いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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北東アジアの“ウクライナ化”を避けるには――朝鮮有事の視点から 東京外国語大学名誉教授・伊勢崎賢治

 2年前の話から始めたい。ウクライナとロシアの国境にロシア軍が集中し出したのは2021年4月。その8カ月後、僕はノルウェーに呼ばれた。赴いたのはロシアにほど近いノルウェー北部トロムソの大学だが、ここにはロシアからの学者も集まった。今の欧州では、ノルウェーを含めてそれは難しい。

 

 この時には、ロシア軍の集中は既に10万に達し、集まった学者たちの緊張は半端ではなかった。われわれはこの時、確実にウクライナ戦争の開戦を予測した。この4カ月前の8月に、アフガニスタンにおける20年戦争にアメリカ・NATOは敗北したばかり。「あの男(プーチン)なら、絶対にこの期を逃さない」と。

 

 もし開戦になったら、ウクライナと同じ大国の狭間に位置するノルウェーやアイスランド(ともにNATO創立メンバー)、そしてアジアでは韓国や日本など「緩衝国家」の運命はどうなるのか? これがノルウェーに集まった学者たちの共通の問題意識だった。

 

 すでに、旧ソ連邦構成国だったバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は、独立後NATOに加入するだけでなく、みずからを「トリップワイヤー化」している。加えてポーランドにも、サード(高高度防衛)ミサイルが配備されている。

 

 トリップワイヤーとは「仕掛け線」という意味だ。抑止戦略論上の専門用語であり、超大国や軍事同盟が、敵国の軍事力に均衡するよりずっと小さい兵力をその敵国の間近の緩衝国家に置くこと。つまり、なるべく安上がりな軍事供与で、挑発する装置を敵国の目の前の緩衝国家に置いておいて、有事になったらその緩衝国家を犠牲にして敵国の進軍を遅らせるという考え方だ。

 

 そして、その会議で共有された「緩衝国家」の定義は次の通り。
 「敵対する大きな国家や軍事同盟の狭間に位置し、武力衝突を防ぐクッションになっている国である。その敵対するいずれの大国も、このクッションを失うと自分たちの本土に危険が及ぶと考えるため、軍事侵攻され実際の被害を受ける可能性が、普通の国より格段に高く、しばしば代理戦争の戦場となる」

 

 同じくそこで共有された「代理戦争」の定義は、「大国が、その内政に深く関与する分断国家の政権もしくは反政府勢力に、その大国を敵と見なす別の大国が武力を供与し、みずからは血を流さず敵国を弱体化する軍事的な試み」だ。これは歴史上繰り返されてきた。

 

 ノルウェーに集まった学者たちは、今回のウクライナ戦争の開戦前、東部ドンバスにおけるウクライナ内戦がロシアが関与する代理戦争だったように、ロシアがウクライナに侵略すれば、それはアメリカの典型的な全面的代理戦争になるだろうと予測した。そして、それはその通りになった。

 

ロシアの上位目標とは

 

 北東アジア、朝鮮半島に話を移す。

 

 2017年、僕は韓国・板門店に招かれた。僕が招かれたのはPACC:Pacific Armies Chiefs Conference (太平洋陸軍参謀総長会議)――アメリカ“陸軍”太平洋総司令部が、NATO加盟国、そして日本の自衛隊陸上幕僚長を含む親米32カ国の陸軍のトップだけを呼ぶ会議だ。ちなみに僕が呼ばれるときは、外務省や防衛省などは経由せず個人的に依頼が来る。

 

 ここでは、主要会議のサブ部会として、当時トランプ大統領がツイッターで言及し世界を震撼させていた「米朝開戦」の現実的な軍事戦略をシミュレーションする機会を得た。

 

 現実的な軍事戦略とは、アメリカが「斬首作戦」を決行した後に始まる軍事占領――つまり人口2500万人の北朝鮮を軍事的に平定しレジームチェンジ(体制転換)を完了する――には、どのくらいの部隊と期間が必要か。それに必要な兵力を、果たして同盟国が(イラク、アフガニスタン戦争が同時進行する中で)拠出できるか。これがシミュレーションの中身だ。

 

 アメリカ陸軍から僕への依頼は、2017年当時すでに失敗が濃厚となっていたアフガン占領政策の負の教訓を語ってくれ、というものだった。

 

 実際、「軍事占領を敷く余力はない」ということが陸軍参謀総長たちのコンセンサスだった。軍事戦略シミュレーションの詳細は、ここでは語らない。ただ、ここで僕が得た知見は、ウクライナ(人口4000万人)の開戦で日本を含む西側社会で喧伝された「プーチンの野望」の実現性、つまり、ロシア陸軍のキャパで実現可能な戦争の上位目標を見極めるのに役に立った。ロシア一国で、ウクライナのレジームチェンジなどできるわけがないということだ。

