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広島「原爆と戦争展」で全国交流会 全国の経験持ち寄り論議白熱

原爆記念日の前日にあたる5日、第13回広島「原爆と戦争展」が開催されている広島市まちづくり市民交流プラザロビーで、原爆展を成功させる広島の会(重力敬三会長)、下関原爆被害者の会(大松妙子会長)の呼びかけによる全国交流会がおこなわれた。

 精力的に原爆と戦争展運動を展開してきた広島、長崎、下関の被爆者をはじめ、沖縄県、愛知県、茨城県、宮崎県などから元海軍特攻隊員、沖縄戦体験者、現役労働者、主婦、学生などが参加し、今年の8・6を目指して全国各地で展開してきた原爆と戦争展をはじめとする活動の経験や特徴を報告しあい、その成果を共有し、戦争阻止に向けたみなぎる思いが交流された。安倍戦争政治が国民の頭上で進行するなか、全国で激動する国民世論を反映した熱気と迫力に満ちた交流会となった。
 
 広島、長崎、下関、沖縄等から参加

 初めに、呼びかけ団体の原爆展を成功させる広島の会を代表して同会副会長で被爆者の真木淳治氏があいさつした。


 真木氏は、「広島の会は各地での原爆展運動を柱とし、市内の小中学校での平和学習や語り部活動、そして、ここから育った学生たちが年間を通じて平和公園で街頭展示を始めるなど活動の幅は広がってきた。ここ最近とくに感じることは、今の国の状況を心配する声と政府に対する激しい非難の声だ」とのべた。


 「この原爆展期間中も、さまざまな人人から“今の政治は私たちの願いとは違う方向に進んでいる。これではいけない!”という思いがひしひしと伝わってくる。小中学生の感想でも、“集団的自衛権には絶対反対だ”と何人もの子どもがいっている。それほど国の異常な状態が進んでいる。だからこそ原爆展活動は重要だし、この会場でパネルをみて話を聞いて“広島に来てよかった”という言葉をたくさん聞いて確信を持っている。広島、長崎から全国に向かって発信していくこと、さらにみなさんの地域で頑張っていけば、今の流れを阻止できる。集団的自衛権反対、原発をなくし安全なエネルギーに変えてみんなが安心して暮らせる日本になってほしいと願う声が圧倒的だ。国や一部の人間が突っ走ろうとするならば、多くの国民の願いを声に出して力をあわせ、阻止しなくてはならない。参加する学生さんも年年増えており、若い力に期待して健在である今の時期に一人でも多く考えてくれる人を増やす努力を続けていきたい」と力強くのべた。


 下関原爆被害者の会からは河野睦氏が「私たちも小学校に行って語り部をさせてもらってきたが、子どもの目を見ていると一生懸命私たちが語っていかなければいけないという思いがこみ上げてくる。力一杯頑張っていきたい」とのべた。


 続いて各地域の代表者が熱を込めてあいさつ。
 原爆展を成功させる長崎の会の永田良幸氏は、「何回も広島に来ているが、原爆のことを受け継ぐ教育を子どもと先生が立派にやっていることに感心する。長崎では落ちたことすら知らない人もいるが、これは政治家が自分たちの懐を肥やすばかりで原爆のことに一切関心がないからだ。一発経験してみたらどうかと思うほど政府に対して腹が立っている」とのべた。


 そして、「政府は平和を口にしながらまた戦争をしようとしている。戦争で武器商人がもうけ、政治家にバックマージンが入るという世界だ。被爆者として食らいつくくらいの勢いでやっていく必要がある。長崎は広島に続いて原爆の人体実験をされた。腹立たしさが募る今、こうして広島でいろんな出会いがあることがうれしい」と連帯の気持ちを伝えた。


 9名で広島を訪問した原爆展を成功させる沖縄の会の野原郁美氏は、名護市辺野古に新基地を建設するという緊迫した状況のなかで、「沖縄でも原爆と戦争展は戦争政治と対決する大きな世論をつくっていく礎になっている。自衛隊配備や尖閣諸島問題など緊迫するなかで、最近は台湾や香港から来る観光客も何時間もかけて見て“学校で教わった歴史は、原爆で戦争が終わったというものだったが、見方が変わり涙が止まらなかった”と感想をいう。国境をこえて平和のために交流していく大切さも感じている。平和の力をみなさんとともにつくり上げていきたい」と決意をのべた。


