェーはNATOの創立メンバーでアメリカの最重要同盟国です。アメリカは、ロシアの原子力潜水艦の情報のほとんどすべてをノルウェーに頼っているのです。その一方で、ノルウェーは平和外交の旗手でもあります。オスロ合意もそうですが、平和外交を進めるためには、ロシアも含めて世界を相手にコンセンサスを作らなければなりません。それを、アメリカの最重要同盟国であるノルウェーはずっとやってきたのです。

 

 また、ノルウェーはNATOの加盟国でありながら、つい最近まで国是としてNATO軍とアメリカ軍の常駐を許しませんでした。沖縄みたいに、国境付近に軍備を集中させることはせず、自国の軍も監視塔を置いているくらいでした。2014年に起きたロシアのクリミア侵攻から、こういう対露政策は変わり始めましたが、ロシアに気を遣い「対話」することで、自らの国土が戦場にならない工夫をしてきたのです。日本は、ロシアに加えて、中国、北朝鮮というアメリカの仮想敵国の目の前に位置しています。なのに、日本はノルウェーと真逆のことをやってきました。

 

 ノルウェーとロシアの国境地帯は、先住民族(サーミ族)の居住地です。そして、日本がアイヌや沖縄の人々にやってきたことと裏腹に、高度な自治権をサーミの人たちに保障してきたのです。北極圏における経済権益の唯一の国際調整機関である北極評議会では、主要沿岸国のロシアやアメリカと肩を並べて代表権まで与えられているのです。ウクライナ戦争開戦の後でも、このサーミの自治権に変化があったとは聞いていません。

 

 「敵国(ロシア・中国)に付け入る隙を与えるから少数民族や辺境に住む人々の権利を制限する」のではなく、なぜ「彼らの不満が敵国に利用されないように、(どんな人の権利でも大事にされることを普通とするなら)、それ以上に彼らの権利を大事にする」という発想になれないのでしょうか。

 

●日本は緩衝国家である自覚を持ってほしい

 

 日本の外交に能力がないということではありません。外務省もアラビア語、ペルシャ語を専門とする外交官の層はたいへん厚いのです。そして、日本の外交政策の中で大きな力をもっていました。

 

 例えば、西側の首脳がテロリスト扱いしていたPLO(パレスチナ解放機構)に絶対会わなかった時代に、アラファト議長を日本に連れてくる外交ができた、そういう歴史があるのです。アメリカと犬猿の仲のイランも、西側の中では唯一日本には気を許していました。アメリカもそれを黙認している感じで、いい意味で対立の緩衝材の役割を果たしていた外交の実績があるのです。

 

 カソリックが圧倒的多数の国フィリピンの南部、ミンダナオ島には、モロ・イスラム解放戦線というアフガニスタンのタリバンのようなイスラム教原理主義を信奉する人たちがいるのですが、歴史的な自決権運動から内戦になり、やっと和平交渉が始まって10年ぐらいが経ち、今は最終段階を迎えています。キリスト教の国でイスラム教の人たちの自治を認めるというのは非常に象徴的なことですが、その停戦交渉と和平工作で重要な役割を果たしたのが日本です。緒方貞子さんという存在です。欧米にはできない平和構築での役割を担う、日本にはそういう素質があったのですが、今は廃れてしまいました。

 

 目の前にいる中国、ロシアは我々にとっての隣人です。彼らを仮想敵国とするアメリカは海の彼方です。アメリカにはできないイスラム世界と西側との橋渡しをしてきたように、本来であれば、中国やロシアに対しても我々は同じことをやれる素質があるのです。それは、日本自身にとっての国防のためでもあるのです。日本の個別的自衛権の問題です。もし超大国が喧嘩をしたら、日本もウクライナと同じように、真っ先に戦場になるのです。

 

 だからこそ、日本は「緩衝国家」であるという自覚を持ってほしいのですが、これが改憲派にも護憲派にもなかなか通じません。改憲派・保守勢力にそれを言うと、「我々は緩衝国家ではない。アメリカと一体だから」となり、リベラル勢力は「戦争をしない9条があるから、護憲だけに専念すればいい」という話になってしまうのです。

 

 アメリカ軍を国内に置き、地位協定を結んでいる国は、世界に数多あります。その地位協定を国際比較すると面白いことがわかります。日本だけ異常なのです。他の地位協定でアメリカ自身が世界標準としているのは米軍の「自由なき駐留」です。「対米従属」はよく言われる言説ですが、この日米関係だけに限られる奇異な状況を表現しきれていません。「日本だけ対米従属」なのです。

 

 さらに深刻なのは、いわゆる「朝鮮国連軍」の問題です。在韓米軍と言われているものは、実は「国連軍」なのです。

 

朝鮮戦争の停戦ラインに設置されている朝鮮国連軍の碑(2017年、伊勢崎氏撮影)

 朝鮮国連軍は、「国連軍」といっても、国連憲章第7章に基づいて安保理が統括する現在のPKOのような「国連軍」ではなく、米軍司令官の指揮下で活動する、米韓が主体の多国籍軍です。根拠となる安保理決議は、1950年に北朝鮮が韓国に侵攻した直後に、ソ連欠席の下で採択されたものだけで、この決議により、「国連軍」の名称と国連旗を用いることを認められました。それ以来、この「国連軍」に対する安保理決議は一つもありません。

