いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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記者座談会 下関は安倍のものか、林のものか

有権者そっちのけの抗争が激化

 3月に控えている下関市長選を巡って、まるで4半世紀前の中選挙区時代にくり広げていたような安倍派林派の抗争が過熱し、「いったい何が起こっているのか?」と市民を困惑させている。市長ポストなり郷土下関を「オレのもの」と思い込んだ双方の陣営が互いに譲らず、代議士の新春の集いで嫌み合戦をしたり、従来とは異なる様相を帯びているからだ。現職の中尾友昭は誰の目から見ても林派で、それに対して安倍事務所秘書だった前田晋太郎(元市議)が対抗馬としてあらわれ、さらに市議補欠選にも安倍事務所の秘書だった人物が立候補しようとしている。一見すると安倍派によるポスト総取り作戦が動いているような印象を与えている。現役首相のお膝元で何が動いているのか、記者座談会を開いて論議した。
 
 命運分けるのは市民の浮動票

  年が明けて、安倍晋三、林芳正双方の新春の集いが物議を醸した。安倍の集いでは、現職の中尾が来賓として座っている目の前で前田が自民党公認候補として紹介され、壇上で演説した。それを見て会場は騒然となった。友田(県議)が再度念を押すように市長選への支援を訴えたのも「あまりに露骨」「えげつない…」「品がない」と話題になっている。会場内を前田が縦横無尽に挨拶して回り、面食らった中尾が形相を変えて途中退席していったのもみんなが目撃した。
 すると翌週の林の集いで、今度は林派が同じことを前田にやり返した。林芳正や県知事の挨拶を差し置いて中尾が市長候補として真っ先に演説し、前田は会場の隅っこに追いやられて途中退席していった。ホーム&アウェー方式で、派内統一候補の持ち上げと相手候補の冷遇をやりあったわけだ。それで周囲が過剰に反応している。
  自民党関係者や企業のなかにはどちらにも参加した人が多数いた。「こんなにバチバチの嫌み合戦は見たことがない」と一様に驚いている。中尾支持者なり林派は「現職市長に対してあまりに無礼だ」と憤慨し、一方で安倍派の面面は「林派は自民党公認の前田をぞんざいに扱った。次の選挙は林の応援などしてやるものか!」などといきり立っている。端から見ているとどっちもどっちなのに、些末な事も含めてずいぶんと感情に触れるものがあるようだ。「面子をつぶされた」「やり返せ」の世界だ。子どもの喧嘩ではないが、それほど鬱積した感情があるのだとしたら辛抱するのではなく、これを機会にたがいに思いの丈をぶつけあったらどうかとすら思う。もっとスネの傷をさらしあって、暴露合戦をすればよい。現状ではまだ「全面戦争」といわれるほど大げさなものでもない。つまらない誹謗中傷を陰口のように流布したり、「それでも男か!」と思うようなレベルだ。やるならもっと本格的にやらなければつまらない。
  客観的に見て、感情的になったり盛り上がっているのは支持者や後援会幹部などごく一部で、大半の人人は野次馬根性で見物しているだけだ。勝ち馬に投機しようとうかがっている人もいる。「安倍VS林」が激化した場合、今後の下関の政治状況はどうなっていくのか、長期的な見通しにたって思いを馳せている人も多い。目先だけ見ていると市長選だが、これが端緒となってあちこちで場外乱闘に火がついた場合、とりわけ企業関係は「面倒臭くてやれない…」という。取引先には安倍派も林派もいる狭い街のなかで、「オマエはどっちにつくのか」と踏み絵が迫られ、二刀流が通用しなくなるからだ。
