いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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17年前の「漁業権交渉」は無効 祝島に漁業補償金受け取り迫る山口県漁協

祝島の港(山口県上関町)

 上関町祝島で、上関原発建設にかかわる漁業補償金の受けとりを迫る山口県漁協本店の介入が問題になっている。

 

 この補償金を巡っては、漁業権消滅のためには「漁協総会において組合員の3分の2の同意が必要である」という本来の手続きを祝島だけがやらないまま、2000年に107共同漁業権管理委員会(上関、室津、四代、祝島、平生、田布施、牛島、光の関係8漁協)の多数決によって「妥結」し、中電が勝手に振り込んだことがそもそもの発端だ。

 漁業権交渉のテーブルにすらついていないにもかかわらず、一方的に支払った補償金の受領をもって「祝島も漁業権消滅に同意した」と見なし、埋め立て工事に着工したいのが推進勢力で、原発建設を進めたい側にとっては受領関係を成立させなければ海に手を付けられないことからムキになっている。全国最後の新規立地といわれている上関原発を巡って、今何が起こっているのか取材にあたった記者たちで論議した。
 
 水協法を逸脱した裏技を連発

 司会 この間の経過から見てみたい。


  5月10日に県漁協祝島支店の組合員集会があり、正・准組合員が招集された。通常の組合員集会は支店の運営委員会が招集するもので、本店からの出席はない。ところがそれに先立つ3月9日の集会で山戸貞夫が、赤字補てん金についての説明を口実に「本店からの出席を要請してほしい」と提案した。その後のいきさつはいろいろあるが、結局5月10日には本店から3人(仁保宣誠専務理事、原田博之参事、村田則嗣参与)が出席した。
 組合員に通知された決算報告などの議題が終わったあとで、本店側が「ここで読め」と一人の漁師に「修正案」を読ませた。「修正案」とはいうが、内容は「補償金受けとりのための総会の部会開催を本店に請求する」というもので、当日の議題の中身を修正するものでも何でもなかった。当日の組合員集会には正組合員51人中38人、准組合員19人中10人が出席していたが「修正案」を採決させて補償金受けとりに持っていこうとするたくらみに激しい抗議が起こり、本店側の陰謀は失敗した。


  その場で恵比須利宏運営委員長は「混乱の責任をとって運営委員長を辞任する」と表明した。祝島支店の運営委員は4人で構成されており、恵比須委員長の辞任で欠員が1人出て、欠員を補充したうえで新運営委員長を選出することが必要であった。ところが、6月14日に突然、「祝島支店運営委員長兼組合員集会議長 恵比須利宏」の名前で正組合員51人に文書による「書面決議書」が配られた。


 内容は5月10日の組合員集会で「修正案」の採決ができず「審議継続状態」となっており、書面で意思確認をおこなうというものだ。書面決議には返信用封筒が同封されており、あて先は祝島支店ではなく、光熊毛統括支店(上関支店)まで送付するようにとなっていた。この書面決議の文面は本店が書き、辞任した恵比須運営委員長の名前で配布したことが判明している。


  組合員集会は運営委員会に招集権限があり、その継続審議状態のもとにおける書面決議書も運営委員会の決定として配布されなければならない。本店が文書を書き、運営委員会にもはからず、辞任した恵比須運営委員長名で出した「書面決議書」など無効だ。このことがあらわしているのは、祝島の人間の知恵や判断、運営委員会を飛びこえたところで島外の司令塔が指揮棒を振るっており、地元の政策選択といえるような代物ではないことだ。「修正案」についても、あんなものが漁協定款上どう扱われるかといった問題について熟知している漁師はいない。だから与えられた原稿の棒読みになるのだ。シナリオを書いた人間は祝島の運営委員や推進派漁師ではなく、山口県漁協本店だと誰もが見なしている。


 B 祝島の漁民や島民は「本店のむちゃくちゃな介入だ」と抗議行動を強めている。19日には上関支店に回答用紙の返還を求めて行動をおこない、翌20日には下関の本店に書面決議書は無効である旨を申し入れた。また県漁協に対する監督責任のある山口県に対しても県漁協の祝島支店への不当な介入に対し正しく指導するよう申し入れをおこなった。

 埋立て工事着工できず 交渉の末完了を証明

  祝島の漁業補償金問題は、そもそも2000年の漁業補償交渉妥結にその発端がある。漁業補償金の受けとりには、漁協総会での3分の2の同意がいるが、祝島では漁協総会を開催もしていないのに、上関原発予定地周辺の海域に共同漁業権をもつ107共同漁業権管理委員会が多数決で押し切ってしまった経緯がある。祝島は一度も漁業補償金交渉のテーブルにもついていない。従って、祝島の漁業権は今も生き続けている。


  ところが最高裁は「管理委員会の決定に拘束される」と曖昧な判決を出し、その判決にもとづいて二井県知事が2008年に予定地である四代田ノ浦の沖合い海域の埋め立て許可を出した。着工後3年以内で工事を完成するという条件付きであった。だが、現実には祝島の漁業権問題が解決しておらず、埋め立て工事着工ができないままであった。そのことも、祝島の漁業権が生き続けていることを証明している。2011年の福島原発事故が起こり、工事はストップして現在に至っている。


