いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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記者座談会 69年目の敗戦記念日を迎えて  

 69年目の敗戦記念日を迎えようとしている。

 かつての大戦で日本は経験したことのない深い痛手を受け、320万人もの国民が殺された。戦地に送られた兵士たちは食料も弾薬もないなかで餓死や病気によって死んでいき、国内では広島、長崎への原爆投下だけでなく都市はみな空襲によって焦土と化し、肉親や友人を奪われて国民はみな焼け野原に投げ出された。

 あれから69年が経過した現在、露骨なアメリカの植民地従属国になり果て、しまいには集団的自衛権を発動してアメリカのための戦争に日本の若者が駆り出され、死んでこなければならない情勢が迫っている。戦没者の死は決してむだにしてはならず、再び戦争を起こしてはならないという国民世論は全国で充満している。第2次大戦をどうみるか、戦後69年をどうみるか、人民の進撃方向ともかかわって記者座談会を持った。
 
 対米従属の鎖断ち戦争阻止へ

 A 今年の8・6広島行動は昨年にも増して熱を帯びたものになった。まずその特徴から出しあってみたい。


 B 原爆展では参観者の多くが戦前、戦中から戦後の経験を現在につなげて観ていたのが特徴だった。「なぜ戦争になっていったのか」という問題意識が強く、パネルを観て「メディアが大本営発表で国民をだましたり、戦争動員していったやり方が今とソックリだ」と語られていた。集団的自衛権について「国民の生命を守る」といってだまくらかしたり、原発は安全といって洗脳したあげくに爆発事故を起こしたり、その手口は何ら変わらない。戦争の接近を誰もが肌身に感じて危機感を抱いているし、だからこそ余計に学びたいという意欲を持って来ていた。会場に来た人たちが「ありがとうございました」「勉強になりました」といって帰っていった。戦争政治に対抗する力として原爆展は存在感を持っていると実感した。人人のたたかいに役に立つ原爆展なのだと。


  平和公園での街頭パネル展示も外国人や子ども連れなど全国から広島に来た人人がたくさん参観していった。特に「貧乏になって戦争になっていった」のパネルをはじめ、なぜかつての戦争に突っ込んでいったのか描いた前半部分のパネルに関心が強かった。「教科書やテレビ、新聞にない真実の歴史に触れることができた」という感想が多く寄せられた。パネルを参観して、原爆展会場に足を運んで体験者から話を聞いたり、はぐるま座の『原爆展物語』公演を参観したり、8・6集会に参加する人人も出てきた。『原爆展物語』を観た若い母親は、「集団的自衛権や社会全般のあり方に疑問を感じ、何か行動しなければと思っていたが、どの団体も利権のためにやっているところばかりで、心から信頼できる団体をずっと探していた。やっと出会えました。仲間にしてください」と感動されていた。原爆展にかかわってきた大学生たちもスタッフとしての活動が確信になっていった。


 D 全体を通じて安倍戦争政治の暴走に対する怒りが強かった。愛知の特攻体験者が「戦争体験者は絶対に戦争には反対なんだ!」といわれていたが、鬼気迫る思いというか迫力があった。若い世代も教えられてこなかった戦争体験に触れ、自分たちの将来とも重ねて真剣に話を聞いていた。体験者からはよく「40~50代が一番戦後教育の影響を受けていて、素直に話を聞かない」といわれていたが、そういう世代も含めて大きな世論が全国的に動いていることを原爆展会場でも実感した。安倍が「福島はコントロールされている」と世界に向かって大嘘をついたり、「国民の命を守る」といいながら集団的自衛権をごり押ししたり、誰が考えても危険になる方向に舵を切っている。テロの標的になったり、そのことによってどれだけ危険になるかみながわかっているようなことを平然とやる。「何がしたいのか!」という怒りが世代をこえてあった。


 被爆者や戦争体験者の体験や思いに学びたいという問題意識が強く、論議の質も例年と比べて明らかに変化していた。あと、参観者が即行動していたのも特徴だ。パネルを購入したいと申し出る人も複数いた。全国各地でこの原爆展を広げたら力になる。この方向で全国がつながって声を上げていけば戦争を阻止できると被爆者も確信を深めていた。原爆展や八・六行動に関わった被爆者や学生たちの達成感もすごく、みんなが一つになってやり遂げたことを喜んでいる。これまでにない8・6になったと思う。


