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ウクライナ戦争における停戦実現の展望――国際社会に求められるマインドセット 東京外国語大学教授・伊勢崎賢治

伊勢﨑賢治氏

 4月26日、国連のグテーレス事務総長がプーチン大統領と会談し、人道回廊設置の合意確認をしたと報道された。国連そして国際赤十字の介入が、回廊の実現のために示唆された。翌日、事務総長はゼレンスキー大統領とも会談した。5月3日現在、マリウポリからの住民避難が実施されている。良いサインである。

 

 一方でNATOのウクライナへの武器支援は加速している。これまでは主に個人携帯武器だったものが、今後は重火器を入れ、ドイツは対空戦車を送ると報道された。報道によれば、米政府はすでに相当数の榴弾砲をウクライナ領内に入れているという。このような武器の流れに対して、今後ロシアがどう空爆等の方法で阻止していくのか?これもまだ見えていない。アメリカやNATO諸国による戦闘継続の支援が進む中で、どうやって人道回廊の「保護」のため戦闘緩和の国際コンセンサスを作って行くか。停戦を求める我々にとって大きなチャレンジだ。

 

 

武器支援国の当事者性 無関係ではない日本

 

 本論からは外れるが、このような武器支援国は「紛争当時国」になるのか、という議論をする時期に来ていると思う。

 

 武力紛争を法治する国際法は、歴史上二つの考え方で成り立っている。一つは、戦端を切る口実を限定した開戦法規。現代のそれは、現状変更のために武力の行使と威嚇を厳禁しながら、個別的・集団的自衛権の行使と国連としての集団措置を例外的に認める国連憲章である。もう一つは、そうやって戦端が切られた交戦の中で発生する違反行為を定める交戦法規。ハーグ条約やジュネーブ条約など戦前から戦後の今まで積み重ねられてきたものの総称で、国際人道法と呼ばれる。その違反行為が、いわゆる戦争犯罪で、分かりやすいものとしては、市民への無差別攻撃や捕虜の虐待・殺害である。

 

 今回のウクライナとロシアの場合は、ロシア側は明らかに開戦法規の重大な違反を犯した。ここで注意しなければならないのは、そうやって戦端が切られウクライナ側が応戦する戦闘の中で、ウクライナにもロシアと同じように交戦法規を厳守する責任があるということだ。侵略の被害国であるからといって免責される戦争犯罪はない。「紛争当事国」とは、その交戦法規の中で言われる「Party to an armed conflict(武力紛争の当事者)」である。であるから、ウクライナとロシアの双方が、紛争当事国となる。

 

 それでは、武器をウクライナ側に供与している米国を中心とするNATO諸国は、はたして紛争当事国か。今回に限らず、冷戦時代でも、外国が紛争当事国に武器支援した例はある。ベトナム戦争では、ソ連と中国が北ベトナムを支援した。1970~80年代のソ連とアフガニスタンの紛争でも、米国はソ連軍と戦うムジャヒディン(イスラム戦士)に武器を流した。

 

 上記の戦前のハーグ条約では、他国の戦争からの「中立」を定義する条項があり、紛争当事国は武器の移動を含めて中立国を侵害してはならないとする。では、①中立国は紛争当事国の一方を応援した時点で、国際法上の中立性を失い、紛争当事国の一つになるのか? そして、②中立性を失った中立国は、もう一方の紛争当事国から、交戦法規上の攻撃対象となるのか?

