(2026年2月9日付掲載)

長生炭鉱水没事故から84年目の犠牲者追悼集会には日韓から800人が参列(7日、宇部市)
山口県宇部市で起きた長生炭鉱水没事故の183人の犠牲者(うち136人が朝鮮半島出身者)を悼む84周年犠牲者追悼集会が7日、宇部市床波の追悼ひろばで厳かにおこなわれた。韓国と日本の遺族15人が参列し、多数の来賓とともに、全国各地、韓国から関心を寄せる市民ら総勢800人が参列した。追悼ひろば横の駐車場は第2会場として巨大モニターが設置されて集会が同時配信された。昨年8月に海底から初めて遺骨が収容され、今年1月の日韓首脳会談で両国首脳が遺骨のDNA鑑定実施に言及するなど、長生炭鉱の遺骨収容・返還をめざす市民運動が大きな注目を集めるなかで84年目の命日を迎えた。追悼集会の運営は、全国各地から応募してきた50人をこえるボランティアが支えた。
オープンセレモニーではソプラノ歌手の佐田山千恵氏が「千の風になって」、日本の歌「ふるさと」、朝鮮の歌「故郷の春」などを熱唱した。
追悼集会のはじめに主催者を代表して「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の井上洋子代表が挨拶した。
「待ちに待った歴史的瞬間が訪れた。“遺骨は必ずある”との執念で坑口を開けてから約1年後の昨年8月、あの痛ましい事故から83年の時を経て、浜辺で待つ私たちの元に、韓国人ダイバー2人の手によって海の底深く眠っていたご遺骨が運ばれてきた。私はこの歴史的瞬間に立ち合えなかったご遺族の皆さまのかわりに、石炭の粉で真っ黒になった頭蓋骨を抱き、“長い間、待っていてくれてありがとう、そして日本のためにこんな形で死を迎え本当に申し訳ありません”と語りかけた」とふり返り、命がけで何度も潜水調査に挑んだダイバーらに感謝の意をあらわした。
そのうえで、1月13日の日韓首脳会談で高市首相が「長生炭鉱のDNA鑑定」に言及したことは、「長生炭鉱の遺骨問題について日本政府が“政府として関与する”その一歩を引き出した」とのべ、韓国政府による日本政府との粘り強い交渉の賜であると語った。そして、「“見える遺骨”となった犠牲者たちとどう向き合っていくのかが、日本政府に問われている」「日本が植民地支配という形で取り返しのつかない犠牲を朝鮮半島の皆さまに強いてから、80余年の歳月が流れたが、その象徴が長生炭鉱の犠牲者の遺骨であり、ご遺族の存在だ。日本政府が人道主義の立場から、遺骨に真摯に向き合い誠意をもって対応することでしか、朝鮮半島の皆さまの日本への信頼は得られない」「今後、万が一、日本政府がこのご遺骨を見捨てるようなことがあっても、そうならないためにも、私たち市民は、高い志を掲げ、さらに強く固く団結し、遺骨収容・返還を、市民の手で前に進めようではありませんか。ご遺骨の尊厳を回復し返還することが、待ったなしの時代の要請であり、ここにこそ朝鮮半島と日本の真の和解と確かな未来が生まれると信じる」と締めくくった。その後、大韓民国行政安全部長官から「刻む会」に対して褒賞が贈られた。
続いて韓国遺族会の楊玄(ヤンヒョン)会長は、「本日は、84年という長い歳月を経て、遺族が長年切望してきたご遺骨を発掘し、対面することが叶った初めての追悼式だ」とのべ、刻む会をはじめ、国籍をこえて4回にわたるクラウドファンディングに協力した市民、多くの関係者に対し謝辞をのべた。
そのうえで、「私たちは日帝強占期という残酷な時代のなかで強制連行され、海底炭鉱である長生炭鉱で酷使され水没事故によって犠牲となられた方々の御霊を慰めるために、この場に集った。長生炭鉱は単なる事故の現場ではなく、そこには植民地時代と強制動員の悲劇がそのまま残されている歴史の現場だ。私たちは今日、無念の思いに沈んだ悲しみを乗り越え、記憶によって怒りを越え、責任をもって前に進む決意のもと、この場に立っている。犠牲者たちの尊厳を回復させ、歴史の真実を正すことは、残された私たちの義務であり使命だ。今日の追悼式が過去を悲しむことだけにとどまらず、二度とこのような悲劇をくり返さないという決意を新たにする場となることを心から願う」とのべた。
愛知県から参加した遺族の常西勝彦氏は、「父は、私が生まれる前に亡くなっている。こうして、みなさんと一緒に追悼の行事に参加させていただき、元気でいる間は、長生炭鉱で亡くなられた方の追悼を続けていきたいと思っている」とのべた。常西氏はこの日が84回目の誕生日であり、自分が生まれる4日前に長生炭鉱事故で亡くなった父親に思いを馳せた。
その後、大韓民国行政安全部の代表は、「より安全に体系的に遺骨が戻るよう研究を進めており、今年下半期には総合的支援計画を設ける」との大臣挨拶を読み上げた。そのほか駐広島大韓民国総領事の姜鎬曽(カンホズン)氏、韓日議員連盟の閔洪喆(ミンホンチョル)幹事長、社民党参院議員のラサール石井氏が挨拶した。なお司会者から、追悼集会にさいして、日本政府からの代表派遣やメッセージ等は一切ないことも報告された。
集会の後半では、日韓の中高校生による交流グループ「ジョイパ」によるセレモニー、遺族による韓国の法事(チェサ)、参列者による献花がおこなわれた。