 

日本を縛る冷戦の“遺物”

 

 本日の主題は、次だ。
 朝鮮半島の北緯38度線にある板門店には、北朝鮮と米韓軍が対峙するJSA共同警備地区がある【写真】。

 

韓国板門店のJSA共同警備地区(2017年、筆者撮影)

朝鮮戦争の停戦ラインに設置されている朝鮮国連軍の碑(同上)

 上の写真は、共同警備地区の米陸軍コマンダーが、僕を含む各国の陸軍参謀総長たちにブリーフィングしているところだが、後ろの石碑に注目してもらいたい。もちろん韓国、アメリカ。そして、イギリスやオーストラリアなど22カ国の国旗が見える。これが、韓国に司令部がある「朝鮮国連軍」だ。

 

 朝鮮国連軍は、国連憲章第七章に基づいて安保理が統括するPKOのような「国連軍」ではなく、米軍司令官の指揮下で活動する多国籍軍だ。根拠となる安保理決議は、1950年に北朝鮮が韓国に侵攻した直後に、ソ連欠席の下で採択された。今では考えられないことだ。国連軍が国連常任理事国(中国)と対峙することなどできるわけがない。この混乱期におけるどさくさ紛れの決議により、「国連軍」の名称と国連旗を用いることを認められただけだ。それ以来、これに関する安保理決議は一つもない。

 

 共同警備地区の青い建物の韓国側には、この看板【下写真】が立っている。朝鮮戦争は現在も「休戦状態」なので、朝鮮国連軍は実動している。現在は、在韓米軍司令官が朝鮮国連軍司令官を兼務している。

 

共同警備地区にある「国連軍 軍事停戦委員会」の看板(板門店)

 そして、日本にも朝鮮国連軍の後方司令部が横田基地に置かれ、7つの米軍基地(横田基地、神奈川県のキャンプ座間と横須賀基地、長崎県の佐世保基地、沖縄県の嘉手納基地、普天間基地、ホワイトビーチ)が朝鮮国連軍の基地に指定されている。これらの基地には、日米の国旗とともにブルーの国連旗が立てられている。

 

 一方で、これがはたして“現在”の「国連軍」と呼べるのかという問題がある。
 1997年に当時のブトロス・ガリ国連事務総長が北朝鮮外務相にあてた親書に、その矛盾が現れている。(この書簡は現在も国連のホームページに収録されている)


 ガリ書簡とは、次の様なものだ。
 「朝鮮国連軍は、安保理の権限が及ぶ国連の下部組織として発動されたものではなく、それがアメリカ合衆国の責任の下に置かれることを条件に、単にその創設を奨励しただけのものである。よって、朝鮮国連軍の解消は、安保理を含む国連のいかなる組織の責任ではなく、すべてはアメリカ合衆国の一存で行われるべきである」

 

 「国連が解消できない国連軍」とは何か? これは、現在の国連から、ある意味、匙(さじ)を投げられている前世紀の“遺物”と考えるべきだ。

 

 なぜ、アメリカはこれの維持にこだわるのか。唯一の明確な目的は「北朝鮮と中国に対峙するのは、アメリカではなく“国連”である」という休戦の構図を維持したいというものだ。一つの印象操作だ。

 

 この「国連が解消できない国連軍」と世界で唯一、地位協定を結ぶ、おめでたい国がある。それが日本だ。


 日本政府は、朝鮮国連軍に参加する12カ国(アメリカ、オーストラリア、英国、カナダ、フランス、イタリア、トルコ、ニュージーランド、フィリピン、タイ、南アフリカ)と「朝鮮国連軍地位協定」を締結しており、現在も有効だ。

 

 1953年に結ばれた朝鮮戦争の休戦協定の当事者は、朝鮮国連軍(実質米韓)と北朝鮮プラス中国だ。

 

 特記すべきは、僕が出席した太平洋陸軍参謀長会議で前提とされ、米陸軍太平洋参謀総長との僕の会話でもそれは確認したが、「朝鮮半島有事。在韓米陸軍が動員されるそれは、朝鮮国連軍としての行動となる」ということだ。

 

 これはどういうことかというと、朝鮮有事の際、その開戦の決定において、アメリカは国連軍として行動しなければならない。そのためには、すべての参加国の協議と同意が必要となる。

 

 日本はその協議の中に入っているか? 否、入っていない。先ほどみた朝鮮国連軍の石碑にも、日本の国旗は入っていない。しかし、彼らが開戦を決定すれば、朝鮮国連軍地位協定によって、日本は自動的に後方支援基地になる。つまり国際法上の交戦国になる。それは「巻き込まれる」というような生易しい話ではない。