 

 これは、国際法上の議論として難しいものがあり、まだそれを明確に言い切る条約は出現していないが、同じハーグ条約では、たとえそれが間接的であろうと、中立国が装備の供与を含めて紛争当事者の戦争に関与することを厳禁している。よって、上記の問い①の答えは、武器支援国は、今のところ直接的な紛争当事国ではないといえるが、後に言うように戦況の進展によっては、そうなる可能性を自覚しなければならない、と私は考える。防衛装備移転三原則を駆使して装備を移転した日本も、その自覚を持つべきである。

 

 一方で、こうした議論が、今回のように明らかに開戦法規の違反を犯したロシアを非難し、その犠牲となったウクライナを国際社会が支援することを阻害するのか、という問題が残る。1990年、イラクがクエートを侵攻した湾岸戦争では、国連憲章に基づき安保理決議で多国籍軍が派兵され、「国連が紛争当事国」になった。1999年には、国連事務総長の告知という形で、国連決議で発動されるPKOを含む国連多国籍部隊を派遣する加盟国に、紛争当事国として交戦法規を遵守する義務が課せられた(残念ながら日本の自衛隊のPKO部隊派遣にはこの自覚がいまだないのだが)。

 

 第三国が紛争当事国の一方に武器供与などの支援をした時その中立性は失われるとする第二次世界大戦前の伝統的な国際法と、集団的自衛権や集団的措置を権利・義務として“促進”する国連憲章との間には、齟齬(そご)があり、これは国際法のさらなる発展に期待しなければならないグレーな部分だ。

 

 その中で現在、アメリカやNATO諸国の武器供与が、個人携帯武器から重火器にシフトする中、上記②の問いはどうなるのか。このままウクライナとロシア間の戦闘能力の均衡化が進み、すでに小規模だが始まったように、ウクライナの反撃が、国境を超えて大規模にロシア領内へ及んだとき、はたしてロシアには、国連憲章で認められた自衛権を行使して、そういう武器供与国を攻撃する根拠が生まれるのか。特に、NATO加盟国であり武器支援の“前線基地”であるポーランドに対してロシアが戦端を切る戦況の出現だ。

 

 こうなると、軍事同盟であるNATOが集団防衛を連動する可能性が高まる。結果的にすべての加盟国が紛争当事国になる可能性が生まれる。だからこそ、即時停戦を実現しなければならないのだ。

 

停戦形成の現実と課題 必要となる緩衝地帯

 

ウクライナ・マリウポリ東部にあるシェルターに向かう避難民(1日)

 人道的措置(人道回廊の設置)は、停戦の“とっかかり”をつくるための初期目的(口実)と捉えるべきだ。今回の戦争では、開戦二週間目からそれを目的として停戦協議がおこなわれたことは、他のケースに比べれば一つのいいサインである。避難民の救出や人道援助を入れるというのが人道回廊の考え方だが、これをいかに保護して定着させ、そして“拡大”させるか。「定着」とは、外部の目の介入だ。現在、マリウポリで進むように国連関連団体と国際赤十字などが主体となる。一般論として、こういう「人道停戦」は必ず破られる。しかし、やり続けるしかない。このマインドセットが重要だ。

 

 この戦争においては、初期目的として人道回廊の設置のほかにも、原発と原発周辺地域の「非武装緩衝化」が考えられる。チェルノブイリについてはすでにIAEA(国際原子力機関)が入っているが、南東部にあと二つの原発(ザポリージャ、南ウクライナ)がある。原発周辺半径何キロというように非武装緩衝地帯をつくり、国連監視団を常駐させることも、停戦の醸成に向けてのもう一つの初期目的になり得る。

 

 そして、停戦ライン(軍事境界線)はいつ引けるのか。一般論として停戦ラインは、双方がこれ以上戦っても上位の戦争目的が達成できないという雰囲気が醸成され、戦況が硬直したとき、強力な仲介者が入ってくることで設定される。現状では、それがいつ、どこで、誰の介入や立ち会いのもとで引かれるのかはわからない。それは東部2州で収まるのか、実効支配地域がそのまま硬直化するものになるのかも不明だ。だから、そのために人道回廊などの初期目的の実行を拡大しつつ、戦況の硬直を待たなければならない。

 

 2014年のミンスク議定書、そして覚書で設置されたような緩衝地帯が、新たにどう合意されるのか。双方の実効支配線がどのように引かれ、国際監視団が入れるような緩衝地帯を設置できるのか。今回は、2014年当時と同じようなものに落ち着くのか。それとも、今日現在のマリウポリでのロシアによる制覇を含む、さらに拡大した“回廊”に沿ったものなのか(5月3日の段階では、ザポリージャ州へのロシア軍の移動とオデッサへの攻撃が報道されている)。

