いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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下関 農林漁業から地域経済立直しを 山は膨大なエネルギー源 記者座談会 

 下関の現状はとにかく異常事態である。経済的な疲弊は尋常でないところにきている。大型店であれ商店であれ客がいなくなっている。根源のところで大企業が知らぬ間にのきなみ縮小し、3000人いた三井金属・MCSは完全撤退で労働者を放り出している。雇用がなくなり、働く者は路頭に迷い、消費購買力はなくなって商業は疲弊している。戦後工業優先で農林漁業を破壊してきたが、今では工業も海外に逃げていく。地域経済をどう立て直すか、働く場をどうつくるか、待ったなしの課題となっている。そのためには地元に根付いた産業を振興させることが第一であり、とりわけ戦後の価値観を見直して下関の地域に根ざした農林水産業を振興させることが重大課題だ。農漁村ではどんな努力がされているか、どんな振興の可能性があるかどんな障害を突き破らなければならないか、記者座談会を持って論議してみた。
 
 国土維持する使命感に立って

 A
 工場がつぎつぎに海外に逃げていって、働く人に職がない。若者が就職できない。下関は日本社会全体の縮図のようで、悲惨な状態になっている。人人は貧乏でカネがないのに野田政府は消費税増税をやるのだといい、アメリカに日本市場を全面的に明け渡すTPPをやるのだと息巻いている。大企業はパナソニックもソニーも大赤字だ。「円高のせい」かのようにいっているが、新製品をつくる力がなくなっているのだ。アメリカ株主資本主義導入で、目先の損得だけ追いかけて、労働者は非正規雇用にし、技術者はサムスンなどにとられ、ガタガタになっている。こんな状態は仕方がないで済ませるわけにはいかない。日本の立て直しは農林水産業からだと思う。
 B 都会には仕事がないというが、農漁村では人手がない。田畑や山は人手が入らないから荒れ放題になっている。下関周辺でも、サル、イノシシ、シカ、タヌキ、ある時はクマまで出て大暴れだ。経営が成り立たないから人が住みつけない。しかし、山林や農地を整備することは個個の農家の経営問題だけではなくて、この社会を維持するためにどうしても必要なことだ。
  TPP論議のなかでひじょうに強調されているが、農林漁業は食糧安保の問題はもちろん国土保全、水資源涵養、環境保全、また日本の歴史と文化の継承という面でもきわめて重要であり、それをやらなかったら国が崩壊するという問題だ。農林業者は直接には自分の経営のために働いているといっても、それもほとんどはもうけのない勤労奉仕状態だ。それ以上に社会を維持するためのもうけにならない膨大なただ働きをしてきたわけだ。
 山や田んぼが持ってきた水害防止機能を果たすために必要なダム建設費用はいくらになるかなどの方式で、農家のそうしたただ働き費用を換算すると四兆円になるという試算がある。
 商社は海外の資源投資などが増えて1兆円の配当が入ったといっているが、250兆円も内部留保を貯めた大企業のもうけから日本社会を維持するための費用を農漁村に出すのはあたりまえのことだ。法人税を払っていないメガバンクを放置しているなど言語道断だ。また何百兆円ものアメリカ国債を売り払わないで消費税増税とはなにごとか、なにがTPPかだ。かわいそうな農漁業者を助けてくれなどというものではなく、日本社会をつぶさせない観点から農林漁業を断固として立て直すために、国が予算を回すように圧力をかけなければならないし、全国民的な問題として下から農林漁業再建の動きを強めることが重要だ。
 