 愛知県の特攻隊経験者である恩田広孝氏は、「安倍政府が集団的自衛権といい始めてから世の中の意識はずいぶん変わった。戦争体験者は全部反対だ。学生は“先生はこんなことを教えてくれてない”と衝撃を受けて素直に戦争体験を聞いてくる。戦後教育の影響を受けてきた4、50代は半信半疑ながらも考え始めている」とのべた。「かつて日本軍はミッドウェーで惨敗しても、勝った、勝ったといって沖縄戦までいった。海軍の幹部は責任をとって戦死する人が多かったが、それは国民には伝えず、戦争指導者たちは自分だけが“平和主義者”になって国民に“一億総懺悔”と反省を求めた。いい例が岸信介や朝日新聞だ。実際には国民はあらゆる情報をつんぼ桟敷に置かれ戦場に送り出され、拒否する者は犯罪者にした。それをいわず自分たちだけ平和主義者になって国民に“一億総懺悔”といって抑えつけた」と積年の怒りをのべた。


 「私も特攻の末席にいたが、すでに飛行機がなく、震洋というモーターボートに乗り、飛行機のエンジンを積み500㌔の爆弾を爆装して敵艦に体当たりする。それを毎日、名前を呼ばれるのを待った。朝礼で名前が呼ばれて朝10時に出て行ったら終わりだ。そんな思いをしてきて、たった六九年でまた戦争をやろうという。しかも今度はアメリカのために死ぬ。安倍がなんといおうと年配者はみんな知っている。自分一人で反対と思っているだけでなく、声に出し、デモ行進してたたかわないといけない」と激しい思いを語った。


 広島から茨城県に転勤した40代の男性会社員は、「安倍は“国民のいのちを守る”と薄っぺらな言葉で正反対のことを平気でやっている。日本が攻撃もされていないのに、同盟国のアメリカが攻撃を受ければ、日本が応戦に加わり、自動的に交戦状態に入る。そのことによってどれだけ国民の生命が脅かされるか知りながら平気でやる。福島でもいまだに仮設生活で苦しみ、汚染水は流れ出しているのに五輪招致では世界に向かって“完全にコントロールしている”と真っ赤な嘘をつく。そういう輩が首相をしていることに国民として強い憤りを感じる。こんなものが原爆慰霊式典の壇上に立つ資格はない!」と激しく語った。


 そして、昨年末、特定秘密保護法の採決がおこなわれた国会を傍聴したことを明かし、「動議も出てなんら議論もされていないのに強行採決を押し切った。同法案は普通の理性があれば簡単にわかるおかしさなのに、与党は出世欲と保身からだれ一人として反対しなかった。私の隣の傍聴者は怒りに震えて、議場に靴を投げ込んで逮捕された。国民の良識は国会で踏みにじられ最後は逮捕されるという現実をこの目で見た。国が泥船なのに国会だけは豪華客船だ。与党が敗北した滋賀県知事選は端緒であり、今度は福島県知事選、沖縄県知事選がある。福島をほったらかしで原発再稼働と輸出、普天間も廃港するはずがいつのまにか移設になり、危険と騒がれたオスプレイも国家予算で買う。この怒りは必ず表面化するし、東京の国会前デモでは年代、職業をこえて多くの人たちが怒りを発している。広島の原爆展活動はその根底的な意識を束ねる運動だと思う。全国の人たちの怒りと共有して一緒に頑張っていきたい」と確信をもってのべた。

 安倍の暴走に怒り噴出 原爆展の反響激変 

 白熱する思いが交わされるなか、被爆者や戦争体験者世代からは、若い人たちの変化とともに、安倍政府の「集団的自衛権」「安全保障」に対して激しい怒りがあいついで語られた。


 広島の会の婦人被爆者は、「今日も平和の旅の子どもたちに語ってきた。最近の小中高生、大学生は一生懸命聞いてくれる。そして感想文を読むと涙が出るほど真剣に聞いている。母と弟を原爆で失い、生き残った者の使命として語り継ぐ必要性を感じて語り始めた。82歳だが今が青春。この活動のおかげで元気でいられる。命ある限り続けていきたい」と語った。