 

 そして、誰の立ち合いでそれが引かれるのか。同じ「ミンスク合意」で一度失敗しているだけに、より強力な「仲介」と、「定着」のための国際監視のメカニズムが必要だ。

 

 まず頭に浮かぶのが国連だ。言わずもがな、安保理は機能不全に陥っている。国連総会しかない。これは私自身も再三指摘してきたが、1956年の第二次中東戦争(スエズ危機)のケースは唯一の望みだ。安保理常任理事国であるイギリスとフランスが戦争当事国になって安保理が機能不全になっているとき、カナダのピアソン外相(この功績でノーベル平和賞受賞)の掛け声のもとに国連総会が国連緊急軍を発動し、これが後の国連平和維持活動の原点となった。さらに遡るが、1950年に決議された「平和のための結集決議 (Uniting for Peace)」を根拠にするアクションも考えられる。国連総会にはそのような機能もある。

 

 または、ゼレンスキー大統領が、NATO加盟断念の条件として提案している安全保障国(Security Guarantors)」の有志連合が、監視団をつくることも考えられる。いずれにせよ、そういう国際監視団は武装するのか、それとも非武装なのか。武装は、あくまで紛争当時国にならぬよう自衛のために限られる。ちなみに1956年の国連緊急軍は武装していた。今回は、後に言う紛争構造の複雑化の特徴が当初からあるので、敢えて非武装の選択がとられると思う。もちろん、監視団員の殉職は心づもりしなければならない。

 

 参考となる先行事例としては、インドとパキスタンの国境をめぐって現在も続く、印パ戦争だろう。ここでの軍事境界線は、カシミール問題という「民族自決権と分離独立問題を抱えている地域が主戦場」になっている点で、今回のケースと似ている。

 

印パ戦争の停戦ラインとなったインド北部カシミール州(2017年)

 第一次印パ戦争は1947年に起きた。国連の印パ軍事監視団が発動されたのは、翌1948年だ。その翌年の1949年に帰属問題を決めるための住民投票 (Plebiscite)を国連安保理が決議している。しかし、インド側はこの住民投票の実施を現在まで妨害している。特にムスリムが多いカシミール・バレーで、もし投票がおこなわれれば、インドへの帰属が支持されないことは明白だからだ。

 

 この国連印パ軍事監視団は、武装せず、監視のみだ。武力衝突の抑止機能はない。要員は100名程度だ。問題は、監視団のプレゼンスがありながら、停戦が今までずっと“継続”していることだ。そして戦争の再発を抑止できていない。第二次印パ戦争は、1965年、第三次は1971年に起き、このとき停戦ラインが再設定されている。そして両国が核を保有してからも、1999年のカールギル紛争では、両軍で数百名が死亡している。

 

 では、何のためにいるのか? この監視団は「有名無実のミッション」とよく揶揄される。ちなみに印パ戦争では、核のボタンが一度本当に押されかかったことがある。

 

 9・11アメリカ同時多発テロ事件直後の2001年12月、いわゆる局地戦から通常戦の総力戦、その後に核戦争になるというエスカレーションの定説をこえて、いきなりインドの首都デリーの国会議事堂(それも国会開催中)が攻撃された。イスラマバードの日本を含むすべての先進国が大使館を閉鎖する事態にまで発展した。これはパキスタンを拠点とするイスラム過激派によるテロ攻撃であるとインドが断定し、軍事境界線上のカシミールの戦闘が激化するなかで、核使用の現実味が増したためだ。パキスタンは「核の使用もやむなし」と宣言し、インドは「核の先制使用はしない」としたが使用を否定しなかった。

 