  「漁業補償交渉妥結で漁業権問題は解決した」といって押し切り、埋め立てを強行しようとしているが、実際には法的にも祝島の漁業権放棄は完了していない。漁業権放棄の総会同意をしたことも一度もない。関係する七漁協ではどこも最終的に3分の2の書面同意をおこなっている。祝島はその手続きをまったくおこなわないまま、補償金の受けとりを執拗に迫って、そのたびに祝島の漁民や島民からはねつけられている。祝島支店は補償金は総会の議題にしないことも決議しているが「勝つまでジャンケン」方式で何度でも覆そうとしてきた。


 手がなくなった県漁協本店は今回は「赤字の補てんを補償金で」という手口で補償金の受けとりを迫っている。書面決議書を送りつけて総会の部会を開催させ、補償金で赤字補てんすることを認めたら補償金の受けとりを認めた、すなわち漁業権を放棄した、という論法でいこうとしている。二段論法、三段論法で挑もうとしているわけだ。


  いろいろわかりにくいところもあるが、漁業補償交渉は完了していないことははっきりしている。そこはどういう姑息な手を使っても動かすことはできない。


  さらにいえば、2000年の「漁業補償交渉妥結」から17年が経過した。祝島は一貫して補償金の受けとりを拒否し、法務局に供託してきた。10年が経過した時点で補償金は法務局が没収する規定であった。ところが10年が経過し法務局が没収する寸前に漁協合併して県漁協に吸収されてしまい、県漁協本店がそれを勝手に引き出したことで、今日に至っている。祝島は供託金の没収は当然と受け止めていたが、本店が祝島に断りもなくその意志を無視して引き出したものだ。本来ならこの時点で県漁協本店の不当性を裁判で争うこともできたはずだ。10億8000万円は県漁協の金ではなく、国に没収させれば簡単に解決する問題だった。そして、祝島の漁業権交渉は振り出しに戻っていたはずだ。


  考えなければならないのは、17年前の一方的な契約でカネも受けとっていないような代物が民法上どう見なされるのかだ。仮に不動産に置き換えてみて、地主が売買交渉したことすらないのに、一方的にカネを振り込んできて「受けとったらオレの土地だ!」というような主張が認められるのかどうか。ヤクザとか土地転がしもビックリするようなことをやっている。しかも、当時の組合員数や漁獲高から算出した祝島の補償金額が10億8000万円だったが、この17年間で組合員数は約半分に減るなど、変化は大きい。民事の契約という点から見ても、相手が同意していない17年前の「漁業補償契約」が効力を持っているかどうかは疑わしい。漁業権も10年で書き換えとなり、供託金も10年で没収となる。17年前に受けとりを拒否した漁業補償金でいつまでも紛糾するということ自体がナンセンスで、これはもう仕切り直しをしないと話にならない。


 目先の「受けとる」「受けとらない」だけを騒動するのではなく、もう少し客観視して問題を整理してみる必要がある。2000年の漁業交渉妥結のインチキが、このようなねじれた現象を生み出しているわけだ。それ自体が無効であると祝島が裁判を起こすなりして、全力で主張すべきだ。全国的にも例がないだろうが、山口県当局や水産部、山口県漁協は相当にアクロバティックなやり方で押し切ってきた。知事の埋立許可にしても、本来なら関係漁協全ての同意が前提であるのに、無理矢理に許可して案の定工事ができなかった。相当に行政が歪められている。彼らは祝島が補償金を受けとっていないし、漁業権が生きていることを熟知しているし、だからこそ焦っている関係だ。


 D 2011年に福島原発事故が起き、原発建設が郷土を廃虚にし、いかに周辺住民に苦難をもたらすかを示した。原発が建ち、事故が起こればどのような事態になるかは、福島事故があますところなく実証した。福島のような事故が起これば、例えば祝島から避難することは不可能だ。船で全島民が避難する手段もなく、屋内退避となり、放射能を浴び放題で放置されることは目に見えている。年寄りばかりで、いったいどのようにして逃げろというのか。同じように上関町の老人たちも逃げる術はない。周辺四〇㌔圏内が廃虚になる場合、隣接の自治体も同じように住民が叩き出される。祝島だけの問題ではないし、深刻に福島の教訓を受け止めなければならない。


  仮に10億8000万円を51人の正組合員で分配しても1人2000万円程度だ。目先のはした金が入っても、祝島を出て新たな土地に移住する費用にもならない。棺桶の中に2000万円を持って行けるわけでもなく、それが都会で暮らす子どもたちの手に渡ったとして、都会で消費する代償として上関に原発が設置されるというのも皮肉だ。地獄の沙汰もカネ次第という選択がいかに愚かなものか考えないといけない。