 9日には長崎にも行って広島集会の勝利を宣伝した。連合や新左翼系の団体もいたが、自己主張をわめき散らしている印象だった。大衆不信で自滅していく流れと、大衆とともにやっていくのとではまったく違うものになる。


  関東方面から来た大学教授がパネルを観るなり「今とまったく同じだよ」といっていた。そして見終わってから「このパネルは販売していないのでしょうか?」と尋ねてきた。広島の大学でも学内でパネル展を開催して、参観した学生たちがスタッフとして支えていることを話すと、「できればうちの大学でもやりたい。帰って相談してみる」といっていた。参観者としては親子連れも多かった。五、六日は労働組合など団体の人たちもたくさん観ていった。参観者に被爆者が声をかけると、ほとんどの人が席について被爆体験を聞いていた。それで1時間でも2時間でも交流していく。


 20~30代の若者と話していて、ある男性は原爆について知ろうと思えば新聞記事や写真も含めてネットにいくらでも情報はあるが、体験者の感情がこのパネルを観てわかったと話していた。会場に来て、スタッフや戦争体験者の思いに触れないと、なにが本当なのか見極めることができない。直接会って気持ちに触れないと本当のことを知ることはできないし、伝えることはできないと語っていた。


 「これまで観てきた展示物のなかでもずば抜けた内容だ」と別の若い男性も感動して、早速ツイッターで発信していた。長周の宣伝紙を渡すと、「今どこもいわないようなことを見出しに出している。なかなかできないことだ」と共感していた。あと、戦後生まれのお婆ちゃん、母親世代が「伝えていくためにはまず自分たちが学ばなければ」といって子や孫を連れて来たりした。


 A 体験者から「語らずにおれない」という思いがほとばしっている。若い者も聞きたいという姿勢だ。


  会場に孫を連れた被爆者が来ていた。パネルを見せた後に孫たちを座らせて、爺ちゃんが体験を語って聞かせていた。他にも被爆者が2人で来て、「安倍に腹が立って仕方がない」ことや互いの被爆体験を語り出して、途中で原爆展を成功させる広島の会の被爆者も論議に加わって盛り上がっていた。するとさらに別の被爆者がその論議に加わって、現在の政治について熱く論議を交わしていた。見ず知らずの人人がうち解けて、同じ戦争反対の思いを共有していく場になっていた。みんなが同じ思いを抱いているんだと確信して、連帯・団結を深めていった。


  小中高生平和の旅で子どもたちに語った被爆者の方は「昔と似てきている。みんなには“戦争しなさい”といわれたときにノーといえる大人になってほしい」と何度も話していた。集団的自衛権まできて、自分たちは先がないから今やらなければという気迫が溢れていた。被爆者の迫力がすごかった。「政治家が戦争できる国に変えていこうとしているが、みなさんが頑張って阻止してくれ」と子どもたちに思いを託していた。

 蘇る体験者の怒り 再び戦争動員許さぬ

  敗戦から69年たって、もう一度戦争に向かっている。そのなかで、あの戦争はなんだったのかをみなが語り始めている。体験者は自分の兄弟や親、友人が無惨に殺された生の怒りを持っている。日本中で320万人が死んでいるから、身内で戦死者がいない家庭などないくらいやられている。その生生しい怒りを伝えたい、こんな目にあったんだと堰を切ったように語っている。「南方に連れて行かれた兵士は武器も弾薬も食料もなく餓死していったんだ。こんな戦争があるか」というような思いが出てくる。わざと死ぬのがわかっていて輸送船に乗せ、潜水艦が待っている太平洋に送り出していった。被爆体験、戦争体験の生の怒りを現在に呼び起こさなければならない。敗戦69周年にあたって、これをもう一度やるのかが問われている。