 ここで注目すべきは、核戦争の停戦のため事態を収めるシャトル外交をやったのが、アメリカのアーミテージ。そしてロシアのプーチン大統領だったことだ。両国には、他国の核戦争を調停する実績があるのだ。そして、国連監視団の存在は、そういう特定の国による調停外交の基盤として定着し、消耗戦と核戦争へのエスカレーションを予防していると言えなくもない。

 

 今回の戦争での停戦監視団の現実性を展望するとき、私たちが想定しておかなければならないのは、停戦は、“終戦”を迎えず、長期化、固定化し得るということだ。つまり、紛争の解決や講和に至らず、“休戦状態”として停戦現状が恒久化するかもしれないということだ。

 

 休戦の例をあげるなら、日本の隣、朝鮮半島38度線上にある朝鮮国連軍(UNC)だ。これを派遣した1950年の国連安保理決議にはソ連が欠席しており、実質は米・韓国軍だ。それ以降の安保理決議はない。それでも22カ国が参加しており、70年以上たった現在でも依然存在している。実は、国連はブトロス・ガリ事務総長時代に、この冷戦の遺物を見放す宣言(書簡)を出している。“国連軍”が、北朝鮮のみならず常任理事国の中国と敵対する構造は、現在の安保理では、審議さえ不可能な代物だからだ。

 

 この冷戦の遺物は、日本にとって重要である。なぜなら日本は、この国連軍と地位協定を結ぶ唯一の国であり、それは日米地位協定と連動しているからだ。日本は国連軍に入っていない、つまり開戦の決定に参加できないのに、開戦と同時に国連軍と同じ交戦国になる奇異な国だからだ。今回の露ウ戦争によって冷戦の復活が言われる中、ここ北東アジアでは、その冷戦はまだ終わっていないのだ。停戦の長期化という現実について、日本人は自分の問題として考えるべきだ。

 

停戦監視団への脅威 長期戦による複雑化

 

 せっかくつくられた停戦監視団が失敗するケースもある。何の成果も上げられずに。それがシリアだ。まだシリア紛争が「アサド政権vs.反体制派」という単純な構造だったとき、2012年4月に安保理決議によって、国連とアラブ連合の合同特使としてコフィー・アナン元国連事務総長が停戦の交渉にあたった。係争地帯からシリア軍が撤退し、それを受けて反体制派も停戦するという合意に向けて動き出し、監視団も250名ほどに組織された。このときは非武装である。

 

 だが同年6月に停戦監視団への攻撃が始まり、活動は停止。その後、僕がアフガンで一緒に仕事をすることになるラフダール・ブラヒミ氏が国連特別代表に任命されたが、彼も2014年に辞任するなど紆余曲折の道をたどり、停戦監視は消滅する。ISなどの出現によって「紛争構造」はさらに複雑化し、今に至っている。

 

ISの出現や非正規戦闘員の混在で紛争構造が複雑化したシリア内戦(2016年)

 中立であるはずの停戦監視へ攻撃が始まるのは、紛争当事者双方、政府や武装勢力の指揮命令系統が脆弱化し、政治合意としての停戦命令が効かない状態になっているときだ。非正規軍事要員のプレゼンス、たとえば反政府勢力のスプリンターグループ(分派)化や、義勇兵、傭兵の存在だ。今回の場合では、ロシアとウクライナ双方に、当初からこれがあるわけで、これは停戦監視にとって非常に大きな問題になり続けるだろう。

 

 このような先例から教訓が得られるとすれば、停戦監視には犠牲がつきものであるということ。そして紛争構造が複雑化する前に早急に停戦監視を投入し定着化させること。これに尽きる。

 

少数派でも冷静な世論を 「悪魔化」が生む弊害

 

 最後に、停戦の形成・交渉を推進するロビー活動をおこなう我々の問題として、一つのマインドセット(考え方)を少数派でいいので社会につくる必要がある。小さいものでも構わない。しかし、このような考え方があるのだという世論形成だ。

 

 それは「停戦は事実行為であり、戦争の結果とは無関係である」ということだ。帰属問題や民族自決権問題の合意条件、戦争犯罪の取り扱いは、むしろ戦闘行為が中断されてから時間をかけて議論されるべきもの、という世論を社会にいかにつくるか。これが、停戦のロビー活動を左右する。

