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「尾熊毛(中国電力)がやりおったな!」 上関町議選の不思議な現象

説明つかぬ大量の得票移動 反対派分裂の背景分析

 

 上関町議選が18日に投開票を迎え、定数10議席に対して上関原発反対を掲げる候補が3議席、推進派が7議席を獲得する結果となった。計画浮上から36年を迎えるなかで、原発計画そのものは祝島の漁業権問題が未解決であることから埋め立てに手が付けられず、さらに東日本大震災以後は周辺地域においても新規立地への反対世論が圧倒しており、半ば塩漬け状態となっている。今回の町議選の結果をもって原発計画が進んだり後退するものではないが、選挙に際して反対派内部で不可解な分裂・分断の動きが起こり、背後で誰が何を画策しているのかと注目を集めていた。現地取材した記者たちで状況を分析してみた。

 

  この36年間にわたって、選挙の度に推進と反対の比率がどう推移するのかをメディアが着目し、「反対票が減っている」「地元の政策選択は推進」「推進派 議席増」などと煽ってきたが、計画が塩漬け状態を余儀なくされているなかで経産省や電力会社の熱量を反映して冷めているというか、注目度の低い選挙だった。この結果をもって原発計画が動くような代物ではないからだ。改選前と比べると「原発反対」を掲げる候補が1議席増やして3議席になったわけだが、「反対派 1議席増」などと一喜一憂する意味がない。町議会が原発計画に影響を及ぼすことができるのは、反対派の議席が過半数をこえたときだけだ。極端な話でいうと仮に推進派が10議席を独占したとしても、町議会議員は祝島の漁業権問題を解決できる当事者ではないし、「土地を売らない」と頑張っている地権者でもない。一定の頭数が議員ポスト(年収300万円)にしがみついているだけで、原発計画の進展には何ら影響のない埒外な人間の集まりに過ぎない。

 

  36年間、推進とか反対を叫ぶだけで得票を重ね、議員というのがある種の原発依存症になっている。推進だけでなく、反対派もそうやって飯の種にしていることへの批判は町内に鬱積している。双方ともに原発計画が白紙になれば存在意義を喪失してしまう関係だ。これが長引けば長引くほど年収300万円プラスアルファが約束される。うがった見方をすると、原発のおかげで中電に票を回してもらったり、あるいは反対の意思表示をしたいと願っている住民の票をかき集めて、議員報酬という果実を得ている。

 

 反対派のなかでは祝島の島民たちのように純粋に反対を貫いている人がいる一方で、「反原発」商売を展開している者もいて、これらが混在しながら矛盾を形成している。住民の反対運動に乗っかって、全国カンパ等に寄生したがるけしからん輩がいるのも事実だ。そして会計不明瞭で人心を失っているくせに、なおも運動の主導権を握りたがるものだから、みなが困惑している。事情を知らない全国の「反原発」派や自治労などの労働組合関係、メディアが反対派のカリスマ扱いをするものだから、一般の住民はものがいいにくく難儀してきた関係だ。

 

 C 今回の町議選は議席の増減だけに着目しても大して意味がない。むしろ、反対派内部で起こった分裂・分断の背景を分析することが重要だ。誰がどのような行動をしたのか、誰が何を意図しているのか、背後勢力の動きも含めて捉えないといけない。

 

  選挙結果の受け止め方でいうと、前回の町議選で214票を獲得して上位当選していた推進派の嶋尾忠宏が86票で落選したことに大きな衝撃が走っている。特に女性問題や金銭スキャンダルを抱えていたわけでもないのに、説明がつかないほど大幅に得票を減らした。このことについて町内では「なぜ?」という話題で持ちきりだ。「尾熊毛(中電)がやりおったな!」とみんなが内心怪しんでいる。本人自身の評判がその他の候補者に比べて特段悪いわけでもなく、存在としては毒にも薬にもならないというか、これといった悪評があったわけではない。それなのに地縁血縁の固い地盤で構成されているはずの町議選で、ゴッソリと得票が他に移動したのだ。上関の選挙では考えられない不思議現象となった。

 

  はっきりいってしまうと、町民自身が語るように「尾熊毛(中電)がやりおったな!」が見事にいい当てていると思う。ゴリゴリの田舎選挙において、60%も得票を減らす候補者など余程の人物だ。しかし、嶋尾本人は特段問題など抱えていない。128票も減らせば狭い町内では可視化できるのが普通だ。ところが誰も気づかないうちに128票が示し合わせたように嶋尾陣営から切り離れた。水面下でコッソリと嶋尾からハシゴを外し、号令をかけた人間がいたと見なしてもおかしくない。同時に、もともとの嶋尾の地盤とはいかなるものだったのか? だ。