  「現在と一緒だ」といわれるなかに、戦前も騙されたが、今も騙しているではないかというのがある。メディアも政治家や学者も騙すことばかりやっている。集団的自衛権は国を守るためという。アメリカの国益のために肉弾にならなければならないのに、なにが国を守るかだ。戦争に動員していくために戦前も教育が使われて子どもたちを洗脳していったが、国家統制とも合わせて知らぬ間に戦争をやらないといけないという世論がつくられていった。現在も同じだ。


  被爆者がパネルを観て響くポイントの中心は「戦争終結には原爆投下は必要なかった」という点だ。アメリカがソ連と天皇を脅しつけて日本を単独占領する。アメリカの植民地的隷属国にする目的からあれほど残酷なことをやった。決して「平和のため」ではない。第2次大戦の性質や原爆投下の目的をはっきりさせなければならない。パネルはそこを描いている。具体的体験を呼び覚まして語り継ぐことと同時に、誰がなんのためにそんなことをしたのか暴露することが重要だ。


  長崎で街頭原爆展をしている時に被爆者が来られ、「今からいつ戦争になるかわからない」「それにしてもなぜ第2次大戦は始まったのか、自分たちが学ばなければいけない」といわれていた。自身は原爆投下の2時間前に疎開して助かったが、ご主人の家族は全滅したといわれていた。兄も3人兵隊に連れて行かれ、次男は戦死。叔母のご主人は子どもが4人いるのに40歳過ぎて戦地に引っ張られ、病気になって帰ってきた。そして奥さんと子どもを残して亡くなったといわれていた。「裕福な家庭だったのに、戦争で家族をグチャグチャにされた。天皇陛下のためといってみんな引っ張られていって、餓死とか病死で殺された。それなのに戦後は誰一人としてその責任をとらなかった。自分は被爆体験はあったが、戦地の様子はパネルを観て初めて知った。これからは孫にも戦争になったらどうなるかを話していきたい」と話していた。


  下関原爆被害者の会会長だった吉本幸子さんも従兄弟が特攻隊で亡くなっていた。上空を飛行機が旋回して“さよなら”といって飛んでいったと話されていた。みんながそういう体験を持っている。我が身に照らしても母親の兄さんが学徒動員で戦死している。その上の兄さんはニューギニア戦線に送られ、芋ばかりつくっていたという。陸軍主計少尉というが食料がないから芋づくりばかりさせられていた。そしてマラリアにかかり、戻ったら大尉になったものだから戦犯になった。どの家族もそういう体験がある。孫の世代、ひ孫の世代が受け継がないといけない。「今度はお前たちの番だぞ」と体験者は思っている。


 50~60代は戦後民主主義のなかで育ち、高度成長で天下太平のような時代を過ごしてきた世代で、親の戦争体験などバカにして聞いていない世代にあたるが、ここにきて認識が変わっている。自分らの子や孫が戦争にとられるという現実を突きつけられている。


 E 読者の60代の婦人は、お兄さんが兵隊で直接広島に行こうかという時に原爆が投下されてやめになり、ご主人のお兄さんは戦車隊でフィリピンでマラリアにかかって帰ってきた経験を話していた。娘たちが失業したり苦労しながら孫を育てているが、徴兵制ともかかわって「この子たちが殺したり殺されたりするために育てているわけではない」と話していた。子どもや孫が連れて行かれるとなったときは違う。


  戦争体験者が自分たちの親兄弟を殺されたのと、自分の子や孫が同じ目にさらされるのが重なってきた。他人事ではないし、過去のことではない。
 
 米に負けるため南進 目的同じ日米支配層

  69年目を迎えて、なぜあの戦争はやられたのか、誰がやったのかを鮮明にしないといけない。帝国主義=戦争で、資本主義の搾取制度が戦争を引き起こす根源だ。パネルでも「みんな貧乏になって戦争になっていった」を観て誰もが「今と同じだ」と実感を込めていう。まさにそうだからだ。


 明治維新以後に成立した日本資本主義というのは、絶対主義天皇制のもとでブルジョアジーと地主階級による搾取がやられていた。だから人民は貧乏で国内市場が狭かった。急速に新興の資本主義国として台頭したが国内だけでは市場が乏しく、侵略に次ぐ侵略で台湾から朝鮮、中国にいたるまで手を伸ばしていった。