 

 とくに戦争犯罪への対処が問題となる。停戦の仲介を実務としてやってきた者として指摘したいのは、停戦仲介者に“不可避的に”浴びせかけられる糾弾だ。「不処罰の文化(Culture of Impunity)を促進する悪魔」という糾弾だ。これに対するレジリエンス(適応能力)をつくらなければならない。

 

 停戦合意のためには、戦争犯罪などの人権問題は、ある意味「棚上げ」(無視ではない)をしなければならないことが往々にしてある。戦争犯罪の喧伝――この場合、ロシアの“悪魔化”は、その悪魔と対話しなければならない停戦交渉を支える世論形成を阻害する。非常に言いにくいことだが、それが停戦の現実だ。

 

 停戦の仲介は、政治的リスクを伴う。国連の中でも平和維持活動の一環としてそれをやるのは、ニューヨークに本部を置く国連だ。これに対して「不処罰の文化」を糾弾するのはジュネーブに本部を置く国連だ。国連の中でも生まれる確執だ。これに加えてアムネスティなど人権コミュニティーからの糾弾もある。

 

 停戦仲介を特定の国家の首脳がやる場合、「不処罰の文化」の糾弾を抑えて、それをやった結果、失敗したら大きなリスクが伴う。「棚上げ」を理解する世論が形成されないと、そういう仲介者も出現しにくくなる。

 

戦争犯罪をどう裁くか 開戦法規と交戦法規

 

 戦争犯罪は絶対に許されない行為だ。しかし、実際にどこまで国際社会は戦争犯罪を処罰できているのか――という現実を周知させることも、必要だと思う。くり返すが、これは絶対に不処罰の文化を肯定するものではない。

 

 三つのケースを挙げる。一つは、戦争犯罪の「棚上げ」が“長期化”するケース。戦争犯罪が棚上げされ、和平のための政治的な妥協のもとに、例えば連立政権ができて、戦争犯罪の被疑者たちがそのまま連立政権の重要ポストに就く場合だ。でも政治は依然安定せず、政権がいつ崩壊して戦争が再発するかわからない。こういう状態では、政権の安定のために「棚上げ」を長引かせる選択を国際社会は暗黙了解する。

 

 例は、私が経験したアフガニスタンだ。2001年にアメリカ政府がタリバン政権を倒した後、タリバンと同等もしくはそれ以上の戦争犯罪を犯したアフガンの軍閥たちで組閣した政権がその一例だ。その政権はそのままズルズルと20年間続き、昨年8月に新しいタリバンによって崩壊させられた。戦争犯罪はいまだに問われていない。

 

 もう一つは、「棚上げ」を“定着”させたケース。冷戦時代からインドネシアからの分離独立運動をやり遂げ、2002年に独立を果たした東ティモールのケースだ。僕はその独立前、国連が一時的にその主権を預かり暫定政権ができた時に、県知事の一人に任命され赴任した。

 

 インドネシア軍と警察、それが操る民兵たちによってジェノサイド(大量殺戮)が起きた。冷戦時代には、独立派は「テロリスト」「アカ(共産主義者)」と呼ばれており、日本を含む西側は、インドネシア政府を全面的に支援し、軍事供与をおこなったのだ。メディアはジェノサイドの事実に沈黙を貫いた。冷戦が終わると、そういう西側の態度は手のひら返しのように、独立支援に変わったのだ。

 

 独立後、2004年に東ティモールはインドネシアと、「戦後の両国関係の安定と繁栄のために戦争犯罪の訴追と処罰をせず、“真実の究明”にとどめる」という合意に達した。つまり、戦争犯罪の起訴を放棄したのだ。もちろん、人権コミュニティからの糾弾を受けたが、現在の両国の関係は、ほぼノーマルである。

 