 

 冷戦の遺物なのですが、これが今でもしっかり実動しているのです。実際、トランプ大統領がツイッターで米朝開戦を示唆し世界を震撼させていた頃、2017年9月に、私は米陸軍太平洋総司令部が主催する「太平洋陸軍参謀総長会議」に講演者として招かれました。その時に確認したのですが、朝鮮半島有事、つまり在韓米陸軍が動員されるそれは、朝鮮国連軍としての行動となる。そして当然、その開戦の決定において、アメリカは国連軍として行動すべく、参加国の協議と同意が必要となるのです。

 

 実際、トランプのツイッターに連動して、オーストラリアなど、この多国籍軍の一員である国籍の軍用機が嘉手納などの在日米軍基地に飛来しました。日本政府に何の通告もなく、です。日本は、朝鮮国連軍に参加する12カ国(アメリカ、オーストラリア、英国、カナダ、フランス、イタリア、トルコ、ニュージーランド、フィリピン、タイ、南アフリカ)と「朝鮮国連軍地位協定」を締結し、それは現在も有効なのです。日本人が、もはや空気のように普通のこととして気にもとめない「横田空域」は、このためにあると言っても過言ではないのです。

 

 強調したいのは、日本は国連軍には入っていないことです。でも、この地位協定により、「国連軍」の後方基地になる。つまり、開戦の意思決定に入っていないのに、それが決定されれば、自動的に、その一部、つまり、敵から見れば「紛争の当事者」になる。自衛隊が何もしなくても、国際法上の正当な攻撃目標になるのです。開戦の「事前協議」があるかどうかもわかりません。なぜかというと、この「国連軍」との従属関係を意識しシミュレーションしたことは、日本政府は一度もないからです。

 

 私は、与野党を超えて、この問題について講演していますが、自民党を中心に現役議員は、まず「国連軍」のことを知りません。朝鮮国連軍地位協定の条文は、外務省のホームページで検索すれば出てきますが、外務省や防衛省の官僚でも、実働感をもって理解している者は、皆無です。

 

 あえて護憲派の人たちに申し上げたいのですが、「集団的自衛権を容認すれば日本は戦争に巻き込まれる」という言説はミスリードです。巻き込まれるどころではありません。日本は、地位協定の構造上、息を吸っているだけで、アメリカの戦争の部品なのです。緩衝国家ウクライナには自国が戦場になっても、それを選択する自分の意思がありますが、緩衝国家日本の「ウクライナ化」は、日本がコントロールできない構造で起きるのです。

 

●拒否権で機能不全の国連をどうするか

 

 国連は世界政府ではありません。世界で起きているすべての悪行を、単一で共通の価値観の権威が、公正な裁きを下せるような世界の仕組みが、いつかできてほしいとは思いますが、今の国連のシステムはそうはなってはいません。その核である安全保障理事会は、戦勝5大大国、お互い仲が良いとはいえない王様クラブの調整のもとに戦後の国際秩序を保ってきました。これについて拒否権による安保理の機能不全を指摘する声が常にあります。だから国連には意味がない、という意見もある。安保理常任理事国が拒否権を持つ怪物である限り、国連に価値はないと。

 

 しかし、拒否権があるからこそ、その前身の国際連盟のように決裂せず、常任理事国同士が直接撃ち合う戦争(世界大戦)を回避できているという見方もできます。人類に残された、最後の対話の場が安保理という意味です。

 

 忘れてはならないのは、国連は安保理だけではない、ということです。常任理事国イギリスとフランスが紛争当事者となった第二次中東戦争(1956年)のときに、停戦のための国連軍を発動させた国連総会の機能を忘れるべきではありません。国連総会は5大大国に対して強制的に命令する権限はありませんが、安保理が機能不全に陥った時には総会が動くシステムがあるのです。当時は、カナダのピアソン外相が旗を振って中立な軍事監視団を出したのです。それが、後の国連PKOの元祖になるのです。今では国連PKOは安保理が決議、発動していますが、最初のPKOは国連総会が発動したのですから、それが今できないわけがないのです。大事なのは、旗を振り、皆を引っ張るリード国が現れることです。当時のカナダのように、大国である必要はありません。ウクライナ戦争の場合は、中国かトルコが停戦交渉をリードしかけましたし、ガザ戦争の場合はカタールなど中東の周辺の国を中心に今動いています。私たちは、国連総会にその望みを託しているのです。

 

 それが人類に残された持ち駒です。持ち駒がある限り、それを使い平和を実現する可能性を提示し続けるのが、即時停戦を訴える私たちの役割だと思っています。

(談)

 

【リンク】月刊マスコミ市民ウェブサイト

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この記事へのコメント

  1. 夏原 想 says:

    戦後、平和と護憲運動を牽引してきた日本共産党よ、目を覚ませ! ガザにもウクライナにも、「即時停戦に向け、交渉を開始せよ」と言うべきだ。曖昧な「即時停戦とは言えない」では、日本の平和運動は、求心性を失い、弱体化するだけだ。率直に「これ以上、人を殺すな」と声を挙げよ!

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