 しかし中国では抗日戦争に直面して、こてんぱんにやられるハメになった。行き詰まったところで中国撤退を迫られたが、仮に撤退したら為政者の権威がなくなってしまう。日中戦争だけでも45万人の日本軍兵士が命を失っているし、撤退つまり敗北と同時に支配者は地位を追われてもおかしくない関係だった。あの広大な大陸に日本軍が100万人攻め込んだところでポツポツとした点にしかならない。だから包囲殲滅された。しかし中国に降伏するわけにはいかないといって米英仏との太平洋戦争に突っ込んでいった。日本軍は南方の島島にいたるまで戦地を拡大していくが、食料も武器弾薬もなく、「勝った、勝った」「欲しがりません勝つまでは」といいながら、実際には戦争ができるような状態ではなかった。


  米国ははなから日露戦争以後に、日本侵攻作戦としてオレンジプランをつくっていた。やがて日本と衝突すると見なしていた。帝国主義同士の衝突で市場争奪になることは避けられない。衝突した時には徹底的に叩いて日本を占領するという計画だった。ペリー来航以来の路線だ。そして皆殺し作戦をやりまくった。日本の天皇以下支配階級は米側に降伏し、その手下になることによって自らの地位を守る選択をした。だから男手は丸裸で輸送船に乗せて潜水艦の待機している太平洋に送り出していったし、敗北することがわかりきっていた戦争をやめずに無茶苦茶にみなを殺した。そして、戦争が終結すると天皇は責任を問われるどころか「平和主義者」になってしまった。官僚機構もメディアも統治機構はそのまま引き継がれ、戦後支配の地位をアメリカに守られている関係だ。そういう関係が裏で進行しながら国民をだまくらかして、戦後もだましてきた。しかし、みなの経験を総合したらパネルで描いているような真実が浮かび上がる。
 
 戦後民主主義の欺瞞 日本食い潰す米欧 生産破壊し破綻

  敗戦後69年の経験もどう評価するかだ。アメリカは日本を占領して、いわゆる今世界中で流行っているような民主化をやった。しかし財閥解体とか軍解体、農地改革とか民主化のように見えたが実は違っていた。農地改革といっても地主を一掃して土地を分け自作農をつくったが、たちまちにして農民は収奪されていった。ブルジョアジーが直接農民を収奪するための改革だった。敗戦後、都会は焼き尽くし農村部がもっとも市場として大きかったからだ。財閥解体といってもみな財閥は復活した。軍隊も解体したが、朝鮮戦争を機に自衛隊の元となる警察予備隊を復活させた。


  戦後ブルジョア民主主義の欺瞞が剥がれ落ちている。だいたい国際的に見ると通常は戦勝国が占領するのは講和条約までだ。しかしサンフランシスコ単独講和に持っていって、同時に安保を結んで今日にいたるまで占領状態に置いてきた。その結末が現在の日本の姿だ。哀れ惨憺たる従属国として食い物にされ、つぶれてしまっている。


 B 70年代に入ってからのニクソン・ショック時点で、第2次大戦後の米国覇権のドル支配は崩壊していた。ベトナム戦争に巨額の軍事費を注ぎ込んで財政がパンクし、金ドル交換停止に追い込まれた。そこから後にはIT&金融で世界を略奪するという戦略でアメリカがやりまくってきた。世界中に金融自由化を要求して市場をこじ開け、IMFや世界銀行などとともにヘッジファンドが乗り込んで大暴れしてきたが、ここまできて戦後資本主義の矛盾は極点に達している。それがリーマン・ショックまできて破綻した。つまり資本主義の終わりを意味している。


 資本主義の歴史を見てみたら、現在が破綻状態なのはわかりやすいが、第1次大戦の時点で既にその矛盾にぶちあたっている。過剰生産恐慌という不治の病を抱え、戦争によって破壊することでしか打開できないのが資本主義だ。一握りの資本がカネもうけを追及してみなを貧乏にし、国内だけでは市場が狭いので海外に侵略して市場を争奪していく。帝国主義段階に発展した資本主義国同士が矛盾を激化させて、第1次大戦になった。しかしその後も相対的安定期を迎えたのは僅かの期間で、今度は1929年の世界大恐慌になる。アメリカではニューディール政策などをやったが結局もたず、第2次大戦に発展した。米英仏であれ、日独伊であれ帝国主義国がしのぎを削って植民地再分割戦争をやった。