 価値観の転換が要 全国で林業重視する自治体増加 雇用創出にも

  豊田町で林業をしている婦人は「価値観の転換が必要だ」といっていた。アメリカ資本主義で、金があればすべて幸せかといったらそうではない。「みんなのために」で世の中が成り立って、少少給料が低くても社会の役に立っていることで喜びを感じ、死ぬときに「幸せな人生を送った」と思える、そんな価値観に転換すれば、仕事は山ほどあるんだといっていた。昔ヨーロッパに視察に行ったとき、林業労働者は「きつくて大変な仕事をみんなのためにしてくれている」ということで、社会のなかで尊敬される存在だったという。しかし日本では下の下の扱いで、「本当は木でもうける以上に水を守り、国土を守っているのに、そういう地位に農林漁業者が置かれていないところが日本のダメなところだ」といっていた。
 戦後一時期は、木材で年間何億円と売り上げていたこともあったが、昭和30年代に木材が輸入自由化されて、あっという間にダメになっていった。しかし「100年先を見通した山づくりをするんだ」と、スギ・ヒノキだけでなく、さまざまな木を植えてきて、豊かな山になっていることに誇りを語っていた。野菜も寒さが厳しい分、甘みの強いおいしい野菜ができる。直販所でもよく売れるようで、市内の人たちにおいしい野菜を届け、子どもや孫が後を継げるようにしたいといっていた。
  山がきちんと整備されれば海がきれいになるのに、人の手が入らず山が荒れていると豊北町の人がいっていた。山からいい水が流れてきているときには河口近くにムラサキシメジや松茸が生えていたが、それが生えなくなったそうだ。針葉樹ばかりで広葉樹がないことも、地面の保水機能がない原因になっている。やる仕事はたくさんあるのに、人材不足が深刻だ。
 豊北町内では粟野の製材所が最後まで頑張っていたが、手入れをしていないため山の木が使い物にならなくなり、結局廃業してしまった。しかし工務店では外材よりも地元の木を使っているそうだ。岡山県かどこかの製材所では、大きな外材用の機械をやめて国産の材木用に機械を変えているという話もあった。国産材を大事にする流れがあるみたいだ。
  林業は「施策次第で全然違う」といわれていた。下関では旧郡部の議員がいなくなってから、議会で農林業に関係する質問がゼロになったといわれていた。全国的には林業の立て直しにとりくんでいる自治体がかなり増えてきている。長野県根羽村では製材所を村営にし、設計・製材・工務店・林家がいっしょになって、木材で家を建てる人には間伐材50本を製材してあげるというとりくみをして、今では年間130戸の注文が来るようになったそうだ。村に戻って林業に従事する若者も増えている。和歌山や岡山、広島などでも木材を燃料にした発電所をつくり、製材所やハウスの電気をまかなったり、町の電気もまかなうようになったとか、いろんな事例がある。山口県も一カ所だけ木質燃料をやっているところがあり、最近ではだいぶ林業をしている人が間伐材を持っていくようになっているといっていた。
 A そもそも山はエネルギー資源だ。太古の昔からつい数十年前まで薪をたいていた。日本の国土の八割ほどは山林だから、膨大なエネルギー資源だ。山には水が流れているし、小規模な水力発電もたくさんつくれる。そういうので地域の電力もハウスやさまざまな製造業などの電力もまかなったらずいぶん有利な経営になるし、余った電力はよそに売ることもできる。可能性はあるということだ。
 C 林業をしている人の家は薪ストーブだった。木造の家だから一日中たいていると木が熱を吸収してすごく暖かいそうだ。しかも灯油がいらないから生活費が全然違う。農村で生活するのにあまり金はいらない。燃料も食料も水もある。農家の人は「実は田舎の生活は食事にしてもすごくぜいたくなんだ」といっていた。やはり価値観の転換だ。都会にいてもあまりぜいたくはできないのだから、農村で食っていこうかという若者は絶対にいる。子育てといっても大学まで行かせるのがすべてではない。
 