 安倍の集いにも林の集いにも参加した人が多いのは、それこそ小選挙区になってからの住み分けによって表面的には互いに選挙協力し、安倍&林代理市政のもとでは二刀流が生きる術だったからにほかならない。「自民党が大っ嫌いです!」といってつぶされるより、「安倍先生は素晴らしい!」「林先生は頭がいい!」などといって、ガチガチの政治構造のなかを生き抜いてきた人人がどれだけいることか。
  それで上層部が市政について、安倍のものか、林のものかをムキになって争奪しあっている。否、下関市民の暮らしのために市政があるんだ! という当たり前の理念が吹き飛んでいる。ある意味正直に「オレのものだ!」と見なしているわけだ。選挙模様がそのことを物語っている。有権者不在が最大の特徴だ。そして、安倍VS林が過熱すればするほど、市民のなかで「ふざけるなよ!」という思いも強まっている。そのような利権争いも含めて、「こんな街で良いのだろうか」と考えさせるものになっている。
  安倍VS林が、市長選立候補者では前田VS中尾、県議クラスでは友田VS塩満といった具合に火花を散らしている。県議会も議長だった岩国の畑原が急逝したもとで予算議会を控え5月の改選までどう対応するかが問題になっているが次期議長の話がタブー扱いされている。議長、副議長、議運委員長の連携で動かしてきたのに、副議長の塩満と議運委員長の友田が下関市長選を巡ってバトルの真っ最中で、下手に県議会まで乱闘を持ち込まれても…と迷惑がっている県政関係者も少なくない。
 B この間、県知事も林派の二井関成から安倍お抱えの山本繁太郎、村岡嗣政にバトンタッチしてきた。参議院議員も県東部枠を江島潔(元下関市長)に与え、衆院山口2区には実弟の岸信夫、比例区も岸派で知られる北村教の子息に与えるなど、軒並み山口県の政治ポストは安倍色に染まってきた。このなかで下関市長にも安倍派直系を据え、市議補選も安倍事務所秘書が狙い、何なら県議会議長ポストも狙っていくのではないかと思わせる勢いだ。現役首相という状況を反映して、安倍派が子分たちまで気持ちが大きくなってしまっている。一方で、無理が祟って軋轢も生じている。とくに衆院山口3区への鞍替えを願望してきた林にとって、飼い殺し状態への忸怩たる思いは相当なものなのだろう。今回の市長選について「初めての反抗」などと表現する人もいる。
 A いずれにしても、「安倍の下関か」「林の下関か」で議員や一部だけが盛り上がっている。否、下関市民の下関だろうが! という者がいない。有権者をなんと冒涜した選挙かだ。目下、みんなが頭を悩ませているのが下関の課題ではなく、安倍と林にどう見られるか、巻き込まれないかというのでは情けない。しかし現状では市長を安倍が決めるか、林が決めるかを争っている。有権者が決める前から大方が決まってしまうような雰囲気すらある。それ事態がふざけている。市政がいつも私物化される根拠を思い知らされるような状況だ。上ばかり向いたヒラメたちが派閥争いしているようでは下関の未来は見えない。
  前回の市長選は安倍派・西本と林派・中尾の一騎打ちだった。投票率は40%台で、いかに安倍林に有権者が冷め切っているかをあらわした。今回は安岡沖洋上風力反対を掲げて松村正剛も立候補しているが、残念ながら風力反対の住民パワーがそっくりそのまま乗り移るような状況にはない。洋上風力問題の争点化は重要なポイントなのに、だからといって単純に「松村さん、頑張って」とはなっていない。泡沫扱いによって逆に風力の問題が選挙の争点から除外されていくかのようだ。住民たちのこの問題に対する思いは強いものがあるのに、何かがずれてしまっている。
  人騒がせだったのが安倍派の香川昌則(市議)で、年明けまで「出馬する!」と吹聴して回ったが断念となった。関谷議長や中尾陣営が「香川出馬」を切望していた印象だ。最後は友田が香川を潰しに行ったと話題になっている。「香川市政を実現する会」を立ち上げて、1口5000円のカネ集めまでしたのだから、出馬しない以上は返金するなり清潔な対応をしないと、今後の人物評価にもかかわってくるだろう。