 資本主義国が恐慌でヒイヒイいっているのを尻目に、その間めざましい経済成長を遂げていったのが社会主義国のソ連だった。1917年にロシア革命が起こって世界で初めて労働者の国ができ、ここだけが恐慌などとは無縁の計画経済で国力を伸ばしていた。第2次大戦はそうした帝国主義国同士の矛盾と同時に、社会主義陣営と資本主義陣営の矛盾、帝国主義と民族解放・独立を要求する側との矛盾を含んでいた。


  最近は資本主義終焉などを唱える書籍が多数出版され、資本主義だからパンクしているのだと多くの学者が指摘するようになった。カネもうけを追及する社会だから、金融詐欺が一番手っとり早い。しかしヘッジファンドや実体経済に根のない連中が社会の富を独り占めにすると生産力や社会的機能が破壊される。おかげで社会は成り立たなくなる。現代の格差たるやすごいものがある。みなが非正規雇用になって子どもすらつくれない。自動車の販売量がものすごく減るから、「目標設定を変えなければならない」とトヨタが焦っているというが、買い手がいないほど国内を貧困状態にしてしまった。すき家のような非正規労働ばかり奨励して、いったい誰が車を買うのか考えたらわかることだ。


  アメリカの危機が進行している。イラクで再空爆を始めたが、泥沼に引きずり込まれて引き下がれなくなるのが目に見えている。国家財政は火の車であまり深入りもできない。だから集団的自衛権で日本に身代わりとして「行ってこい」となっている。安倍政府の集団的自衛権決定についてアメリカがうるさいくらい「評価する!」と連呼しているのはそのためだ。日本の側はアメリカに隷属していることに加えて、日本の独占資本があれほど海外移転しているなかで、その海外権益を守らないといけない関係がある。アメリカがその都度守ってくれるわけではない。下手をすれば海外権益というのは没収されてしまいかねない。焼き討ちされるし、ストライキは起きるし、独自の軍隊を派遣しなければ核の傘だけでは守れない。そういう事情もある。国内を疲弊させてまともな雇用がないようにしてしまうことと、海外で搾取することとがつながって、海外権益擁護のための軍事力を派遣するところまできた。必然的なものだ。


  広島行動で宣伝カーでも流したが、なにが自分の国を守るための集団的自衛権か。アメリカの国益のための戦争だ。米軍の身代わりになって、イラクやウクライナ、中東やアフリカといった戦場に日本の若者が連れて行かれる。人殺しをしろというが、人殺しされる。人を撃てば人から撃たれる。要するに「死んでこい」という話だ。ところが、安倍晋三は正面からそのことをいえず大衆世論を恐れている。堂堂といえばよいのにそのような度胸はない。アメリカはいつもアメリカのために戦争するのであって、今度はその戦争に巻き込まれて犠牲にならなければならない。第二次大戦の再来だ。あれだけ殺されてもう一回、もっとひどい目にあわなければならないという話だ。それで日本が核ミサイルの標的にされもう一度原爆を受けるハメになる。
 
 問われる政治勢力 戦後「左翼」は総崩れ

  体験者の怒りがもっと前面に出てくる状況にしないといけない。アメリカのためにもう一度原爆を投げつけられるというなら、命をかけて阻止しなければならない。そう呑気な世の中ではないし、みんなのためにたたかう使命感で活動することに広島行動でも共感が強かった。原爆展物語の反響でも最後のスタッフの総括にみなが共感した。あのような活動なり生き方に展望がある。


  修・社民や新左翼にいたるまでみなダメで、市民から相手にされない。こっちだけ運動が発展しているのはなぜかだ。どういう政治勢力が登場すれば、みんなを団結させて戦争を阻止できるかだ。戦後六九年を迎えてそこを鮮明にしなければ展望にならない。