  補償金を欲しがっているのは51人のなかでもごく少数だが、その少数の者がわずか2000万円欲しさに400人の祝島全島民を裏切るのは許されない。35年間原発反対を貫いて全国の人人からも熱い支援を受けてきた祝島が、この期に及んで補償金を受けとるとなると、全国から総すかんを受けることも明らかだ。その場合には、「原発反対を貫いてきた島」という信頼から「福島事故がありながら、なおカネに転んだ島」扱いに転落してしまう。みっともない話だ。祝島の大半の住民たちは損得抜きで頑張ってきたわけで、この35年の苦労を水の泡にするような輩については暴露してたたかわないといけない。人がいいからといって遠慮していたらやられる。仲間のような面をした魑魅魍魎(ちみもうりょう)もいるし、違いや空気を見分けながら、団結できるものとは団結するという方向で進むしかない。


  反原発派のなかにもいろいろいる。飛び跳ねて周囲から信頼がまるでないのもいる。「我こそが豊北原発反対闘争をたたかったのだ!」と叫ぶ部分にもろくでもないのが紛れ込んでいる。豊北原発反対闘争は豊北町民自身がたたかったから勝ったわけで、当時の事情を知っている者からすると、「オマエが何の役に立ったんだ?」と不思議で仕方がないわけだ。ところが、40年近く前のことだから誰も知らないと思って、勝利の果実を「我こそは英雄」みたいな調子で横どりして恥じない。豊北町民が聞いたら怒るような話だ。

 山口県内にも何人かそのようなシーラカンスみたいな連中がいて、反原発の主人公気取りをしている点は要注意だ。彼らには何の力もないが、大衆が主人公であることをはき違えて、いつも自分が主人公になりたがる。戦後の左翼にありがちなパターンだ。山戸を祝島に送り込んだのは電産の清水英介だが、その仲間が最近になって某所で蠢(うごめ)いているという。懲りない奴だ。再び祝島に手を出してきた場合は、本紙も徹底的に書かなければならないだろう。そうでないと運動を潰してしまうからだ。

 日本列島廃虚にさせぬ 世界は原発から撤退

  世界的には福島原発事故以後、原発からの撤退が明確になってきている。ドイツが真っ先に脱原発を宣言したが、原発先進国のヨーロッパ各地、原爆製造から原発技術を開発した本家本元のアメリカも原発撤退の方向だ。

 アメリカは1979年にスリーマイル島原発事故が起こっており、そこから新規原発建設はほとんどやっていない。かわりに日本に54基もの原発を建設させた。アメリカやヨーロッパは原発の危険性を重重承知しているが、GEやWHの金もうけのために日本やアジアなどに原発を建設させてきた。


  スリーマイル島、チェルノブイリ原発事故ですでに原発撤退の動きは出てきていたが、福島事故を契機に原発撤退が世界的に大きな流れになっている。もっとも最近では韓国の文在寅大統領が19日に脱原発を宣言した。「福島原発事故は原発が安全でも安価でもエコでもないことを明確に見せた」として、新規原発の建設計画を全面的に白紙撤回し、原発の寿命を延長しないことも表明した。世界が福島事故を教訓にして原発から撤退し、新規計画の白紙撤回をおこなっているのに、日本の安倍政府だけが再稼働を強行し、新規立地への動きを見せている。


  安倍政府がなお原発推進をごり押しするのは、アメリカの核戦略の一環である日米原子力協定に縛られているからだ。アメリカの原子力メーカーの事業の損失のつけを日本の東芝や日立、三菱などがかぶらされている。
 東芝などはWHにはめられてその損失を丸ごとかぶり、倒産の危機にある。日立や三菱も世界的に原発から撤退する原発企業の尻拭いをさせられている。


  日本の原子力政策は対米従属の戦後の自民党政治の典型だ。日本の農漁業もアメリカ産農産物の輸入拡大で衰退させられた。そのうえTPPや日米FTAで今後一層アメリカ産農産物が流れこんでくるのは必至だ。安倍政府はさらに軍事面でも日本の自衛隊を米軍の下請軍隊として海外派遣することもできるように法整備した。アメリカの戦争のために日本の若者の命まで差し出す構えだ。その結果、標的にされる日本列島には54基もの原発を抱え、それ自体が広島や長崎の比ではない原爆に化ける。まともな為政者のすることではない。


  郷土を廃虚にする原発の残酷さは、福島を見れば歴然としている。このようなものを建設させてはならないという世論は、震災前とは比較にならないほど強まっている。自然災害であれほどの惨劇を引き起こしたが、さらにテロの脅威までが現実に迫っている。祝島だけの問題ではないし、県内はもとより全瀬戸内海沿岸の運命がかかった問題だ。従って、漁業補償金がどうなるかという個人的利害だけで見てはならない。


  推進勢力にとって漁業権が最大の障壁になっているからこそ、祝島に対して執拗に攻撃が加わる。ここはなんとしてでも踏ん張って、跳ね返さなければならない。全県、全国に今祝島で起こっていることを伝え、新規立地を押しとどめる力を結集することが必要だ。

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