 

 上関の選挙では中電のお眼鏡にかなわなければ推進派から出馬することなどできない。推進派でも邪魔者と見なされれば排除されてきた歴史がある。このなかで、前回町議選で中電が新メンバーとして抱えたのが嶋尾と海下だった。その意図するところは、露骨な隠れ反対票の切り崩しだった。推進派の幹部連中なり中電立地事務所ならわかっていることだ。36年間にわたって町内を歩き回ってきた中電には、一族郎党の個人情報や就職先、娘の嫁ぎ先や親戚関係に至るまで、町民から聞き出した情報が山のように蓄積されている。これが選挙になるとフル稼働して、陰謀や謀略を仕掛けてきた。選挙プロこと「小池」(元中電立地マン)がビワゼリーを抱えて要所を暗躍するというのが定番だった。奥村組に天下って以後何をしているのかは知らないが、電力会社に就職して人生の大半を上関に費やし、電力供給の仕事よりも腕が確かな選挙プロに育った男だ。

 

 それで嶋尾の話に戻るが、前回選挙では推進派として抱え込むことによって一族の反対票を切り崩し、推進にとり込んでいく戦略だったといっていい。ただ、もともと町議になるほど親戚関係が多いわけでもなかった。当時から上位当選が不思議がられていたほどだ。

 

  先ほども話になったが、128票もの移動となると町内では必ず察知される。ところがステルス作戦で、みなが気づかないうちに実行された。これは尾熊毛票がそのような動きをしたと解釈しなければ説明がつかない。惣津地区の某一族や戸津地区の一部が崩れたという説も流れているが、それらをどんなに足しても128票にはなりようがない。電力会社にとって、嶋尾からハシゴを外してでも支えなければならない大切な候補者が、今回の町議選にいたということだ。その候補者とは誰か? が次のナゾナゾだ。

 

反対派分裂で祝島から三人が出馬

 

  かかわってもう一つの不思議現象は、原発に反対する祝島島民の会が分裂選挙になってしまい、祝島から3人も出馬したことだった。当たり前に考えて、370人余りの有権者しかいない祝島から3人が当選することなどあり得ない。ところが、島民の会が擁立した清水と山根の2人は読み通りの得票で当選し、2人で300票をこえる票を集めた。祝島の投票者は310人余りだったが、清水は祝島票で固め、山根の票は長島側からもとってくるという戦略だったという。

 

 問題は、島民の会を脱会して分裂選挙に強行出馬した山戸孝が、それをも上回る176票を得て当選したことだった。その支持基盤がまるで見えないから不思議がられている。当初から自信満満だったと島民たちは首を傾げていたが、勝てるという確信がなければ無謀な選挙に出馬する人間はいない。なぜか? だ。

 

  祝島にいる推進派住民の投票先は毎回中電から「○○に入れろ」と指示が出てきた。ところが今回は指示がなかったと不思議がられていた。山戸孝が獲得できるとすれば島民の会以外の漁業補償金を欲しがっているグレーゾーンの住民たちだが、その人数をどんなに足しても176票にはならない。つまり祝島以外から大量得票をゲットしなければ当選などおぼつかない関係だ。一方で、嫁の里である戸津地区から大量得票を得た形跡など何もない。「100票などとてもではない。多くて○○さんの親戚票は30票ほどでは…」と戸津の住民が疑問視していた。戸津地区の票は商工会長の浜田組が抑えていて、推進派の右田と山村でガッチリと固めているとも話されていた。従って、どこから176票をとってきたのか? と不思議がられているわけだ。「尾熊毛がやりおったな!」と真顔で語る人間もいる。

 

 長島側の反対票が完全に組織されたなら説明がつくが、同じく反対派の山根陣営も長島側に相当に力を入れた。したがって一方に大量得票が集中したとは考えられない。室津にせよ上関にせよ、反対派の票は基本的に無組織だ。中電支配の町において隠れ反対派として暮らしてきた人人が多く、表だって反対を表明する住民などほとんどいない。室津の反対派リーダーだった河本広正が亡くなってからは反対派も組織的に壊滅してしまい、反対派の会合に出てくるのもせいぜい数人が関の山だ。長島側では誰彼に組織されたり、号令によって動くような票は乏しい。これを地元の事情に詳しくない全国の「反原発」派メンバーに支えられた山戸陣営が一週間で掘り起こして組織したのだといっても誰も信用しない。そのような実力も、長島側における人脈や影響力もないからだ。