  8・6まできて活動家も新鮮な感動があったようだ。理屈ではなく、これ以外ないという実感が広がっている。50年8・6路線、峠三吉の時期の運動にしなければならないとやってきたが、全体がその路線に統率されて運動が発展している。全国各地で大衆自身の運動として新鮮な怒りを共有しながら発展している。大衆に奉仕できる質に変わってきている。


  戦争の危機が迫るなかで、一方ではビビって足腰立たない流れや自己主張ばかりして大衆から相手にされない流れもある。根深いものがある。第2次大戦まで遡る内容になる。一番の違いは、結局自分の利権のためなわけだ。原爆を自らのカネや地位の道具にしている。被爆者を利用して、各セクトや個人の利害のために自己主張している。


そうではなく全大衆の利益を代表して誠心誠意やるから、こちらに対する安心感ができ上がっている。広島でも長崎でも、この運動ならいいと市民が見なす。広島デモでも支持が強いが、あの原爆展をやっているデモ隊だと認知されている。だから無条件で安心して支持できる。私利私欲でやっていないのがわかっているからだ。


  大衆が主人公で大衆のなかから大衆のなかへで献身的に奉仕する勢力なら文句なしに広がる。期待されている。ここに確信を持つことが重要だと思う。


  戦後の左翼陣営というのは修正主義の影響が濃厚で、共産党中央部分も当初、アメリカを解放軍と規定していた。第2次大戦に入る過程でソ連共産党中枢に発生した民族利己主義からくる現代修正主義の産物としての影響が、戦後の日本社会をめぐってとくに左翼陣営のなかで尾を引き、基本的に解決されずに今日まできた。それで「○○派VS○○派」のような争いをしてきた。一概に左翼といっても社会党は共産党に対抗してGHQがつくったもので、労働組合の総評にしても、アメリカがつくったものだ。


 第2次大戦のなかでとられた反ファッショ統一戦線という戦術について正反両面を見ないといけないが、ソ連共産党中枢を筆頭に米英仏を友と見なしていった。それが戦後の平和と民主主義路線で、米英仏とたたかわないという影響としてある。第二次大戦に進む過程で、民族利己主義からコミンテルンも解散してしまった。世界の共産党を解散した。アメリカ共産党は平和と民主主義のアメリカの戦争に協力しなければならないといって真っ先に解散した。


 それで何度となく日本国内でも反修斗争をしてきているが、占領下の広島でたたかわれた福田さんの50年8・6斗争はなにが違うかだ。「人民に奉仕する思想に徹して、人民の苦難を調べ、その手助けをしていくならばかならず勝利する。中国革命がそうだったではないか」というのが福田さんだった。モスクワ放送や人民日報社説があって、当時の広島で果敢にたたかっていた共産党中国地方委員会は解散せざるをえなくなったが、福田さんは原爆投下者であるアメリカを正面から暴露し、大衆とともにたたかった。


  いわゆる左翼というのが戦後69年たって総崩れしている。大衆に嫌われて相手にされていない。彼らは戦争体験者は戦争協力者と評価していた。だから遺族会などは自民党の支持基盤としてとられてきた。こちらの運動には自民党支持層も積極的に加わっている。真実はこっちにあるからだ。


  新左翼でもその後どうなったのか見てみると、たとえばワタミの社長が全共斗だ。すき家を経営している男も東大全共斗だ。あの手合いが多い。下関で安倍派御用達の弁護士をしているのも早稲田全共斗だ。この連中が反動化してすっかり右翼になっている。すき家の経営者にしても、学生時代は労働者中産階級論を叫んで、もっと貧乏にする方がいいという理論だ。なんの矛盾もなく貧乏人を量産する反労働者の経営者になった。民主党の枝野や仙石も革マル出身だ。自民党の加藤紘一も60年安保斗争で旗を振っていた口だ。実は学生運動をすることも含めて出世コースだった。こういう連中が毛嫌いされて人民から見離されるのは当然だ。


 人民に奉仕して、その苦難を調べて手助けしていく政治勢力が全国的につながっていけば日本を変えることができる。これは戦後の現代修正主義との斗争の課題でもある。

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