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学生主催で原爆と戦争展 長崎県立大佐世保校 

 長崎県佐世保市の長崎県立大学佐世保校の附属図書館で22日から25日まで同大学の学生が主催する原爆と戦争展がおこなわれている。原爆展を成功させる長崎の会(吉山昭子会長)の被爆者たちが連日、長崎市内から出向き、学生たちに被爆体験を語り継いでおり、学生たちとの交流がおこなわれている。


 会場には、原爆と戦争展パネル(下関原爆展事務局編集)とともに佐世保空襲資料館より市街地の3分の2を消失し、六万人の死傷者を出した佐世保空襲の写真をはじめ、米軍が投下した焼夷弾、機関砲弾、防空ずきんなど市民が保管してきた資料、大学生協の学生たちによる平和学習の発表資料などが展示されている。受付や宣伝などを学生たちが意欲的に担い、22日には長崎市内から4人の被爆者らが会場に出向いて、午前と午後の部の2回、のべ50人の学生たちに体験を語り伝えた。
 原爆展を成功させる長崎の会の吉山昭子会長は、「いま、尖閣諸島問題をめぐって中国や北朝鮮などとの間で緊張感が高まっているが、戦争は絶対にやってはいけない。たとえけしかけられたとしても戦争をはじめれば、領土問題以上に国民は多大な犠牲を払わなければいけない。私たちは物心ついたときから戦争の中で育ち、16歳で原爆にあった。それによって非常に苦労を強いられたし、多くの友だちを失った。そのなかでも自己犠牲の精神や思いやりの心をもってお互いに助け合いながら生きてきた。若い人たちを見ると、自分さえよければいいという考え方が強く、相手を思いやる気持ちに欠けている。戦争の苦労を知り、平和の大切さをしっかりと認識してほしい」と力強く呼びかけた。
 三菱兵器製作所に動員中に被爆した竹平百合子氏は、住吉トンネル工場で背後から直接閃光を浴び、腕や足が焼けただれながらも必死に逃避行した経験を語り、「裸足で火の中を歩き続けたが、大根のようにちぎれた手足が転がり、それを足で蹴飛ばしながら逃げた。とてもこの世のものとは思えない悲惨な惨状だった」と語った。
 また、皮膚が焼けただれているため衣服をハサミで切り取り、布団に寝ることもできず座ったまま何日も過ごし、患部にはジャガイモをすって塗るだけ。「お見舞いに来てくれた近所のお姉ちゃんは、小指の先ほどの傷を負っただけで、私を見て“かわいそうね”といっていたのに、それからスカーフをかぶって歩くようになったかと思えば、寝たきりになり“(戦死した)兄が迎えに来た”といいながら一週間で息を引き取った。髪が全部抜けていた。“次は私の番だ…”と生きた心地もしなかった。戦後、働くようになっても、腕のケロイドが見えないように夏でも長袖を着て過ごした。多くの犠牲の上に平和がある。暴力ではなく、話し合いで解決するというのが多くの死者を出した戦争の教訓だ。核兵器をなくすために力を合わせましょう」と呼びかけた。
 原爆投下翌日に入市被爆した河辺聖子氏は、放射能を浴びたことで頭髪が抜けて、学校でいじめられるので母親から炭を頭に塗られて登校させられた経験や観光名所になっている眼鏡橋のたもとでも毎日のように死体が山積みされて火葬されていたことを語り伝えた。
 「中島川の河畔では、雨が降る晩には死体から出たリンが火の玉のようにポッポッと青白い灯を燃やしていた。戦後は、校舎も教科書もなく、先生も大学生も戦場にかり出されたので中高生くらいのお兄ちゃんたちが青空の下に板を並べて勉強を教えてくれた。食べものもなく野草を摘んできたり、服もカーテンを仕立ててつくったりしていた。70歳以上の人たちはそういう苦労をして戦後の日本の復興を支えてきた。それを忘れずにこれからの社会をつくってほしい」と語った。

 目開かされたと学生達 中国人留学生も共感 

 2年生の男子生徒は、「東北出身だが、祖父が戦地で捕虜になり、指もなくなるなどの経験をしている。だが、あまりにもつらすぎて体験を語ってくれなかった。体験者の方方が生きているうちにしっかり受け継ぎたい」と語り、被爆者たちに感謝をのべた。
 佐世保出身の学生は、「小学校で被爆者から体験を聞いて“アメリカはひどい”と思っていたが、中学校になって“日本が悪かった”と習い、“どっちもどっちだ”と思って考えることをやめていた。だが、パネルと被爆者の話を聞いて、現代と重なる部分が多く、戦争の問題は他人事ではなく、これからの問題として考えていかなければと思う。とくに日本の指導部がアメリカにすべてを投げ渡してしまったことは今の日本の現状とピタリとつながっている」と感想を語った。
 経済学部の男子学生は「体験者の生の声がまとめられたパネルを見るのははじめてだった。これまで学校で習ってきた知識やテレビなどを通じて入ってくる視点とは違い、戦争について目を開かされた」と衝撃を語った。
 「経済学は、どうしてもアメリカ中心になり、欧米型の経済のあり方が先進だという教わり方をするが、ここに書かれている内容はアメリカが中国市場を狙って対日参戦したという歴史の裏側が書かれている。それは現代に当てはめてもはっきりしている。中国に留学していたことがあるが、第二次大戦をめぐっては中国人とは分かちがたい感情的な対立がある。そこをお互いに理解し合う努力をすることが第一歩だ。国際関係は一方的では成り立たず、相手国の立場や利益も配慮してお互いにとって有益な関係を築くことなのに、最近の日本のマスコミや政府の動きを見ていると、どれだけ自国の主張を押し通すことができたかというのが加熱している。それでは友好関係は結べるわけがない。一連の中国との対立もバックでアメリカが糸を引いている」と語った。
 また、「尖閣諸島問題で中国政府が建設会社フジタの社員を拘束したが、フジタはゴールドマンサックスが主要株主の100%アメリカ資本の企業。日本では、“日本に対する報復行為”と報道されたが、中国は背後で操作しているアメリカに対する反撃と見られている。さらにアメリカからの中国への圧力が強まり、中国も大量に保有している米国債を売ったりしている。その狭間でアメリカに媚びている日本は、中国とまともな外交交渉すらできない。これでは、日中間の問題は絶対に解決できないと思う」と話した。
 同伴した中国人留学生の男性は、「中国では、戦争の傷跡を乗り越えて日本との平和的な関係を築くことが願われている。憎しみだけでは何も生まれない。戦争で痛恨の体験をした日中両国民は理解し合える関係だと思う。アジアの問題はアジアで解決するべきなのに、アメリカが介入して覇権主義の横車を押すことが問題だと思う」とのべ、日本との相互理解を深めるために留学を志した心境を語った。
 体験者たちも話に加わり、「敗戦後、アメリカの植民地になった日本はアメリカの手足に使われている。中国の人人とも力を合わせて戦争をやらせないようにがんばりましょう」「しっかりと戦争について学んでほしい」と交流は深まっていった。
 原爆と戦争展は、25日までおこなわれ、連日、被爆体験を語る会が予定されている。

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