 

 町議選の過程では、山戸貞夫(孝の父親)を支えてきた他県の「反原発」グループが選挙応援で走り回っていたが、これらのよそ者に歯が立つような代物ではない。山戸孝もそうだが、長島側の住民と接点や面識すらない者が「1週間表通りを連呼して176票を得ました」といっても誰も信用しないし、あり得ないわけだ。都会の風任せの選挙とは訳が違う。1票を獲得するとは具体的で、相手の信頼を勝ちとるための不断の努力が必要になる。長島側での地道な努力や影響力などないなかで、また祝島の援護が乏しいなかで、なぜ祝島から立候補した2人以上の票をたたき出したのか? どこから得たのか? 自信があったのはなぜか? 等等とさまざまに不思議現象が語られている。

 

  ゴッソリ得票を減らした嶋尾と、どこからかゴッソリ得票を得た山戸孝。この二つの不思議現象をどう捉えるのかだろう。「尾熊毛がやりおったな!」と思っている住民が相当数いるのも事実だ。いずれもみなが気づかない力が働いて、実力や基盤だけでは説明のつかない見えない票が、示し合わせたように大量に逃げたり集まったりしているのが特徴だ。そして、ありえないはずの出来事が起きたのだ。投票用紙に名前が書いていない以上、誰が誰に入れたかなど解明のしようがないが、一連の不思議について「なぜ?」と疑問を抱くのは勝手だ。そこで働いた力の元を的確に捉えてさえいれば、背後勢力が何を意図しているのかが見えてくるし、次の一手を見抜いていくことにもつながる。

 

 特に祝島島民の会のメンバーは、しっかりとこの選挙でできあがった状況を認識し、把握していなければならない。しつこいようだが、「尾熊毛がやりおったな!」がキーワードだ。そこから彼らが何を仕掛けたがっているのかを想定し、対処していくことが必要になる。「原発反対」を標榜して反対運動を内部から揉ませるというなら、これまで同様に社会的に暴露しなければならない。長周新聞は「反原発」に寄生しているような連中とは一線を画すし、私心なく原発反対を貫いてきた住民の側をどこまでも援護射撃しないといけない。

 

反対派内部の裏切り者の役割

 

  上関原発反対運動は息の長い闘いだ。山口県内では1978年に豊北町で原発計画が浮上して、あっちでは1年で勝負をつけた。それが上関にスライドして今日まで続いている。中電は昔から山口閥と広島閥が権力争いをくり広げてきたが、当時社長だった山口閥出身者が得点稼ぎで山口県内に原発をつくろうと企てたのが発端だ。自民党代議士どもも迷惑施設を県内に作らせることで中央政界でのポジションが上がる関係にほかならない。めくるめく時が過ぎて今日に至っているが、国策とのたたかいは難儀なことの連続だった。最近では名護市長選で東京司令部が乗り込んで引っかき回していったが、岩国にせよ上関にせよ、金力や権力に抗うには根気や忍耐が必要になる。あきらめたらそこで負けだ。

 

 敵側の手口として必ずやるのが、運動内部に破壊者や内通者を配置することだった。まるで味方のような顔をして住民を分断し、一般の人間が嫌悪して離れていくような言動をする者には警戒が必要だ。祝島では初期の頃に愛郷一心会がむちゃくちゃな振る舞いをして人心離れに貢献した。原発反対を標榜して、推進でもない住民の家にデモをかけたり、石を投げたり、信じられないようなことをしていた。そして必然的に「あんな反対運動にはついていけない…」と長島側の住民たちを追いやってしまった。一心会のリーダーだった金田敏男は正体が暴露されて島をたたき出されたが、その後も推進派の片山町政が、スコップすら持っていない金田に土木工事のピンハネを融通して世話をしていたくらいだ。「人間性を疑うような反対派」のイメージ戦略を意図的にやっていたわけだ。

 

  そして電産(中電の労働組合)トップの清水英介が祝島に連れてきたのが山戸貞夫だった。豊北闘争で反原発ストライキを打った電産は、その後、中電内部で締め上げられて本音では「もう懲り懲り」だった。あつものに懲りてなますを吹いていた。そこから転向して管理職への階段を上った者もいれば、労働組合で腐敗堕落した者もいた。中電の労働組合トップが広島流川で有名人なのは、企業に飼い慣らされていることの証拠だ。豊北で失敗して巻き返しに出た中電の攻勢のなかで、誰が誰を配置し、何を意図していたのかは曖昧にしてはならない。電産出身者で上関立地事務所に在籍していた者もおり、退職後は上関海来館(中電の原発アピール施設)の管理者をしていたくらいだ。向こうは相当に構えて上関に挑んだということだ。「反対」の仮面をかぶった裏切り者が果たしてきた役割は大きい。