 豊田や豊北も集団化で活気増す 市民の需要と直結

 B
 豊田町でも集落営農法人が増えてきている。どこも高齢化して耕作放棄地が増えているなかで「若い世代に引き継げるよう、体制をつくるんだ」という思いで70代、80代の人たちが頑張っている。一軒一軒でやれば赤字だが、集団作業をすることで元気が出てきているといっていた。コメ作りだけでは休む日が多いので、アスパラや野菜をつくったり、畜産農家と契約して飼料用のイネをつくったりしている。
 ある法人は、今1万1400俵くらいコメをつくり、そのうち1万俵は農協に出荷して、400~500俵を直接業者に売っているが、農協が1万円のときも業者は1万6000円くらいで買っていくそうだ。そういう直接のルートをもっと開拓できないか模索している。そして安定して給料が払えるような体制ができれば、若い子を雇いたいと。自分のところも口コミでコメを買いに来る人が増えてきて農協に出さずに全部売れたそうだ。おいしいコメや農産物を市内の人が目にするようになったら売れる、直接販売をし始めたらスーパーよりも安い値段は絶対に保障できると確信を持っていっていた。
 他の地域でも、やっぱり一番の問題は流通だ。山奥の集落では買いに来る人は少ないから、どんな直販体制をとったらいいのか、市内や商店とつながりがないので、たくさんできた野菜を売りさばくには市場に出荷するしかなく、「新しい方法があれば全然違う」といわれていた。市や県の方も、法人化することが最終目標になっていて、法人化したとたん「独り立ちしなさい」という対応になっていることも指摘されていた。
 C 豊北町では、4人で4町の田を守っている自治会がある。「荒らすわけにはいかない」と、田をつくれなくなった高齢者から田を預かっている。昔は傾斜に沿って棚田があったが、人の手が入らないことでだんだんと竹藪が下におりてきた。後継者がいないことが一番の障害で、法面の草刈りなどすることは山ほどあるが、結局作業は機械に頼ってしまうといっていた。機械は共同利用しているが、1回故障したら50万円以上かかる。年間に補助が約60万円あるが、補助金など吹っ飛んでしまう。
 その点、田耕地区は区画整理を一番にやり、広い田を協同組合をつくってやっており、補助金も多いから機械代などもまかなえていると語られていた。農協のコメの買いとりが1俵8000円台だったそうで、「せめて1万3000円くらいでないとやっていけない」といっていた。個人で直接売るときは30㌔9000円で売っているが、よく売れるそうだ。
  旧下関市内では野菜の生産が盛んだ。安岡では約400戸の農家のうち実際に農業をしているのが約200戸。うち半数以上が農業一本でやってきて高齢化している農家、半分弱がサラリーマンを定年退職した63~65歳の人たちだそうだ。そのなかで1000万円以上売上があり、手取りが500万円という人がわずかにいるが、ほとんどが売上300万円、手取り100万~150万円という状態だ。コメが収入の大部分を占めているが、コメの値段が安いことと、安岡ネギや芹など高級野菜が多いため、都市の消費が落ち込んで生産者が減っているのに売れない。最近農業を始めた若い人もいるそうだが、「飯が食っていけるような状態にしないと、農業の将来はない」といっていた。
  元気が出てくる要素は、一つは農家自身が集団化していることにある。もう一つは流通の問題だ。スーパーが市場を支配してしまって生産者を買いたたくなかで、そうではなく直接消費者とつながることで明るくなっている。市内でも農家から直接コメを買っているという人は結構いる。実際には市内の者が地元産品をほしがっている。コメも野菜も絶対にスーパーよりも安いし第一安心できる。流通過程が短いからコストがかからない。農家の方も市場に出すよりはるかにいい値で売れる。
  コメの直接販売がはやっているのが市役所のなかだ。兼業農家をやっている職員が市内の職員をお得意さんにしている。

  断然優位な地元農作物 鮮度も値段も 

 B 農業でもいろんな工夫が始まっている。地域で集団化して耕作するし、それを集団で加工したり販売したりしようという思いはすごくある。内日地区では3月に直販所をオープンする予定だ。内日は病院もなくなり、商店も数軒になって過疎化しているが、これを地域立て直しの出発にしたいと力を入れている。地域の農家が野菜を出荷し、まずは地元の人に買ってもらえるようにすること、また車の通りは多いのでそうした人たちに立ち止まってもらえるようになったらいいといっていた。もともと婦人たちがしている「うつい工房」の弁当やおにぎりなどが人気で、ここもいっしょに出店し、将来的には診療所なども戻って来るように、この地域内で暮らしていけるようにしたいと、長い視点でとりくまれている。
 加工をしようと思ったら資金的なものとか設備などもいるので、具体化されていない地域もあるが、集団的にやれば可能性はある。漬け物を漬けたりということは日常的にだれでもやっていることだ。その辺から始めれば広がっていくのではないか。
  勝山の100円市場がものすごく盛況で、もう何年も続いている。だいたい1日に1000人が買いに来るそうだ。シャッターが開く八時はすごい奪い合いになるほどだ。その他でも野菜を買えない高齢者がたくさん住む地域には、町の角角で野菜をトラックで売るのがこの何年かでめだってきている。そういう需要があるのは間違いない。
  町の消費者は地元の安心できる新鮮な物がいいに決まっている。ほとんど地元の産品が食べられていない。自分たちが生まれ育った地域の同じ空気や水で育ったコメや野菜が体に一番合うのはあたりまえだ。アメリカ輸入のどんな毒が混じった食い物を食わされるかわからないなかで、地元産は断然優位にある。そこに地域の魚屋や野菜屋が機能すればいいが、職のない若者が一軒一軒訪問して客を開拓していく。それを各集落の営農集団とつなげて、それを配達して回るなどすれば、スーパーに負けない力になるんじゃないか。
 