 共存共栄に綻び顕在化

  江島の14年、中尾の8年で下関は相当に寂れた。それは中央とのパイプがないからではない。江島の時代も含めて寂れっぱなしだ。今後4年、8年とこの調子でいけば失われた20年が30年にもなりかねない。この20~30年というのは、93年の安倍晋三への代替わりと、その後の林義郎から芳正への代替わりを経た過程とピッタリ重なっている。どちらかが今さら天下をとったところで、街が発展する希望があるのかだ。そんな歴史的経過も含めて振り返らなければ、前田と中尾の顔を比べてもゲンナリするのは当たり前だ。
 D 市議や県議も含めて、安倍、林を倒して自分が国会議員にのし上がろうという野心を持った者が一人もいない。よそから異動してきた他社の記者たちは、この独特な政治風土が奇妙に思えるそうだ。都市部では国会議員ポストを巡っても若者が番狂わせを起こしたり、意外に新陳代謝が激しいという。山口4区では古賀敬章が挑戦してぶっつぶされて以降は、安倍や林を絶対的なモノに見立てて政治構造が出来上がっている。それが政治の閉塞を生み出し、とくに小選挙区に移行してからは顕著だ。中選挙区時代には、安倍晋太郎も林義郎もおり、田中龍夫もいた。自民党といっても何人も国会議員がいて、しのぎを削って議席を分け合った。緊張関係を持ちながらみずからの支持者を大切にし、次の選挙も勝ち抜くというものだった。
 ところが小選挙区になってからは、両派のもたれあいプラス公明党や連合なども引き連れて選挙は安泰となり、しかもその構造が固定化してしまった。そして政治風土としては現状変革の意欲性が抜き去られ、固まったピラミッドの構造を中心に物事を静止的、固定的に見なして、県議や市議はせいぜい市長を最大の出世ポストくらいに見なして子飼い争いをしている。スケールの小さな政治家ばかりが安倍派・林派の枠内におさまって、「安倍先生!」「林先生!」のおべんちゃらをやる体質が染みついた。下関の衰退を考えるとき、地域のリーダーとか政治家の脳みそがそのようになっていることや、小選挙区制に慣らされた安倍晋三、林芳正体制のもとでの四半世紀を総括しないわけにはいかない。誰が市長になっても同じというなら、なおさらその構造に目を向けないといけない。
 B 国会議員にとっては、選挙のときだけ戻ってくる衛星都市のようなものだ。生まれも育ちも下関ではなく、そもそもが郷土でも何でもない。しかし子分たちを抱えて、「安倍先生!」「安倍先生!」とおべんちゃらをして政治的地位や企業としてのポジションを得ようとする風土が染みついてしまった。この主体性のなさやおべんちゃら文化が下関の政治や街をダメにしている。
  中央とのパイプがないから街が寂れたのではない。パイプがあっても寂れるに任せてきた結末が今の下関の衰退状況だ。というか、パイプを通じて劇的に街が変化するというなら、どうしてこれまで安倍―江島、林―中尾でやらなかったのか? 中尾が嫌いとか国会議員の気分やさじ加減で事が動くというなら、そのもとで暮らさなければならなかった選挙区の下関市民をいったい何と思っているのか? パイプ役であるはずの国会議員が2人もいて、しかも首相になったり首相候補と呼ばれながら何をしていたのか? という疑問にもなる。「中央とのパイプ」論については、裏返すと国会議員たちの20~30年の無能さや、市長及び議会、商工会議所をはじめ地域のリーダーたちの無能さを自己暴露するだけなので、本来は恥ずかしくて言葉にできないはずだ。
  やはり、下関市政は誰のためにあるのかが中心問題だろう。安倍のものでも、林のものでもない。いったい誰を見て政治を実行しているのかという点で、国政とも重なるものがある。有権者としては安倍VS林とか、前田、中尾、松村の顔写真だけ見ていたら辟易するという声も強い。しかし、この政治構造の現実も含めて今の下関を考えないことには何も始まらない。目先だけではなく、未来を見据えてどのように対応するのかが問われている。民主主義がなく、何事も上意下達で支配する力が「オレのもの」争いをするのに対して、「オマエたちのものじゃない」んだという力をどう示すかだ。選挙は有権者の投票によって決まる。「安倍が決めた市長」「林が決めた市長」にしてはならないし、誰がなったとしても市政を下関市民の暮らしに責任を負うものにさせなければならない。
 今のところ、両派ともに組織票は読めるかもしれないが、市民の浮動票がどう動くかは想定に入っていない。それで投票率40~50%を想定して勝った気になっている。もっとも主導権を握っているのは残りの50~60%の有権者であって、この政治参加を促すような選挙にしなければならない。国政選挙も同じだ。得票率二十数%の自民党など脆いもので、絶対不変の政治権力などこの世には存在しない。
  安倍林についてはおおいに抗争して、どちらが強いのか白黒はっきりさせればよい。大嫌いな気持ちを押し殺して暴発する喧嘩ほど激しいものだ。夫婦喧嘩になると犬も食わない。自民党内の争いについて他人がどうこう口を挟む問題ではない。おかげで戦国時代が到来するというのなら、それもよし。そこから次の政治状況が展開されるしかない。どっちにしても、市民世論に見放された政治勢力が淘汰され、支持を得た勢力が伸びていくしかないわけだから。

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