 

 C ただ、祝島では既に魑魅魍魎(ちみもうりょう)の正体が見抜かれている。島民がしっかりと脇を固めて矛盾を乗りこえ、漁業権問題に対抗しなければならない。推進勢力が願望しているのは祝島の切り崩しだ。その切り崩しに応じてきたグレーゾーンが山戸孝についたのも重要な特徴だろう。漁業補償金が欲しくて欲しくて仕方がない願望を隠しながら、反対派のような顔をして潜伏し、無記名投票になれば裏切る。狭い島の中だから、みんなは誰が何を考えているのかわかっている。しかし、だからといって昔の愛郷一心会のような下品な個人攻撃はやらない。島でみんなが協力して、原発を撃退しながら暮らしていけることを望んでいるからだ。馬鹿げた争いで分裂や分断を招くのではなく、かなり賢くしたたかに対峙している印象だ。

 

  最近では島民の会の青年部が発足して、若い十数人が活躍している。島内ではお年寄りが家の壁に青年部メンバーの携帯電話表を貼っていて、何か事があれば彼らに電話するシステムができている。そうやって若者が年寄りの生活を支えている。すばらしいとりくみだと思う。その仲間の輪に山戸孝がいない事実が、祝島のなかでどのような存在なのかを端的にあらわしている。町議会議員になった以上は、父親の威を借る息子から脱皮して、しっかり雑巾がけをしてもらいたいものだとみんなが望んでいる。

 

  他の議員も同じだが、推進も反対も原発計画にぶら下がって年収300万円の上に胡座をかき、原発のおかげで飯を食うなど言語道断だ。「他に収入源がなく、議員になれて助かった」などと思っている者がいるのだとしたら、推進にせよ反対にせよ、本当に不純でけしからんと思う。

 

 あと、反対運動内部の矛盾について見たときに、要するに自分のための原発反対なのか、みんなのための原発反対なのかで真っ二つに割れる。それは非和解的な矛盾としてある。前者は「反対」を口にするだけの原発生活者で、原発計画が存在することで糧を得て、助かっているという側面がある。屁理屈を引っ剥がしてありのままの姿を見たとき、原発に養われていることがわかる。後者は原発や原発計画がなくとも生きていける生産者がほとんどだ。この両者の矛盾は避けがたいが、銭金に卑しい「反原発」売り出しの自己顕示や自己プロモーションのためではなく、みんなのために黙ってお年寄りの生活を支えることの方が美しいと思う。これは反原発派をひとまとめにして批判を加えているのではない。なかには汚れ勢力が混じっているという事実についてはっきりと指摘し、そのようなものを内包していたのでは運動が潰されるという点について注意を喚起したい。

 

  上関原発計画は白紙になったわけではなく、塩漬け状態が続いている。これにどう決着をつけるのかが現実課題だ。福島第一原発の爆発事故が起きて、新規立地など現実的にあり得ないが、経産省はあきらめていない。中電としては島根原発2号機、3号機に全力集中で、上関どころではないのが実際だ。それは立地事務所の職員体制を見ても歴然としている。といっても塩漬け期間も推進勢力としての土建業者を養わなければならないから、県道を中電がカネを出して整備したり、仕事を与えて利権をつないでいる。

 

  選挙過程で誰もが口にしていたのは、「いつまで原発計画を引っ張るのか」という思いだった。初期の頃に推進派青年部だった人人も大半が年金生活者になってしまい、「もう、あいだ(飽きた)」といって疲れている。口角泡を飛ばしていた人人も、今ではすっかり丸いお爺ちゃんやお婆ちゃんになってしまった。そうして「原電の夢」を追いかけて36年たってみると、町が丸ごと老人ホームのような状態になってしまったと嘆いている。これでは未来がないとみんなが思っているのも事実だ。実現可能性のないものを夢想しているだけでは過疎高齢化は一層深刻なものになり、廃町に向けてまっしぐらとなる。産業振興に全力でとりくむ以外に活路などない。もう新規立地は無理なのだと電力会社や経産省をギブアップさせ、白紙撤回させなければ町の再生には乗り出せない。そのために電力会社の下請け機関みたいに成り下がっている町政や町議会を転換させなければ展望などない。

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