 宅配方式も魅力大 一気に広がる可能性

 C 漁師や農家の方には「買い手が来ない」というのがある。でも売りに行ったらという話になると、「そうか」という感じになった。角島の漁師は、今安くて採算がとれないのでワカメをやっていないそうだ。だがすごくおいしい。寒い時期にワカメを加工したりして、終わったらテングサを加工したり、年中続けて回していけばやれるのではないかといっていた。海草類がなければ魚介類にすればいいし、「角島のかあちゃんたちが働くことにかんしてはだれにも負けていないしどんなに厳しくても絶対にくじけないというのは保障する」といっていた。
  磯でワカメやウニをやれば、経費がかからない。おばちゃんたちの仕事で年中できる。それを直接販売したら全然違う。コメなどで先行して直販体制ができる条件はあると思う。営農法人の方が唐戸なら唐戸を一軒一軒回ったら需要が出てくると思う。おかずは梅干しでもコメがうまいと食事はうまい。コメで開拓して野菜などにも広がりうる。下関も二十数万人いるのだから豊田町の○○部落がどこの地域、豊北町の○○部落がどこと棲み分けできるんじゃないか。それを軽トラで若い者が配って回れば雇用も増える。TPPだろうとなんだろうと絶対に負けない体制をつくらないといけない。
 D 都市部の消費者はスーパーで買うしか買うところがない。そういう農村の営農法人などとの接点ができたら、たちまち広がる可能性がある。アンテナショップ的な店舗ができて農村との接点になるとか、商店街も営農集団の店ができたら人が集まって商店街の活性化にもなる。衣類は毎日は買わないが、食べ物は毎日食べる。毎日じゃなくても土・日だけでもとか。道の駅などがはやっているが、まだ対象は観光客だ。市内に30万人が住んでいる。市民の日常生活のなかに恒常的な消費力がある。
  そこに漁村が連携して出荷したら魅力になる。そこを宅配拠点にもできる。
  水産物も安いときはヤズが1本100円とかいうのが何年か続いている。直接販売だったら1本500円で売ってもスーパーより安い。三枚におろしたり、刺身にでもしてあげたら1000円でも安い方だ。年寄りは家まで届けてくれるとなったら喜ぶ。刺身で売れ残れば煮たり揚げたりして翌日売ったら、スーパーのように大量に捨てなくて済む。
 E 働いている婦人たちも、翌日の子どもやお父さんの弁当をつくるのは大変なことだから絶対に需要がある。事業所でも惣菜を売りに来てくれれば、コメだけ弁当箱につめて持ってくればいいから助かる。
 A そういう商法でいけばスーパーに勝てる。どこかの営農集団や漁村が一点突破をすれば他の地域もやってみようとなるのではないか。チラシを週中に配っておいて週末に運んでいくとか。
 D 東北に行って思ったが、魚をとったら絶対に二次加工、三次加工をして付加価値をつけて出荷している。そうすることで倍以上の利益を地元に生み出すといっていた。
 