 そして、この朝鮮国連軍地位協定は、日米地位協定(日米合同委員会)と密接に連動している。

 

日韓両市民の共通課題

 

 僕は、共著『主権なき平和国家』(集英社文庫)で、アメリカが締結している120以上ある地位協定を比較し、日本と韓国だけに存在する異常性を暴いた。米軍が駐留する他のすべての国の地位協定は、互恵性(法的対等性)、つまり「(米軍の)自由なき駐留」が国際標準であるが、日韓だけは例外だ。その意味で、日本と韓国は、「従属二兄弟」と呼べるかもしれない。

 

 しかし、韓国は「平和時の指揮権」を米軍から取り戻しているので、その問題意識さえ政府にない日本は、世界で唯一の、極めて異常な従属国家だ。

 

 緩衝国家が戦場となる「ウクライナ化」――ここ北東アジアにおいてはどうか?
 中国の急速な軍事の成長に伴い、米軍は「軍事均衡線」の後退、つまりグアム方向への南下を長年にわたって段階的に進めており、これをトランプ政権の時に加速している。つまり、朝鮮有事においては、アメリカは、特に陸上戦において米兵を犠牲にしない戦略を進めている。この傾向はウクライナ戦争で実証されている。彼らはみずから戦わない。
 アメリカの開戦決定への従属で、日韓のわれわれが血を流すことは、なんとしても回避しなくてはならない。

 

 それは、冷戦の遺物である「朝鮮国連軍の解消」から、まず始めるのが良いと思う。これにとりくまなければならない。

 

 だが「国連が解消できない国連軍」をどう解消するか? それは日韓の市民社会が協働し、そのモーメンタムをつくるしかないと思う。

 

日本の翼賛化への警告

 

 日弁連の人権擁護大会が昨年9月30日、北海道旭川市でおこなわれた。

 

 そこでアイヌ民族権利保障プロジェクトチームが提案したアイヌ民族の権利の保障を求める決議案」の採決では、日本の安全保障上の観点から、日弁連の国際交流委員会から総意として委員長名で反対意見が出されて僕は驚いた。以下、その反対意見を読み上げる。

 

*    *


 アイヌを含めた少数民族の権利保護は、非常に重要なテーマであることは、当委員会としても理解しております。
 しかしながら、当委員会としては、本案に対して、以下の理由により反対せざるを得ません。
 本案は、固有の漁労・狩猟の権利等、主権国家の権利・権益に関わるような権利保護のあり方が提唱されており、政治的・外交的には非常にセンシティブな問題であって、この時期に、日弁連会長の名で宣言・声明を出すことは、将来にわたりロシアの領土的侵攻(北海道、北方四島)の口実として利用されるおそれがございます。
 ロシアの領土主張や領土的侵攻が、当地の少数民族やロシア系住民の保護を口実として実行されてきたという、過去の歴史的事実を看過することはできません。
 これまで、アフガニスタン、チェチェン、南オセチア(ジョージア)、シリア、クリミア(ウクライナ)、ドンバス(ウクライナ)等は、すべてロシアが、当地の少数民族やロシア系住民の保護を口実として、領土的侵攻を行ってきたものです。
 現下の国際情勢に鑑みれば、日本の安全保障上、このような声明がロシアによる領土的侵攻等の政治的口実として悪用されることが強く懸念されます。
 以上により、当委員会(国際交流委員会)としては、本案に反対いたします。


*    *

 

 これは、ネトウヨ団体の発言ではない。日弁連の中の一委員会、それも国際交流のための委員会の見解だ。恥ずかしくて言葉も出てこない。

 

 NATOの創立メンバーであり、アメリカの最重要同盟国であるノルウェーは、冷戦時代には、NATOメンバーの中で唯一ロシアと国境を共有する国だった。その国境地帯は、同時に先住民族(サーミ族)の居住地であり、高度な自治が保障されている。そして、北極圏における経済権益の唯一の国際調整機関である北極評議会では、ロシアやアメリカと肩を並べて代表権まで与えられている。ウクライナ戦争の勃発以来、これらの制度に変化があったとは聞いていない。

 

 「敵国(ロシア・中国)に付け入る隙を与えるから少数民族の権利を制限する」のではなく、なぜ「少数民族の不満が敵国に利用されないように、(どんな人の権利でも大事にされることを普通とするなら)、それ以上に少数民族の権利を大事にする」という発想になれないのだろうか。

 

「新しい戦前」に抗う力を

 