 三つめは、戦争犯罪を棚上げどころか“恩赦”したケース。これはすでに言及したアフガニスタンで、2007年のカルザイ政権時代に、政治的和解のためにタリバンと軍閥たちが犯した戦争犯罪をすべて恩赦とする国内法を通した。もちろん人権コミュニティーは、「不処罰の文化」を糾弾したが、結果は、上記のように昨年のアメリカの一方的な「敗走」によって今に至り、過去に遡って戦争犯罪を取り上げる機運は国際社会にはない。

 

 私自身は「人権の普遍的管轄権」の信奉者だ。それは宗教の教典のように絶対的なものだと思っている。しかし、停戦の実務においては、概念としての人権の空白期間を設ける、もしくは部分的に人権という概念を傷つけることをいとわない、ある意味の冷徹さが必要となる場合がある。これが世論を支配してしまうと、まさに「不処罰の文化」になるので少数派であるべきだ。しかし、停戦の実現に不可避なものとする冷徹な世論の形成は必要だと思う。

 

 だからこそ、停戦がなされ、講和のフェーズに入った段階で、空白状態に置かれた人権の復活、また傷つけてしまった人権を修復(手当て)するための準備作業を、停戦の仲介と同時に開始する必要がある。その一つが、検死などの戦争犯罪の証拠固めだ。それをおこなう調査機関の中立性が焦点になる。今の段階では、戦争犯罪が発生したウクライナ領にロシアは入れないので、ロシアが認めるような第三国をその調査団に入れるという工夫が必要になると思う。

 

 こういう措置を冷静に考えるために念頭におくべきことは、「推定無罪の原則(有罪が宣告されるまでは無罪と推定する)」だ。侵攻したのはロシアであり、ロシアが犯した戦争犯罪の方が多いことは予想されるが、推定無罪の原則は、国内の殺人事件であろうが、国家間の戦争犯罪であろうが、法の原則である。

 

 これを考えるうえで、押し並べて日本人全体が抱える問題としてあるのが、冒頭で説明した開戦法規と交戦法規の明確な違いの認識である。開戦法規ではロシア側に明確な非がある。しかし、開戦法規上の違反性は、交戦法規へは引きずれない。「先に手を出したのはオマエの方だろうが」という言い訳は、戦争犯罪には通用しないのだ。さもないと、真珠湾攻撃した日本は、原爆投下の非道性を訴える根拠を失う。

 

 交戦法規においては、占領者と被占領者は平等にそれを遵守する義務があり、侵略されたからといって免責される戦争犯罪はない。この冷たい法理を定着させる必要がある。少数でもいい(いや、少数であるべきと言おうか)、そのような冷静な世論の形成が、停戦によって傷つく人権の回復に不可欠だと思う。

 

 もう一つ重要なのは、戦争犯罪は、ジュネーブ諸条約などの交戦法規を批准するそれぞれの国に、第一次裁判権があるということだ。つまり、戦争犯罪を犯した当時国に、まずそれを裁く責任があるということだ。その責任の行使の不十分さを巡って、ICC(国際刑事裁判所)や国際戦犯法廷の設置の具体的な話が始まる。

 

 停戦を求める我々として、今ロシア側に伝えるメッセージがあるとするならば、ロシア兵や義勇兵たちが犯した犯罪に対して第一次裁判権を行使せよ、軍事裁判を実施せよ、ということだ。

 

【※シンポジウムでの発言に加筆】

 

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 いせざき・けんじ 1957年、東京都生まれ。東京外国語大学教授、同大学院教授(紛争予防と平和構築講座)。インド留学中、現地スラム街の居住権をめぐる住民運動にかかわる。国際NGO 職員として、内戦初期のシエラレオネを皮切りにアフリカ3カ国で10年間、開発援助に従事。2000年から国連職員として、インドネシアからの独立運動が起きていた東ティモールに赴き、国連PKO暫定行政府の県知事を務める。2001年からシエラレオネで国連派遣団の武装解除部長を担い、内戦終結に貢献。2003年からは日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を担当。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』、『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』(共著、集英社クリエイティブ)など多数。

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