 「社会のため」で活路 安さだけで成り立たず

  価値観の転換がかなめだ。安ければよいというものではない。商品というものは交換価値だけでは成り立たない。買う人にとって役に立つかどうか、使用価値があるかどうかがいる。社会の役に立つ、人の役に立つものを生産し、販売する、その結果経営も成り立つというのがあたりまえの姿だ。みんなが団結して人人のためにやる。農林漁業がなくなったら国はつぶれる。国を成り立たせる農漁業者の使命感だ。都市でも農村でも、もうかる時代ではなくなっている。どうせ貧乏なら農村で役に立とうという若者は多いはずだ。農漁村活性化なら相当の雇用を創出できる。
 自分たちの力でその方向をやろうというのは、政府がTPPなど農林漁業をつぶすという政策をやめろという力を強めることでもある。農林漁業に正当な助成をしろという力だ。アメリカもヨーロッパも食料輸出国はみな、食料価格の70%とか90%を補助金を出している。そっちの方が農業過保護で、日本は残酷な状態だ。林業など林道をつくって山の中に車が入れるようにするとか、作業員の雇用をもっと助成するとかやる必要がある。農漁業も若者が一人前になる10年ほどは雇用助成をするとか当然だ。これは個人のもうけだけではなく、社会のためだ。市庁舎建て替えとか第2関門橋なんかいらないから、そういう助成をやれということだ。
  農家がいっていたが、アメリカの農業経営者は閣僚に入るくらい大金持ちで、自分で予算をつけて自分がもらうような状態。だから補助金がものすごいが、それが農業労働者に回されているかというとそうではない。工業的な農業で「社会のために」は二の次だといっていた。
  郡部の人のなかから、市役所や役場の建て替えをやめろという声がたくさん出ている。そんなことやっている場合じゃない、それより役場の中身を充実してほしいと。地域のなかを歩いて回る役場の人がいないといわれていた。それに阿川でも100円市ができたが、今までの競り市は漬け物などを少しずつ小分けして出せていたのが、保健所がうるさくてできなくなり、今は野菜だけになっている。保健所が規制をかけるからすごくやりにくい。

 妨害要素とりのぞき生産立て直しが急務  全国的な課題

   国、県、市という行政というのがまるきり民主主義でなくなった。TPPをやるとか東電に責任を問わずに税金と電気料金を上げさせるとか、アメリカと一部の大企業の道具になっている。市民の生活を心配するところではなくなっている。ホワイトハウスはウォール街に乗っ取られ、霞ヶ関・永田町はホワイトハウスの出先だ。
  下関でも、シーモールはがら空きになっているのに駅前商業施設をJRにつくってやる。人口は減っているのに副都心開発といって川中区画整理をやりがら空きの住宅ばかり。需要があろうとなかろうと金を貸してもうけたのは山銀をはじめとする金融機関だけ。市役所がその道具になっている。これとたたかう市民の力がいるということだ。
  戦後の日本農業は、農地改革で地主の土地を分け与え民主化といっていたが、工業による収奪の対象にしたということだった。安い農産物価格と高い工業製品を押しつけられ、若い労働力を根こそぎ都市にとり上げていった。工業優先による農漁業破壊の歴史だった。そしたら今や工業もつぶれていく。しかし、農林漁業がつぶれたら日本社会はつぶれる。この立て直しは農林漁業からというのはあたりまえのことだ。
  国内の工業、製造業を衰退にまかせるわけにもいかない。「円高でやっていけない」といって海外移転ばやりだ。国内を捨てて海外ばっかり行ったらその企業はつぶれる。トヨタがアメリカに工場をつくるが「ブレーキが利かない」といわれて何百万台のリコールをする。その後「ブレーキは利いていた」とアメリカ政府が平気な顔をしていう。トヨタは全然文句をいえない。国家主権は向こうにあるからいじめられる。海外に行ったら効率がいいといって、タイの洪水であわてふためく。 自然条件は考えずに賃金が安いくらいしか考えずに行って失敗する。ソニーやパナソニックが大赤字だ。アメリカ型株主優先資本主義経営にうつり、働く者は非正規雇用で、法人税は減税、インフラ輸出や技術開発には国家財政は使い放題の親方日の丸で目先大もうけし、巨額の内部留保を貯めた。そのために、技術力は低下し、労働者の創意性やチームワークはガタガタになった。
 A 生産性、効率性といっても単純ではない。日本の高度成長をさせた力はブルーカラーの力だ。それは歴史的につくられてきたものだ。一千何百年も建っている法隆寺のような物をつくる技術があるし、五重塔も少少地震が来ても倒れない。歴史的につくられてきた物づくりの伝統、そのうえに工業化しているのに、それをぶち切ったら大企業といっても終わりだ。
 B 農林漁業をはじめとする生産の立て直しが待ったなしだ。農漁民だけではなく全国民的な課題として、それをやるぞという力をつくることを基礎にして、それを妨害するTPP、安保体制、日米同盟の犯罪性とたたかう力をどう結集するかだ。

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