 沖縄戦体験者の婦人は、15歳のときに沖縄戦で3人の兄が防衛隊にとられ、激戦地の南部で盲目の母と10歳の弟を連れて昼も夜もなく米軍の艦砲射撃から逃げ回った経験を語り、「夜になってやっと見つけた水を飲んだが、翌朝みるとたくさんの死体の血が混ざった泥水だった」こと、艦砲の破片で叔母が負ぶっている赤ん坊の首が飛ばされ泣く暇もなく田んぼのあぜ道に置いて逃げたこと、壕の中に隠れていると米軍から“出てこい”といわれ応じなければ手榴弾を投げ込まれ、最後は火炎放射器で左半身にヤケドを負ったことなど壮絶な体験を語った。


 「戦争のせの字も知らない政治家が、憲法も自衛隊もなすがままにやろうとしている。沖縄にも日本のどこにも基地はあってはならない。“天皇陛下のため”といって戦争に動員したが、天皇は住民の命など守らなかった。広島で原爆の写真を見て胸がちぎれるほど苦しかった。生きている自分たちが手をとりあって戦争の現実を知らさないといけない。安倍には“戦争をやりたいなら、イラクなど激戦地に行って死人の泥水飲んで、本当に国民の命と財産を守るか、人間一人でも助けてみろ!”といいたい。聞く気がないなら国民が団結して安倍を倒すことだ」と熱を込めて語った。


 沖縄の婦人労働者は、自身が働く会社で原爆展賛同者や署名活動をしたところ「安倍の暴走を止めろ」「このままでは徴兵制だ」と管理職も進んで応じ、取引業者にまで広がったことを語り「片隅でこそこそやるときではない。確信を持って広くやっていきたい」と意気込みを語った。


 沖縄からは、「沖縄は確実に戦場になる」「自衛隊が足りなければ、子や孫が戦場に送られる」と命がけの基地撤去運動が盛り上がっていることが熱く報告された。

 体験受継ぐと学生たち 熱い思い共有 

 論議では、「“特攻崩れ”といわれて一切しゃべらなかったが、最近になって語り始めた。自衛隊をCMで美化し、反対することは悪いようなイメージ戦略をしている。愛知県では77万人が戦死しているが、“マーシャル群島、渇死”という痛切な慰霊碑もある。水も飲めずに死んだのだ。ひどい目にあった国民は何十年たっても忘れない」「欺した16人の戦犯と欺されて殺された320万人を同じ社に祀る靖国も問題だ」「安倍は攻撃された船の乗員を助けるというが、実際の敵国はそんなことはしない。54基もある原発を1、2基攻撃したら日本は廃虚になる。説明が愚かすぎる」「政府は死ぬのを待っているが、安倍より先に死ねない。90、100まで生きてやろう!」と迫力に満ちた論議が盛り上がった。


 体験者の思いを受けて、広島の男子大学院生は、社会科教師をめざしていることを明かし、「私たちは映像や文字でしか戦争を知らないが、直接体験者の方の話を聞くことがなによりも重要だと感じた。私の実家でも3人が満州で餓死したり、沖縄の野戦病院、南方の島で亡くなっている。体験を直接聞ける最後の世代として、忘れることなく伝えていきたい」と語った。女子学生からも、「広島出身の者として、自分たちがたくさん学んで次の世代に伝えていかなければいけない」と厳粛な思いを胸に抱負が語られた。


 広島の会の現役労働者の男性からは、「これまで広島のいろんな団体にかかわってきたが納得できず、この原爆展パネルに出会って初めて納得できるものだと感じて今に至った。現役労働者世代が安心して暮らせる社会を引き継いでいく責任がある。だからこそこの運動を足がかりに、これからももっと多くのことを学んでいきたい」と決意を語った。


 最後に広島の会の真木氏が「各地から非常に熱のこもった今までにないすばらしい交流になった。今の全国の世論が皆さんの語り口にあらわれている。みなさん困難に負けず、この熱い思いをしっかり全国に向けて発信していきましょう!」と締めくくり、全国各地にみなぎる世論と行動力を束ねて壮大な戦争阻止の大運動を起こしていくことを誓いあい、絆を深めながら会を閉じた。

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