海底から84年ぶりに引き揚げられた遺骨(右端)と対面する日本と韓国の遺族たち(6日)
山口大学の女子学生は、長生炭鉱の坑口広場などをめぐるフィールドワークに参加したことを契機にボランティアとして参加した。「地元山口県で起きた歴史。世界のダイバーが来られて遺骨を収容される現場に立ち会いたいと思い、何かできないかと思って参加した」と話した。
沖縄から中学生の娘とともに通訳ボランティアで参加した男性は、「近代国家の成り立ちは、こうした方々(強制連行の犠牲者)の奴隷のような労働と搾取のなかでインフラが整備され成り立ってきた。そのことを遺骨自体が証明してくれている。私たちが余りにも、その事実に無自覚であるがゆえに、日本自体がとても危険な状態に直面していると思う。その歴史がごっそりと抜け落ちていて、現代社会の“きしみ”に繋がっていると思う。そのなかでここ(長生炭鉱)では、日韓の市民同士が連帯して国を動かそうとしている。それがとても希望だと思う」と話していた。
「遺骨収容プロジェクト」 新たに頭蓋骨等を収容

潜水調査の準備をおこなう海外ダイバーたち(7日、宇部市床波)
長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会が進める長生炭鉱の「遺骨収容プロジェクト2026」では6日の午前10時過ぎ、伊左治佳孝氏とフィンランド、インドネシアのダイバーの3人が潜水調査に向かった。ダイバーらは潜水開始から約5時間後の午後3時18分、頭蓋骨などの遺骨数点を持ち帰り、日本と韓国の遺族らが初めて遺骨と対面した。炭鉱の粉が付着して真っ黒な頭蓋骨を前に遺族らは泣き崩れ、手を合わせた。
伊左治氏によると、約300㍍沖の「ピーヤ」(排気筒)から旧坑道に入り、通路を経て主坑道に突き当たった辺りの地点で、あおむけで靴や手袋をつけた人とみられるほぼ全身の骨を見つけた。「人間の形のままつながっていて、手袋などもそのまま残っておられて、全体を引き揚げるかというのも迷った」という。頭蓋骨のみを持ち帰ることへの葛藤があったといい、今回はDNA鑑定を考慮して金歯が残る頭蓋骨と、下顎、首の骨と見られる計5点を持ち帰った。「坑道内の撮影にも成功し、ご遺骨も持ち帰ることができて良かった。これからもやれることを積み重ねていきたい」と語った。
調査に参加したフィンランドのダイバーのミッコ・パーシ氏は、「予定通りミッションを達成することができ、ご遺族に届けることができうれしく思う。中はとても冷たかった」とのべた。インドネシアのダイバーのアウディタ・ハルソノ氏は「予定通り目標が達成できてよかった。50分間は何も見えない暗闇だったが、ご遺骨を持ち帰ることができた。とても寒かった」と語った。
韓国遺族会の楊会長は、「外国人ダイバーも参加されるので期待していた」といい、遺骨と対面したさいには「海底におられる183人の方が恨みではなく、安らかに眠られることを願ってお祈りを捧げた」と話した。そして「遺骨収容を日本政府の事業としてとりくんでほしい」とあらためて強調した。
愛知県から息子とともに駆けつけた日本人遺族の常西勝彦氏は、長生炭鉱に来る前に宇部市内にある祖父母と母親の骨を納めた墓に参ってきたといい、「親父の骨はないから入っていないが、親父が早く海底から出てきて一緒に納められたらと思う」と話した。井上代表は「ご遺族が待っていたご遺骨に今日めぐりあえた。幸運と計算された安全対策が生きたと思う」とダイバーらに感謝の言葉をかけた。
調査に出た3人のダイバーの帰りを待つあいだ、海岸では東京から訪れた在日朝鮮人の女性たちが、海に向かって祭事(チェサ)をおこなった。東京都東村山市の国平寺の尹碧巖住職は、浜辺で犠牲者183人の名前を大きな声で読み上げた。「犠牲者の一人一人には親がいて家族がいた。名前には親からもらったすべてがある。人間の骨は、水の中でも、土の中でも、火葬したとしても残り続ける。隠せないものだ。昨年8月に骨が出てきたとき、この運動の勝負はあったと思った。その存在が過去の歴史の証人だ。そして今、世界のダイバー、日本や韓国からこれほどの人たちが集まっていること自体が、新しい歴史の始まりだと思う」と語った。
またダイバーらの安全を願い読経をおこない「私たちは在日朝鮮人で親たちが朝鮮から来ており、海底に眠っている人たちは自分たちの親同然だ。私たちも遺族の人たちも毎日毎日、供養を続けてきた。今回、海の底にあるご遺骨のために潜ってくれるダイバーたちに感謝したい」とのべた。




