 「戦争に備えよ!」と、国民が戦争と、それへの動員を受け入れる土壌と文化をつくるには、かならず、仮想敵国を標的にする「絶対悪魔化」が、戦争に至る前の“平時”において必要となる。これが、ウクライナ戦争を機に、平時であるはずの今の日本で起きていることだ。

 

 こういう文化が世論を支配し始めると、敵と話すなんて腰抜けだ! という世論が醸成され、勇ましいことを言う政治家への求心力が高まるとともに、国家が仮想敵国と対話で戦争を予防しようとする政治動機への支持が消滅してゆく。

 

 特記しなければならないのは、こういう状況では、単に愛国主義勢力が大手を振るうだけではなく、その真逆に位置するはずの反戦勢力が、「平和を自衛する」ために、絶対悪魔化に加担し、翼賛体制をつくるということだ。こうなると、国家は戦争へのブレーキを完全に喪失する。「新しい戦前」とは、こういうことだ。

 

 このところ、防衛省の自衛隊入隊勧誘が学校現場に浸透する中、高校生の進路指導ということで、そういう「文化」の最前線にいる教職員から相談を受ける機会が多くなっている。

 

 「大手メディアの報道はどれもロシアが悪で、ウクライナは善というようなものばかりで、あっという間に日本全体が『ウクライナ、かわいそう』『ゼレンスキー、頑張れ』となってしまったように感じた。『日本にもゼレンスキーのような指導者が必要だ』と作文に書いてきた生徒もいた。はたして、今、目にしている情報をそのまま鵜呑みにして良いのだろうか。見えていない部分、知らされていないことがあるのではないか」「この空気の中で、教師として子供たちにどう接すればいいのか」「子どもたちを戦場に動員する役目を担わされることになったらどうしよう」という切実な声だ。

 

 僕のもとにも「敵が攻めてきたら家族のために銃をとらないのか?」という質問がよくくる。僕は国家の命令では絶対に銃はとらない。むしろそうなる前に、平時から「戦争に備えよ!」と勇ましく言い募り、敵と対話するという戦争回避に必要な外交能力と度胸のない政治家にこそ退場を求める。大事な子どもたちをこの無能な政治家の犠牲にしないためにも。その政治家には、普段の保守勢力だけでなく、翼賛化した「リベラル護憲勢力」も含まれる。

 

 僕は、現在の言論界で、「空気」に盾突く、本当に小さな少数派だが、このような先生方との交流の中で勇気をいただいている。心ある全国の教職員の皆さんとぜひ一緒に平和教育の指針を立て直したい。この「新しい戦前」の空気に抗って立ち上がる先生方への援助は惜しまない。ご依頼があれば、可能な限り全国どこへでも伺うことにしているので、ぜひ個別にご連絡いただきたいと思う。

 

(元アフガニスタン武装解除日本政府特別代表)

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この記事へのコメント

  1. 津田 礼子 says:

    伊勢崎先生の平和についてのお考えに賛同し、9月25日に先生へメールをお送りした者です。
    現在のウクライナとロシア、 アメリカ他の世界、日本の状況を見るにつけ、不安でなりません。
    一度、戦争が始まれば、取り返しのつかない惨事が起きることは現在進行中の戦争、紛争、そして過去の歴史から明らかであるにもかかわらず、各国政府は世界の平和的対話の努力よりも対立へと邁進しているかに見えます。
    伊勢崎先生がおっしゃるように、ここ何年もの世界における戦争、紛争の多くが米ソ、米露の代理戦争としか思えません。ロシア、北朝鮮、中国の動きを見れば、台湾有事が起きないかと心配されます。決して、世界が、日本がこうした代理戦争に巻き込まれてはならないと思います。
    何度か、政府、某政党、メディア、そして米ホワイトハウスへも「戦争を回避するための努力」、「国連、国際法の改善」を強く求めるメールを送りました。各国の政府等、軍産複合体等にとって「戦争がなくなっては困る」のではないかという疑い、不信感、失望を抱きながらも。
    世界の市民・国民のほとんどが「戦いたくない」、「互いに殺し合いたくない」と思っているにちがいないのに、国家が戦争を始めれば、正当化された人殺しを強いられ、拒否することもできません。
    つまり、各国(一部を除いて)の支配者層には、戦争を止める意志がないのかもしれません。
    世界の市民・国民が手を繋ぎ、「私たちは戦争をしません」と戦争を拒否することで戦争を阻止する道がないものかと思案しているところです。
    支配者たちのために、罪もない人たちが死に、ダメージを受けるのは終わりにしなければならないと思います。市民・国民が戦争を拒否することができる時代にしなければならないと考えます。

    津田 礼子(長崎)

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